ツキイチ企画IF法
「今日は漢字やるよ~」
「ぃやったーーー!」

…なに、この反応(笑)

いいや、違う子もいます
「ええ~!習ってないのにぃぃぃぃぃ!」

…うーん
「習った」「習ってない」の意識、ええ加減払拭できないもんかなあ~
そもそも「どんぐり」だって「習ってない」って突っ込みどころ探せば満載だぞ~

はいはい、でも、でも、やりますよ、ってなわけで、
今回は「鼠」です

これは、なぜか読める子が多かったです
読めるけど書けないなあ、そういえば…と言っている子が多かったです

3度目ともなると、子どもたちに違いが出てきました
慣れてきたんでしょうね
全く同じことを、同じペースでやっているので、この差は「子どもの違い」なんだということが明確です

慣れてきたのでもう、私の言うことを全く聞かない子もいます
もうわかってるから勝手にやりたい、という感じです
3回目を閉じて、ゆっくり、ゆっくり…とやっているのに、
「もう覚えたから書きたい」と言い張る子
そうじゃないんだよなあ、ゆっくり何度も目を閉じることに意味があるんだよね~と
なんとか抑えますが、なんとなく、日常生活の影響を感じます
そういう子は、「もう覚えた」と脳が働くのを止めるので、一応、3回目を閉じてみんなと一緒に書くけど、結局、正確に書けずじまいになることが多いです
それで不機嫌になるので悪循環
でも、日頃の生活や、学習面でも似たようなことが起こっているんだろうなあ、と想像がつきます

みんな集中してじっと見ているのに、
「どうせ書けない」「習ってないからわからない」「どうやって書けばいいかわからない」と、カードゲームを配っている時に連発するようなネガティブ発言を大声で言い続ける子もいます
自信のなさ、できない、書けなかったときの恐怖、いろんなものと戦ってるんだろうなあ、とは思うけど、「お口を閉じて、目でじーっと写真とってごらーん」となんとか黙らせます
雑念が多い…というか、頭の中がすっきりしていないというか、素直に受けとめられない状態になっているのを感じます

でも、多くの子は、…特に、教室に来る度に、「まだ覚えてるよ!」と嬉しそうに、「鰐」や「薔薇」を書いてくれたり、一緒に「書けるかどうかやってみようよ」なんて遊び半分でやっている子なんかは、初回からペースを変えず、しっかり姿勢良く、呼吸を整えて、じっくりと脳内で書け、それから紙に書くときもゆっくり、丁寧に描けるのです

なんだかんだ言っても、最後はみんな「鼠」が書けて、イラストまで描けて、楽しい時間を過ごせました
リモートの子、通信講座の子、鼠と薔薇を書いた子の作品も混ざっています

ルーティンになってくると明らかになってくる、子どもたちの特徴
脳や思考の頑丈さというか、
多様性を受け入れる力っていうか、
柔軟性っていうか…
それと、素直さ…
どんなことでも素直に楽しめる子どもらしさ
それがとてもとても大事だなあ、と感じます

ひとむかし前まで、子どもなんて大抵そんなものでした
最近ずっと考えている「そうじゃなくなった原因」のひとつが、
子どもと大人の世界の境界線がなくなってきたことなんだろうなあ、ということ
子どもが小さな大人みたいになり、
大人は幼稚化している
大人しか入れないお店や、大人しか持てないものがたくさんあった時代から、
子どもも何でも一緒がいい、って時代になって、
そのくせ、大人は子どもの(子どもだけの)世界に首を突っ込みすぎる
子どもが子どものペースでゆっくりと育んでいた大切なものが、
大人の視点で変えられてきてしまってるなあ、と感じるのです

漢字をひとつ
書くだけなのに、あれこれ深いこと考えすぎる私の脳なのでした