どんぐり学舎の庭では、子すずめたちがわいわい育っています
朝になると木の上に集まっていて、まるで保育園のよう
洗濯物を干しながら、毎日眺めています

年度が新しくなって、
新入生も加わって、
バタバタしていました
しばらく、そういう年度替わりがなかったから、忘れていました
高学年が多いことがここ数年多かったので、
自然と移行して、私のすることはほとんどなかったのです
でも、ふと見ると、リーダーシップをとるような高学年がいません
誤解を恐れずに書くと、高学年女子がいると雰囲気が違うのです
男子はいつまでも…なんというか…幼いので

男子の数が圧倒的に多く、
学年が上がっても、全員同レベルで張り合っていて、
終始、トラブルが絶えません
いかに高学年女子頼みだったか…反省しました

ここのところ、
生徒たちが帰ると、教室も、くらも、図書室も、庭も、荒れに荒れていました
ゲームも本も乱れて、いろいろ紛失や破損が増えました
鶏小屋や、庭のメダカの睡蓮鉢にはいろいろなものが突き刺さっていて、
昨日は採卵用に使っている(置き忘れた自分が悪い、と夫は反省していたけど)網が
突っ込んでありました
「ここは校庭でも児童館でもない、よその家の庭です」と
何度も子どもたちには話していますが、
話しているそばから教室の備品を落としてみたり、引出を開けてみたり…と
全く効果はありません

近所の遊具のない公園でどんぐりをする「青空どんぐり」も試してみたけれど、
結論から言うと、時期尚早だったかなあ…と
なぜなら、それ以降、「今日は公園じゃないの?なんで?」と毎回聞く子や、
「終わったら公園に行っていい?」(1キロほど離れているので、はい、どうぞ、ってわけにいきません)「なんで行かないの?」「早く終わらせて遊ぼうぜ」みたいな…
どんぐりやっつけムードが高まってしまったからです

ゲームが散乱し、いろいろなゲームがぐちゃぐちゃに混ざってしまい、
片づけたように見えても後で別の曜日の子が箱を開けてみたら全然パーツがないよ!って大混乱になったりするのが続いていて、これは、とゲーム使用を申告制にしたら今度はひとつのゲームで荒れるようになり、喧嘩や、乱暴に扱うこともエスカレートしていきました

ゲームに飽きて庭に出て、敷石のレンガやブロックをひっくり返してニワトリの好きなミミズや虫を探すのに夢中になり、そのまま解散した後は、庭に泥棒が入ったようでした
(盗る物なんかないんだけれどもね)
そのあとの、「ここは校庭でも児童館でもない、よその家です」という忠告になったわけで
しかも、その時ばかりは保護者の方に通達もしました
…それは、初めてのことではないのですが
庭や家を開放するのにはこういうことがつきものなのはわかっています
ただ、いつの頃からか、
TPOっていうのは、誰が教えるんだろうな、って思ってしまうようなことがとっても多くなりました
それは、学校の教員をしている友人たちもみな言っています
そう、それは親が幼い頃から伝えるべきこと
親が見せて示すことです

これらのことは保護者さんたちには伝えてあるので、
実教室の保護者さんたちはこれを読んでびっくり!ってことはないはずです
でも、もし個人的に、「こういうことをしていて、困ったんだけど」と伝えたら、
そのことだけを叱ったり、注意したりしてしまうのか、黙認するか
いずれも、私は本当に嫌なので、
なかなか伝えるのが難しいです
だから、
誰に、というわけではなく、みんなに話しかけるように、
ここに書こうと思いました
お聞き苦しい話を申し訳ありませんでした

さて、そんなクラスを徐々に建て直すべく、高学年女子に頼れない状態で、私は考えました
今年は数年に1度の、自作教材作成の台風到来、みたいな大嵐の始まりです
子どもたちがどんぐりを解いたり、ゲームで遊んだりしている間、私も教材作成をしていることが多いのですが、それを止めてみよう、と思いました

新学期、連休明けの典型的な表情で、子どもたちは学舎に来るなりちょっと攻撃的で、威圧的な感じで「今日はゲームから?それともどんぐりからなの?」と聞いてきます
それは自分で決めていいんだけどな…って思いつつも、今日から一緒に遊ぶんだった、と思い直して、「みんなでゲームしようよ」と誘いました
「別に、いいけど」と少しふてくされたような顔をしながら、全員集合すると、新着ゲームの説明を私がし始めました
はい、もう、説明しているそばから聞いていませんし、
説明が終わると「どういうルール?」って聞いてきますし、
説明している途中でドアを開けたり閉めたりして落ち着きのない行動、
床に寝転んでしまう子もいて、ルール説明だけでエライ騒ぎです

