どんぐりを続けていると、
どんな子どもに育つんですか?
数年前に長野で開かれた糸山先生の講演会の最後の質疑応答でこんな質問が出ました
私にもちょいちょい寄せられる質問です

糸山先生は、全国に卒業生がいて、ブログなどもあるから見てみてください、と答えていました
実際に見たらわかりますよ、と

一般的な塾や学習法の宣伝文句には当然ですが「点数がとれる」「成績が上がる」「●●高校、○○大学に合格しました!」などという「結果」がよく書かれています

それが子ども本人の目標であり、そのためにその塾を選んで努力したのであれば、それは本当に素晴らしいこと!

ただ「どんぐり」がやっていることは、そのような具体的な目標を立てる以前のこと
当たり前ですが、本人ではなく、親が「点数を」「成績を」「○○高校に…」と願うことが、子どもの精神に対してどれだけ危険なことかを忠告さえしています

「本人がやりがたるので」「本人が受験したがっているので」といかにも子ども本人が意思を持っていて、また、親御さんも子どもの意思を尊重しているかのようにおっしゃる方もいますが、実際には、子どもの意思は親の意志で、子どもはそれくらい、親が望んでいることを叶えようと無意識に頑張ってしまうものなのです

「親が望んでいること」が、「不自然なこと」である場合です

たとえば「好き嫌いなく何でも食べてほしい」という望みは、ごく自然なことです

今は、
「自然なこと」と「不自然なこと」の境目がわかりづらくなっていて、
そんなことに境界線は要らないんじゃないの?っていう自由な意見もあってか、
本当に大切なこと、子育てで本当に揺らいではいけないことが後回しにされていると感じることが多いです

いま、小学生の9割がデジタルゲームをしてるから、それは「自然」
大人のほとんどがスマホを持っているから、子どもの前でそれらを使うのも「自然」
果たしてそうでしょうか?

ヒトの生誕、ヒト以外の動植物の生態、季節の流れ
多少のマイナーチェンジはあっても、太古の昔からそう大きくは変わっていない私たちの周囲の環境、人間の発達、成長
それに対して、私の思う「不自然」は、あまりにも人工的で、あまりにも日常に入り込みすぎていて、それに影響されている子どもたちを数多く見てきているからもあるのですが、子どもを散々不自然な環境で育ててきて、いざ、「勉強」が始まると、「自分から進んで勉強する」「よい点数をとる」ことに躍起になる大人達がなんだか理不尽に思えてなりません
「生きる力」を奪っておいて、今度は「自主的に」って…???

「不自然」は排除すべきだ、と言いたいのではありません
急激な世の中の流れに、乗って流れていくしかない私たちでもあるのです
でも、絶対に忘れてはいけないのは、子どもの成長に関する大事な要点です
急激な流れの中でも、親の腕が子どもを包める間は、絶対に守れると私は信じています

昔は流れも穏やかで、特に、子どもをターゲットにした波が押し寄せることも少なかった
そんな時代と比べて、今は、子どもの発達や成長に直接影響するような激しい波がときどき押し寄せてくる
でも、大丈夫
それは、大人の腕で防げるのです

私自身、そうやって子育てをしてきました

その波が強く激しくなったら無理なんじゃないか
数年後の世界は全く違っているのだから、これからの子育てでは難しいんじゃないか
いいえ、そうは思いません
親子だから
親子には、親子だけに許された世界があるから
それをどんな世界にするかは、ほとんど親にかかっているからです

子どもを包むその腕の力を緩めて、世間の波にさらすことも、
緩めずに守り続けることも、
親次第だからです

ある時期だけぎゅっと
大事な時期だけぎゅっと、
その腕を緩めずに、守っていてほしい
一生続くわけじゃない
でも、その時期を親がぎゅっと守ったことで、
その後、その子は健全に、強く、賢く、豊かに育ち、
守られたものを一生の宝にして生きていきます
もう、親に守る腕の力がなくなったときには、自分で荒波に立ち向かっているはずです
しかも、笑顔で
楽しみながら、きっと

「考える力をつけよう」「これからは思考力!」「思考力を伸ばす」
国の教育界の、エライ人たちが言い出して、そこらの塾の看板にも広告にも掲げられるようなこれらは、どんぐりでは最初から当たり前に子どもが持っている力で、それを守るため、健全にそれを育てるため、とテーマにしてきたことばかりです

「お米を食べよう」じゃないけれど、米飯食離れを危惧してそういうスローガンが掲げられるのと同じで、いま、国をあげて「子どもの思考力がやばい」ってことになっているのは明らかです

何も考えずにできる「作業」のような授業や宿題を何十年も課してきて、
意志や夢や希望とは関係なく、点数や順位で子どもの進路を決定づける仕組みをどんどん強化してきて、
今になって「思考力やばい」ってそりゃないぜ、と、思いませんか?

