関西地方のDK通信生とのやりとりの中で、
マンホールの蓋
というワードが出てきたので私から質問をしてみました

マンホールの蓋はなぜ、円形ばかりなの?

絶対にググらないでちょうだいね
つまらないからね(笑)
それから、この文章もネタバレになるかもしれないので、
考えたこともなかった方、考えたい人は
ここまで読んでしばらく考えてから続きを読んでくださいね

これは、昔からある問答で、
「真実を知らない」からこそ楽しめるやりとりなのです

食事の時、うちの家族は1時間~2時間くらいおしゃべりをしています
子どもたちは高校生と中学生なので、もう、大人同士の会話みたいです
今日読んだ新聞記事のこと、
今流行っているもの、
音楽のこと、テレビドラマのこと、友達のこと、
私や夫の昔話……そんなの始まると娘たちは退屈そう(笑)
それから、私は、生徒たちにこんな質問をしたらこんな答えが返ってきたよ、みたいなこともよく話題にします
それで、
マンホールの蓋について投げかけてみたのです

さすがのリケジョ、高校3年生の長女は、
理路整然と「なぜ円形でなければならないか」ということを図形の特徴をつかんで、話しだしました
話題にした初日は、
長女は「奇数角形なら円形と同じように蓋にできるのでは」と仮説を立てました
ふたりで、食事をしながらだったので、頭の中で描いてはいたのですが、
私も「そうかもしれない…」と一瞬思いました
(そんなわけないだろ!って頭脳明晰な方からの突っ込みがはいりそう…苦笑)
後日、長女は言い出しました
「あれから考えてみたけど、やっぱり円形しかダメだ」と

関西地方の通信生も、自分なりに考えた結論を、イラストにして送ってくれました
こちらはイラストの一部です

あー、なんて楽しいんだろう

実は、円形以外でもマンホールの蓋になり得る形状がひとつ、あるのですが、
それはどんな形なのか、考え続けるのも楽しそうでしょう

そんな話題の中、長女は思い出したように言いました
「これ、前にじぃじと話したことがある…」と
じぃじというのは、私の父親のことです
私は
「あー、やっぱり…」と思い出し笑いをしました
父は、私が子どもの頃から変わっていません

父の口癖は「よく考えておきなさい」

これは、悪いことをして叱られた後には必ず言われましたが、
その他にも、答えがあるのかないのかわからないようなことをわいわい話した後によく言われました
そう、マンホールの蓋のような話のあとに

子どもの頃、私は、父が答えを全部知っている、と思っていたので、「考えておきなさい」の後に、きっと、いつか答えを教えてくれるんだ!と期待して、それまで一生懸命考え続けました
あーでもない、こーでもない、
ねえねえ、お父さん、こうかな、ああかな?
父はそのたび、なんだかむずかしい言葉を教えてくれたり、
…たとえば、表面張力とか、パブロフの犬とか、
(「いつか学校で教わるからね」って言ってたけど、何年生になっても中学生になってもちっとも教わらないから自分で調べましたよ、もう!)
じゃあ、こうだったらどうするん?(←上州弁)なんて突き返してきたりして、結局答えをすんなり教えてくれません

大人になってふと、そのことを思い出し、
「お父さん、そういえば、あのこと、考えておきな、って言ったけど、なんだったん?」と尋ねると
「なんだっけ?忘れた」なんてとぼけるのです
実は父もわかっていなかったり、わかっていて、考え続ける私を面白がっていたりと、色々だったのでしょうけれど

父はとても頭のいい人です
でも、博士や先生ではなく、ごく普通のサラリーマンでした

話がそれますが、父と同じ年代の方で、「大学時代は…」なんて話をなさっている方の話を聞くと、どういう感情か我ながら不明ですが、胸がしめつけられることがあります
父の母、つまり、私の祖母は父がまだ乳飲み子の頃、夫である私の祖父を戦争で亡くし、女手ひとつで父たちを育てました
働きづくめの母親に迷惑をかけないよう、叱られないよう、父は小学生の頃から自炊し、勉強も頑張っていたそうです(生前の祖母からの話と父の思い出話より)
時代的にも群馬(田舎)という土地柄もあり、高校に進学せずに働く同級生も多かったようですが、高校までは行かせてもらったそうです
中学でも成績は上位だったようですが、父は、母親を助けるため、就職に直結すると思われる高校を選び、進学しました
もちろん、大学に行くことなど、夢にも思ったことはないのです
高校を卒業し、就職し、母親の負担を減らしました
でも、祖母はそのことを悔やんでいたように思います
もっとこうしてやりたかった、ああしてやりたかった、学校で一番だった、大学へ行かせてやりたかった…生前、まだ元気だった頃の祖母と、ふたりで話すとよくこぼしていました
祖母が元気だったのは、まだ私が10代のころです

