群馬に3年連続きてくださっている、元大空小学校校長の木村泰子先生の講演に行ってきました
昨年は高崎だったのですが、今年は下仁田町、という、DSSで川遊びにいく方面、つまり、自然豊かな、山間部に近い町での開催でした
麹町中学校長工藤先生との対談を読み、ぜひ、直接木村先生にもお会いしてみたい、という願いが叶い、県内での開催に駆けつけることができました
大阪市立大空小学校開校以来、9年間校長先生を務めた木村先生は、ご自身では「賞味期限切れ」なんておっしゃっていましたけれど、定年退職されたようです
そして、現在、校長先生であった頃に関西テレビの密着を受けて作成されたドキュメンタリー映画「みんなの学校」の上映会に直接駆けつけて、映画と同じくらいの長さでお話をしてくださいます
この日、映画が始まったのが13:00
映画は2時間ほどで、その後、木村先生のお話が16:30過ぎまで聞けました
私としては、まだまだ、ずっと聞いていたかったけれど、その後、食事会、翌日も県内でまだお話をしてくださる、という過密スケジュールだったようでした
そんなわけで、全国をまわっている映画と木村先生
すでに、私の友人の何人かは映画と講演を経験済みでした
だから、とても楽しみにして行って参りました
木村先生は退職後3年間で47都道府県を全てまわられたそうです
これからも、みなさんの町の近くにきっと木村先生と大空小学校の映画がやってくるはずです
どうか、一度、映画を見て、そして、木村先生の話を聞いてみてください
これは、
なにも小学校の親御さんだけにおすすめしているわけではありません
木村先生の大空小学校は、先生達だけではなく、地域の方々の強力もあって素晴らしい小学校になりました
私には、見たこともない地域の方々との心のこもった交流が最も印象的に映りました
でも、
次女が泣きながら、地域のおじさまに手を引かれて学校から家に戻ってきたあの日のことを思い出しました
次女にとって、顔見知りで、優しい、いつも名前を呼んでくれるおじさまの存在はとても大きかったし、つないでくれた手はとても大きくて、安心させてくれるものだったでしょう
その年、次女は「恐怖政治」のしかれたクラスにいました
自分が怒られている訳ではないのに、毎日、毎日叱咤されるクラスメイトを不憫に思い、担任を脅威に感じていました
そして、担任のいないところでストレスを発散する級友の暴動におびえていました
その朝、次女は忘れ物に気づいて、校門の前で立ち止まってしまいました
忘れ物をしても、うまいことくぐり抜けてきた案外逞しい次女です
きちんと訳を聞いてくれたり、対策を一緒に考えてくれる担任の先生にあたったこともあり、それまでさほど忘れ物に神経をつかっていなかったように見えました
だから私も、それほどまでとは思いもよりませんでした
朝、登校してくる子どもたちをいつも見守ってくれている近所の男性がいました
私の父よりも少し年上の方です
Aさんは、その朝も、子どもたちの名前を呼んで挨拶をして見守ってくれていました
それで、いつもと違う、と次女の異変に気づいて声をかけてくださいました
次女は泣き出し、忘れ物をしたことをAさんに話したそうです
Aさんは携帯電話ですぐに私に電話をしてくれました
町内会の関係で、電話番号を知らせてあったので、とっさに対処してくださったのです
驚いた私は、すぐに学校にかけつけようとしましたが、「今から一緒に家に戻るから」とAさんはおっしゃって、学校からもAさん宅からも遠くない我が家に、次女の手をひいて戻ってきてくれました
次女は忘れ物を取りに家に入り、すぐに出ていき、またAさんと一緒に登校していきました
「わたしが連れて行くから大丈夫だよ」とAさんは優しく言ってくださり、私も安心してお任せしました
次女は忘れてしまったかもしれませんが、いろいろあったあの1年間の、ほろ苦い思い出です
みなさんの子どもの近くに、Aさんのような方はいますか?
また、みなさんは、近所の子どもたちにとってAさんのような存在ですか?