こんなだったんだ…

ゲームの時間は放っておいたけどあまりにも無法状態で、仕切り屋もいないので、そりゃ荒れるよなあ、と実感しました

で、ゲームを始めても、これが全くルールを守れません
だからいつも喧嘩になってたんだ…
これも痛感しました
仕切り屋は私、それ以外いないので
(ここに女子がいたら、「それはダメなんだよ!」とか言ってくれるのに…)
大きい子が率先してルールを破るので(率先してってのも変だけど)
小さい子で素直な子はタジタジで
いかんいかん、この環境が当たり前になったら小さい素直な子達もこうなってしまう…
ガキ大将を演じる私、頑張りました
でも、
これは日常なんだよ…と思った時間でもありました

この日のカードゲームでは、欲しいものとか、好きなものを言い合う時間があったのですが、
ゲーム機とか、ゲームセンターのこととか、言う子が何人かいました
正直、
この、いかにも脳内が波立っていて凪ではない状態で、
電子機器とか電子音とかの刺激を受けたら、ますます落ち着きはなくなってしまうし、
ますます人の話なんか聞かなくなってしまうのに…とがっくりしました
もちろん、持っているわけじゃなくて、通っているわけでもなくて、
欲しい、行きたい、っていう願望なんでしょうけれど、
そういうものが生活の中に入る隙もないし、全く必要としていない暮らし、子育てをしてきた私にとって、そういうものがもし入り込んできたら、どうやって子どもの脳を守ろうか…と考え込んでしまう案件です
それでもまあ、
こんなことは保護者の方々には100回も1000回も伝えているし…
あとは各ご家庭次第…それしかないんだもの…と心のざわつきを抑えました

先日、他県でどんぐり関係の仲間にあったとき、
「どんぐり学舎に通っている御家庭は、模範的などんぐりライフを送っていらっしゃるんでしょうね」というようなことを言われました
たぶん、糸山先生の添削を受けている御家庭と同じように、どんぐり学舎の御家庭も、糸山理論を壊さず受け継ごうしている私のもとだから、きっと、覚悟をきめ、環境設定をしっかり全うしている御家庭ばかりだと思われたのだと思います
私もそう思っていました
でも、実際はそうでもありません
かつてはそういう御家庭の方が多かったです
でも、今は、「宿題マシーンってなんですか?」っていう質問もあるし(糸山先生の本は全部読んでから来てくださ~い)
「これくらいの宿題なら大丈夫だと思って」「子どもがやりたがるので」「ゲームが唯一の父親との交流手段なので」「誕生日だから特別に」といった、どんぐり理論とはかけ離れた生活になっている御家庭もあります
糸山先生にもときどき相談していましたが、
「うちはこうです、するかしないかはそちら次第です、それで終了」とよくアドバイスされました
「どんぐりは用法・用量を守って」とも何度もいろいろな場所で糸山先生は話していました
そして、
ゲームや宿題や習い事で作られた脳をどんぐりでの思考力養成に繋げるためには「リセット期間が必須」ということも
昨日やめたから、今日からできる、なんてことはないのです
本当に、粘り強く、丁寧に日々暮らしていくしかないのです

ただ私はプロですから、
いつも策を練っています
どうしようかな…どう建て直そうかな…
この日はそのプロジェクトの一環でした

ゲームではひどい言葉も飛び交い、ルールを守らない子もいたけど、
現行犯で注意して、みんなが楽しめる方法を提案しました
そして、私がいちばん大きな声で笑いました
高学年がズルばかりするので、一番ちいさな年長さんに、私はてこ入れをしたりしました
わざとです
ずるい!って言うので、「どっちが!!」と本気で言い返しました
そして、大笑いしてやり合いました
ガキ大将ですから
ジャイアンですから
結局、全員でお腹から笑い合って、どんぐりタイムとなりました

どんぐりタイムの間、私は教材作成に集中しないようにしました
かといって、解いている子どもたちをじっくり巡視したりもしません
見て見ぬふり、そして、いつまでも喋ったり、騒いだりしている子を制止しました

ここのところ、問題のレベルが合わなくなってきたかな、と思われる子のケースに少しレベルを上げた問題を入れておくと、めざとく気づき、ぶつくさ文句を言い始めました
少し前までは難しい問題を解くのが楽しそうだったのに、ここのところ、すっかりネガティブになっているのが気になっていましたが、どうやら学校のカリキュラムのせいかもしれず、今のところ静観しているところです

ジャイアンはさとちゃんに戻り、得意のひとりごとをブツブツ言っていました
「最近、たぶん、簡単すぎたんだよな、問題が。だからささっと雑に描いてただけなんだろうな…きっと、全部絵にすれば解ける、ってわかってくれると思うんだよね~」
ボリューム1くらいの小声で、その子のことを言っているのかどうかわからない程度に日報に目を通しながら呟きました

