FB投稿再掲載

30%の力でできることしかしないんですよ

糸山先生は言いました
「できる」ときと「できない」ときの、どんぐり作品を添削しながら

長くなりそうなので近々ブログに書きます

早く伝えたいので、まず端的に言うと、
子どもがどんぐり問題を(それ以外のことでも)「できない」「わかんない」と言う時、それをできるように手取り足取り導いたり、助言したりするのは得策ではないということです
「家でならできるのに」「いつもならこの程度のことはわかるのに」という気持ちから、ついつい手助けをして導いてあげたくなる気持ちもわかりますが、肝心なのは、「できるのにできない」状態になっている子どもの原因はどこにあるのか?ということなんです

その原因さえとっぱらっちゃえば、手助けしなくても、助言しなくても、子どもはどんどん前に進んでいく
止めたって進んでしまうくらいに

原因もさぐらず(ごめんなさい、ほとんどが親かその周辺の方々に起因します…)自覚せず、ただただ、「できるはずっ!」という期待を持って子どもを牽引するばかりでは、いつまでたっても状態は変わらないのです

30%の力で、適当に生きられますから
それ以上の力を出さなくても、助けてもらえるのだから

それでは、ひとりになったとき、どうして生きていけましょう
いや、生きていけるんです
そのまま、30%の出力で
でも、人生を楽しむ余裕などないのです

どんぐり問題を選ぶ時、どんぐり学舎では、めいめいのケースにどっさり入っているのから、自分で選んでクロッキー帳に仮止めして始めるのですが、「読んで選ばない」というルールにはなっています
おみくじみたいに、適当にばっと選ぶのが一応、ルールになっています
それでも、じーっくり読んで選ぶ子、何問か見比べて、そのなかから選ぶ子など、やはり、問題を見て選びたい子がいます
「読まないで選ぶよ~」と声はかけますが、そうしつこくは言いません
ルールはルールだけど、私はまず、「なんで選ぶんだろう」と考えるのです
「面白そう」なのを見つけようとしているケースはまれで、(いるんです!もう、わくわくしながら、今日はどれがいいかな~!!って超前向きに鼻歌で選ぶ子が!!たくさん解きたくて仕方ない、っていう子が…)
ほとんどの選ぶ子は、「簡単そう」なのを探しています
自分に描ける、解ける問題を探す、つまり、不安なのです

なぜ、不安から簡単そうなのを探そうとするのか、それは、解けるか解けないか、ということにまだまだこだわりがあるから、というのが最も大きな要因でしょう
なぜ解けるか解けないかにこだわるかっていうと、解けなくちゃダメだと思いこんでいるから
自分で勝手に思いこんでいる、と親御さんは思っているかもしれませんが、それが実はそうでもない場合がほとんどなんです
テストが100点だったとき、なにかで1番とったとき、上手にできたとき、そして、どんぐり問題が「お宝」行きじゃなく、正解していたとき、「すごいね!」って褒められすぎちゃうと、子どもは、次に解く時に「また正解しなくては」と思うんです
100点とらなくちゃ、1番にならなくちゃ、って思うんです
スポーツで選手になるとか、入賞するとか、難関をくぐり抜けるとか、そういうのも同じです
子ども自身の意志、っていうのは本当にわかりづらくて、蓋を開けてみると、実は、子どもは、親のために頑張っていた、というケースはよくあります
親を喜ばせたい、親に評価してもらいたい、と頑張っている子はとても多いです
もちろん、その思いが悪いわけではないんです
ただ、親として評価するとしたら、そういう、対外的な、相対的な数値や結果ではなくて、もっと本質的な、子ども自身の存在価値を喜ぶような、そういう部分であると私は考えます
子どもは成長とともに、親の認識エリアをどんどん飛び出していき、自分の意志で色々なことに挑戦するようになっていきます
不幸なのは、その時期が来た時に、「これは自分の意志なのか?それとも…」とわからなくなってしまっているケースです
親が、知らないうちに子どもの可能性を封じ込めているケースになってしまうのです

