川原で西瓜を食べる子どもたち
美味しそうです

今度は何を持っていこうかな(まだ川に行く気でいる…)

縁起でもないタイトルをつけてしまいましたが、
私が子どもとの信頼関係について心から、いいえ、体の奥から、知る…いいえ、痛感することになったできごとが、まさに、雷に打たれたような、全身に衝撃が走った出来事だった、という意味なのです

先日、大阪市立大空小学校の元校長先生の映画上演&講演会で、木村先生も似たような衝撃を受けたことを話されていて、わたしはまた、あの日のことを思い出し、涙が止まらなくなっていました
せっかくなので、ぜひ、木村先生の講演でこの話は聞いていただきたいので、ここに私が全てを書くことは控えますが、要約すると、
木村先生も含め、先生達みんなが、手を焼いている児童がいて、正直、大変な子が来ちゃったな、と思っていて…でも、梅雨時のある日、あるアクシデントが起こり、その際に見えたその子の本質が、教員一同、そして、それを目撃した他の児童みんながその子への「見方が変わった」瞬間があり…
なぜか、そのあと、その子は学校を休まなくなり、問題行動も減っていった、という衝撃的な出来事があったというお話でした

どんなことが起こって、どんな本質が見えたのか、それはぜひ、木村先生の講演に行って聞いてみてください

私の「雷事件」も、以前にも書いたような気もするのですが、木村先生のお話を聞いて、また書こうと思い立ちました
なかなか、現役の生徒の話や、卒業して間もない生徒の話はブログには書きづらいので、もしかしたら書きたかったけどそこまで詳細には書けていなかったかもしれません
すでに大人になった彼が、これは自分のことだ、と気づいても、問題ないかな、と思うくらいの時がたったと勝手に判断して、書こうと思います

ちょうど今頃の季節だったかと思います
日中、よく晴れた夏の日は、夕方になると雷雨が来ることが多く、群馬では名物といってもいいくらい、夕方の雷雨、夕立がよく来ます
そんな夕立の日の晩のできごとです

A君のことは小学生の頃から知っていました
とある活動で顔見知りになりました
だからある時、町で再会した時、「おお!元気?久しぶり!!」と声を掛けました
A君は6年生か、中学1年生くらいでした
その時、彼が私を見て言ったのは、
「あんた、だれ?」

私は、「あんた」という呼称がすごく苦手で、どうしても好きになれません
ちびまる子ちゃんみたいにふざけて「あんたぁ~」とか言うのはまた違うのだろうけど、でも、自分でも絶対に使わないし、そう呼ばれただけですごーーくイヤな気持ちになってしまいます
それに、最近ではそんな言葉を向けられることは滅多にありません「あんた、だれ?」って…子どもが…(珍しくないの?)
本当に覚えていないのだとしても、そりゃないぜ~と正直へこみました…そんな言い方って~!!しくしく…

ところがその約2年後、A君は親御さんに連れられて、私の教室にやってきました
受験生なので、勉強を見てほしい、と
A君は親御さんに「小学生の頃、ほら…」と私のことを紹介され、覚えていない風な態度でしたが、もちろん「アンタダレ」の時のことも覚えているはずもありません
機嫌悪そうに、つまらなそうに、でも、受験があるからしょうがない、というような態度でした…
私は、この時、とーーってもイヤな気持ちがしていました
あーあ、世の中には塾なんてたくさんあるのに、どうしてうちに来ちゃったのかしら…
申し訳ないけれど、そんな気持ちさえ抱きました
体験授業と、面談を経て、「高校に合格したい」という彼の意志はわかったので、授業に来ることになりました
当時は育児をしながらでしたので、自宅内の部屋で、中学生の生徒さんは曜日別にほぼマンツーマンの授業でした
最初こそ少しは素直に取り組んでいたものの、しばらくするとかなり生意気になってきました
少しくらい生意気なのには慣れています
今ほどじゃないけど百戦錬磨!の自負はありました
でも、彼の言葉は、出産直後の私の心をぎゅうっと押しつけるような冷たい、そしてねじ曲がった怖い言葉が多く、表情にもトゲがあり、なんとなく恐怖さえ覚えました
「全部書かなくちゃだめ?」
「途中式、ちゃんと書いてみて」「え?なんで?いらないでしょ」「じゃあ、ミスしたら書き直しだからね」「めんどくせー」
そんなやりとりをしながら、それでもあまり休むことなく通ってくる彼との時間は過ぎていきました
「あの態度はなんとかならないのかな…」当時、夫にも相当愚痴っていました
A君の来る曜日は朝から憂鬱で、自分を奮い立たせるのに苦労したほどでした
そんなA君ですから、学校でも態度はあまりよくなかったようで、私は時々、「ここではそれでもいいけどさ、学校でそんなだと損するよ」と言っていました
でも、ぽつりぽつり学校の話をするA君は、「そういや担任と二人で話したことなんかないな」などと、「えっ…そうなの?」と思うようなことを言うこともありました