できた、できた、と次々にクロッキー帳を持ってくるのを、「絵がない」「雑」と、この日は淡々と突き返しました
「やっぱそうだよね」と自覚があったのか、さっと机に戻って描き直して持ってくる子もいました
年長さんは「かたつむりとおちば」の問題をせっせと解いていました
「公園で」まで読むと、せっせと公園を描き、
「かたつむりさんたちが遊んでいます」でまた描くのですが、
2週間ほど前は
「なんにんいるかわからない…」と泣いていたのに、
「なんにんいるかわからないからいっこかいとこう~」と鼻歌交じりで1匹を丁寧に描いていました
ふふふ
これは、ガキ大将さとちゃんがさっきのゲームで贔屓したのが功を奏したのか…満足げです

別の子は、「おけら…おけらは見たことがあるんだよ!」と問題を解きながら私の方を見て言いました
「えっ!?私、ないんだけど。どんなだった?」
その子は自分が見たおけらのことを説明してくれて、説明が終わると、じこじことクロッキー帳に向かいました

突き返された子達も丁寧に描き直して私のところにひとりひとり来るので、
この日は、いつもよりぐっと踏み込んで丁寧に添削をしました
いつも丁寧に見ているけど、「雑」という以外、まあまあ描けている作品だとあまり深読みせず合格にしちゃうことが多かったので、どんぐり初心者にするように、これはなんだろう、これがこっちか…とひとりごとを多めに、丁寧に添削をしていると、確かにみんな満足そうに、でも、照れくさそうにニヤニヤしているのです
「うん、たいしたもんだ。さすがだ。」
そんな言葉で締めると、ふふっと丁寧にノートを畳んで席に戻り、くらへ移動するのでした

結局なにが言いたいか、っていうと、
ここのところ、庭やくらや図書室が荒れに荒れていたのは、
新学期の子どもたちの心の状態を反映していたのかもしれなかったということと、
立ち向かうエネルギーがいまいち不足していた私が、それでもぐっと力を込めなおして、
子どもたちひとりひとりに丁寧に向き合うようにしたところ、
やっぱり子どもは変わった、という話でした
ひとりひとりがいい顔になって、
その日、くらも図書室もそう乱れてはいなかったし、
いつもより少しだけ親切で、穏やかだったかも、って雰囲気だったし

これならまた青空どんぐりできるかもね、って思ったりしたのでした

だからお願いです
子どもたちの心を毛羽立たせるようなものから、
できるだけ遠ざけてほしいのです

それは電子機器
それは乱暴な言葉
それは人工的な遊び場

そんなのの影響なんか受けない子も中にはいるんです
でも、比較的男子は影響を受けやすいです
そういう脳なんだと思います

永遠に、じゃない
脳の成長において、
思考力の養成において、
重要な時期だけ
その時期だけぎゅっと、です

ルール説明を聞いてなくても、
ゲームの途中で気まぐれに外に出たりしても、
床に寝転んで足をゲーム台の上に上げていても、
ズルをしても、
子どもだから許されてるかもしれない(これすべてこの日のこと)

でも、
いつか許されなくなります
体が自然にそうなっちゃう、みたいな育ちをしていると、
いつからか、周囲に誤解されるようになってしまいます

よその家でのふるまいも、公共の場でのふるまいも、
日常的な言動も

それを、いちいち指摘して注意するのが得策なのではありません
どうして子どもがそうなってしまうのか、
大人が振り返らなければなりません

丁寧な言葉で添削をし、子どもが描いた点のひとつにも目を配り、
よくぞここまで描いたね、と笑顔を向けると、笑顔で返した子達は、
そのあとも穏やかに過ごしたのです
私が接し方を変えただけ
子どもたちに注意などしていません

おけらの足はこうだった、といつもよりよりしっかりがっちり
 

添削が終わった後も、私のデスクで落書きを続けた子も、
何も言わず、待っていました
クスクス笑ってたけど、ただ待っていました
まだこの関わりが要るんだね
これまで、終わったら向こうで描いてて、さとちゃんお仕事あるんだから
と、遠ざけていたかもしれない
他の子もいるし、
託児所でもないから、
それはそれで仕方ないんだけど、
まだこの関わりが必要なときもあるな、と感じたのでした

いつもより数倍疲れたけど、
いつもより少し満足感もあって、教室を片づけて庭に出ると、
……メダカの鉢に網がささっていて、
メダカに気の毒でした

うちの子なら、そんな残酷なこと、そして、よその家の庭のものを勝手にいじるなど、
絶対にしないだろうなあ…と思いつつ

日々の生活、
日々の暮らしです
どうか、毎日を大切に
私も諦めず、根気よくがんばるので、
家庭生活もどうか、丁寧に…誠実に…お願いします