どんぐり問題をやたら吟味して選ぶ子は、残念ながらあまり進化しません
具体的には「もっと簡単なのがいい」とすでにクリアした0MXなどから選ぶこと…
もちろん、「ちょっと久々に0MXやってみたい!」とゆっくり、楽しんで絵を描いて解く子もいます
それから、お宝問題になっていた0MXを、夏休みには多くの6年生が「仕上げだ!」ともりもり解いていました
そういうのではなく、「はあ…」とため息をついて、「簡単なのしかやりたくないや」とかつぶやきながら、つまらなそうに問題を選んでいる場合です
それから、以前ちゃんと描けて正解した問題と似たものばかり選んで、さらに、私の目を盗んで(?)そのときの自分の描いた絵を丸写しして、(器用に、丸写ししたとばれないよう少しアレンジして…お見通しですけど…)「できた!」と持ってくること…
そんなことをする子は滅多にいませんが、中学生になって、大変苦労していましたし、そもそもそんなやり方でどんぐりをやっても何の意味も進化もない…ということを、いくら話しても分かったふりをするだけで、本当に理解はしていなかったのです

いずれにせよ、自分の持っている力を思い切り発揮することがない、フル回転させる必要がない、そんな状態が30%の力だけで過ごしているということなんだと思います

糸山先生はおっしゃっています

30%でもね、生きていけるんですよ
でもね、楽しむ余裕はないんです
でも、普段の生活から、30%で生きていられるからどんぐり問題も30%の力で解ける問題しか解けないんですよ

ときどき、中学生に解説をしていて感じます
すぐ目の前に書いてあるのに、自分から読み取ろうとしない
もしかしたら、読み取ろうとしているのに読み取れないのかもしれない
全教科見ているので、全教科に共通しているなあ、とわかるのですが、
1を見て10を知る子もいれば、10教えて1進む子もいて…そういう子は、しばらくするとあっさり0に戻っているのですが…
その違いは何かというと、自らの意志で、自らの感覚器官をフル活用して読み取ろう、理解しようとしているのかどうか、というところです

共通した質問が出ると、板書で解説をするのですが、目を見れば、その違いはわかります
聞いているふりをして聞いていない、その瞬間だけは集中してなんとか理解しようと努力している、そもそも、私の言い間違いや、板書のあら探しばかりして内容に全く興味を持っていない、そして、一生懸命聞いて、その後、自分が納得するまで考えて、また質問して…そんな生徒もいます

基本的には個別に対応していますが、たまの一斉授業形式の時の、これらの差を見るだけで、伸びる子はどんどん伸びていくし、伸びない子は全く伸びないままなのがよくわかると思います
これはきっと、学校の教室の中と同じような状態なのでしょう

どうして自分からつかみ取ろうとしないんだろう
どうしてわからないのにわからないままで平気でいられるんだろう
どうしてこんなに短い時間なのに、その時だけでも、って集中して考えることができないんだろう
中学生を見て感じるこのようなことは、全て、
小学生まででその素質が決まってしまっている、とわたしにはわかっています
だからどんぐりを始めたのです

30%の力でやってきたから、中学生になって急に80%、100%発揮せよ、なんて言われても、そんなの無理!というところでしょう
でも、実際、中学校からの勉強内容は30%の力ではどうにもなりません
なんとかなったとしても、楽しむ余裕などなく、苦痛なだけです
ところが、同じ中学生でも、80%、100%で日々取り組んでいる子は、
新しい単元を歓喜の表情で迎え、何を教えても「おもしろい!!」と目を輝かせ、
自分で考えることに夢中になり、それでいて、膨大な課題も期限までにはこなしている

なぜ、30%の力しか出さないのか?
なぜ、全力でやってみようとしないのか?
なぜ、すぐに「わかんない」って言うの?(どんぐり問題に限らずね)
それは、
親が、周囲が、残り70%を担ってしまっているからです

子どもに任せず、子どもを信じず、子どもに試させないからです
表面的な、対外的で相対的な部分でしか子どもを評価せず、
できてあたりまえのことを褒めすぎ、できなかったら叱り、
失敗をさせず
すぐにヒントを与え、すぐに手助けをし、スケジュールも親が管理
話し合わず、子どもの意志を理解せず、わかりやすい要求には簡単に応える
…たとえば、欲しいものは買い与える…とかね…

それじゃあ、子どもは本気で自力で努力する必要などないし、適当に30%で過ごしていてもなんとかなるし、いつだって助けてもらえるし…
自分の意志さえいらない…わからなくても生きていける…

でも、ふと、大人になりかけた時、考えるんです
あれ、これって、なんだろう?
親以外の人間が、自分の思い通りに動いてくれないこと、助けてくれないことに気づいて、思うんです
あれ、これって、なんなんだろう?

