家にいると仕事か家事をしてしまいます
ここのところずっと休まず働き続けています
仕事は好きだし、なにより、
特に添削の仕事は、メールの向こうから、日々頑張っている生徒さんたちの様子がわかるから、
特にたくさん届く週末に、できるだけすぐに返信してあげたい、と思うのです
でも、私の脳もときどき休ませないとパンクしてしまいます
朝早く起きて、出かける直前までできるかぎりの返信をして、思い切って小さな旅に出た週末でした

先週は6月の茶話会がありました
茶話会(さわかい)とは、どんぐり学舎保護者さんと私とのお茶会、以前は座談会と呼んでいたおしゃべり会です
お茶やお菓子を持ち寄って、ただただおしゃべりをします
今年度は5月から開催して、6月は2回目でした
7月8月は川遊びの時に川辺でできるかな~と思っています
日帰り川遊び、いっぱい行きたいです

最近は、ワンオペ育児とか、コロナもあってなんだか子育ての悩みを共有する場も少なくなって、すごく閉鎖的なところに保護者さんたちは押し込められていて苦しそうに見えます
そんななか、どんぐりを軸に、日々頑張っている保護者さんたちとの対話は、とても意義深いと思っています
なかなか誰かと共有する機会がない、誰かに話したい、誰かの話を聞きたいけど、方法がわからない…という方も多いみたい
必要な人に届きますように…と願っていても、なかなか身近な人でも利用してもらえなかったりして毎月ドキドキしながら企画しています…
「億劫」になってしまっているのかもね
そして、なんだか忙しそう…
本当にいつも、円形劇場に住んで、時間泥棒に相手にもされないモモの気分です

さて、今回の茶話会の話題の中で、特に記録しておこう、って思ったことをいくつかここに書いてみようと思います

ひとつは、
我が子が積極的に集団遊びや、他人との遊びの場に関わろうとしない、家族だけでいい、って言う、というお悩みに対して、それぞれがどうしているか話したことです

ある人は、他者と関わるのが難しい特性を持っているかもしれない、と気づき、いろいろな場に連れて行きますが、難しさを感じて、自分でそういう場を作ってみることにしました
自分と、我が子がいわゆる「主催者」になると、これまでいろいろな場にお邪魔するときよりも積極的に来てくれる人と関わりを持ち、リラックスして関わっている我が子の姿が見えたようでした
それをとっかかりに、他の場でも自分らしさを発揮することができるお子さんに成長しています

ある人は、保育園で開いている子育て支援の場を活用していて、我が子も楽しんでいるように思えたのですが、ある日、たまたまいつもより遅い時間に到着してしまい、自分たちがあとからその場に加わる形になったとき、いつもは伸び伸びと積極的に楽しんでいた我が子が、どうしても輪にはいれず馴染めなかった経験から、そういうことか、と気づき、その後、絶対に遅刻しないように頑張った、と話していました
赤ちゃんを抱えて「毎回遅刻しないように出かけるようにする」ことがどれだけ大変なことか、私にもよくわかります
すごく頑張ったんだな、と思いました

ある人は、放っておくと近所の子とも交流しない時世になり、敢えて自宅の庭を開放したり、積極的に遊びに関わったりして、外遊びの楽しさを、我が子と近所の子、まるごとに体当たりで教えているようです
汗だくになって本気で関わる姿は、私のガキ大将理論そのものです
子ども同士がコミュニティを自然と作って、自然と育ち合った時代と違い、ほどよい大人のてこ入れが子どもの豊かな育ちに必要だったりします
もちろん、てこ入れが要らない環境であれば大人も楽ですし、お互いにいいのですが、昨今、それはとても難しいし、ただ大人のてこ入れのさじ加減がまたとても難しいのです
その辺り、とても上手に実践している方なのです

ある人は、やはり、他者との関わりが難しいと感じた我が子を、いろいろな場に送り出しては試行錯誤を繰り返し、そろそろこの先どうしていこう、と考える6年生という学年に達した親御さんです
いろいろ活動に参加してきたけど、やっぱり、大勢の中で過ごすことや、集団遊びは好きじゃなさそうで、少し心配が続いているようでした
でも、小学生の間は、なんだかんだ理由をつけて、いろいろな経験をさせてきたのです
私はその子を年長時代から見てきて、親御さんの努力も悩みも、段階を追ってずっと見てきました
その子の特性はやはり、あまり変わらずあるのですが、家族だけでは経験できない人との関わり、そこで動く感情の部分、身体の部分、今のところ、充分経験できたのではないかと思うのです
小さな子達に無邪気にからまれたときの困惑した表情
困惑しながらも、ちょっと嬉しそうな表情
家族には小さな子がいないので、そのような経験はできないわけです
自分の思うようにならないことも、他の人と話し合ったり、譲り合ったりしながら妥協案を探したりもしながら、なんとなくうまくやってきたのです
その経験があるのとないのとでは全然違うんじゃないかな、と思いました

