中学校の国語の教科書に昔から掲載されている、
吉野弘さんの「虹の足」という詩が好きです

ちょうど、群馬が舞台なのですが、
赤城山が見えるバスの中から乗客が外に虹を見つけ、
わあ!と歓喜するのですが、虹の中に入っている(ように見える)村の人たちは、
自分が虹の中にいることがわかっていないのだろう、ということから、
外から見れば幸福に見える中にいても、
その中にいるひとにはそれが幸せだと気づかないこともあるのだろう、という
そんな詩です

最近、ブログを書きかけては、最後に読み直して削除してしまうことが増えました
ブログ自体をもうおしまいにしようかな、って考えたりもすることがあります
SNSでぱっと思いついたことや感じたことを投稿はしていますが、
長い文章を書いて推敲していると、
ひとりひとりの御家庭が目に浮かび、
ああ、この例はあの家庭には必要だけれど、あの家庭では逆に追い込んでしまうかもしれない…などと深く考えすぎてしまいます

5月に、
糸山先生が旅立ってしまって、もう、答え合わせは遺された文書から探すしかできなくなってしまったのですが、どんぐり理論の解釈にも、似たようなことが多々起こります

先生はこうおっしゃっていた、
先生にこう言われた
という、問い合わせや、相談です

全国各地にいるどんぐり指導者や実践者で、言うことが違うじゃないか、という指摘を受けたこともあります
それは、糸山先生にもときどき寄せられた指摘でした

最近、私はそういう問い合わせに対してこのように答えました

どんぐり理論の神髄が書かれているのは糸山先生の書籍です
過去ログでは、いろいろな家庭との往復書簡が公開されています
書籍は先生が執筆し、推敲を重ね、校閲を経て出版されます
誰に宛てて書いているかというと、できるだけ多くの人々に対してです
過去ログは目の前の相談者に向けて書かれた内容で、
書籍と一致することもあるけれど、個々に対して向けられカスタマイズされた内容であることもあります
過去ログに書いてあることがすべて自分に一致することはありません
だから、
私は基本は書籍にあると思っています
そして、先生はこんなとき、どのように助言なさったのだろう、と迷ったときに、過去ログから似たケースを探して読みました
もちろん、先生に直接相談したことも何度もあります
その上で、自分の頭をゆさゆさ揺さぶって考え、実践に移してきました

さて…
虹の足の話に戻ります

ある卒業生の保護者さんから、数年前、こんなメールが届きました

タイトル もしどんぐりに出会っていなかったら

もし、どんぐりに出会っていなかったら、今の私たちの親子関係はなかったと思います
学校の成績についてもっとあれこれ口うるさく言ってしまったと思うし、
子どもを追い込んで、点数を上げるための塾に入れたり、もっと上を目指すようにけしかけてしまったりしたと思います
学校の成績はものすごく上がったわけではないけど、もし、どんぐりを知らずにいたら、私はごく一般的な保護者と変わらず、成績に一喜一憂し、子どもの目の輝きや、勉強以外に興味を持っていること、家族で温かな時間を過ごすことなど、二の次にしてしまったと思います
それを考えると、どんぐりを知らずにいたら、成績だってもっと低かったかもしれません
イヤイヤ勉強させられて、将来の夢なども描けなくなっていたかもしれません
中学に入って、ずっと同じような位置をさまよい続けたけど、よく考えたら、この位置で維持できたのも、どんぐりとDKに楽しく通っていたからなのかもしれません
周囲は中学生の子どもとの関係に悩み、家の中が殺伐としていて暗くて怖いんだ、なんていう友人も多いです
全く会話をしてくれないから、何を考えているかわからない、と愚痴っている友人もいます
でも、我が家はなんだかんだでずっと明るく、楽しく、家族で毎日たくさんしゃべっています
もしどんぐりに出会っていなかったら、こんな関係ではいられなかったと、自分の性格や考え方を思うと、確信が持てるのです

(中略、要約)

でも、
その少し前にこんなこともありました
別の御家庭です

その子(中学生の生徒)は私との授業で、ものすごく色々なことを考え、それをまとめて言葉にするのが難しくずっとずっと喋り続けてしまう性質がありました
まずは吐き出させるだけ吐き出させ、いろいろな話をしました
周囲の生徒も一緒になって、とにかく色々喋ったのです
世の中の仕組み、社会の仕組みで変だと思うこと、その歴史、その経緯、私も、それについて調べて一緒に考えるので毎日準備が大変だったのを思い出します
中3になると受験の準備が始まるので、考えて、意見を言うエネルギーを、覚えて、指示された通りに問題を解く、という比較的その子が苦手な作業に注がせるため、ある程度トレーニングする必要がありました
でも、話したいのを阻止することはあまりしなかったので、一切のおしゃべりを止めて、ひたすらトレーニングをするより非効率だったとは思います
でも、私は、目の前でぐんぐん成長していくその生徒を実はじっくりと計画的に導いているつもりでした
私が見る限り、見違えるように知的に、精神的にも素晴らしく成長して、周囲の生徒たちとも和やかに交流できる子になっていきました
そして高校入試では自分が通いたい高校を決め、保護者さんも納得した上で、受験し、合格したのです
最後の授業の日、「帰ってから読んで」と長い手紙をその子は渡してくれました
その中身は、初めて授業に来た日では考えられない内容と、心情が綴ってあり、しばらく涙が止まらなかった思い出があります