父親を知らずに父親をすることになった父の元に生まれた私は、物心ついた時から「うちのお父さんは背が高くて、かっこよくて、誰よりも頭がいい!」とずっと思っていました
学校で習ったことを話すと、「本当にそうかな?」「どうしてかな?」と急に疑問を投げかけてきたり、それによって、「教科書や先生が間違っているはずはないんだけどな…」と思いつつも、でも、父からの問題提起が気になって、一生懸命調べたり、本当のことは自分で見つけたい、といつも考えながら授業を受けたりしていました
それで、自分なりに見つけた答えや考え方を父に話すと、嬉しそうに聞いてくれたのを思い出します
母は「むずかしいことは全然わかんない!」といいながらも、私が話すのを楽しそうにいつも聞いてくれていました
「へえ!へえ!!!そうなん!?そうだったん!?」って
ただそればかり(笑)

新聞で読んだり、ニュースで見たりした情報についても、「本当にそうなんだろうか?」と父はいつも問題提起してきました
そう、つまり、
私が生まれ育った家も、食事のあと、何時間でも話している家でした

これはこうなんだよ、と教えてもらった思い出よりも、
これって本当にこうなんだろうか?と問題をなげかけられた思い出の方が多いのです

父が答えを知っていたかどうかなんて、今となってはどっちでもいいのですが、
答えをすぐに教えないようにしていた父、自分の考えを押しつけようとしなかった父は、本当に頭のよい人なんだな、と改めて思います

そんな父が、孫にまで同じことをしていると知り、笑ってしまいました(笑)

子どもは、放っておいても自分で考えたり工夫したりするものです
でも、なんのきっかけも与えずに放っておくだけでは、もしかしたら考える方法すら知らないまま大切な時期をやり過ごしてしまうかもしれません
だって、基本、楽しいことしかしたくないのが子どもです
考えるきっかけ、方向性も全く気づかないまま、全然違う方に歩き出していたら、
考えることそのものが、ちっとも楽しくないんだもの
そのために、私たち教育者は存在するのではないでしょうか
いや、私はほんの隅っこにいるだけです
教育者、それは学校の先生たちが主たる位置を占めます

今の小中学生は、「反射的」に「従順」な言動をすることがあります
それは、小学校1年生からたたき込まれたものなのでしょう
自分で考えて行動する前に、「こうしなさい」と命じられ、アレンジを許されなかったことで、身についた術なのです
(全員の先生がそうしている、と断言しているわけではありません。ただ、そういう先生がとても多いのです。)
ある小学校の1年生の行動を間近で見ていました
アスファルトの歩道をぞろぞろと行列で歩き、空き地に入った途端、教師が大きな声で言いました
「足下の石に触らない!!!」
私はびっくりして周囲を見回しました
行列の最初の子どもが、石ころの転がった空き地に一歩足を踏み入れたタイミングでした
行列の後ろには、まだ石ころが目に入っていない子だっています
その後も教師の言葉による指示命令は続きました
子どもたちは委縮し、一挙手一投足、教師の言葉に従って行動をしていました
そのように行動できない子は、教師に注意され、行列からはじき出されて別の教師に個別指導をされているようでした

そのような指導が日常ですから、ほとんどの子は、反射的に従順に行動できるようになります
その成果が、運動会や卒業式のような、集団行動をお披露目するイベントなのでしょう
特に運動会に力を入れているある幼稚園を見学したとき、一糸乱れぬ集団行動に同席の大人は賞賛の拍手と感嘆の声を上げていましたが、私はめまいがしました
お辞儀の角度や頭を上げるタイミングまで揃ったある学校(警察学校ではありません…)の卒業式に参列したときには、ぎょっとしたと同時に、「卒業生、起立!!」とかいう私たちのころから変わらない教師の威張ったような号令に辟易しました
でも、「きれいに揃っていて偉いわねえ」という声も聞こえてきました

いろいろな場面で、いろいろな子どもたちや大人たちを見てきて、
いろいろな意見があるんだな~ということはわかっています

マンホールの蓋問題を、最初から答えを示し、教えてしまうという方法もあるのでしょう
それの何が悪い?という意見を持っている方もいるのでしょう
ひとつの考え方を丁寧に教え込み、それを「足並み揃える」と主張するとしたらそれは、一糸乱れぬ集団行動を、大人の都合と大人のリズムを優先して実現させるための準備でもあるのでしょう

