人間の性成熟年齢は12才です。すると、人間の最終進化形態である人間的な判断力を含む「思考」という機能発達の臨界期は12才だということになります。
ですから、12才までに思考力を育て上げなければ手遅れになるのです。子供は小さな大人ではありません。進化の途中にいる、機能発達が未完了な「ヒト」なのです。
12才までの教育で「できるようになればどんな方法でもいい」という考え方は、子供の才能を潰すことになります。
「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、早すぎては砕け散ってしまうのです。
子供たちは才能に満ち溢れていますが、教育という名の下で多くの子供たちは才能を潰されています。少なくとも12才までの教育で「できる」と「スピード」を掲げている場合は要注意です。
このことに気づかなければ一生の禍根を残します。「できる」という結果ではなく「分かる」という過程そのものが大事だというのは、道徳的なことではなく学力養成に不可欠だからです。
思考力養成には学習の過程で修得される、様々な思考モデルが必要不可欠なのです。
様々な思考モデルは「具体的に悩むこと」によってのみ修得できます。
『子育てと教育の大原則 「絶対学力」を育てる7つのルール』糸山泰造著 冒頭より
何度読み返しても、すみからすみまで納得できる言葉にあふれる糸山先生の著書です
私はこの本をテキストに、どんぐらーさん(子供とどんぐりライフをしている保護者の通称)たちとどんぐり学舎の保護者さんを中心に、勉強会をしたいな~とずっと思っていました
まだこの本が手に入らない方もいるようなので、本を持っていない方でも参加できるような、そんな形でやってみたいな~と考えています
詳しくはどんぐり学舎のFacebook、Instagram、Twitterなどをフォローして私の気まぐれ発信を追いかけてみてください
さあ、うちはまだ小学校低学年!12才までどころか、9才の壁までもまだ時間がある!というご家庭もあれば、あっという間に6年生になってしまったよ…というリミットが近いご家庭もあるかと思います
すでに中学生になっている場合も
いやいや、この本の冒頭のこの部分には書いてありませんが、実は「もっと」大事かもしれない、5才までのGolden Ageについても糸山先生は書いていらっしゃいますのでそちらもチェックしてくださいね
そうなるとうちは…大丈夫かしら…と不安にさせてしまいましたか?
5才までにする習い事も、私が子育てをしていた時代でも流行していましたよ
2才で英語教室、体操教室、お勉強…
小学校に入るから習い事を整理しなくちゃね、なんて話も聞きました
長女を産んだ直後にどんぐり理論に出会い、それ以前にシュタイナー教育を学んでいた私にとっては、早期教育は全く興味の対象外でしたし、「早くやっておいたほうがよいこと」が本当はとても少ないこともわかっていたので、我が家では無縁でしたが…
「やっちまった!」と思っている方ももしかしたら、いらっしゃるでしょうか
いやいや、「我が家はうまくいっているから大丈夫!」って方はどうぞ、貴重な時間をこんなブログに割かずにスルーしてくださいね
それは本当によかったです
子供に不幸になってほしい親などいません
みんな、大切な我が子のために一生懸命考えて、選択をしているんですものね
だからこそ、ご自分の選択…つまり、お子さんが自分自身で選択をしない時期の親の選択について、全責任をしっかりと持つべきですよ、と私は申し上げたいのです
生まれてから5才までのGolden Ageに何かすべきでないことをしてしまったかもしれない、12才までの思考の臨界期に、すべきことをせず、すべきでないことをさせてしまっていたかもしれない、どんぐりをやっていたけど、始める前に実はあんなことや、こんなことをしてしまっていた…
宿題をさせなくちゃ、と必死だった
時には脅して、泣かせてしまった
習い事でいっぱいにして、時間を守るために叱らなければならなかった
ゲームを買ってあげたのは親の自分たちなのに、約束を守れない、と厳しく叱ってしまった
こんな問題も分からないの?とあからさまにあきれた顔をしてしまった
学校のテスト対策の勉強をさせてとにかく100点をとらせようとしてしまった
子供が興奮して喜ぶから、そして、親も楽だから、清潔で、人工的で、お金さえ払えば楽しめる施設ばかりで遊んでいた
気づけば、テレビに子守をさせてしまっていた…
そのときは、よかれと思ってやっていたのに、今になってみると、「すべきことをし、すべきでないことをしない」という確固たる信念があっただろうか
周囲に流され、流行に惑わされ、親の不安解消を第一目的にしてはいなかったか
子供が将来困らないように、子供がいじめられないように…
先回りして、子供のためによかれとおもってやってきたに違いないんだけど、
じゃあ、どうして今、こうなっているんだろう
子供に思考力が備わっていないのかもしれない
どんぐりっこが手に入れるはずの、ハイブリッドブレーンは、身についていないのかもしれない
もう、12才になってしまった…
「手遅れ」なのか…???
