今年も模試の季節がやってきました
中学3年生の話です
私の教室、D→K Roomでは、毎年、9月から12月まで、
群馬県統一テストという業者テストを受検することにしています
私がこの仕事に就いてからの長いお付き合いのある業者さんで、
群馬県の受験情報を最も正確に、大量に持っている業者さんです
名だたる大きな塾から、DKRのような無名でちっぽけな教室まで、
丁寧にケアしてくださる親切な業者さんです

なぜ、「塾」でいわゆる「県内模試」を受検しなければならないのかというと、
いま、中学校で受けるテストには「客観性がない」と言われているからです
つまり、
高校受験をする際に、別の中学校の生徒もたくさん受けてくるのにも関わらず、自分がその受験生達の中でどれほどの位置にいて、どれほどの合格可能性があるのか、その客観的データがないからです

思い返せば、
私が中学3年生の頃は、中学校で業者テストを受検していました
確か、日曜日に登校し、5科目のテストを毎月1回受検していました
その後、コンピュータで打ち出された結果表が返却され、
それには、自分の「偏差値」と、
県内3万人の中学3年生の中で何位か、とか、
○○高校を受験希望する生徒は何人いて、自分はその中の何位か、とか、
そこまで正確に把握できました
もちろん、学校の先生もそのデータを元に、進路指導をしてくださっていました

私が塾業界に就職した年、
その「偏差値」と「中学校で行われる業者テスト」に関して、大波乱が起こっていました

だから、私の塾講師としての歴史は、脱偏差値元年から始まったようなものでした
なんだかいつも、偏差値のことを考えると運命を感じてしまうのです

そもそも「偏差値」とは、中学校の先生が発明したものです
1950年代、やはり、高校に進学するためには入試を突破する必要がありましたし、
その先への進学、就職実績などから競争倍率が違いますから、いわゆる「高校ランク」は当時からありました
その頃の進路指導は、「去年成績がこれくらいだった子が○○高校に合格したから、今年のこの子も大丈夫だろう」というような、経験と勘に頼るざっくりとした、大雑把なことしかできませんでした
それでは、経験の浅い先生方には不利ですし、勘なんてもっと個人差があります
そんなことで中学生を浪人させたり、曖昧で誤った進路指導をしたりするわけにはいかない、と思い立った東京のとある中学の理科の先生が、どんな先生でも同じようにその生徒の成績を診断できる「偏差値」を発明したのでした
「偏差値」は、平均点がどのような点数でも、基準が「50」になりますから、毎回内容の違うテストを受けても偏差値を見れば成績の動向が把握できるし、受験生集団の中での自分の位置も自ずと知ることができるのです
その後、その理科の先生はテスト業者に雇われることとなり、「偏差値」は爆発的に全国に広まっていきました

ここが、悲劇のヒーロー「偏差値」くんの波瀾万丈の人生の始まりでした

中学生を路頭に迷わせないために登場したヒーローが、今度は徹底的に嫌われ、悪役となっていきます
子どもを偏差値で輪切りにするな!
偏差値で差別をするな!
から始まって、テスト業者と中学校との癒着まで問題になっていきます

文部省(当時)は、何度も業者テストの扱いについて、自粛を求めたり、注意したりし続けましたが、業者テストと偏差値に依存しない進路指導はもはや不可能になっていました

これなくしてどうやって進路指導をすればいいのだ?と

そしてついに、1994年2月22日、文部事務次官通知として正式に通達が出て、
中学校から業者テストは追放されました
ヒーローから悪役になった「偏差値」くんも一緒に

その頃、塾業界に入った私です

当時、中学校の先生達はまさに「混乱」していました
生徒たちの成績データは中学校内のものしかありません
まさに、1950年代、ヒーロー「偏差値」くんが発明される前の、経験と勘に頼る進路指導に逆戻りしていました
いいえ、これまで業者テストのデータ頼みだったのですから、「経験」が光る先生もそう多くはなかったように思えます
私が知るだけでも、かなり当てずっぽうな進路指導をされて困惑していた親子が何組もいました
塾では変わらず業者テストも塾内テストも実施していますから、生徒の偏差値を把握していますし、私が最初に就職した塾はいち中学校の人数のレベルをはるかに超えた中3生が在籍していた大きな塾だったので、保護者達も塾のテストを頼りに塾の進路指導をむしろ信頼するようになっていきました

進学塾は…進学実績で名を広めなければなりません
「偏差値」の高い高校を受験させてなんぼ、みたいな企業努力をしなければならないので、とにかく、可能性のある生徒のお尻を叩くような指導が当たり前でした
合格しそうな高校をできるだけたくさん受験させたり、なんなら、県外の有名私立高校に合格できそうな子には、送迎までして受験を手伝ったりもしていました

私はずっと、もやもやしていました
中学校はこれでいいのかなあ…
偏差値を追放しても、高校合格ランクは存在し、誰でも希望の高校に自由に入学できるわけじゃないのに、なんだかふわふわしてて、不安だなあ…そう感じていました

学校の先生の進路指導を心から信じることができない親子達の困惑も、なんだか正常じゃないなあ…と感じていました

2000年代になってから、
今度は通知表の評定が相対評価から絶対評価になり、高校側はますます中学生の成績が見えなくなりました
相対評価とは、たとえば、1~5の通知表の評定の、それぞれの段階の人数が決まっている、という評価です
私達の時代はそうでした
5をとれる人数は決まっていました
絶対評価、とは、その子自身の頑張りを評価する、という意味では聞こえはいいのですが、誰でも認められれば5を取れてしまうので、以前なら評定を見て、だいたいの学校内での位置はわかったのに、絶対評価になってからはその判断が難しい、という状態になっていきました