たとえば行列を揃えようとしたら、行進する子どもたち自身に考えさせてみたら面白いかもしれない
どうして揃わないんだろう、どうしたら揃うんだろう
そこにひとりの教師がいて、全体を見渡し、時々きっかけを与えるだけで、子どもたちはどんどん自分たちで考えて、いずれ、一糸乱れぬ集団行動を実現させるかもしれません
そんなことができたら、それはそれで素晴らしいことだし、そんな行進を見てみたい!とは少しは思います

学校の先生には、そこまでの物理的余裕がないんだと思います
教科の授業に関しては、きっと、きっかけを与える導入にはなっています
教科書の構造がそうなっているので
でも、
家庭でも実は、同じように大人の都合による威圧的な指示で行動させられてきた子ども、主体性のある生活や遊びというよりはプログラムに乗っかったようなものに囲まれて育ってきた子どもが多い昨今、もはや、学校で「考えさせる」授業が成立しないことがあるのです
子どもの自由にさせたら、収拾がつかなくなる様子も目に浮かぶようです
学校だけの責任ではありません
家庭にも責任があるのです
(その責任を押し付けあっているから停滞前線みたいにずっと状況が変わらないんです)

ほとんどの学校の授業では、ひとまず原理原則は教え、いろいろな考え方があるね、って紹介が終わったら、はい、じゃあ、このやり方で解いて!と練習問題を課します
授業時間であったり、宿題であったり
繰り上がりだの、繰り下がりの書き方も、ちょっとでも違う書き方をすれば注意され、直されるクラスもあります
その子がそれによってミスを多発している場合、いつもこの書き方をする、と決めてごらん、そうすればミスが減るから、とアドバイスすることは私だってあります
でも、その場合、選択肢を与えます
この方法か、あるいはこの方法がおすすめ
どっちがいい?どっちかをまずは定着させてごらん、自分流アレンジはその後だよ

それでも、学校でしつけられた根底を崩すのは困難です
思考が柔軟になってくると(または、当初から柔軟に育っている子は)「先生はこう教えてくれたんですけど、これもありですか?」と楽しそうに尋ねてくるようになったり、「教科書にはこう書いてあるけど、この考え方じゃだめですか?」って聞いてくるようになったりします
そのたび私は、一緒に考えるのです
一緒に、検証するのです
「さあ、どうだろう!考えてみよう」って

学校ではこう教わったのに!!とガチガチに思考を固定してしまう子は、とても苦労します
確かに学校ではしっかりと解法を教えてくれるのですが、その先の応用が利かないことが多いからです
どうして?こうやってみてもいいじゃない?といくら私が言っても、その子の親が言っても、「いいえ、学校ではこうだったの!」とかたくなです
それは、その子の先生の強さもありますし、その子自身が持っている特性でもあるのだと感じます
その特性が、生まれ持ったものなのか、または、産まれてから学校に入る前までのとても大切な期間に、身近な大人たちがそう育ててきたものなのかは、当事者にしかわかりません
みなさんも胸に手を当てて思い出してみて(笑)

子どものやわらか頭は、ぐるぐる思考でどこまでも伸びていきます
その姿を見守るのは大人にとっても楽しくて、幸せなものです

最後に、娘は「もう忘れちゃった~」と言っていましたが、
小学校時代のプリントの画像をひとつ

確信を持ってきれいに書かれた式のひとつひとつの持つ意味を解読すると、
割合の考え方を楽しんでいる娘の姿が目に浮かぶようです

このプリントは最初は0点でした
(これは再提出で、内容を見ずにつけたらしいペンでの花丸がついています
色鉛筆の丸は自己採点)
「先生の教えた方法で解かなかったから」だそうです
今や懐かしい笑い話
遠い昔のような小学校時代の思い出です
だからって娘は傷ついたり、先生や学校不信になったり、勉強嫌いになったりしていません
当時の私は、確かに最初は0点にびっくりしたけれど、
娘がしっかりと理解して解いているのは式を解読してわかったし、
むしろ、それが誇らしかったし、何より、雑に解いていないことが素晴らしかったので、
学校の先生に評価されないことなんてたいした問題とは感じませんでした
もし評価されたいのならどうしたらよいか、という強かなアイディアも、
段々と自分で気づいて成長していきました
折々、そんな話題になり、一緒に笑いながら話してきました

ぐるぐる思考でのびのびと

マンホールの蓋について受験勉強の合間に論理的に考えてくれた長女
大げさなようだけど、これからの人生も、
誰かが教えてくれた乗り越え方だけじゃなくて、
自分でぐるぐる考えて、迷ったり下がったりしながらも前へ進んでいくんじゃないかな、
って何となく想像しているのです