そろそろ本気出さなくちゃ、って何度も思うんです
でも、出ないんです

たぶん、あとから、補えない、その70%の空白
12歳で行われるシナプスプルーニングと同じで、
そのあといくら努力しても、再構築されることはない
そういうものなんです

じゃあ、30%の子は手遅れで、どうにもならないのか?
そんな風に育てた親は、間違いを犯した罪人なのか?
そんなことを伝えたくて書いているのではありません

私が語気を強めに書いてしまうのは、いつも同じ、この部分
ほとんどの親は、子どもが中学生になると変わります
なんでちゃんと勉強しないんだろう
なんで基本的なこともちゃんとやらないんだろう
なんでこんな成績をとってしまうんだろう
なんで…
まるで子どもが勝手にそうなってしまったかのように
いいえ、違いますよ
子どもがひとりで勝手にそのように育つはずはありません
そこをわかっていない人に対し、私は子どもの立場になって、叫びたいのです

そこで子どもを責めたり、親が傷ついたりする必要は全くないのです
堂々とただ、これからも親子で生きていけばいいんです
中学校の成績がなんですか?
中学校の勉強を生き生きと学べたら勝ちですか?
前述したように、そのような中高生を見ると、「楽しそうでいいね~」と心から祝福したくなります
これからも様々な難関を、楽しみながら乗り越えていけるだろうな、と楽しみに思います

でも、30%の力しか使えない子は
100%の子と同じ事をしようと思えばそりゃあ、苦しいはずです
努力できる時間も、集中できる時間も、短いですから、差は開く一方です
でも、なぜ、そこでレースをしなくちゃならないの?
少なくとも、100%の力の子たちは、レースに参加してなどいません
自分が楽しむことに夢中ですから、他の様子は眼中になどないのです
それなのに、30%側の親子で、そのことを意識しすぎてはいませんか?
なんとか点数をとらせようと必至になって塾を探して、特訓して、上位校に入ったものの、余力がなくて進学してから挫折する…という例も最近多く聞くようになりました

できることをする
ひとつひとつ、できることを増やす
やっと、ある年齢になってそのことにゆっくりと取り組めるのなら、そこで「やり直し」を始めたらいいのです
その時期が中学生の間に来る場合もあるし、高校生になってからの場合も
もっと後になってやっと…という場合もあります
きっと、自分が自分の意志で生きている、と実感できる人生を、時間をかけてでも見つけられる
そこからでも丁寧に「やり直し」をしたら、人生を楽しむ、それは叶うと私は思うんです

100%の力で人生を楽しむ力を小学生時代に身につけた子どもたちが大人になったのと、
30%の力しか出さない子どもたちが「出さない」んじゃなくて、「出せなく」なってしまった大人になって、
そこで、人生の勝者、敗者なのかっていうと、さっきも言いましたが、それもレースをする必要なんかなくて

それでも、生きていく
それぞれ、生きていく

それしか、ないんです
それで、いいんです
比較しなくていいんです
レースしなくていいんです

でも、いま、小学生までのお子さんを育てている親御さんには伝えたい
30%の力で適当に雑にとりあえず過ごせている、という状態は、
続けると、永遠に抜け出せなくなるということを
30%の力で適当に雑にとりあえず過ごしているかどうかは、
どんぐり問題を解いてみると一目瞭然である、ということを
パターン学習や反復学習ではそんなことも見抜けません
だって、自分の思考力を使わなくてもできるんですから
学校のテストでまあまあの点数をとれていて、
漢字テストや計算テストもいい点数をとれていて、
与えられた宿題もきっちりと真面目にやって…
それで、中学生になって、「あれ?」「もっと努力を…」なんてよく見る光景です
大人の指示に従って、真面目にやっていた子どもの悲劇です

子どもはやっぱり、悪くない…
簡単なことなのにな
いっぱい、遊ぶこと
いっぱい、考えること
評価しないこと

その方が大人も、親もずっとずっと、楽しいんですよ
こんなに楽しい期間はありません