遠くの、遠くの…すぐに駆けつけてあげることができない大切な友人が、
育児に奮闘しています
滅多に弱音を吐かない友人が、それでも時々、私にメッセージを送ってきて、
そういう時は大概、誰にも言えない苦痛だったり、本当は親としてこうでなくちゃ、っていう理想と現実とのギャップへの自己嫌悪だったり、言葉にできない悲しみだったり…
近かったら、すぐに駆けつけて、「いいから、買い物でもしておいで!」って私は彼女の子どもたちを一手に引き受けて、それから一緒に子どもたちを寝かしつけたら、とことん話を聞いてあげたい
でも、
ちょっとやそっとで会いに行ける距離に、彼女は住んでいなくて、
私がここに書いている文章や、フェイスブックの文章を読んでは、「そうそう」って思ってくれているし、すごく頑張って実践しているんだけれども、「理想とは違う…」と悩ませてしまうことも、きっと、きっと、大いにあるわけで…

正しいことは確かにどこかにあるかもしれない
本当はこのほうがいい、っていう理想はあるかもしれない
でも、一番大切なのは、今が幸せか、ってことで
親である自分はもちろん、子どもたちも、幸せなのか、ってことで…

誰か、近くにいないの?
と私は彼女に尋ねました

誰かに、彼女を救ってほしくて

「助けて」っていう信号を出すのは、私もとっても苦手です
誰かに頼るくらいなら、1人でがんばっちゃおう、っていうタイプです
それで、たぶん、子どもには(特に長女には)無理をさせてしまったかもしれません
人と仕事の時間帯が違っていることも原因のひとつでした
みんなが1日を終えて、夕方のんびりと子どもと過ごす頃、私は仕事が始まる時間です
だから規則正しい生活リズムを無理矢理作るしかなかったことは、結果的には悪くなかったかもしれないけれど、もっともっと、仲間と過ごすことも、努力すればできたのかもしれないなあ、と反省もするのです

そんなわけで、DSS(どんぐり・しぜん・すくーる)では、子どもたちに豊かな自然体験、自然遊びを、親たちには仲間作りを、と意識して活動しています

最初は、「親たちには…」っていう意識はありませんでした
でも、自然と顔見知りになって、なんてことないおしゃべりをしながら子どもを見守っている保護者の方々は、いつのまにか独特な絆で結ばれていました
私だけ、ちょっと立場が違っていて、なんだかみんながうらやましいくらいです
私には、子育て中に仲間なんてほとんどいなかったからです

かつては、近所の仲間達と、何気ない関係が築けました
同じように、子どもたちを見守りながら、井戸端会議をするだけでよかった
わざわざ遠くまで連れ出さなくても、適当に子どもらが遊べる空間は、ありました
でも、
自然体験をお金で買う時代、
時間とお金を使って、わざわざ大人がセットする時代、
でも、そうじゃないんだよなあ…っていう…ごく自然な感じで、まるで当たり前のように、約束もしないで集まったかのような、そんな仲間作りがどこででもできたなら…
そんなモデルケースになればいいな、そして、いつか、遠くに住む友人にも、
こんな仲間ができたらいいな、ってこの日、1日中考えていました

だって、この日、この夏最初の川遊びの日、
初めて参加してくれた御家族は、お母さんと小学生の息子さん二人、それから、1歳の赤ちゃんでした
中学生の娘さんは部活の試合だったので、きっと、お父さんが自宅待機となったのでしょう
お母さんはたったひとりで三人を連れ、私たちの住む町から遠く離れた「いつもの川原」まで車を運転してたどり着きました

私はみんなが到着する前に、シュノーケルとフィンを着けて川底を点検して泳ぎました
自然の川は、プールと違って、訪れる度に深さや、流れの強さが変わっています
流れるプールと違って、流れ続ければ同じ場所に戻ってくることもありませんから、
子どもたちとは「ここまで流れたら、岸に上がること」と最初に約束をします

この川に慣れているどんぐり学舎の子どもたちは、自分の家の庭先のように自由に遊び始めます
私は初めての子どもたちが水着とライフジャケットを装着すると、「ここまで」の限界点に連れて行き、「ここまで流れたら立ち上がって、岸に上がること。どんなに浅くても、溺れて死んでしまうこともあるんだよ」と最初だけちょっと怖い話をしました
「うん、わかったよ!」と元気に遊びだしたら、あとは口出しはせず、一緒に遊びながら様子を見守るだけです

ここに来るとどうしてもみんな「飛び込み岩」で遊びたくなります
いつもより水深が浅く、いつもは私も足がつかないほどの深さの岩の前は、子どもでも立てるほどしかありません
でも、浮き輪を先に投げてその中に飛び込む「人間ダーツ」(生徒達が名付けた遊び)は延々と続き、近くで遊んでいた別のグループの子どもたちまで一緒に並んで岩に登って、この日参加していた私の長女がなぜかスタッフのように飛び降りる場所を教えたり、声をかけたりしている様子も面白かったです

大人の方もチャレンジ!

