いろんな子育てがあるよ
教育だって、いろんな方法がある
ほら、検索してご覧
これこそが子どもにとって大切、っていろんな人が言ってる
そだね
確かにそだね
でも、私は毎日、本物の子どもたちと過ごしてる
自分の子どもだけじゃなく、別の家庭の大切なお子さんを少しの間預かって、
一緒に過ごしてるんだ
だから、なんというか、言葉にするのは難しいんだけど、
私には、彼らの息づかいっていうか、大人には見えなくなってしまっている子どもの本質というか、
そういうのが見えているんじゃないか、と、時々思うんだ
子どもの近くにいるから、そういう視力や聴力を神様が与えてくださったんじゃないかって思うんだ
大人の言ってる言葉より、子どもの言葉の方がすっと入ってくるっていうか…
正直、大人の言ってる言葉は理解できないことが多いんだ
大人はね、なんというか、子どもの話をしていても、主人公は子どもじゃないっていうか…
話の真ん中に、大人本人がある場合が多い気がするんだ
子どもはそれでいいんだよね、子どもの世界は、自分が真ん中にあって、そのまわりに世界がある、って少しずつ気づいていくんだと思うんだ
最初はおとうさんとおかあさん、おじいちゃんやおばあちゃんしかいなかった世界が、
少しずつ、広がっていく
そして、真ん中に自分がいて世界はそこを中心に回っているのではないかもしれない、と
気づくことになるんだ
子どもの話をしている大人がね、
その立場によるんだけど、自分をやっぱり中心に置いてしまっているなあって感じるのは、
大人の事情をからめて話してくるからなんだよね
大人が、「知ってる」自分の知識で、自分ではない他の人間(それは子ども)の未来を、
まるで全部「知ってる」と言わんばかりの勢いで、
決めつけちゃうっていうか、誘導しようとしちゃうっていうか、そんな深層心理が見えちゃうこともあるんだ
それも神様が与えてくれた力なのかな
だから、そういう雰囲気を察すると、この人は、子どもの本質や、子どもの「いま」を、真正面、見ようとしているのかなあ?って
見ようとして、見えているのかなあ?って、
思ってしまうんだ
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「倍」が見えるように、色鉛筆で囲っている
1の位の卵の数を「1」としている
そんな理屈じゃない
それをぐるっと囲んで、
十の位の卵が、そのぐるっと囲んだ卵の数の何個分あるか、同じように囲んで数えたら、
4つぶんだった、だから4倍
子どもの近くにいる「大人」
それは、「親」だったり「先生」だったり色々いるんだけど、
子どもを真ん中にして子どもの話をする人に、
あまり会ったことがないのが正直なところ
1mx42
進学塾では低学年から線分図を描かせる、または、最初から書いてある例題で演習してから類題を散々解かせる
でも、どんぐりでは線分図などもちろん教えない
むしろ、線分図を描き出したら要注意ってくらい
低学年ではありえない
だから和差算では苦労する子が多い
まず文章を読んで、「どっちが多い」ってことを描写することができない子が多い
男の子が多い、ってわかっても、絵を見ると、女の子と同じ列の長さだったりする
なんとか計算して求めたいとか、20人だからまずは10人ずつに分けて、だとか苦労して、でも、その方法だと全然解決しなくて、悩み、苦労する
そして、いつかこんな風に、
はみ出た分の男の子を分けて描けるようになる
男の子がこんだけ多いんだな…
と気づいて、右にもう一度20人を表す○を描いて数えてる
多い分の8人を除けば、男女ペアになってるはずだ、と
それで答えを確信したようだ
以前、どうやら数学が得意だったらしいお父さんが、低学年どんぐりっこに線分図を描いて教えてしまった
その後、和差算が出てくると得意になって定規で完璧に線分図を描いて答えを出した
お父さんが教えてくれたものを私が否定するのは至難の業だ
お父さんのプライドも傷つけたくない
だから親にはどんぐりを勉強する必要があるのだ
でも、難度の高いどんぐりは全く解けずに卒業してしまった
線分図を描いて解く問題だけは、解けたけれど、そんなの0mxから2mxくらいで終わってしまう
その子は中学生になってすっかり数学が苦手になり、その苦しさから勉強嫌いになり、高校進学でも相当苦戦したそうだ
別に苦戦してもそれはそれで財産にはできるんだけど……
考えないで解けるパターンの手法を1度教えただけで、楽な方法を待つようになってしまう子もいる
1度教わると、探究心のある子なら、次からは教わらずに自分で法則を見つけようとする
でも、子どもがどのタイプに育っているかは、かなり慎重に見極めないとわからない
破壊する危険があるならその手法を避けるのが賢明だ
つまり、安易に解法を教えないこと
中学の数学ではパターン学習を選ぶなら膨大な記憶力が必要だ
パターンの数が半端ないからね
その原因が、小さい頃のお父さんの親切心だったとしたら…悔やんでも悔やみきれないはずだ
もしかしたら勉強嫌いにさせずに済んだかもしれない
決められた時間数で、決められた単元を教えきらなければならない先生、
先生に言われたことを従順に守ることが何よりも正しい、と思って子どもを追い詰める親、
どうして?