正直に、はっきりと申し上げましょう
健全な思考力を手に入れ、ハイブリッドブレーンをゲットするのは、
12才以降、どうあがいても、不可能に近いです
それを「手遅れ」というなら、きっと、そういうことなんだと思います
きれいごとや、聞こえのよい優しい言葉だけでは伝えられないのではっきり書きますが、私が教育業界に初めて足を踏み入れた27年前、まだ20代前半でしたが、そのことにはすぐ気づいてしまいました
中学生になってからでは、遅いんだ…
そこで小学生も見てみました
小学生の生活は、親の生活の中にあります
自分で生活環境を整えている小学生はほとんどいません
だから、親を見れば子供がわかるし、子供を見れば親が見えました
いくら表面的に繕っても、私の担当する「勉強」面では子供の本質が表れます
それは集中力だったり、精神力だったり、目に見えるような、見えないような部分が多く、そのほか、工夫したり、見方を変えたり、誰かのアドバイスにのっとって素直にチャレンジしてみたりする力、そして、肝心なのは思考力である、と
思考力は、誰かに与えてもらうものではなく、身体能力でいえば、手足を自分の思うとおりの位置に動かし、自在にコントロールするようなもので、いくら筋力があっても、持久力や瞬発力があっても、手足を伸ばす角度ひとつで、たとえば球技などはプレイが変わってしまうわけで
スポーツではそれをセンスというのでしょうけれど
そういう能力が、脳内に備わっているかどうか
中学受験生のクラスなどでよく感じました
ただやらされている、学力のようなものは持っているけれど、思考力ではない…というような子供も多いのです
たとえ受験をクリアしても、問題はその先に起こります
言ってみれば、「楽しめていない」
勉強することが苦しいし、退屈だし、自分の頭を動かしていないから手応えがなく、向上心もないのです
糸山先生の著書に出会うまで、その「限界」は漠然と体感したに過ぎないものでした
でも、糸山先生の著書や、他にも、脳科学者や、児童精神科医の先生たちの本や講演で知ったことは、実際に、脳には臨界期がある、という事実でした
ここからが、私の考えている「中学生の続どんぐりライフ」です
これが全ての子供たちにとって、幸せな人生を楽しめるかどうかにかかってくる大事な部分だと思うので、ぜひ、一度大人の方には考えていただきたいのです
思考の臨界期までに、健全な思考力を育てられなかった場合、ハイブリッドブレーンを手に入れられなかった場合、どうしたらよいのか、というところです
ひとことで、申し上げましょう
“だからどうした?”
これは子供発信です
親の台詞じゃありません
親は、じゃあ、なんて言えばいいの?
“これが、我が子です”
思考力を手に入れられなかったせいで…
テストの点数が悪い?
要領が悪く、中学生活しっかりできない?
反抗的で言うことをきかない?
約束を守らない?
受験生だってのに、志望校へ努力しない?
自分のことを自分でしない!!??
えーっと、
それが、あなたのお子さんです
あなたの大切な、愛おしい、唯一無二のお子さんです
間違いなく、そうなんです
自分のDNAを感じない?
よかれと思っていろいろやらせてきたのに?
あんなに言いつけたのに?
