期末テストを控えた中学生へ
相変わらず学校からは、細かい指示付きのテスト範囲表と、毎日のテスト勉強の予定と結果を書き込む用紙が配布され、いよいよテストの準備をしなくちゃなあ…って思っている頃かと思います

さらに進学塾に通っている人は、「これをやっておけば点数がとれるぞ」というテスト対策問題を塾からもらったり、塾の先生が作成してくれる「テスト予想問題集」をやりさえすれば、安定した点数をとれる、と安心しているかもしれません

いずれも、誰かから指示されたり、提案されたりする勉強法であり、自発的なものではないことはわかると思います

実は問題はそこにあり、どんなに「与えられ」ても、その後、自分で工夫して、努力しなければ、本当の力は身につかないということは断言できます

なぜ断言できるか、っていうと、私が、26年間、途切れずにずっと中学生の勉強を見続けてきたからなんです

進学塾に勤務するところから私と中学生との勉強は始まり、その後、独立し、小さな塾を開きますが、そのあと、私生活では結婚したり出産したりしましたが、お産の入院時以外は授業を休むことなく、塾と家庭教師の仕事をずっと続けてきました

そして、ずっと、見続けてきました

進学塾ではもちろん、過去のその地域の中学校のテスト問題を回収して作成した「テスト予想問題」を配布してとにかく高得点を塾生にとらせるように、という会社の方針に従わなければなりませんでした
それでも、私が責任者をしていた教室では、地域の中学校のテストを全部ごちゃまぜにして再編集し、どの中学の問題なのかわからないようにして使用しました
会社の方針とは合っていなかったかもしれませんが、それが私のせめてもの抵抗でした
その頃は、前年の問題をそのまま使用する先生もいらしたので、同じ中学校の過去問題を解いておくと、高得点がとれてしまいました
でも、それって、その子の実力じゃないよね?という疑問が、今の半分くらいの年齢だった私にもわかりました
だって、結局、入試問題の傾向の予想はできても、多くの出題を的中させることはできないし、定期テストで「的中」してもらうことに慣れてしまったら、ほら、故事の守株待兔(しゅしゅたいと)を元にしたらしい童謡の「待ちぼうけ」みたいに、また獲物が勝手に転んで簡単に捕らえられないものかな、って日がな一日怠けて待つような、そんな結末に…なってしまうのが怖くて
(その後、学校のテストを塾が教材に使うことが大問題になった時期がありました)

まあ、案の定、そういう風に「誰かに予想してもらう」のに慣れてしまった中学生は多くなっていて、塾もどんどんエスカレートして、「テスト予想問題の的中率」を競ったり、「定期テストで満点をとらせます!」と広告に大きく書いたり、と、もう、何が目的なのか、全然わからないなあ、っていう…中学生の力をつけることじゃなくて、テストの的中をして塾の生徒を増やしたいんだろうなあっていう、まあ、企業としては利益を上げる、という当たり前の目標なのですが、そういうのが、中学生本人達にとってどうなんだろうなあ、って思ってしまうのです

進学塾を利用している中学生諸君も、その事はしっかりと頭に置いて、塾を頼りすぎることなく、自分の力で勉強に対して試行錯誤することをおすすめします
そうすれば、誰も予想できない入試問題に対しての恐怖心はなくなりますよ

さて、DKでは私がテスト予想をすることはありません
こんなに長くやっていると、範囲を見れば、だいたい何が出題されるのかはわかるけれど、そういう細かい情報は生徒達に与えません
意地悪しているんじゃなくて、生徒達に自分の力で成果をつかみ取ってほしいからです
そのかわり、色々な勉強法を、生徒に応じてアドバイスしています
全体的にアドバイスすることもあるし、個人的にアドバイスすることもあります
こんなことを書くと自慢しているように中学生諸君には思われちゃうかもしれないけど、
これがね、アドバイスをちゃんと実行している生徒は、確実に力をつけていくのです
実行してみることもなく、または、ほんの1日ほどやってみただけで「もっといい方法はないかな」とすぐ目移りしたり、楽な方法を探したりしている生徒は、全く伸びません