冒頭の問題はどんぐり歴約1年の低学年さんの作品
あんころがしがあんこの山を見つけて「あんこだー」と喜んでいます
2個ずつ持っていくから、2個持って後ろを向いて「置いてくるね」と言っています
口元には2個のあんこがちゃんとくっついています
確かに、これじゃ2個ずつ運ぶので限界だわ
もう一匹が「待って~」と呼びかけています
まるでアニメーションを見ているかのように、この子の描いた世界が動いて見えますよね
「あんこをみんな持って行くには何回ずつ通わなければならないでしょうか」
あんころがしに命を吹き込んで描いたので、この子は、「それぞれが4回持っていって、置いてくる」という物語を当然のように最後の仕上げで線でつないで、「4回」と答えています
おおきなあんころがしの羽の上で数えたんでしょうね
簡単な問題のようですが、「2匹がそれぞれ2個持っていって、何回ずつ通うか」という質問に正確に答えられる子ばかりではないのです
あんこの山を16個描いて、あんころがしを2匹描いて、2個ずつ囲んで、はい、8回、という子がとても多いです
ゆっくり、絵に命を吹き込みながら、問題文を物語のようにこの子は理解しています


こちらはどんぐり歴約3年の低学年児の作品
家族からもらったお金で70円のノートを買い、残った金額で玩具を買うのですが、その金額を求めます
こんなのは式で(20+50+30+20)-70=50
って求められますが、もし、そんなのわかった、と思っても絵にするのがどんぐりです
そんなの子どもじみていて、現実離れしていて、くだらない、と思うこと勿れ
この作業があとあとどんなにこの子の数量感覚や読解力を強化していくか、先まで見ている私が言う言葉を少しだけ信じてください

みんなからもらったお金を入れ物に集めています

それから、右下に並べて、ノートの分を消して残りを見える化しているのですが…
おっとその前に…
見過ごせない描写を発見………

おじいちゃん!!
空を飛んでいます!!!

どうやら、後頭部が見えている小さな人が「だんごまるお」君らしいです
正面でポニーテールしてるのが「お母さん」で、左右が「お父さん」と「おばあちゃん」みたいです
それで、そこまで描いて、四方が埋まってしまって、「おじいちゃんの出る幕がない…」と気づいたこの子は、おじいちゃんを空中から登場させました
おじいちゃんは空中から20円をちゃりーーん

しばしこの絵に見入っていて、状況を理解した私が笑いをこらえながら添削をしていると、本人もこみ上げてきたようで、ふたりでくくくくく、と肩をふるわせていました
後ろに並んでいた高学年児も「じいちゃん飛んでるぜ」とくくくくく

本人達は意識していないんです
こんな風に、この問題ひとつで、いろんな脳を使っていることを

どんぐりを続けていると、どんな子に育つか?って?