子どもに本当に必要なのは、なに?
決められた期間に決められた単元を習得することなの?
そして、そのために出された課題を、こなすことなの?
先生は教えるのが仕事
学校には時間割があって、カリキュラムもある
だから、日々、授業をするのは普通のこと
でも、それを、子どもたちがしっかり習得したかどうか、
確認したり、習得するために課題を出したりして家庭学習まで管理する
全責任は学校が負うの?
そして、
全責任は学校が「負わない」と知っているのに、
学校に宿題をリクエストし、しつけまでリクエストし、
親の役目を全うしない親が増えているみたい
学校の先生が授業中に話してくれたことを、
数年後に「ああ」と思い出すこともある
先生は授業を良質にするために時間をもっと使っていいのに
教科書をひとりで読み進めるよりも、みんなで一緒に読んで、一緒に考えた方が楽しいよね、って授業でいいじゃないの
教科書に書いてあることホントかな?って外に飛び出して確かめに行くのでいいじゃないの
誰がどんだけ理解したかとか、チェックしなくていいじゃないの
もし、どうしても教科書の内容を覚えたり完璧に解けるようにならないとならない子がいたとして…たとえば、受験して進学する予定のある子がいたとしても、それは個々に家庭で対応すればいいだけ
学校が、全員が受験できるような反復練習やスピード練習をさせる必要なんてどこにもないのに
そして親たちも
塾みたいに宿題を出すようになった学校に、従順である必要などないのに
なんのために学校へ行くんだろう
なんのために宿題をするんだろう
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水色の絵の具で塗りつぶせる画用紙を、線でつないで数えている
年長さんでもこんな風に数えるんだなあ
そして、描き過ぎちゃった画用紙を、ちゃんとバッテンで消している
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おもちゃはお菓子の2倍の値段だから、
それを○○で描写している
お菓子は3つずつで○○○、それが8人分
おもちゃは○○で、しかも8人に2個ずつ
じっくり読みながら描いていかないと、大人でも勘違いしそう
でも、丁寧に全部描いて考えた形跡があった
この「○」ひとつとっても、
誰も教えていない
自分で思いついた方法だ
「こういう問題を解くのって、すごくエネルギーが要りますよね。だから、解く前に相当覚悟が要ると思うんです」と言った親御さんがいました
確かに、いつもエネルギーが底をつきたような様子で私の教室にその子は来ていました
だいたい、私の教室でどんぐりをしている子たちは「学校から帰ってきた直後」の状態
そうか、学校でエネルギーをたくさん使うからなのか
と思ったこともありました
でも、どうでしょう
「今日学校が終わるの遅かった~!」って笑顔で飛びこんできて「ギリギリセーフ!」みたいな子が、
エネルギー不足で解けない、なんて状態か、というとそうでもないことも多いです
同じように「学校が終わるのが遅かった」場合でも、それを愚痴りながら超不機嫌な顔して周囲に当たり散らしている子は、エネルギー不足なんだなあ、と感じます
同じ状況でも、
エネルギーが不足する子としない子がいる?
どうやらそのようです
「こういう問題を解くのって…」と言った親御さんは、いつも子どものことを心配している人でした
でも、子どもと一緒にいる様子を見ていると、「子どものことをわかっていないなあ」と感じることが多い人でした
親の前ではとても大人しい子で、親がいなくなるとひどい言葉遣いで、ゲームと動画サイトの話ばかりしました
ここの仲間にも、しょっちゅうちょっかいを出していて、呆れるほどでした
家でゲームはしていないはずですが、その子の脳内はそれらで占められていて、親はそれに気づいていませんでしたから、どんぐりを始める時、「なぜゲームをしないのか」ということを納得させることもできず、ただ闇雲に禁止し、それによってその子は、友達の家に入り浸ってゲームやネット漬けになっているようでした
でも、
それがその子の居場所です
それに親が気づいていないケースです
ゲームや動画の刺激を受けすぎていると、どんぐり問題なんてくだらなくて真剣に取り組めないのでしょう
もちろん、学校でしていることも、何にも楽しめていないし、私の教室でするアナログゲームでもいつもふてくされてイヤイヤ参加していました
ついに、もうこの教室は必要ないでしょう、と退室いただくしかありませんでした
短い間でしたが、ここへ来た意味はあったでしょうか
何を話しても「そうはいっても…」と私の話を遮り、大人の事情を伝えてくる親御さんでした
その子が、人生を楽しめているか、時々心配になり思い出します
2mx30
小さな文字でメモ書きしているものの、
宝の数はしっかりと視覚化されている