その日は夕立が来て、近所に雷が落ちたようでした
家が揺れるほどの衝撃で、私も、娘たちも夫が帰宅するまで恐怖におびえていました
夫が帰宅し、中学生の授業の時間が近付いてきました
その日はA君が来る日でした
ところが、開始時刻になってもA君は来ません
当時、自宅内で授業をしていたので、生徒さんはインターホンを鳴らして、私が鍵を開けてから入ってきていました
15分…30分過ぎてもインターホンは鳴りません
「ついにサボったか!」やる気のない態度のA君、いつも反抗的なA君
ほらみたことか!やっぱりやる気なんかないんだ!!
私は完全にA君に愛想を尽かしてしまいました
それでも、さすがに連絡なしでの欠席です
親御さんには連絡しなくては
まず一報を入れました
「A君は今日はお休みですか?」
すると、親御さんから返信がありました
「さっき送っていきましたが…」

えっ!!??
なんと!我が家の前まで親御さんに車で送ってもらって、そのあと逃げ出したってこと!?
こんな田舎町で遊ぶような店もないのに、いったいどこに行っちゃったの?
私は心底呆れて、「来ていませんが」とメールをしました
その時、何気なく、インターホンのモニターを押してみました
つきません
電源が、入っていないのです

私は、頭の先からつま先まで氷の棒でなぞられたような悪寒に襲われ、急いで外に出ました
門柱に埋め込まれているインターホンのボタンを押してみました
鳴りません
電源が入っている印の赤いランプも、消えていました

私は急いでA君の親御さんに今度は電話をかけました
「申し訳ありません!!A君は、車で送っていただいた後、いつも通りインターホンを押したようなのですが、インターホンが故障していたようで、押してくれたことに気づかず、それで、はいれなかったA君は、どこかへ行ってしまったようで…」
私が動転しているのを察してか、親御さんは、冷静に、先生、大丈夫ですよ、どうせ、近くのコンビニかどこかで時間を潰しているんでしょう、などと、おっしゃってくれました
そうか、コンビニか!
私は急いで車に乗り込み、近くのコンビニに行きました
A君はいません
私はまた親御さんに電話して、「コンビニにいません。今から探しに行きますので、もし彼から連絡があったら知らせてください」と伝え、近所を走り回りました
夕立のあとで路面は濡れていて、雨こそ降っていませんがどんよりとした夜の重い空気でした
我が家からA君の家までは、簡単に歩いて帰れる距離ではないけれど、私は何通りもある彼の家がある町まで通じている道を、片っ端から車で走って探しました
30分ほど探しても、A君は見つかりませんでした
もしかしたら、もう自宅に戻っているかも…もう一度親御さんに電話すると、
「先生、だいじょうぶだいじょうぶ。男だし、でかいし、もうすぐけろっと帰ってくるさ」
いえいえ!!そういうわけにはっ…
私は泣きそうになりながら、探し続けました
そして、ついに、見つけたのです…
もう、彼の住む町にほど近いところまで、A君は歩いて帰っている途中でした
私は車から大きな声で彼を呼び、急いで車をUターンさせて彼を乗せました
「ああ、先生」
とぼけたような、不思議そうな顔で私を見る彼の顔を見たら、安心と、申し訳なさとで涙が止まらず、「ごめん、本当にごめんね、インターホンが鳴らなかったんでしょう?ごめんね、たぶん、夕方の雷で、故障して…本当にごめん…ごめんねえ…」泣きながら謝り続けました
そして、「無事でよかった…」としばらく頭を上げられませんでした
助手席で、彼はやはりまだ不思議そうに私を見ていました
気を取り直してすぐに親御さんに、A君を見つけて、車に乗せたことを伝え、謝罪しました
授業時間は残り1時間を切っていましたが、A君は戻る、というので私たちは教室に戻り、1時間、勉強をして、その日は私が送って帰りました
「そんなに心配することないのに~」と親御さんは笑ってくれましたが、私は頭を下げ続けました
心臓は、1時間たっても、2時間たっても、ばくばくし続けていました

彼はサボろうとなんてしていなかった
なのに私は、「どうせやる気のないA君のことだから」思いこみ、
完全にA君のせいだと決めつけていた
サイテーだ
大人として、教育者のはしくれとして、サイテーな人間だ!!!

