今週前半はどんぐり学舎に
何人かの「体験受講生」と「ときどきどんぐり」さんがいらっしゃいました
毎週通ってくるどんぐりっこさんではなく、
これまで全くどんぐりをしたことがない子や、
おうちどんぐりをゆっくり取り組んでいる子、
久々に取り組む子など、さまざまでした

ほとんど初めてのどんぐり体験、というお子さんや、
おうちで少しやってみたのですが…というお子さん、
そして、とっても久々のどんぐりです、というお子さん、
今週はたまたまそのどのお子さんも小学校低学年でしたが、
そのほとんどの子に共通しているのが、「計算をしよう…」と思っているところでした

「問題文の言葉を全部絵にしよう」と言って、スタートしますから、
低学年のお子さんほど、素直に一生懸命絵図にするのですが、
最後の質問にさしかかると、
「これ、ひきざんかな…」と始まるわけです

そりゃ、そうですよね
1年生だって、計算方法を教わって、
文章問題を読んでそれをちゃんと式にする、と教わるのですから、
たとえ問題文を絵図にできたとしても、
そこから何か式をつくらなくては…と思うのは当然でしょう
学校の先生だって、式をちゃんと作らせて、解かせて、
答えを出せるようになることが、「算数の力だ」と思っていることでしょう
もちろん、親御さんだって学校の先生の教えてくださった通りに
できるようになることが大事だと思っていることでしょう

問題文を読んで、絵図にできるくらい理解して、それから式を立てる、
という段階を踏むのであれば、確かにそれは、
算数の力をつける練習としては間違っていないのかもしれません
でも、
問題文の中の「あわせて」や「ちがいは」に線を引かせ、その言葉によって
「足し算」か「引き算」か決めさせる、と教える方法が
当たり前になっているらしい昨今、
子どもたちの問題を理解する力は、
その教え方によってさらに低下していると指摘せざるを得ません
どんぐり問題にもそのような「魔法の言葉」を探すどんぐりビギナーさんたち
せっかく絵図が描けて、もう、数えれば答えがでちゃうのに、
「何算かな…」と止まって考え込んでしまう、子どもたち

私には、その子たちの頭脳が「固まって」いるように見えます
だから、私はほぐしにかかります
低学年の場合と、高学年の場合、そして、
その子の性質によってかける言葉は違いますが、
ほぐすことによって、ほとんどの子がふっと力を抜いて、笑顔を見せるのです

計算は学校でいっぱいしているでしょ
だからどんぐりは計算しないんだ
計算いらないんだ
絵が描けているでしょ
ほら、こんなに全部描けてるよ
さとちゃんが数えちゃおう
いーち、にーい、さん、し、ご…
ほらほら、全部で16ひき、全部描けているよ
計算しなくてもここに描いてある、見えているよ
これでおしまい
これで合格なんだ

「えーー!そんなんでいいの?」って不思議そうな顔をします
ほとんどのお子さんが
でも、
「そんなんでいいなら…」と2問目は全く違う絵を描きます
そして、式も書かずに数えて終わりです
「できた!」って

まだまだ、親御さんもそこまで深く理解していない場合も多いです
そうはいっても、ちゃんと式を立てて計算して答えるのが算数じゃない?
って
思ってるでしょ~

前に書いたように、今の子どもたちは、
魔法の言葉に線を引き、
式を立てることを第一目標として指導されていることが多いです
それは、どうしても文章問題が読み取れない子たちへの
先生達の懸命な工夫と思いやりから、生まれた方法なのかもしれません
確かに私自身も、小中学生のころ複雑な問題を解く時に、
その問題文にある言葉の傾向から解法を見いだした経験はあります
それは、誰かに教えられた方法でもなければ、
必ず線を引くように言われたことでもありません
子ども自身が魔法の言葉を自分で見つけ出してヒントにするのならば、
(そううまくいくことばかりではないにしても)
まだいいのですが、
先生によっては、
問題文を読む時に定規を持たせて魔法の言葉に線を引かせたり、
色分けしてまで線を引かせたりしているのです
その作業に思考過程を奪われるばっかりに、
肝心な数量感覚や、式のもつ意味などはどこかへ置いておいて、
その魔法の言葉をマニュアル通りに使いこなすことへと意識は集中させられます
そして、ドリルでさんざん練習させられている単純な計算問題をこなすように、
頭の中は正確に作業をこなすことで精一杯になります