どの御家庭も、親としての「段取り」の努力を強く感じます
言葉で「ほら、積極的に交わりなさい」とか言うんじゃなく、
自然とそうできるように仕掛けを作る努力、という部分です
長年、関わっている親子さんばかりなので、私はいろいろ思い出して感無量でした
また、私自身も子どもが小さいころに暗躍したことをいろいろ思い出しました

ちなみに、「家族だけで遊びたい」のは当たり前の気持ちです
「家族とは遊びたくない」と言っていたらそれはそれで課題がありそうです
でも、家族だけで遊んでばかりだと、他者と関わることで自然と獲得するいろいろなものを獲得できないまま、そこの部分が欠落したまま成長してしまいます
ある時期までは、無理にでも、仕掛けを作って家族以外の集団に関わる機会を生かすといいと思います
未来永劫じゃないんです
あるいっとき、子どもが人間に育つ過程で、必要な経験なのです

きっと、大人が面倒くさいんだろうな…
いろいろなイベントを立てて実践してきて痛感していることもあります
口では理想を語るのですが、現場では他者と交われない親御さんがたくさんいます
自分たちの主張を引けず、理想を掲げているような
それでは家族だけで遊んでいるのと変わりません
そういう家庭のお子さんはもちろん他者と交われない子が多いので、
この先苦労するだろうなあ…と感じることはあります
気心知れた仲間、そしてもちろん家族、親族、
「いつメン」だけで遊ぶのももちろん楽しいし、それが一番気楽なのはわかります
でも、我が子の将来生きていく環境はずっと親が整えて準備してあげられるものではありません
どんな環境でも楽しく生き抜ける人間になれるようにするには、
子ども時代に、多種多様な経験、多種多様な人間関係を少しずつでも経験しておくことと、
関わり方を親が見せることが重要だと思います

それからもうひとつは、
子どもたちの言葉遣いや生活習慣についてです

どんぐり学舎には、どんぐりをしている子しか来ないのですが、ときどき出会うどんぐり未経験の体験生や、ボランティア先で出会う小学生、知り合いの、どんぐりとは無縁の小学生などと接する機会があると、いろいろと考えさせられることがあります
茶話会の保護者さんたちももちろん、身近な子どもたちに関して我が子以外はどんぐり関係者ではないことが多いので、私よりももっと切実に、考えさせられる機会が多いので、話を聞いてとても勉強になりました

たとえばゲームばかりしている子に話題として、どんなゲームが面白いの?と聞いてみたり、YouTubeが好きだと言う子にどんな動画が好きなの?と聞いてみても、特に熱意があるわけではない、という子が多いということでした
そうか、ゲームが好きで、動画が好きで時間を費やしているわけではなく、惰性というか、他にすることがないからというか、何も考えず、何の情熱もなくやっている子が多いのか…と思いました

それから、「やば」とか「うざ」とか「きも」とか、そういう言葉についても話題になりました
そういう言葉を小さな子どもが発することについて、いろいろな話になりました

すごくいい話で、2日間ほど反芻していたのに(そのとき書けばよかったのに!!)細かな言葉を忘れてしまい後悔しているのですが、
私がああーって思ったのは、「感性がその言葉にひっぱられてしまう」というような言葉でした

「きも!」っていう子に、その瞬間、気持ちを聞いてみると、もう、自分の中では「きもい」で片づけてしまっていて、それ以外の感情や、言葉の幅もない
今の子達の多くが、そういう極端で否定的な言葉にひっぱられて、柔らかで、曖昧な感情みたいなのも失っている気がする、というような話でした
いろいろなお子さんと関わっている仕事をしている保護者さんだったので、現場の、すごく温度を感じる感想だなあ、って思って印象に残りました

これはどんぐりでの「わかんない」「めんどくさい」と似ていて、
すべてにブレーキをかける危険な言葉に属するんだろうな、と感じました

いま、どんぐり界隈以外でも、子育て論界隈では、「親の言葉遣い」について言及されています
だから、当たり前のことだと私は思っていましたが、
親御さんも、お子さんの前でそういった言葉を使ったり、説明が足りなかったりする、また、
感情的でセンセーショナルで暴力的な言葉で命じるようなことばかり言っていたりして、
子どもが完全に萎縮して、自分の中で湧き起こる豊かな感情を言語化できずにいるのは最近殊に感じます

それなのに、
やれ、国語のテストでは文章から主人公の感情を読み取ったり、
自分の気持ちを文章で書かせたり、
おかしな評価が始まるわけですから子ども側に立てばたまったものじゃないんです

子どもの一番近くにいる人が、すべてのジャンルにおいて、手本を見せ続けているということに、
気づかないのかなあ…とずっと思っているのです

茶話会では話題はころころころころ、いろいろに移ります
結論なんか出なくたっていい
自分の話したいことを話せばいい
誰かの悩みに寄り添って、自分だったらどうだろう、って一緒に考えるのもすごくいい経験になります