ところが

その先のことは、具体的には書けないのですが、
その家庭はなかなか大変な状況に追い込まれていきました
いろいろな要因はあるのでしょうが、
ひとつ、私の耳に入ったのは、
「もっと上の高校に入れたはずなのに」という親御さんの言葉でした

似た例は他にもあります
私と出会ったとき、通知表はオール3で、その地域の中堅高校を志望校にしていた生徒が、
勉強法を身につけたらぐんぐん点数が伸びてしまって、
いつのまにか通知表はオール5で、中3の模試では地域トップ校の合格圏内に入っていました
もちろん志望校もそちらに変わって、それは当然かもしれないのですが、
親御さんの要望が当初と全く違ってきたのです
私はその場合も、やはり、長い目で見ていました
確かに結果として成績は伸びたけど、私は、できるだけレベルの高い高校に入らせるように導いたつもりはありません
いつもそんなことを目標にはしていなくて、ただただ、その子がその後生きていくために、中学校の勉強をどう利用していくか、入試を自分を飛躍させるために生かすか、それだけを考えているのです
点数だけ伸ばして、できるだけ高いランクの高校に合格させたい、という願いが第1にあるならば、
私を選んでいないだろう、と思っていました

(結果的に、特にどんぐりっこの場合、中学でとんでもなく伸びる子が多いので、そこで独学力を身につけると各地域のトップ校には余裕で合格してしまうし、実際、私の教室(実&オンライン)の生徒もそういうケースが多いのですが、それは単なる結果であり、目標としているわけではないのです)

受験期に入ると、親御さんの過干渉が強まり、ぐんぐん成績が伸びていた頃のその子の目の輝きは失われていました
点数のため、成績のために勉強して伸びたのではなかった(勉強する楽しさを知ったタイミングだった)から、それは当然なのです
親御さんには何度も直接話し、親御さんがすべきことと、すべきでないこと、言うべきことと、言うべきでないことを何度も何度もお伝えしたつもりでしたが、結果、その子は第1志望校に不合格でした
成績では合格圏内に入っていました
本人の希望は叶わず一緒に少しだけ残念がりましたが、進学することになった第2志望校もとてもいい高校だったので、失望する必要はありませんでした
不合格通知でようやく目が覚めた親御さんは、最後に私に謝罪しました
先生に言われたことを守れなかったからこの結果になったと思います、と
いいえ、これは失敗ではなく、これがこの子と親御さんとの歴史の一部で、ちっとも悲観することはありません、と私は伝えました
その子は第2志望の高校で上位を維持し続け、大学入試の前にも毎週のように相談に来て、第1志望の大学に合格して進学、今は立派な社会人で、立派な親になっています



這えば立て立てば歩めの親心

じゃないですけど、私が見ているじわじわする成長、そして、結果的に別人のように成長しているのにもかかわらず、まだまだ!もっともっと!って願ってしまうのは、仕方のないことなのでしょうか

どうしても、子どもたちの目の輝きや、人生の歩み方を見ていると、
そんな親御さんからの圧が、
なんらかの形で影響してしまう…すぐにじゃなくても、たとえばその子が別世帯を築いたとき、それから親になったとき…漏れ出してしまうのではないかと…つい考えてしまうのです

ほらね、そろそろ削除してしまいたくなってきたけど今日は頑張ってアップします
ごめんなさいね

やっぱり私は円形劇場の中でのんびり暮らしているモモなのかな
小学生の成長だって、
めざましい!って子は何人もいて、
ね、ね、変わったよね?ってその親御さんにわくわくしながら問うてみると、
「そうですか?前からこんな子ですけど」的な答えが返ってくることがほとんどで、
あ!あ?そうですか…ってニコニコ内心を隠して引き下がるんですけど(笑)

私には変化が見えて、
親御さんには見えない
アハムービーみたいなものなのかな?(知らない人は検索して~)
って思ったりします

虹の足

知らずにすっぽりと、幸せの中に住んでいる
周囲からは「わあ」って思われるような幸せの中に
でも、
当事者にはわからない
いま、自分たちが虹の中に住んでいるなんて
全然、見えないから

でも、一歩外に踏み出してみたらどうでしょうか
見えるかもしれません

そして、想像してみたらどうでしょうか
今とは違う親子関係を
今とは違ったかもしれない我が子を

もしどんぐりに出会っていなかったら…の方のように、
もうひとつの人生を、想像してみたら……

虹の足の中からも、見えるかもしれません
外の世界が
おいでよ、って外から仲間を、入れてあげることもできるかもしれません

私の仕事はそれなんだけどな、って思いました

世界がぜんぶ、虹に包まれればいい
みんなが優しくて、みんなが幸せだったらいいのにな……