「結構こわい!!」と怖じ気づくも、「がんばれ、わたし!!」と自分を励まして飛び込んだお母さん!(1歳のお子さんがお昼寝している隙に!)素敵でした

かっこよく飛び上がっているのは慣れているお母さん
さすがです

写真では伝わりづらいのですが、川はかなり透き通っていて、魚もたくさん泳いでいます
釣り人もたくさん来る川で、チケットを買えば漁協で放流している川魚を釣ることもできます
私たちはひたすら、一緒に泳ぐのみ…
でも、網で捕まえることができる「カジカ」を生け捕りするのがいつもの流れ

プラ水槽じゃかわいそうだから、といけすを作った子どもたち…


すき間がないように頑張って石を組み合わせて、積み上げていたけど、
…いつの間にか逃げられちゃったね(笑)
それでも、生きた魚(カジカ)を手に持って、自分たちのいけすを泳ぐ姿を見ることができて、楽しかったね

各自持ってきた4つ足タープを繋げて、大きな日陰を作ったら、その下でテーブルを広げ、各自適当にお昼ご飯を食べたりおやつを食べたり…
焚き火を焚いてくれるのもいつものこと
川で火遊び、最高でしょ

台風一過の猛暑のこの日、それでも川は冷たくて、しばらく泳いでいると体は冷え切ってしまいます
小さい子たちのクチビルは真っ青で、笑ってしまったけど、お昼寝から目覚めた1歳ちゃんはまだ川に入りたがって、最後はみんなで連結した浮き輪に乗っての川下りにお母さんと参加
とっても、とーーーっても嬉しそうでした
家で「ふね」を作って来た子もいて、
最初はみかんやら葉っぱやら流していたけど、時にはカマキリが船長さんに…

1日中、好きなように遊んで、帰りたくなくて、ずっと笑っていて、
初めて会った子たちで名前を呼び合って、初めて会った誰かのお父さんやお母さんとも手を繋いで
親たちは、自分の子以外の子のことも大切に見守って、みんなで作った日陰で休んで
ここまで車で来るのは、同じグンマーでもなかなか大変なこと
でも、朝から晩まで過ごせる、と思うと、とても大切な時間に思えます

家族だけで遊ぶのも悪くないけど、正直、ちょっと、気が楽なはず
親だけでわが子をしっかりと見守る、という緊張が解けない状態ではなく、
仲間みんなで見守ること
誰かが一緒にいて、信頼しあった仲間なら、「ちょっとお願い」ができるから
それが、近所でも当たり前にできたなら…

そして、仲間で遊んでいる子どもたちは、なぜか、仲間以外の子どもたちともすぐにうちとけます
群れ遊びに慣れているからでしょうか
川は自分たちだけの遊び場ではない、とわかっているからでしょうか
お盆休みにかかった週末でしたから、いつもよりかなり混雑していたいつもの川でしたが、子どもたちは思う存分遊んでいました

川じゃなくていい
公園でも、空き地でもいい
原っぱならなおいい
子どもの仲間作りは親同士の交流の場でもあります

パーソナルで万能な端末を全員が持っている昨今、他人とわざわざ関わるより自分たちだけで完結する、ということがストレスなく、普通だと思っています
まだ、いまほどその端末が普及していなかった時代に育った私たちはぎりぎり知っています
仲間作りの方法や、他人とコミュニケーションをとる手段、手順を
もちろんその煩わしさや、面倒くささも
でも、いつも家族単位だけで暮らしていたら、広がらない仲間内だけで過ごしていたら、もしかしたら、かつて当たり前だった地域のような広がりも変化もなく、そんな人間関係だけで子どもたちが育っていったら…子どもは弱々しくなる一方だろうなあ…と感じます

誰かと一緒に楽しいことを考える経験も、小さな問題を解決する経験も、誰かに助けを求めることも、助けてあげることも、子どもの頃の遊びから徐々に慣れていき、当たり前のこととなって身についていきます

それが自然にできないとしたら、あたかも自然にやってます的な、大人の演出って、結構大事だと私は考えているんです
お膳立てしすぎるイベントが私自身苦手です
そもそも「イベント」自体、苦手です
だから、私が(私たち家族が)遊んでいるところにみんなを誘っています
最初は秘密の場所だったところにも、みんなを誘います
だから、いつのまにか口コミで広まって、私たち家族だけで過ごしていた頃には誰もいなかった場所に、人が押し寄せることもありました
人が押し寄せても、みんなが仲間になれたなら、それもいいかな、って思います
みんなが自然を大切にできるなら、それも…

でもゴミは増え、マナーは守られず、ついに諦めた場所もいくつかあります
あの1歳ちゃんが小学生になる頃に、一緒に泳げる川は残っているでしょうか

家族だけで自然遊びに出掛ける時、誰かに呼びかけてみませんか
一緒にいかが?って
現地集合で、一緒に過ごしましょ、って
一緒に見守ってね、って

「川は怖いと思って近付かなかったんです」とあるお母さんが言いました
そう、川は怖いものです
その感情は忘れてはいけません、と私は言いました
でも、子どもたちはルールを守ります
ひとりひとりの目を見て、肩を持って、ゆっくりと、1度だけ、話して聞かせます
約束が守れない場合は、川に入れないことにするしかありません
海でも、スキーでも、山登りでも同じです

そして、決して目を離しません
実は私たち夫婦は交代で必ずどちらかは子どもたち全員を把握しているようにしています
そんな打ち合わせをしなくても、それぞれの親御さんたちは、それぞれ自分が遊びながら、休みながら、子どもたち全員を見守っています
だから
事故が起きません
たいていの交通事故がスピード超過によるものであるように、
ほとんどの事故は人為的なものです(不可抗力でない限り)
それは自然遊びへの過信、油断です
だから、
油断せず、それでも、子どもたちにそんな様子を悟られず、これからも私が泳げる限り、滑れる限りは(笑)
全力で子どもたちと遊ぶつもりです

ひとりぼっちになってから、ひとりじゃないよ!って呼びかけても、届かないことが多いです
それは、いじめ問題などが発覚するといつも感じます
いつも、普段から、ひとりじゃない、ってひとりひとりが自覚できる環境があったなら、と願ってやみません


水着を脱いで、着替えたら、いつも始まる「水切り」大会
子どもたちが上がると途端に川が透き通る(笑)

次はいつ行けるかな
私が行けなくても、みんなで誘い合って、何度でも、ね!
※我が家はふたり娘の部活でスケジュールがびっしりです…さすが中高生…