糸山先生のどんぐりポケットに
8月4日に見学に行ってきました

私は群馬から日帰りで福岡へ
でも、教室に集まった皆さんはそれぞれ、糸山先生の直接の添削を受けるため、もっと遠くから、たくさん、いらしていました

だって、糸山先生の添削を直接受けられるんですよ
こんな貴重な機会は滅多にありません

私は、先生の机の真正面に席を用意していただいたのでそこで4時間、先生の添削を見続けました

大人の方には最初に「わからん帳」の説明がありました
そして、「夏休みはわからん帳月間」ということの説明もありました

先生の板書は以下のようなものです

ここから、糸山先生の言葉にイズミの解釈を添えてご紹介します

・感情教育はその子のテンポに合っていないとできない
 速いと入力は不可である
 学校は異常に速い
 だから、家では子どものテンポに合わせる
 12歳までは入力の時期
 だから、家で学力をつける
 昔は学校半分、家半分
 今は家で全ての学力をつけるしかない

ここで以前から何度もおすすめしている、
自分(親)の声の録音療法をまたおすすめしちゃいます
思ったより、早口で喋っていることに気づくと思います
それが「子どものペースに合っていない」と、
穏やかな子どもの感情にさざ波が立つような気がします
たとえばお散歩中に道ばたの小石や草に気を取られ、
立ち止まる子どもをぐいぐいひっぱる親御さん
ペース合ってないな~とわかります
それから子どもが靴を履いたり脱いだりしている間も、
「早く」「ちゃんと」などとせかしている親御さん
今やってるじゃな~い
人前だと「ちゃんとさせないと」ってあせるんですよね
大人の気遣いです
でも、子どもの前で「早く」は要らないんですよ
えーーー!!そんなの無理~!!待っていたらいつまでもできないもの!!と言う方は、初動でまちがっちゃった可能性もありますよ
言えば言うほどきかないのが子どもです
聞かない子に育ってしまってからはさらに強引にしなくちゃならなくなりますものね
悪循環を断ち切るのは大人の勇気と努力です!

・どんぐり問題を解くときに声をかけていいのは「始める前」のみ
 「今回の目標」として「一言だけ」声をかけてもいい
 「ゆっくり丁寧に」では「二言」です
 「ゆっくり」か「丁寧に」かいずれかにする

私もどんぐり学舎で親子どんぐり体験教室をやってみて気づいたのですが、結構話しかけちゃってるもんですね!親御さんはご自分では気づかないのでしょうか?
肝に銘じましょ、「始める前」「一言だけ」です
解いている最中にね、子どもと目が合うとダメなんですね
救いを求められちゃったりしてね、「どうしたの?」「わからないの?」「どう描くんだっけ?」なんて声が出ちゃいますね
そしたら、もう、終了です
だって、途中で声をかけちゃったもの
声をかけなければ持続したかもしれません
目を合わせなければね
目を合わせたって大丈夫な状態になっている子もいるんですよ
でも、親子関係によっては、依存してくる子もいます
いえいえ、どんぐりは一人で考える問題
手伝ってもらって解く問題ではないんです
お宝行きにするかどうかも自分で決めるんです
目が合うとお互いのためじゃないな~って思う方は今後は対策を練りましょう
ご自分の問題を解いていればいいんです
ゆっくり、下手に、丁寧に、楽しく(笑)

・わからん帳があると、自分にとっての苦手問題、難問だけが納められている問題集があるということ
そんなパーソナルな問題集はどこにも売っていない
それらの問題を立て続けに10~20問解くことで考えるベースとなるレベル、ステージそのものを一段あげることになる
一段上げた状態にし続けることになる

