自分の中にネガティブな感情が芽生えたとき、
自分の中で何が起こっているのか冷静に分析すると、
わりと穏やかに、平坦に戻れる気がします
先日、友と話していたとき、
友は職場やいろいろな場面で自分が感じるネガティブな感情について話してくれました
そしてふたりで、
その感情の正体はなんだろう、という話になったのです
かつて、私はある人に大きく誤解されました
それはいまだに解けていない誤解です
もう私も忘れかけているし、相手も忘れているかもしれないくらい、昔の話ですが
誤解されてしまって、悔しくて、悲しかったとき、
私はあるすこし年上の友人に相談しました
そもそもその誤解を解くためには、
いろいろな犠牲が伴うことはわかっていました
すこしだけ具体的に言うと、
私の子どもたちや、その相手の子どもにも影響を及ぼす可能性がありました
そして誰より、いっぱいいっぱいで切羽詰まっていて、さらに、私を誤解しているその相手そのものを、
きっと、大きく傷つけることになるとわかっていました
私だけ、私1人が誤解されたままであれば、
それ以上の波風は立たないは、ということもわかっていたのです
それでも、
誤解されたまま、というのは悔しくて、悲しくて、
この気持ちをどうしたらいいのか、私はある友人に相談したのです
すると、友人は言いました
誤解を解きたいのはあなたのエゴで、
自分自身を守りたいから
自分を誤解せずに理解してほしい、という願いがあるから
友人が言ってくれたのは感情論でもなんでもなく、
ただただ、事実そのものでした
私はその言葉で我に返りました
そうか、私が自分自身を理解してほしい、自分をわかってほしい、つまり、
自分を守りたい、自分を助けたいだけなんだ、と
そのことがわかったら急に、
誤解を解きたい、
という気持ちがすっとなくなりました
それで、そのままになっています
それが正しいことなのかどうか私にはいまだにわかりません
ただ、
私1人が誤解され、いい加減で無責任な人間だと思われているままだとしても、
波はそれ以上広がらなかったのです
誤解をしている人はそのままモヤモヤ気分が悪いかもしれません
私のことを、恨んでいるのかもしれません
でも、私を恨むことで気が済んでいる可能性はあります
誤解を解くことで広がる余波よりはましかもしれません
そんな風に、
私たちの「感情」には、理由というか、根拠というか、表には出て来ない真実?…正体、みたいなものがあります
そんな話を、
先日、友としていて、自分たちの心のその、裏側にある真実みたいなものを見つけて、伝え合うことで、
冷静になれる自分たちを確認していました
自分の感情の正体を知る、ということ
私はそれを、「こころの裏側」と思っています
誰かを恨んだり、
妬んだり、
悔しがったり悲しんだりするよりずっと、
この方がいいかもしれないね、と
穏やかになれるのです
(そんな心の正体を、お互いに打ち明けられ、醜い部分も見せ合えて、語り合える友がいて、私は幸せです)
さて
話はすこし変わりますが、
ここ数年、よく、「ブログを読んでいます」という言葉のあとに、「読んでいて、つらくなることがあります」と言われることがあります
私のブログを読んでくださっている方は、私がどんぐり学舎の人間であること、どんぐり倶楽部創始者糸山泰造の弟子のひとりであることなど、予備知識をお持ちの方がほとんどだと思います
だから、
子育て論とか、教育論とか、その分野で探していて見つけてくださった方が多いのかと
私のブログを読んでつらくなる、というのは、
その感情の正体はなんだろうなあ…といつも考えています
その前にまず、私がそのことについて思っていることを知ってください
これは、
私が書いたメールの一部です(一部改)
かつて、ドキッとしたことがありました
目の前には、サインを発している子どもがいました
ブログじゃなく、直接そのことを伝えているのに、
親御さんは涙を流して、「ショックだ」と言うのです
ブログでは、直接誰かに伝えているつもりはなく、
確かに思い浮かぶ実例はあるけれど、その方のことをすべて具体的に書いているわけではありません
鳥羽和久先生の『おやときどきこども』を初めて読んだときは終始ドキドキしていましたが、
実例を元に、架空のエピソードにしてある、と読後に知って胸をなで下ろしたものです