あれほど自分が嫌いになったこともありませんでした
私は、心の中で勝手にA君を「どうしようもない困った生徒」と位置づけて、決めつけて、正直、彼との時間がつらいくらいの思いを抱えていたのです

これから、どうしたらいいんだろう…
もうこの仕事やめようかな…
そこまで思い詰め、眠れなかったその晩でした

それでも、急いでインターホンの交換をし、授業前になったら鍵を開けておくことにし、生徒さんたちには「もしインターホンを押しても反応がなかったら、玄関のドアを開けて入ってきていいから」と伝え、親御さんには「インターホンを押しても家の中の反応がない場合、電話してください。反応があってお子さんが家に入るまで、見届けてください」と念を入れてお願いを通達しました

翌週、A君は、何ごともなかったかのような雰囲気で教室にやってきました
それでも、醸し出す雰囲気は「別人」でした
私が怖いくらいだった表情は柔らかくなり、滅多に見せなかった笑顔を見せるようになりました
勉強の仕方のアドバイスもわりと素直に聞くようになり、学校の話や、将来の夢の話も自分からするするとしてくれるようになりました
秋が過ぎ、冬がやってくると、A君の志望校はかたまり、そこでやってみたいことがある、と言い出しました
学校の先生ともうまくやってるの?と聞くと、「大丈夫ですよ」と笑って言いました
好きなアーティストの話もよくしてくれて、私は今でも、ラジオでそのグループの歌が流れると、彼を思い出します

第1志望校に合格し、A君は卒業していきました

今でも、なぜA君が変わったのか、言葉で説明することは難しいです
でも、木村先生のお話を聞いて、私がぼや~っと感づいていたことが証明された気がしました

変わったのは、A君ではなく、私だったのです
私が、A君のことを勝手に思いこんでいて、勝手に苦手意識を持っていて、勝手に…疑ったのです
それを、猛省させられる事件が発生し、私は、自分自身の間違いに気づいたのです
バカなんじゃないの!!??って自分で自分の頭を殴りたくなるくらいに

子どもを変えようと、
クラスを変えようと、
家族の誰かを変えようと、
頑張っている人がいたら、こんな私のバカな体験を思い出してください
たぶん、誰かを変えることは難しいし、もしかしたら不可能なんじゃないかと思うのです
どこをどうしたらどうなるのか、私にもまだわからないけれど、でも、
心から信じる、っていうことの大切さ、難しさは体感した出来事だったのだと思います
「信じてるよ」って言葉にしても、本当に信じているかどうかなんて、そこでは測れず、特に、子どもにはお見通しみたいです
子どももやはり、大人を変えようとなんて絶対にしていないんだけれど、でも、大人同士よりももっと素直に、サインを出しているはずなのです
私たちは、子どもを見ているようで、見えていないのかもしれません
信じているようで、実は信じられないのかもしれません

自分が、なにか、偏った、間違った見方をしている可能性はないか、
時々、自分自身をそうやってふりかえることができたら、
色々が変わってくるのかもしれません

A君と出会う以前にも、私に似たようなサインを送ってくれていた生徒はもしかしたらいたのかもしれません
今思うと、もっとわかってあげられたら…もっと信じてあげられたら…と悔やまれる思い出が、ないわけではありません
でも、明らかに、私はこの事件以降、「子どもは大抵間違ってない」という(長女小学校入学直後に恩師に言われた)言葉を、文字通り、体得しました
「お母さん、違うよ、こうじゃない?」
「先生、ここはこうじゃないですか?」
自分の間違えを、子どもに指摘された時、みなさんはどう思いますか?
私は、今は100%、本当に100%子どもの言うことが正しい、という前提で調べ始めます
「えっ!ほんと、ちょっと待ってね~」と
間違っても、子どもの言うことを否定してから調べることはしません
調べた結果、子どもの指摘が間違っていて、私が正しかった場合、とても嬉しいのです
よかった~合ってた~と、それはクイズに正解したくらいの嬉しさです
私が正しかったでしょ!!と子どもに再確認することもしません(する気になりません)
逆に、私が間違っていて、子どもの指摘が正しかった場合は、もっと嬉しいのです
わわ!ごめんごめん!私が間違ってた!!よくぞ指摘してくれた!!天才!!ありがとう!!となんだか満足しちゃいます
だってすごい!大人の間違いを見つけるなんて、素晴らしいじゃないの!って

いずれにせよ、子どもは間違ってない
私はどうやら、インターホンと一緒に雷に打たれ、一度破壊され、少しずつ再構築されました

子どもを変えようとする必要はありません
自分が見方を変えるだけなんです