最近、某東大王の有名人と、また別の「受験のテクニック」などをレクチャーしている有名人が立て続けに「自分の勉強法」を回想している文章を読みました
ふたりとも難関中学受験をした経験があるそうで、夏休みに何をしていたか、という話題で、たまたまふたりが同じ勉強法を紹介していたのです
それは、「模試やプリントで間違えた問題だけを切り貼りして集めたノートを作成して、ひたすらそのノートを解く」というものでした
これを中学生に話すと「(わからん帳と)おんなじじゃん!」という反応
そうなんです
彼らは小学6年生の夏休みにそのノートで勉強(作成は親子でしたそうです)したわけですが、中学生になっても、高校生になっても、この勉強法よりも効率的で合理的な方法があるでしょうか?
ないのです…
これは本当に…他にないんですよ
「これさえやっておけば大丈夫!」的な問題集や、
「中学3年分の数学を一気に理解できる!」的な参考書が売っていますけれど、実はとっても非効率なんです
だって、その中には、既に理解できている分野も入っているし、自分の苦手な分野だけを克服できる作りにはなっていないからです
タイトルや、カラフルなデザインとキャッチコピーに心が揺らぐこともあるかと思いますが、実はもっとも手っ取り早いのは、「自分の間違えた問題を徹底的に理解すること」であり、そこまではお金も全くかかりません
それを全くやらずに、新しい問題集に手を出しては止まり、止まってはまた手を出す…と繰り返している子に伸びる子はほとんどいません
当たり前です
自分のミスの傾向もわからなければ、テストでの得点方法、失点方法の分析もできていないのですから
スポーツや芸術分野だって、自分を省みずに基本もふりかえらずにひたすら新しいことにばかり手を出す成功者はほとんどいないはずです
…というか、それ以前に、私は長年中学生と勉強してきて、わかっていることがあります
中学校の勉強は、自分を知るためにあるのです
テストの点数をとるためではなく、大人と子どもの境目で、いよいよ自分自身の力で生き抜く準備として、自分のことをよく知ること、そのためにまんべんなく全科目の勉強が必要だと私は思うのです
苦手だな、難しいな、どうしても覚えられないな、でもいいんです
やれることを色々試しているならそれでいいんです
逃げてしまう子は、また、自分は逃げてしまうんだな、と自覚しなければなりません
それだって、生き抜く道はある、どんな子にも輝く将来がある、と私は思うんです
でも、自分を見ようとしない子はダメなんです
親が見過ぎているのもダメなんです
親が見過ぎているから、子どもが自分で自分を見ないんです
だから伸びないんですよ
…どうしても中学生の勉強法の話になると、熱くなってしまうので、その話はまた別の時に…

・問題のグレードを気にしすぎているうちは伸びない
年長問題を解けずに泣いた→5~6回泣けば気が済む
学校で何を言われても気にしない
できなかったのをやり直しさせない→ストレスになる→正解がいい、と教えることになる
・多くの人が勘違いしている
→お宝をすぐ解き直させている
→途中で声をかける
→解き方を教える
ルールは厳守!

さあ、どうでしょう!
どう考えても最も重要なのは親子共通、メンタルの強さ!ですね
敵を蹴散らす強さではなく、安定感がメンタルの強さです
動じないこと、気にしないこと、まっすぐと前を見て進むこと…

なぜ、私には迷いがないんだろう、と
育児中に考えたことがあります
周囲の親たちとは違う、変わった子育てをしていたと思います

たとえばテレビを見せないことひとつとっても、
「なんで??」と興味本位で聞かれることは多々あったし、それについて一生懸命説明しようものなら、見せている家庭を否定することになるので、そんなこと言えなかったし、それは、他のことでも同じで、
たとえば布おむつで育てたことも、
おやつや食事の質に気を遣っていたことも、
いちいち「なんで??」って聞かれるので、説明のためのブログを書いていたくらいです(笑)
「私、変わってるから♪」で済ませてしまうことも多かったです
それでも、ファストフードに赤ちゃん連れでどやどや行って、じゃがいもだから大丈夫、とポテトを食べさせながらおしゃべりに夢中になる仲間には入る気持ちになれなかったし、居酒屋でお酒を飲みながらキチャナイ座布団の上に子どもを転がしておく「きばらし」に参加する気持ちにもなれませんでした
「あらら、ほんと変わってる~」と思われていてもなんとも思わなかったし、周囲がみんなシマジロウのパペットを持っていても、DMで「今が最後のチャンス」と脅されても、全く心は動きませんでした
早期教育が流行しても、もちろん
英語教室にみんなが行き始めても、もちろん、全く気持ちは揺らぎませんでした
流暢な英語を話すよちよち歩きの友達の子と、どろだらけになって落ち葉の山を作ってもぐりこんでいるわが子とを見比べてもなんとも思いませんでした