自分で思いついて工夫すること、または、
友達同士で一緒に見つけ出した方法を試してみること
それと、
誰かに強制されてマニュアル通りするように命じられて行うこと
とでは、あまりにも大きな違いがあります

もちろん、後者の方が楽だ、って思う方もいるでしょう
でも、
生まれて数年の、小学校低学年から
「後者の方が楽だ」って思うようになってしまったら…
それでもいいじゃない、別に
って、思えますか?
確かに、マニュアル通り仕事をこなすことはとても重要なことです
でも、マニュアルがないと仕事ができない人は、社会で必要とされるでしょうか
幸福に生き抜けるでしょうか
私たちは、精巧なサイボーグを量産するために子どもを育てているのでしょうか
(もちろん、単純でも大切なルーティンを守ることによって、日々の生活を安定させることができる特徴を持つ方々がいることも知っています)

文章問題は苦手だ、という子が多いようですが、それは、
もしかしたら、計算問題よりも少し複雑で、工夫が必要な文章問題においても、
計算問題と同じように「解き方」が存在し、それを強制されることによって、
自由な思考を奪われ、それが窮屈で、しかも、あれこれ指示され、
よくわからなくなってくる
だから、苦手だ、って思いこんでいる可能性もあります

長く解いているどんぐりっこ達の特徴は、
自分だけの考え方で解いていくことを楽しんでいること
高学年になれば、「どんぐりと学校」とを全く違う場所として棲み分けて、
「ま、学校ではこうだけどね」みたいなことを強かに言ってのけます
前述したマニュアル論で言えば、
「マニュアル通りやれといわれたらできるけど、
その必要があるときと、ない時とを判別できている」ということなんです

命じられるままに魔法の言葉に線を引かされ続けた私の次女も、
どんぐりっこだったので、それによって思考力を固められてしまうことも、
破壊されることもありませんでした
線を引くのは大事なことだ、と私が微塵も思っていなかったのもあるのかもしれませんが
…あとは、学校の中以外で、決して「勉強」をさせなかったこともあるかもしれません
宿題はもちろん、どんぐり以外の家庭学習は一切しませんでしたから

学校の先生の教えと、親御さんの言葉は、ときに、子どもを固めてしまいます
学校の先生には逆らえないし、親御さんの言葉には暗示をかける力があります

だからこそ、気をつけなければいけない
先生も、親御さんも


毎週通っている生徒さんと、ときどきさんとでは、親しさが違いますが、
どんぐり学舎の子どもたちは「お客様」が大好きで、いつでも歓迎してくれます

「くら」に入ったお客様は、たいていびっくりして、大喜びして、
いろいろなゲームや本に大興奮
「これ、どうにやるの?」と私に尋ねてくるので、
私はどんぐりっこたちに丸投げします
そうすると、その子たちのまわりに輪ができて、
ルールを説明する子、対戦相手を買って出る子、
みんなが一緒に楽しんでくれます

私の出番はありません
私の仕事はただ、子どもたちをほぐすこと
子どもたちが本来の姿で遊び、学び、考えることを
「それでいいよ」って笑顔で見守ること
…それから、
大人が余計なことをしないように見張ること(笑)うそうそ
ちゃんと大人の話も聞きますよ
不安なんですよね
大丈夫かな…って心配なだけなんですよね
だからね、子どもたちが「はじめて」の子たちとお互いに笑顔で向き合うだけで、
一緒に遊べるように、わたしたちも、
一緒に話しましょう
心配なことは、声に出して、いろんな人の話を聞いて

ただそれだけで、大人の心も、ほぐれていきます