木村先生は、講演の最後の最後に、「どうか私の話を聞いて、自分のところの学校の先生に”こうしてください、ああしてください”なんて要求しないでくださいね。手法は人それぞれ。いろんなやり方があって、私のやり方を押しつけて、要求するなんてダメなんです。そんなことしたら、私がこうして話しに来ている意味がないんです。どうか誰かに求めず、ご自身が動いてください」とおっしゃいました
私は、講演後のアンケートに「全部の小学校が大空小学校みたいで、全部の校長先生が木村先生みたいだったらいいのに」と書いた直後だったので、苦笑しながら、木村先生の表情を見つめていました
そう、
私たちの近くの小学校は、大空小学校みたいなのではないし、中学校は麹町中学校みたいなものでもありません
じゃあ、諦めますか
転校しますか
どうしたらいいのでしょう
子どもは学校に頑張って通って、追い詰められ、傷つけられ、この時期、新聞やテレビでは「無理して学校に行かなくてもいいよ」って特集のオンパレードです
木村先生や工藤先生の日々を思うと、
「学校に無理して行かなくていいよ」って言葉とはまるで反対のベクトルを感じます
おふたりは…木村先生も別に、子どもに媚びている様子は全くないのです
子どものために優しく、楽しく、ほんわかとした学校作りを目指してきたのではないのです
ただ、学校は、子どもたちのためにある、子どもたちが生き生きと地域の学校に通えたら、子どもたちのふるさとのその学校は、大人になった子どもたちにとっての母校は、生き生きと通えた学校を中心に生き生きとした地域として継続する、それが「みんなの学校」である、ということだと思うのです
学校に来ない子は教師に呼びに来られ学校に連れ出され、校長室に連れて行かれます
暴力をふるった子も、校長室で校長先生と話します
「やり直し」と木村先生は言っていました
先生達も「やり直し」をします
木村先生は若い先生にも本気で説教して「やり直し」をさせます
ただ説教するわけではなく、最後に「やり直し」のチャンスがあるのです
誰にでも、やり直しのチャンスはあって、何度でもやり直していいのです
木村先生はまた、講演の中で、「なにも、大空小学校のスタッフが、特別な教育の研修を受けたわけじゃない。どこの学校でもできることです」とおっしゃっていましたが、私にはそこがまだわかりません
学校に行けなかった子が、行けるようになる、という噂が広まって、木村先生が在任中の9年間で全国から50人もの元不登校児が転校してきました
みんな、大空小学校には通えて、卒業したそうです
かたや、私の知る限り、周辺の小学校では不登校児が増え続けているし、中学校でも同様、全国調査では過去最高の不登校児を記録しています
映画を見れば、大空小学校の先生達がどんな風なのか、一目瞭然です
ただただ、私の目に映ったのは、先生達が、子どものことを見ている、そして、子どもについて毎日、真剣に議論している
経験の浅い先生を、経験者の先生が積極的にフォローしている
みんなでみんなを見つめている
手助けをする
それを見ている児童達も、できない子をフォローする
そんなのが当たり前
その構図、わかりますか?
一番身近な大人がしていることを、子どもはコピーするのです
ただただ、子どもをよくわかっている人なら誰でも知っているそんなことを、大空小学校は地でいっている
そんな計算ではなく、木村先生と一緒に働くどの先生達も、木村校長先生を見てる、その先生達を児童達が見てる、そんな構図です
わが子の学校ではどうですか?
先生が怒鳴り散らしてはいませんか?
失敗を許さない厳しさがありませんか?理不尽なルールを強いてはいませんか?
約束が守れない子をみんなの前で厳しく、強い口調で叱っていませんか
話も聞かず、威圧的に命令口調で児童を統制しようとしていませんか
簡単なことで、そんな学校で育った子どもたちは、目の前で見せられるそのような手本にならい、そのような大人に育っていくことでしょう
先生は「やり直し」をしない
生徒にも「やり直し」をさせない
そして…最も印象的だったのは「特別学級」という考え方でした
大空小学校には、他の学校でいう「特別学級」に入る対象の児童数の何倍もの児童が在籍しています
それでも、「特別学級」はなく、全員がごちゃまぜに、普通の学級で学びます
何かあると歩き出して教室を抜け出す子、パニックになって大声を出す子、自分の好きなタイミングで発言してしまう子もいます
みなさんのお子さんがそのような子と同じクラスだったらどう思いますか?
また、わが子がそのようなタイプの子どもである場合、やはり、特別学級に入れてほしいですか?
昨今、性別の垣根が取り払われつつあったり、と、人間の多様性が認められつつあります
大人になって、いわゆる「障害のある人」を差別するのはタブーです、と、パラリンピックの話題などではもちろん差別どころか、尊敬に値するような「障害のある人」がクローズアップされています
ところが、ほとんどの小中学校には「特別学級」があり、「そういう子」は特別学級で学校生活を送ることになります
同じ校舎にいながら、みんなと同じではなく、特別な教室で学ぶのです
以前、灰谷健次郎さんの著書で読んだような、健常児も障害児もごちゃまぜの、教室や行事の光景が大空小学校では繰り広げられていました
クラスメイトで、できない子がいたら、できる子はどうする?
リレーでまっすぐ走れない子がいたら、どうすべき?