特徴的なのは、「勉強のやり方がわからない」と言い出す生徒です
そういうことを言う生徒のほとんどは、どんな勉強法をアドバイスしても、試しにやってみることもなく、または、1日とか2日とか、いわゆる3日坊主的なことをしてみたものの、「ちょっと大変だな」と諦めて、やめてしまい、他の方法を試すことなく、自分なりにアレンジすることもせず、「わかんない」「できない」とうろうろしている状態です
まあ、それはそれで、それが自分の特徴なんだな、と理解できるならいいのですが、「勉強のやり方がわからない」といった「親を不安にさせる」言葉を親に伝え、自分に対する課題を誰かのせいにしようとし始めます
「学校の先生の教え方がわからない」も同様です

どんぐりでは「わからない」という言葉は思考停止ワードとして使用禁止となっています
中学生においても、全く同じで、「この解き方がここからわからないのです」という「わからない」ならともかく、「勉強のやり方がわからない」という言葉は、「自分の力で勉強する気持ちはありません」と言っているのと同じです
「学校の先生の教え方がわからない」「習ってません」も同じです

厳しいことを書いていますが、D→K Roomではそれでも、生徒を突き放すようなことはしません
生徒それぞれに合った勉強法を一緒に探すのがこの教室の務めです
「学校の先生の教え方がよくわからない」と言い出した日には、「それはラッキー!」と励まします
だって、「よくわからないなあ…」と思うことが勉強の原動力なんですよ
もし、超わかりやすい授業で、楽しい授業で、授業時間内にすらすらと解けてしまった場合、それでも家に帰ってもう一度忘れないうちにやっておこう!っていう生徒はどんどん伸びていきますが、そうじゃない場合、大抵、授業時間内で納得しちゃったら、それ以上追究したり、不安に思うことなく、復習もしないでいることでしょう(これは、塾の授業でも同じです。デキルとワカルは全く違うものですからね)
自分はどっちのタイプですか?学校でしっかり理解できても、その日のうちに調べ直したり、復習してみたり、自主的にするタイプ?それとも、「大丈夫だな」と放っておきますか?
ほとんどの人が、「放っておく」と思います
だから、「超わかりやすい授業」でその後がない場合、いざ、テスト・入試になると「あれ?」ってなっちゃいます
逆に、「授業、わかんないなあ…」って不安があると、先生に質問に行ったり、自分で調べたり、という次の段階へ自然と進みますから、それで力がつく、だから「ラッキー!」なのです
もちろん、「授業、わかんないなあ…」って不安なのに放っておく、というのは最悪の選択なのですが…

英語の教訓(ことわざみたいなもの?)でこんなのがあります
中学生なら何となく訳せるかな

Give a man a fish and you feed him for a day;
show him how to catch fish and you feed him for a lifetime

魚を与えればその人の1日を養ったことに
魚のとり方を教えれば、その人の一生を養ったことになる
…といった意味です

しかも、捕り方はひとつじゃない、いろんな方法があるし、試してみて本当に捕れたら、次は自分で考えたっていいんだぞ、って私はいつも思っています

私は神様じゃないし、魔法使いでもありません
絶対に100点が取れるよ、とか、絶対に合格するよ、なんて言えません
それに、私がなんでもできて、なんでも知っているわけじゃありません
私より生徒の方が優れている点もたくさんあります
でも、大人として、彼らのそばで、わたしは、「ひとつじゃない」っていう、いろんな可能性を示し、少しでも彼ら自身が見つけたら、その小さな種火を消さないように一緒に守って、いずれ大きな炎になるように、そんな手助けをしているつもりなのです