2つのものの和差に加えて、3つ以上のものの和差が出てくると、
進学塾に行ったことがある子なら線分図を描きたくなるだろう
でも、どんぐりの子はそんなの知らないから、自分で考えて解く
4mx14と4mx09
カブトとクワガタの缶入り問題
ほぼ同じで、数値だけ違う問題
解き方も似たようだが、工夫の仕方が違って興味深い
たった1本の線で、ここまで見える
子どもが見えないのは、
子どもを真ん中に、焦点に合わせないからなんじゃないかな
簡単なことなのにな
だって私たちはみんな、「元子ども」なんだもの
思い出したらいい
あんなことが楽しかったな
あんなことが悲しかったな
あんなお母さんが好きだったな
あんなお父さんが好きだったな
そして、
頑張れたとき
頑張れなかったとき
傷ついたとき
傷つけたとき
なんのために私たち、数十年生きてきたんだろう
少なくとも子どもの数倍も長い人生を生きてきたんだよね
そういう心の経験値は、生かせると思うんだけどな
4mx72
レイちゃんの缶入りクッキー
ただ読んで、そのまんま絵にしていくだけ
それだけのことなんだよね
それだけなんだけど、こんだけ見える絵を描けるんだなあ
…レイちゃんって、あのレイちゃん?違うか、カレイのレイちゃんか
それでも、
私たちの育ってきた時代と、今とでは、いろいろが違ってる
世の中が変わって、一番影響を受けているのは、子どもたちの世界
子どもは、子ども同士で遊んで成長するんだよね
なんだかんだで、親には見えないところで、ぐんといろんな経験をするんだ
大人がそばにいたら「ちょっと!やめておきな!」って言われちゃうようなことも、
子どもだけだとやっちゃうんだよね
それが、
やたら大人の目が行き届きすぎて、子どもはどんどん窮屈になってった
だからゲームやネットの世界に、自分たちの遊び場を見つけたんだよね
どんぐりは……
そんな文化が子どもに根付いてしまっているところへ、
表れた手法
遊び場は画面の中になり、
勉強は単元をこなし、点数をとるためにするもの、となってから
どんぐり問題を解くだけで、ほんとに思考力がつくんだけど、
さっきの、「エネルギー不足の子」のように、生活にも工夫が必要なんだよね
残念だけど、ただ問題集を買って解かせても、どんぐりは生きない
だって、
どんぐりは、かつて、大人が何も意識しなくても勝手に子どもが成長したような世界を、
まるっと取り戻そうとする意図が込められているから
大人の努力なくして、その背景は整えられないんです
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これも次から次へといろんな数値が出てくるから、丁寧に読み進めて絵図化していかないと解けない
1人5枚ずつのCD
5m先の箱に投げる(←この数値はダミー どんぐり問題あるあるw)
始くん、次野くん、最後くん、それぞれ放り込む
CD1枚の厚さは6mm
CDの厚さ2mmにつき車を1台ゲットできる
これだけの情報を、全て絵にしている
残らず絵にしている
自分で描いた絵を使って、正確に答えを導き出している
見ようとしないと見えないのかもしれない
別にずっと見ていなくても、親だけが見ていなくても、
子どもの周りにいろんな大人がいて、それぞれが存在感を放っていた時代ならよかった
でも、今は、親と先生くらいしかいなくて、
すごく小さな、視野の狭い、小さなレンズのめがねで子どもを見ている
子どもの何を見ている?
見ようとして見ている?
自分の都合のいい子ども像を、作ろうとしていない?
自分たちの都合のいい子ども像に、当てはめようとしてない?
どんぐりは特殊な手法かもしれない
でも、ずっと昔、子どもが勝手に賢く育った時代の、再現なんだと思う
知恵を使って生きなければ命に関わる時代を経て、
ひとつひとつ権利を勝ち取った人類、そして、
今は、普通に生きていくために、考える必要などなくなってる
むしろ、
考えないですむような世界が、完成しつつある
実際、世界を誰かが「思い通りに」動かしたいと目論んでいるなら、
「考えないで生きてる」人が多い方がいいに決まってる
それならそれでいいよ、考えないでただ生きていく
そうかな
私はそうは思えなくて
常に考えている
考えれば考えるほど、どうしたらいいんだろ、って迷うけど、でも、
考えないで、決められたことを黙ってするよりはいい
考えないで、いつのまにか地球や他の生物への加害者になるのもいやだ
考えないで、我慢しながら、我慢していることにも気づかないほど鈍感になって生きていくのは、
いやだな
そして、子どもたちのそんな姿を見るのも、いやだな
親たちが、先生たちが、子どもを見ようともせず見てもわからないのは、
考えようとしていないからなのかもしれない
だからどんぐりを続けていく
だからどんぐりを伝えていく
どんぐりで守られ、強く優しく賢い子が育っていくのを、ここで見送り続ける