「放っておいても子は育つ」とか、「大人が関わらないで育てばちゃんと育つ」とか、一見すると放任のようで、それでいて、とても自然で、柔軟性のあるような言葉が、多くの親たちを惑わせているように感じています
そんなことはない、惑わされてなんかいなくて、ちゃんと考えて、まっすぐ子どもに向き合って精一杯やってますよ、って人はともかく、ほとんどの親たちが、現実には実は疲れきっていて、「そうか、子どもにあえて何かをしてやらなくてもいいのか」「関わらないでいいのか」と、そういう言葉に救いを求めているように見えます

すごく、単純なことなのでイメージしていただきたいのですが、たとえばこの季節、私の住む田舎の巨大なホームセンターの、一番目立つところにどかーんと置いてあるのはなんだと思いますか?
除草剤です
その後ろには、殺虫剤です
昔は、蚊取り線香やはえ取り紙がせいぜいでしたが、今は、アリやナメクジ、クモやダンゴムシなど、人間に大きな危害は加えそうにないような生物を駆除するための薬剤もたくさんの種類が売られています
昔から除草剤も殺虫剤も売られていたのでしょうけれど、こんなに堂々と、一般家庭の誰でも買って帰れるような状態はここ数年、目立ってきたように思えます
それは、もちろん、「草むしりが大変だから」「虫が気持ち悪いから」という理由からなのでしょうけれど、それじゃあ、こういうのが家庭用としては一般的ではなかった時代の人たちはどうやっていたのかっていうと、まあ、せっせと草むしりをしたのでしょうし、そんなに細かな種類の虫のことまで気にせず生きてきたのでしょう

それで、ふと立ち止まってイメージしていただきたいのです
子どもたちにとって、草は、除草剤で茶色くさせて駆除するもので、小さな虫たちは、薬でおびき寄せて殺すもの
そう、認識されても不思議はありません

除草剤や殺虫剤を使わないとか使うとか、そういう話をしたいのではないのです
一般家庭でも多用しなかった時代と、現在とで、環境がどう変わったかを冷静に考えていただきたいのです

これは氷山の一角
私たちは、大人の都合で実は、子どもの暮らす世界をどんどんと、変化させてきました

何度も書きますが、子どもの数は40年前の半分以下となったのにも関わらず、子どもの住む世界は、体感的には、すごく狭く、窮屈になってきているように思えます

子どもの遊びを考えるシンポジウム、講演会を受講したあとも書きましたが、現実的には子どもが自由に遊べる場所はかなり少なくなっていて、子どものための遊び場であったはずの公園ですら、ボール遊びや大きな声を出すことを禁じられていたりもする昨今です
誰でも自由に出入りできる「空き地」など皆無に近く、田舎には休耕田が増えているのに立ち入ることは禁じられています
禁じられていたって入って遊んじゃうのが子どもなのですが、下手をすると学校に通報されて、大事件にされてしまうのです

でも、だからって、子どもは外で遊べない、と諦めていては、子どもはまっとうな成長をしないのです
「放っておいても育つ」というのは子どもが自由に生きる世界がまあまあ確保されていた時代、子ども同士が大人の許可も得ずに勝手に自由に近所で遊びを満喫できた時代の、もはや、懐かしい夢のような日々の言葉に過ぎません、残念ながら…