「健常」の子どもたちは、自分の学びの他に、彼らとの学校生活の中で、考えなければならない課題を多く抱えます
そして、毎日、当たり前のように彼らと学校生活を送り、卒業していく時に「特別学級」などお互い、知らないのです
そういう風に育った子どもが大人になった時、障害のある人を差別するでしょうか?一緒に学校生活を共にした友人が思い出に残っている子どもたちは、差別する方法さえ知らないはずです
ところが、同じ学校でも別の教室にいて、そこが閉鎖的であったなら、子どもたちは「みんなと同じにできない子はあの教室に入るんだな」と認識して育つことでしょう
もし、いま、「特別学級」に入るような子が普通学級に在籍することになったら、「うちの子の勉強が遅れる」とか、「普通に、何ごともなく学校生活を送らせたいのに…」と苦情を言ってくる親御さんがいそうな気がします
みなさんだったらどうですか?
友達のことを考える子ども
先生ととことん話して、失敗してもやり直してきた子ども
そんな子どもたちは、今度はそれぞれの中学校に行って、それぞれの学校生活をまた始めることになります
子どもの頃に、「落ち着いて勉強できる環境を」とか「きめ細やかな指導を」とか、ちょっと良さそうな言葉に目を眩ませて、本当に子どもがしておいた方がいい経験を、させずに過ごさせてしまっている可能性はありませんか
学校だけでなく、子どもがコピーする大人像の実は最も大きな存在は親ですが、子どものため、将来のため、と言いつつ、コピーさせたくない像を見せてしまってはいませんか
木村先生も何度も「やり直し」をしたそうです
そのきっかけとなるのはいつも、「子どもに教えられて」ということだったのです
私は、泣きながら、うんうん、って頷いて聞いていました
私も全く同じように、たくさんの生徒達に教えられてきました
何にもできないお姉さん先生だった時代から、いままで、私に教えてくれたのは生徒達です
私もその都度「やり直し」をしてきました
木村先生の話を聞きながら、私は、これまで26年間で出会ってきたたくさんの生徒達の顔を思い浮かべていました
中でも、休みがちで脱走癖のある児童と、ある先生とのエピソードが泣けて泣けてしかたありませんでした
木村先生によると、ある出来事をきっかけに、その子は学校にちゃんと来るようになり、脱走もしないようになるのですが、それは、先生や周囲がその子になにかをしたからではなく、ただひとつ、先生や、周囲の、その子を見る目が変わっただけだ、という事実があるのです
私には全く同じ経験がありました
私の場合、学校ではないので、ただひとり、私と生徒との関係でしかないのですが、これまで26年間で最も大きな雷に打たれた経験でした
その話はまた次回に
いずれにせよ、私は小中学校の先生ではないから、工藤先生や木村先生のことを参考にできません
私は文字通り、指をくわえて見ていることしかできません
だって、塾なんて行かなくていい場所で、私になんて、出会わなくていいんです、生徒達は
多くの人が「行かなくちゃいけない」と認識している「学校」の先生が、心からうらやましいです
毎日生徒と会えて、毎日その様子を見続けることができる
親御さんにも「なにがあっても来させてくださいな」って電話することができる
私の教室なんて、来たくなかったら来なくていい
しかも、生徒が自力で来ることができないから、思春期や、親子ゲンカのせいで送迎してもらえず、欠席する子もいる
子どもと直接話そうとしても、学校の先生とは違い、必ず親を通してしか会うことができないのですから
でも、毎日会える学校の先生達と「なんにも話していない」と生徒達はよく言います
中学生は「話を聞いてもらえない」と言う子もいます
「理由を説明する前に、怒られる」と私に愚痴る子もいます
毎日会えるなら、いろんな話ができるのになあ
もっとその子を知ることができて、もっとその子の家族のことも理解できて…
いや、まてよ?
知りたいのかなあ、先生達は
子どもをもっと知りたい、知ろう、としているのかなあ
なんでこんなことをするのかな?って考えたり、先生同士で話したり、お家の方と話したり、しているのかなあ?
9月
新学期
昨日、録画した「不登校児の神様」的存在、という方のドキュメンタリーを途中まで見て、ため息をついていました
「学校は行かなくちゃならない場所じゃない」「学校に行くことより、自分の命を守る」
…って…学校ってどんだけ恐ろしい場所なんだろう
全国の学校の先生、少なくとも校長先生達は、この時期、何を思うのでしょうか
木村先生の講演には学校の先生もたくさんいらしていたようですが、工藤先生にしろ、木村先生にしろ、「公立学校」の校長先生なのですから、もう、全員の校長先生に見ていただきたいと本当に思うのです
木村先生は「押しつけちゃダメよ」っておっしゃったけど、でも、知らないのなら、知ってほしい、こんな学校があるんだよ、こんな先生と子どもたちがいるんだよ、ってことを
私が何度見ても、何度読んでも、
ただ指をくわえているしかないんだから