考えることが当たり前の子が育ちます
勉強はもちろんですが、日々のこと、自分のこと、世の中のこと
いろんなことを、自分で考えるのが当たり前の子に育ちます

勉強ができるようになるか?
成績が上がるか?
それは、その子次第です

自分が伸びたいと思うなら伸びるでしょうし、
ゆっくりと伸びていく子もいます
大人の理想とは違うスピードの子もいるでしょう
でも、だからなんだっていうのでしょう

私の周囲には、どんぐりをやっていた中高生、大学生がいます
彼らは皆賢く、心豊かで優しい子達です
学校の成績はそれぞれですが、
私の知る限り、親御さん(両親揃っている場合も、そうでない場合もあります)がどんぐり理論をしっかりと理解し、または、理解しようと勉強し続けていて、まっすぐに子どもの育ちを見守り、その両腕で、大事な時期をぎゅっとしてきた、と私から見てもわかる御家庭の子は、周囲がびっくりするような学業成績を収めています
それが何よりいいというわけではありません
でも、
小学校まで宿題や家庭学習をせず、どんぐりを実践し、メディア接触もできるだけ家庭では避けて、進学塾にも通わず、大事な時期にぎゅっと「すべきことをし、すべきでないことをしない」という方針を家族で守ってきた結果、子どもたちは、知らないうちに考える人間に育っていて、自分の目標があればそれに向かって、それぞれの性格によりますが、「友達に負けたくない」と頑張る子もいれば「自分に厳しく」頑張る子もいる、自分が強化されていることに喜びを感じながら勉強する子もいる、その結果、「成果」が目に見えてくる
他の子と比べると努力の量が足りないんじゃないか、と親に思われているかもしれないなあ、というくらいのんびりした子もいますが、それでも、いつも前向きに、自分の好きなこと、自分にできることを探して、好奇心旺盛の目をしてる

私の周囲にいる現役どんぐりっこたちと、卒業生達、その成長を定点観察していると、子ども時代、知らず知らずに「考えることを楽しむ」経験を重ねた結果、こういう成長を遂げるんだな、ということが手に取るようにわかります

点数を取るだけでいいなら方法はあります
周囲と競争して成績を上げるためだけなら
○○高校に合格するためだけなら
いろんな方法があるでしょう

でも、どんぐりは、「どうせやるなら」、「勉強」というツールを使って、
「人生を楽しめる力」を備えながら子どもたちに成長してもらう
本人達は気づいていないけど、
どうやらヘンテコなことを親が聞きかじって「どんぐり」とやらを実践してるけど、
知らないうちに考える習慣が身についている

でもいつか子どもたちは気づくでしょう
自分に考える力が豊かに備わっていることを自覚したとき、
自分のルーツを思うでしょう
でも、気づかなくたっていいですよね
ああ、どんぐりやってたからなんだ、なんてね
親が守ってくれたんだ、なんてね
私たちは、子育てに見返りなんて求めていないはず
子どもが幸せに生きていってくれたらそれでいいはず

子どもたちひとりひとりの考えている横顔
私の目を見つめる輝く目
その向こうに、どんぐりを選んで実践しようとしている親御さんたちの姿が見えます

こんな風に工夫して、一生懸命考えて、楽しく考えている子どもたちを見ていると、
今の世の中、こんな子どもらしさを維持するだけでどれだけの努力と苦労をなさっているか、と
時には泣けてくるほどです

「どんぐりをさせたい」は「自然」か「不自然」か?
それは「勉強させたい」と同レベルでは?

いいえ、違います
先にも述べましたが、どんぐりは勉強以前の「習慣」です
何もかもが必要以上に便利になった現代、子どもたちが勝手気ままに自由に遊ぶ環境もなくなっている現代、放っておいても自然に考える力や生きる力が身につく時代では残念ながらありません
糸山先生は、そんな現代でも思考力を自然に育てる方法、そのきっかけとしてどんぐり問題を作りました
私はどんぐりに出会う前から教育業界にいましたし、子どもを授かる前から子どもの学力や思考力について考え続けていました
何か道具や教材がなければ教育はできない、などと思ったことはありませんが、昔なら放っておいても自然に獲得したいろいろなことが、現代ではほとんどできないんだ、と気づいたとき、どんぐり問題の必要性を強く感じ、また、それ以外の方法を思いつくような能力も持ち合わせていないので、迷いなく、どんぐり修行の道を選んで指導者となったのです

だから、私にとってどんぐりは「自然」です
そして、中高生になって自ら学ぶことが習慣化している卒業生を見ていると、
どんぐりをうまく「自然化」できた御家庭の力を感じます

どんな良薬でも、用法、用量を間違えたら毒にもなるのです

考えることが当たり前の子どもを、
いつの間にか自然と考えて楽しんじゃってる子どもを、
そして、自分に必要な時、必要なだけ前向きに努力できるような強く賢く優しい子どもを、
一緒に育てましょう

最後に映画紹介
これってどんぐり!?って思うような作品にばかり出会う運命を感じます

『きっと、うまくいく』
2009 インド