関係ないんです
どんな子であっても、紛れもなく、それがあなたのお子さん
その存在を否定することは不幸です
その成長を疎ましく、情けなく思うのも勝手な話です
その全てを受け入れられないのは親として無責任です
子供が、ひとりで勝手に育ったのではないのです
これは、何度も、何度も書いていることだけれど
中学生になると急に親は焦り出します
成績が数値で出てくるので、びっくりするのでしょうね
100人いれば、1位も100位もいるのに、それが「我が子の評定」だと思い込んで、一喜一憂してしまいます
そもそもそんな小さな範囲で何を競って、何を測っているのでしょう
長年教育業界にいますが、そんなことで人生が決まるわけではない、とたくさんの卒業生の人生を見てきて思います
中学生のころの成績で、人生の勝敗が決まるのか?
進む高校のランクで、決まるのか?
いいえ、そんなことはないんです
むしろ、そんなちっぽけな物差しで彼らの、子供たちの人生に水を差し、邪魔をするのは、親のエゴです
自分たちが子供にしてきたことに気づかず、
すべきことをしてこなかったことにも気づかず、
突然本人に責任転嫁する親の
学校の先生に成績のことで言われ、
宿題の事で言われ、
なんて恥ずかしい、と子供のせいにする親の
全て、エゴに過ぎません
じゃあ、拭い去るのも簡単でしょ、
親自身が、そのエゴを捨てればいいだけです
だってそもそも、自分が蒔いた種なのですから
最後まで責任をもって見守りましょうよ
どんなに成績が悪くても、どんなにやる気が見えなくても、
そう育てたのは、一番身近な、保護者の方々です
まずは1つの解決策が見つかりましたね
親自身がエゴを払拭すること
これは、大人なんだから、自分で自分に言い聞かせ、訓練してください
問題は、渦中の子供たちです
私はこれまで、いろんな生徒を見てきました
小学生は、自分自身の出産や育児の関係で数年間休んでいた時期がありますが、中学生は赤ん坊を寝かしつけてから授業ができるので、27年間、ほとんど休まずずっと授業をし続けています
まだ「発達障害」なんて言葉が有名じゃなかった頃、英単語がどうしても覚えられない生徒に、様々な練習法を試して驚いた経験もあります
たとえば、dogのような短い単語を、ぐっと集中させて一定時間練習させ、すっかり覚えた、と思って紙を渡し、「では、英語で犬は何という?」と尋ねても、書けない、私が「ドッグ」と発音してみても、書けない、そんな生徒は何人も見てきました
中1の正負の数の計算から躓き、2時間かけてメカニズムをしっかりと教え、絵に描き、おはじきをつかい、楽しくゲームもし、すっかり理解できました!とニコニコで帰宅して、翌週の授業でゼロに戻っていることもありました
不思議なことに、そういう子は、小学生時代より加速度をつけるようにして、理解力が低下していきます
小学校のテストのように、タイトルが書いていないですし---小学校では「小数の割り算」とか書いてある(笑)
いわば、ごまかしがきかない状況なんでしょう
急に全てが「応用力必須」みたいになりますから、「習ってません」を連呼する子も増えますが、そうです、皆まで教えてもらえるわけじゃないんです
「習ってません」をいつまでも言っている子も、いつまでもできるようにならないのが常です
テストの用紙も数枚に渡るし文字は新聞並みに小さくなるし、カンニング防止で監督は厳しくなり、やたら本格的な雰囲気を気取る中学校のテストです
でも、そんなことにいちいち拒絶反応していたら、どんどんついていけなくなるでしょう
そこまでじゃなくても、平均点付近をうろうろしていて、親から見るとなんとなく残念な感じの状態が続いている子が最も多い層ですよね
せっかく机に向かっているのに、どうして成績がずっと変わらないんだろう、どうしてもっと集中して頑張りきれないんだろう
親はそう思うことでしょう
でもね、先ほど申し上げたように、そういう思いは「エゴ」ですからそれはもういいとして、
じゃあ、どうしたらよいのか
これは、私はずっと変わらず子供たち自身に言っている言葉
中学の勉強は、自分を知るためにあるのです
もう、小学生までにどう育ったから、とか、後ろを向いている場合じゃありません
糸山先生もおっしゃっていました
全国の(公立の)中学生に、ほぼ内容と難度が同じ教科書が配布されています
つまり、平等です