でも、本当はどうなんだろう…実話に近いんじゃないかな…って思います
塾講師を30年以上もやっていると、実例でみなさんにお伝えしたい出会いや、できごとは、私にも山ほどあるのです
ゴシップではなく、参考にしてほしい実例なのです
でも、なかなか文字に乗せるのは憚られるので、座談会や面談などで話すくらいしかできない現状ですが…
それでも、現役の親御さんに、「これは今、伝えないと…」って思うことは思い切って言うのです
言うしかないのです
私だって数日悩んで、眠れないほど考えて、心臓が潰れるほど覚悟して伝えるのです
でも、
親御さんに泣かれてしまったり、ショックを受けてしまったり、落ち込んでしまわれたりすると、
伝えなければよかったのか…と私も落ち込みます
でも、
目の前には、サインを出しまくっているお子さんがいるのです
若い頃は親御さんと一緒にわーわー泣いてしまったりもしました
私だってどうしたらいいかわからなくなってしまうからです
でも、
今は、はっきりしているんです
上に書いたように、
親にはできるはずだ、と信じている、信じたいのです
子どもに不幸になってほしい親などいないはずだ、と
思いたいからです
先日、
ある人に言われました
「君は、子どもを守るために、親を責めるよね?」って
誰から何を聞いたのかわかりません
きっと、その人に、私のことを誰かが話したんだと思います
私に厳しいことを言われて辛かった、と愚痴ったのかもしれません
私の教室の生徒や親御さんたちが、よく知っている人なので
その言葉に、私は返事をする気持ちにもなれませんでした
なんて軽々しい言葉なんでしょう
同じ、子どもや親御さんと接する仕事をしている人なのに、
そして、私と親御さんたちが話している姿や、私が仕事をしている姿など、一度も見たことがないのに、なんて適当な言葉を使うんでしょう…
親を責める、と言われればそうかもしれません
でも、親を敵対視しているわけではないし、
子どもにとって最愛の存在であり、
親にとっても子どもは最愛の存在であることなど、
もちろんわかっているのです
そうか、私はそう「誤解」されているのか
そして、
そう言われて何も返事をしたくない、弁解すらしたくない自分のこころの裏側をじっと見つめました
この感情の、正体はなんだろう、って
醜い部分も見えます
きれいごとばっかじゃありません
そんなにきれいな人間じゃ、そもそもないのです
いっぱい間違えて、いっぱいやらかして、
全然、仏様でも聖人君子でもありません
ほど遠いです
だから笑ってしまうのです
ほんと、我ながら偉そうなことばっか書いてる、言ってるけど、なにさまなんだ?って
そして、思い出すのです
どんぐり修行中、糸山泰造先生が私に対してしてくださった指導のかずかずを
糸山先生の最も偉大な「指導」は、「返事をしてくださらないこと」でした
糸山先生は本当に優しく、愛溢れる方です
修行中は、私も赤ん坊を抱えていて、福岡に行くことはできなかったので、実際にお会いしたことがなく、
メールや手紙のやりとりのみで修行を始めました
著作はすべて何度も読んだし、
迷宮ホームページもすべて、過去ログもすべて、読みました
赤ん坊が寝てからの作業なので、睡眠時間はとても少なかったです
でも、夢中で修行していました
わからないことだらけで、楽しくて、興奮状態でした
とにかく、
返事は短くて、教えてくださるときも言葉は少なくて、最も怖かったのは、返事すらいただけないことでした
でも、それが糸山先生の返事なのだ、と気づいたのは、修行を初めて7年くらいたったときでした
返事をくださらないことで、糸山先生が私に教えてくださったことは、
今でも大きく残っています
それは、自分で考える、ということ
どんぐりではあたりまえのこと、子どもたちに皆さんも「自分で考えなさい」っていうこと
そのものでした
でも、私は先生に教わりたいのです
教えて頂きたいのです
でも、返事は一向に届きません
そうすると、先生がこれまでに私に送ってくださったメッセージの中に、何かヒントはないか?と探すのです
だから著書を何度も何度も辞書のように引いては読み込みました
過去ログで似た悩みを検索して読み込みました
その上で、実際に生徒に対応、保護者さんに対応して、模索し続けました