こんな私はやっぱり相当変わっていると思います
でも、私が揺らがなかったのは、私に迷いがないのは、「知っている」からだと思うのです
知るために勉強し続けているからだと思うのです
なにも、正解を知っているわけではないのです
不安なら、調べる
知らないことは、知ろうとする
誰かの調べたことに乗るのではなく、自分でも確かめてみる
幼い頃からのそんな習慣は、大人になった今でも変わらず続いていて、それが、自分の生き方にも影響しているのがよくわかります
自分で調べて、自分なりに知ったから、「これでいいんだ」と思える
誰かに言われて、よさそうだな、という程度で始めないから不安もない
誰かのせいにする気持ちにもならない
全て自己責任です

糸山先生に厳しい言葉を掛けられて、苦しむ保護者の方もいるようです
福岡研修中にも、涙を、見ました
でも、みなさん、本当に真面目で、一生懸命で、糸山先生の添削の様子を自分のスマホで録音し、自分のために復習するのです
糸山先生は子どものために添削しているのではありません
親のためにするのです
いま、子どもはこういう状態ですよ、と親に伝えるのです
なんでこんなのもできないの!?とわが子に対し、思ったことはありますか?
それは、このどんぐり添削で言えば、なんでこれができない子どもにしたの?と親が言われているのと同じです
これまで、よかれと思って子どものためにやってきた
どの親御さんもそうだと思います
でも、間違っていたかもしれない、と
糸山先生に指摘され、気づいたら、やり直せばいい
いくらでも、戻ればいい
戻るチャンスを、糸山先生は作ってくださっているんです
「はい、いいですね」と適当なことを言って、その子がそれ以上伸びないのと、
「このままではよくないです」と厳しく言われて、親子でやり直したことで飛躍するのと、
どちらがいいのか、ということです

みなさんご自分のことを言われるのは苦手だと思います
大人になってまで、誰かに厳しいことを言われたくない…と誰だって思います
だから、言っていただけることがどれだけ貴重なのか、
そして、言う側の辛さも、少し考えたらおわかりいただけるかと思います

私だって、糸山先生に弟子入り(?)して10年くらいは、
叱られっぱなしでした
間違ったことばかり言って、本当に…先生にとって最も出来の悪い弟子だと思います
そのうち、質問や相談をすることが怖くなってきました
こんなことを聞いたらまた叱られるんじゃないか
(ここで注釈。決して「叱って」いるわけではない、糸山先生のメールや投稿の文章。厳しい文体ですよね。でもでもでも!会うととーってものんびりしていて、優しい方なんです♪…えーと、それを、勝手に「叱られている」と思いこんでいた私です。)
こんなことを相談したら返信さえしていただけないんじゃないか
相談のメールを、書いては、消し、消しては書き、結局送信せず…ということも何度もありました
それでも、そんなことをしているうちに、「糸山先生ならきっとこうお考えになるだろう」と想像するようになりました
過去ログや、著作を何度も何度も辞書のように引き、自分だったら…糸山先生がここにいらしたら…と想像しては目の前の生徒達に対処してきました
相変わらず、とぼけた質問をして返信をいただけないこともありましたが…それも糸山先生の「教え」なのだ、と判断し、あとは自分で考える!それがどんぐり!!と自分を鼓舞してきました
そして、糸山先生のお話を聞きに行けるところは全て行く、と決め、動画配信されたら必ず視聴し、すべて、ノートを作っているのです
相変わらずできの悪い弟子にかわりはありませんが、今は堂々と「弟子です!」と無許可で言いふらすまでの図々しさを身につけました(笑)
どこにでも押しかけてくるなあ、と思われているかもしれません(笑)
日帰りで福岡に行くくらいですから
また行きたいなあ…
またすぐにでも行きたいなあ…
できれば生徒達も連れて行きたいなあ…
眠れない夜は、そんなことを想像してふふふふふ、と生徒達との福岡旅行を脳内で…相変わらずの妄想族です

福岡研修ののち、私が意図的に変えたことがいくつかあります
それは、私の教室の生徒達や、添削を送ってくれる方々には少しずつわかっていただけることかと思います

でも、ずっとずっと、変わらないものもあります
糸山先生の著書に初めて出会った17年前と同じ気持ちです
なんで私の疑問が全て解消されたんだろう、この人、いったい何ものなんだろう!?
もっと知りたい!!もっと学びとりたい!!
…でも一生追いつけない…間違いなく…
でも、でも、でも、まだまだ追いかけていく!
それだけなんです