「大人が関わらないで…」というのも、自然遊び企画などをやっていると、常に脳裏をよぎる言葉です
本来なら、子どもの遊びを大人が準備する必要などありませんでした
集団遊びを提案したり、導いたりする必要も
でも、生まれた時から狭い世界で生きてきたこどもたちは、広い場所での遊び方、自由な遊び方を知らず、慣れていないのです
慣れるのは早いので、慣れたら放っておけるのです
それまでは大人の場所提供や、きっかけづくりは今は必須です
それに、「大人が関わらないで…」説に関して言えば、よく、ゲームやスマホの制限の話で、「そんなの子どもの自由でしょう」という意見を言う方がいますが、子どもがゲームを欲しがるから買い与え、スマホを持ちがたるから買い与えるのは、思い切り「大人が関わっている」と見えますが違うでしょうか
子どもの元に流れてくる情報を全てよいものと簡単に判断していいのか、そこは大人がじっくり考えなくてはならない時なのです
子ども専門の「小児科」が存在するように、アルコールやたばこが子どもには禁じられているように、私たち大人は、「いま、それが子どもにとってどうなのか」は慎重に判断しなければならないのです
子どもの世界が広く、大人がそれほど子どものことばっかり気にしている暇がなく、いい意味で放っておかれた時代とは何もかもが違って、まず子どもはビジネス対象であることを忘れてはいけません

清川さんは、順序立てて、子どものメディア接触と実際に起きている問題点について、ひとつひとつ説明してくださいました

著書を読むと、その全ての解説が書いてあります
だから、ここに詳細までは記しません
簡単にまとめてみるので、詳細はぜひ、清川さんの本を読んでください

目のこと
・赤ちゃんが、周囲の人間の顔を認識しながらおなじ人間として成長していく過程で、スマホアプリなどであやすこと、脅すことはかなり危険である(生きた人間の目のもつ力だけに意味がある)
・新生児の視力が届く限界が授乳中の母親の顔であるにも関わらず、授乳タイムはスマホ(ゲーム)タイム、という親が増えていて、哺乳しながら時々母親の目を見ようとする赤ちゃんは、生後すぐに「信頼したい人に拒絶される」経験をすることになる→将来の低い自己肯定感へつながる
・子どもは小学校入学前までに「視力」を獲得する→手元の小さな画面では、両眼で見ることができないため、斜視や単眼視になっていく(立体視が育たない…ボールをよけないなどの症例)
・外に出ると、遠くの雲や鳥、目の前を素速く動く鳥、かと思えば足もとの虫、次々に目で追って、自然と眼球を上下左右に運動させ、目の中の筋肉は発達していく
・「太陽をじーっと見てはいけない」と日食の観察の時に言われた理由はなにか?太陽光の中の青色光(ブルーライト)が人体に悪影響を及ぼすから。

ブルーライト…非常に強いエネルギーを持ち、人の目や身体に影響する太陽光の1つ。体内リズムを調整、覚醒させる力がある。ブルーライトだけが眼球内の水晶体(レンズ)を透過して網膜に到達する

その、太陽光のブルーライトと同じものが、LED照明からも発せられている
LED照明が多く使われているのが、スマホ、ゲーム機、PC、タブレット端末など

つまり、それらの画面を目の前に置き、見続けることは、太陽を直視し続けることと近い状態であり、夜ならば「昼間」と脳が認識し、覚醒してしまうこと、光は水晶体を透過して網膜に到達し、黄斑がダメージを受け、失明のリスクが増える

今朝の新聞で、小学生の近視が増えている、という記事がありました
中には思った通り、「スマホやゲーム機が近視の影響と立証した研究はまだない」としつつ、「影響しているのではないか」という東京医科歯科大学の眼科学教授の証言がありましたが、その前置きについては前回の記事の通りです
ところが、最後にありました
「視覚をつかさどる脳は小学校低学年くらいまでにできあがっていく。この時期までは、できればスマホやゲームには一切触れさせない方がいい」(国立成育医療研究センターの眼科医長さん)

足のこと
・5歳児の1日の歩数は70年代で15000歩、80年代で12000歩、現在は5000歩ほどにまで減っている。脚は歩かないと絶対に育たない。

耳のこと
・耳は消耗品。使えば使うほど弱るのが普通。それが老化。イヤホン難聴という病気が出てきている。早くも老化が始まっているということ

そして、

脳のこと
・川島隆太教授の本『スマホが学力を破壊する』
・平成27年度信州大学入学式の学長のスピーチ「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」(入学式当日に、今日でスマホを解約するよう新入生に提言。さもなくば、今日をもって退学すべし、という思いを本気でこめたという)
・全国どこの学校にもあるスローガン「学力向上」、清川さんは言います。「だったらゲームとスマホをやめさせればいい、すぐに向上しますよ」。ところが、学校の先生は頷かない。家庭内の問題にまで口出しできないということか…