最後に、英単語の覚え方について、ある元どんぐりっこ(卒業生)の中高生時代のエピソードから

その子は「単語帳」を愛用していました
「単語帳」は、リングでまとめた小さな紙の裏表に覚えたいことを書き込んでおいて持ち歩いて覚える方法です
その子は「100枚綴り」がよい、とこだわっていました
学校で単語の小テストがある度に、そのために覚えなければならない英単語で単語帳を作成し、「覚えたら取り外す」という方法でどんどん暗記していきました
覚えているかどうかは、ノート等に日本語面を見て英単語を書く、または、書くことができない環境の時は、スペルを思い浮かべて、めくって、正解だったらOKというように、チェック方法は何通りかありました
覚えきったものを取り外していくと、何度覚えようとしても間違えたり、覚えきれていなかった英単語だけが残っていき、「まぎらわしい」「覚えづらい」ものだけが集まっていくので、逆に、特徴的で印象に残るようで、最終的には目標の日までに全部覚えることができる、と話していました

その子の友達は、「一覧式」で暗記しようと努力していました
覚えるべき英単語を一覧で書き出し、または、英単語集など、本をそのまま利用し、暇さえあればひととおり眺めたり、高速で「英語→日本語→英語→日本語」と唱えたりして暗記する方法です

ある時、その子たちは、お互いの暗記方法に興味を持ち、ある小テストに向けて、暗記方法を交換してみたそうです
「単語帳式」の子は「一覧式」に
「一覧式」の子は「単語帳式」に

結果、交換してみた回のテストの成績が悪くなってしまい、お互いに、自分に適した暗記方法を再確認できた、ということでした


勉強するということは、こんな風に、自分に適した方法を探すためのきっかけになります
大人になると、英単語を覚えたり、数学の計算を正確に解いたり、公式を覚えたりする必要はなくなるけれど、日々、自分で考えなければならないことは諸君のような学生よりも多くなっていきます

会社で仕事をしている大人も、家族の食事を作っている大人も、毎日が試行錯誤の連続です

誰かに予想問題を作ってもらって、それを解いていればなんとかなる、という状況は、大人になると、もう望めません
でも、自分で考えて生きる、って、こんなに楽しいことはありません
試行錯誤することで、あー、うまくいった!とか、あー、ダメだった!とか、確認しながらそれでも前に進むのです

英単語の覚え方ひとつとっても、その方法はたくさんあって、どれが自分に合っているのかは、試してみないとわかりません
それでも、「英単語の覚え方がわかりません」とおきまりの質問が来ると、アドバイスした方法のうちの1つをまずは試してみるように話すのです
いま、書店に「東大生の勉強法」というようなタイトルの本がかなり多くなってきた、と感じます
それだけみんな「勉強法」に興味があるのと、悩んでいるのと、そういう傾向なのだと思いますが、とにかく、誰の勉強法でも、どんな勉強法でもいいから、本を読んで「ふむふむ」とか言ってないで試してごらん、って、「覚え方がわかりません」って12文字を並べている暇があったら、覚えたいことを書いてごらん、声に出して読んでごらん、ってアドバイスするのです

でも
単語帳式でやってみよう!と思った人は、丁寧にゆっくりと単語帳を作るのに時間をかけすぎて、何度も繰り返し見たり書いたりして覚えるための時間がなくなった、なんてオチはやめてくださいね
一覧式も同じです

自分に合った対策法を考えるためにテストはあります
だから、学校の先生にも伝えたい
勉強法を限定しないでいただきたい

漢字練習の回数や枚数を指定したり、ワークを解く回数を指定したり、それは、個別に指示していただきたい
もうすっかり理解できている子が、何度も同じ問題を解いている状態が、その子の向上につながるか、先生ならよくわかっているはずです
何度も同じ問題を繰り返し、解かせなければ、力がつけられない子がいるのもわかります
小学校の宿題と同じですが、
生徒によって必要な内容と量は違い、特に中学生はもう、自分で考えたいし、指図されると反発したくもなります

もしそれが、「業務が煩雑すぎて対応できない」のだとしたら、進学塾の塾生獲得目的、ということと何も変わりません
生徒のためではない、大人の事情ではないですか

でもね、生徒諸君もそんな「大人の事情」に振り回されることよりも目を向けるべきところはあって、どんな逆境でも自力で乗り越えてみせる!という強さは、いつ、どんな環境でも、役に立つのですよ

きっと、強く、賢くなれる
誰かのせいにせず、自分の力で前に進めばいいんだよ
そしたら、自由な世界が待ってる!