修行を始めて10年目くらいからは、
先生に問わずとも、先生がなんとお答えになるか、わかるようになりました
もちろん、一語一句違わず、というわけではないのですが、
先生の言わんとしていることがずっと変わらないとわかったし、
すべて書き残してくださっているではないか!とわかったからです
先生は、「本を100回読んで」とおっしゃっていました
今、私のところに来る質問や、実教室の保護者さんたちとの話の中でも、
「……糸山先生の本を読んでいないのかな…」と思われることがとても多くなってきたのと、
「全部読みました!」と言っている方でも、
読み切れていないかもしれないぞ、って思うことも増えました
読んでも、実践に移せないままの方がとても多くなっていることも
だから、
弟子の私たちが、糸山先生の理論をそれぞれの手法で伝えていけばいいのだ、と
でも、
やっぱり簡単で、楽な近道はないのです
そのことがわからないと、
永遠に茨の道は続きます
ちっとも楽しくならないのです
私は親御さんを敵対して責めたりなどしていません
小さな子どもが、サインを出しているから、
助けてあげられるのは親御さんしかいないから、
それが最初の砦だから、伝えているに過ぎません
でも、個々の家庭の事情があり、
親御さんの性格も、お子さんの性格も、それぞれ違っています
ブログに書くことが、すべての御家庭にぴったり当てはまる解決策ではないこともあるでしょう
でも、
とにかく模索してほしいのです
模索しようともしていない方の、助けにはなれないのです
自分がかわいくて、自分がかわいそう、ってなってしまっている親御さんの、
助けにはなれないのです
中学生が私に質問してくるとき、
「関数がわからない」などとものすごく大きな範囲で言ってくることがあります
その言葉に嘘はないんだと思います
それから
「英単語が覚えられない」と相談してくることもあります
わからないのは、どの問題で、自力でどこまで解けるのか、どこまでの基礎知識があるのか、
その情報もないまま「関数」を教えることはできません
また、
英単語をこれまで、どのくらい努力して、工夫して、覚えようとして、その結果、どれくらい覚えることができて、どれくらい覚えることができないのか、それも知らずに英単語を覚える方法を教えるのも難しいです
覚え方には100通りも200通りもあると思うし、生徒のポテンシャルもそれぞれです
かつての教え子で
「わからない、覚えられない、なんて言ってもしょうもない日本語を言う暇があったらそのぶん英単語を2つ覚える努力をすればいい」と友達に言っている子がいました
糸山先生も言っていました
「手遅れでしょうか」
という質問に
「手遅れだったら子育てやめるんですか?」と
何度も書きますが、長女の園探しをしていた頃、
素敵な幼稚園だったのに、園長先生がすごく威圧的で怖くて、偉そうで、どうしても入園したくなくなってしまった思い出があります
あんな怖いおばさんにはなりたくない…といつも鏡を見ています
でも、怖がらせちゃってるのかな…
責められてる、とびびらせちゃってるのかな…
私のエゴでしょうか
怖がられても、
責められた、と思われても、
それでも、
ふっと我が子を見て、自分を見つめ直すきっかけになったりするなら、
それも私の本望かもしれません
最後になりますが、
あるお父さんに「怖いから面談にはいかない」と言われたことがありました
そういう意味では、お母さんは勇気があるなあ、って思います
全員ではないけれど、一般的にその傾向はあります
実際、面談に来るのは9割お母さんですし、メール相談がお父さんから来ることもほぼありません
すべて間接的にお母さん経由で相談しているおつもりなのか、
それとも子育てや教育に対峙していないのか、
そこまではわかりません
なぜかサッカーのコーチには挨拶するお父さんも、
私には挨拶もしない、なんて昔からです
子どもの何かに直面したくないのか、
教育とか勉強とかはお母さんが担当だから関わりたくないのか
でも、その態度そのものが、お母さんや、子どもを苦しめている可能性があることを、
該当するお父さんたちには知ってもらいたいな、って思います
お父さんなら家族の前面に立って、強さと優しさを見せてほしいな
私なんて怖いはずないでしょうに
この話はまた、別のときに