ここで、家庭内の問題に口出しができないなら、宿題はどうなんですか?と問いたい私
無差別に、内容を吟味されていない暴力的な宿題が大量に課される昨今、家庭学習は家庭の責任で(自由にやらせて、アレンジさせて)、とお願いしても変人扱いされ、とにかくみんな同じにさせたいので、という学校
家庭でゲームやスマホをすることは厳しく言及せず、宿題の管理ばかりをいつまでもしていても、絶対に学力は向上しません
なんのために学者さんたちが研究していると思っているのでしょうか
どうして専門家が提言しているのに、変えようとしないのでしょうか

ワンオペ育児で、疲れきった親御さんたちにこれ以上何かを子どものためにしてほしい、なんて言いません
どんぐりをやってみたい、と相談をしてくれる方にもいつも言うことなのですが、簡単なこと、実は、ひとつひとつ、「やめていけばいい」のです

どうしたらいいかわからないからスマホを見せていましたよね
ゲームを与えていましたよね
でも、やめるなら、今だっていうことです

やめても間が持たない…と思うのは、子どもが自分で自分の時間を過ごせないからです
なにかツールがないと遊べないように、これまでなってきてしまっていたからです
ゲームもスマホもない状態で、しばらく放っておくと、子どもは、楽しいことを自分から探すようになります

そして、最低1日2時間は外で過ごす必要があります
2時間も!!??
驚愕ですか
糸山先生も同じ数値で話しています
最低1日2時間です
もし、保育園や幼稚園、小学校に通っているなら、その往復、日中の過ごし方を知って、その分は引いちゃいましょう
夕方、家に帰ってきて、足りない分、外に出ましょう!
家から徒歩で、出掛けましょう
いくら都会でも、大自然じゃなくても、大丈夫です
外に出れば、建物の中にはない景色があります
風も吹いてくるし、鳥や虫も、歓迎しなくたってついてきます
そう、その時間で子どもの目と脚が、健全に育っていく手助けができている!って思うと、その一歩一歩が愛おしく感じるはずです

遊び相手がいない、と嘆きのメールもよく届きます
遊び相手を確保するために、ゲームが必需品なのです、という嘆きも
いいえ
不要です
ゲームさえあれば友達と遊べる?
じゃあ、天秤にかけましょう
ゲームによって、視力や脚力が育たない可能性があります
でも、
ゲームによって、友達が増え、一緒に笑って過ごせます
でも、ゲームがないと遊ばない仲間なんです
私なら、ゲームがないと遊ばない仲間は友達ではないと思えます
大人ですからね
DKの中学生達もよく言っています
LINEグループに入らないと仲間はずれにされる、という事実を中学生達は突きつけられますが、DKの子たちは動じません
それで結構!と
時間ドロボウに自分の時間をプレゼントできるほど余裕はない中学生生活です
きっぱりとしたそんな態度を見た神様は、本物の友達を彼らに与えます

1日2時間外に出る
ただ歩けばいい
派手で楽しいイベントじゃなくていい

ただそれだけで、子どもはほどよく疲れて、よく眠ります
心も落ち着いて、今よりもっと、ずっと、一緒にいる時間が楽しくなります
ゲームやスマホのことなんか、忘れちゃいます
小学校高学年から中学生にかけての自律の時期も、楽しみになってきます

今のところ、私のところに寄せられるせっぱつまった状態の親御さんの中に、「思春期が楽しみ」という思いはかけらもないように思えます
「思春期が怖くてたまらない」と

次回はメディアが子どもの「心」に影響する、ということを、まとめてみようと思います