その教科書の内容だけを、しっかり習得できれば、高校に進学できます
先ほどの、いくら書いても単語を覚えられない子も、2時間かけてマンツーマンで教えても翌週ゼロに戻る子も、いつまでたっても平均点付近をうろうろして真ん中集団から抜け出せない子も、みんな、同じような授業を受けて、同じ時期に高校入試を控えています
最も大事なことは、挑むことでも、合格することでもなく、自分自身を知ることなんです
自分は、いくら書いても覚えられないんだ、という事実
自分は、2時間解説を受けてそのときは理解できても、忘れてしまうんだ、という事実
自分は、課題をちゃんとやって、机に向かってはいるものの、平均点付近から脱することができないんだ、という事実
誰にも意見されず、邪魔されず、自分自身の状態を冷静に、しっかりと受け止めることができたら、次の段階へ進むことができます
じゃあ、自分はどうなりたいのか
中学校という小さな世界で、全国平等な条件での今の状態の自分を分析して、
この先、どうやって生きていこうか
自分の弱点は何で、自信を持てる部分は何なのか
好きなことは何で、得意なことは何なのか
その上で、高校入試までを過ごしていけばいいのです
自覚が芽生えた子から、努力の日々が始まります
そう簡単には報われない努力もあります
でも、自分自身を知った子は、強いのです
受験を使って大人になる、これは、私の長年のテーマでもあります
毎年、そういう気持ちで受験生を見送っているのです
「合格」だけが成功ではありません
「不合格」のあとにしか獲得できない経験もあります
わかりやすい「合否」で子供を診断してしまうのも、大人の悪い癖で、親のエゴです
さて、これは、おそらく、中学生自身が読むことのない文章でしょうから、最後にまた、親御さんに対して辛辣なことを書きますが、この、子供が自分を知り、成長のチャンスとなるかもしれない大切な時期、邪魔をしてくるのはほとんどの場合、親御さんです
三者面談をすれば先に口を開くのは親御さんで、(だからDKでは三者面談を廃止しました)
子供の成績の細かいことに口を出すのは親御さん
先生か親御さんかわかりませんが、あれこれ言われすぎているせいか、ただ単に、データ分析をしたいだけの私のところにいつまでも成績表を持ってこない生徒もいます
私が点数や順位を見て文句をつけることなど絶対にないのに、です
子供が進路を選ぼうとすればその高校のランクを気にしたり、意見したりするのも、親御さん
親にとって不本意な成績、高校のランクになってしまった場合、いつまでも不満に思うのも、親御さん
本人がとっくに吹っ切っていても、いつまでも「こんなはずじゃなかった」と悶々とする
子供たちは全部、気づいているので、そこからもまた、苦しみが続くのです
どんぐり問題を解いていても、臨界期までに、健全な思考力が身についていない場合もあり、どんぐり問題を少し経験したくらいで、手に入れられるハイブリッドブレーンではありません
これは、どんぐり理論を本気で親が理解したかどうかにかかっています
「そうはいってもねえ…」と何らかの妥協、揺らぎがある場合、難しいかもしれません
それから、自分では勉強せず、いいとこ取りだけでなんとか繕っている場合も同じです
たとえば、中途半端な環境設定、言葉かけの改善ができない場合、
それから、ご両親そろっている場合、双方の意見が食い違っているのも大きな障害となります
子供の生活環境を整えることができるのも、小学生時代まで
つまり、その時期がいかに重要か理解できます
どんぐりって大変なの!?って開いた口が塞がらず、諦めたくなってしまいましたか?
いいえ、こんなに楽な方法は他にありません
子供の年齢をしっかり見つめながら、すべきことをし、すべきでないことをしない
ただそれだけなんです
そして、もし、中学1年生の時点で、健全な思考力が身についていて、ハイブリッドブレーンを手に入れていたとしたら…??
もう、親の出る幕はないんです
みんなが悩む、中学時代、高校受験、大学受験、何にも不安も悩みもありません
むしろ、
子供がどんな人生を切り開いていくのか、わくわくしながら、楽しみながら、心から喜び、応援することができます
だって、子供自身が、自分の脳でまっすぐに考え、自分の人生を生きているのだから
親にとって、そんなに幸せな光景はないでしょう
そんな光景を見せてくれる我が子に、感謝の気持ちがあふれます