そんなわけで、中学生達を路頭に迷わせないため、適切な進路指導をするために、全国の中学校の先生達もあの手この手で頑張ってきました
学校の三者面談の時に、塾で受けた業者テストの成績表を持ってくるように、と頼んだ中学もありました
入試の前に親子で受験する高校に業者テストの成績表を持って行って見せることが通例になっている地域もあります

そうこうするうち、結局、
業者テストは中学校に戻って来つつあります
文科省も、やむを得ない、という動きを見せつつあるようです

群馬県でも、中学生達は中学が違っても、3年生になるとそれぞれの中学校で、授業時間内に、
同じテストを受検しています
その全体としての結果は、中学校の先生しか把握していません
子どもたちは、全受験生の中での自分の位置を自由に知ることはできませんが、
学校の先生に尋ねれば、教えていただけると思います
三者面談で、自分の「偏差値」を告げられた、と言っている中3生もいます

他県では、私達の時代のような、志望校合格可能性判定までしっかりとついた業者テストが復活しているところもあるようです

私はその激動を隅っこでずっと見てきました
私にとって、業者テストはひとつの大切なデータです
できるだけ「偏差値」の高い高校にどの子も入学した方がいい、とは思っていないし、
偏差値の低い子を高くすることは、私の第一目標ではありません
それは、個人個人の目標であり、私は、その子が望むなら、できるだけの助言はするし、
正直、私の助言通りに実践できたなら、「偏差値」を上げることは簡単ですし、実際に劇的に偏差値をアップさせて志望校に合格した生徒たちはたくさんいます
でも、どの子も、結局は自分の意志と行動力が原動力でした

結局、誰かに頑張らせてもらう、という程度の原動力では、偏差値の高い高校に入れば入るほど大変な思いをするのは本人です

同じ教科書で同じ期間学んでいても、
すっかりすんなり理解してどんどん先へ進める子もいれば、
ごく基本的なことを理解するためにかなりの努力を要する子もいます
できれば、どの子にも、同じように、中学校の授業を平等に受けられるだけのベーシックな力と、できれば近年の高校・大学入試に対応できるような柔軟で豊かな発想力を、と小学部ではどんぐり問題を活用して思考力を育むためのアドバイスをしていますが、それでも、個人差はどうしても出てきます

その個人差についてはまた別の機会に書くとして、
それでも、
すっかりすんなり理解できる子が「優れていて」
時間のかかる子が「劣っている」というような単純な式では、私は考えていません

どの子も毎日を生き生きと過ごせるように、
つまらないことで優劣をつけられ、
「優」と思われる子が高飛車で傲慢にならないように、
「劣」と思われる子が生きるのが苦しくならないように、
どの子も輝けるような未来は、どこにあるだろう、と一緒に探します

「たかが」高校受験じゃないか
そこで人生のレッテルを貼られ、勝ち組と負け組にくっきりと分かれることはありません
いつも感じるのは、レッテルを貼るのは大人達だということです

中学生になると突きつけられる我が子の「数字による評価」であたふたし、
進路を決める段階になると、できるだけ「偏差値の高い」高校に入ってほしい、と願います

「偏差値の高い」高校には、どの子にとっても素晴らしい環境が待っているのでしょうか
ゆっくり好きなことを勉強したい子にも?
勉強じゃなくて、手仕事がもっと練習してみたい子にも?
大好きな動物や植物、宇宙のことを知りたい子にも?
いやいや、そういう専門的なことはもう少し先でいいよ、まずは頭を鍛えたいよ、っていう子にも

「どの子にとっても素晴らしい環境」なんてあるのでしょうか
そして、
入ってみる前から、「自分に合っている環境」なんて判断できるのでしょうか
何回か高校見学に行けばわかるのでしょうか
良い環境とよくない環境は、偏差値による高校ランキングと相関性はあるのでしょうか

いずれにしても、「高みを目指す」ことは最善策なのだ、と言い張るのは、私の勝手な分析では「お父さん」たちに多い気がします
お母さん達は、小さい頃から一緒にいる時間が比較的長いためか、結構、子どもの個性や、スピードを体感しているのでなんとなく、この子のペースは…とじっくり考えてあげられる傾向があり、お父さん達は「そうはいっても!!」と厳しく、現実的な一般論で我が子の個性というより、「頑張ればできる!」的な励ましになっている傾向があります

偏差値以外でもね…

あ、俺は例外だぜ、というお父さん達、ごめんなさいね

日曜日の夜、夫と日本一有名な銀行員さんのドラマを見ていてゾッとするのです
スカッと爽快!という場面も多いけれど、
権力さえ手にすれば…とげんなりする場面も多いです

それより、「致しません!」「失敗しないので!」でおなじみの、組織に属さず、屈しないフリーランスの女性医師のドラマの方が「よっしゃ!!」ってスッキリするなあ、と話すと、「現実的じゃない」と一蹴されるわけです

現実、大変な思いをたくさんしているから、お父さん達は我が子にも偏差値・学歴という武器を、と思ってしまうのかもしれませんね

でも、どんな武器を持っていても、身につけている本人の能力、資質によっては、使いこなせず、かえって自らを傷付けることにもなりかねません

偏差値

ヒーローで、ヒール

私は、子どもたちを守るための大切な数字だと思っています
優劣を判断するのではなく、どの高校でなら生き生きと学べるか、判断するための指針である、と

高校側もまた、偏差値ランキングは優劣ではなく、ペーパーテストに反映しやすいだけの成績であることを理解し、そうではない子どもたちの能力や資質を、見極める入試、そして授業をしてほしいなあ!と長年願っています