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ダンゴム市の人口問題
男女それぞれに分かれて、列を作って、「女が2000人多い」も図示してあります
その他は均等に分ければ、もう正解が見えてきます
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アリッサちゃんのクラス100人問題
こちらもまた、「20人多い」を図示して、全員で100人描いて残りを等分しています
正解は数えるだけでわかります
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イカ君タコ君CD飛ばし問題
最初はお菓子を20個ずつ持っていて、CD飛ばしの結果により、新たに7個もらえたり、2個返したりする複雑なルールですが、全て絵にして、しかも、絵を動かしているので最後の質問は数えるだけで正解できます
イカとタコはお寿司のようです
お寿司が好きなんだね
どんぐりは、
ただ全部描いて、描いたのを見て考えて、全部描けたら問題を読み直さなくても絵を見ればわかる状態になっていて、それで、最後の質問に答えるのですが、最初に何を描くか、っていうのが結構重要で
ダンゴムシや、人の顔や、イカやタコをなんだか表情をつけて描くのも、よく考える子の特徴です
ちゃんと描きなさい、人の顔もイカとタコの顔も描きなさい、なんて言ったことはなく、そう言われたらそのまま従順に描くのが子どもなのですが、そんなことをしても意味はないんです
100人かよ~とか
64100人なんてどうしたらいいんだよ~とか、
私に聞こえるように愚痴るところからスタートする子もいて、
そういう子はたいてい、そうネガティブに考えるところからスタートするのでなんとか工夫したり、自分なりの絵を描いたりせず、仕方なく、さっさと描いて終わりにしようとします
「全部絵にする」のがどんぐりのルールだけど、64100人の全てを絵にしなさい、という細かい指示はしません
実際、描いた子もいますが、工夫して省略する子もいます
それをどう描くかが本人の工夫、思考の課題になっています
はじめたばかりの子に多いのが、文を絵にする、というルールは理解しても、考える段階ではあっという間に学校の算数に戻ってしまうという状態です
描いた絵を数えるのではなく、すっかり切り離して新たに計算を書いたり、丸を描いたりして整理しようとします
絵から関連付けて整理するのであれば、そういう必要があることもあるのですが、「絵は描けって言われるから描いてるけど答えを出すためには必要としていない」というのがありありとしている、思考とかけ離れた絵を描くケースです
視考力というものがどういうものなのか、実は大人の方がわかっていない、というケースもなくもないです
漢字練習をすれば漢字が覚えられる、
計算ドリルをすれば算数ができるようになる、と思っている大人の方がとても多いことと、なんだか残念だけど一致してしまいます
どんぐり問題も、
ただ解けば思考力がつく、と思っている方もいると思います
問題集のようにただただ、最初から全部解かせたら、思考力が育つのだ、と
確かにそういう側面もあります
本当に絵を使って全問解いたなら、思考力は育つと思います
でも、漢字練習や計算ドリルと違うのは、
ネガティブな感情の状態で解き続けることが難しい、という点です
いやだな、やりたくないな、と思っても、
漢字練習はできます
計算ドリルも、例題に倣って同じようにパターンで解くだけならできます
でも、
どんぐり問題は、ネガティブな感情が勝ったとたんに本当に解けなくなってしまいます
現象としては、雑になるとか、全部描かなくなるとか、絵を描かずに適当なよく考えない計算だけで解いているとか、そういうことが起こるんですけど、ただの「雑」とネガティブな「雑」とではまた違ったりして、子どもの解いている様子を見ないとその区別はできないのですが、とにかく、いやだな、と思いながら解いても、進まないし、進化もしない、と言えます
じゃあ、どんぐり問題はとても進められないから別の方法で勉強させよう、とする場合、そのネガティブな感情はどうなるのか
子どもは従順で、素直です
こうしなさい、と言ったらするでしょう
どんぐりだって、こう解きなさい、と教えれば、そのように解くでしょう
以前、あまりにも子どもが解けなくて親御さんがイライラしてしまい、叱って泣かせた上に、最初から最後まで解き方を見せて教えてしまった、という告白を聞きました
宿題を泣かせてまでさせている、という告白を聞いたことはありますが、どんぐりでもそんなことが行われているのかと思ったら胸が苦しくなりました
どっちにしても、それは教育虐待ですし、なにより、子どもの思考力はそこまでで、それ以上健全に育てていくのは困難になります
何も指示せず、何も言わないのに待っているだけでこんな風に解いている子たちを見ていると、心があたたまります
大人から見ると、進化がゆっくりで、しびれを切らしそうになることもあるかもしれませんが、それはそれで、その子のスピードです
そのあたりは、子どもの個性があり、やはり、無理に牽引するのは教育虐待になってしまうのです
どうして手先の器用さとか、運動能力とかは秀でなくて、なんなら平均以下でも「個性だから」と苦笑してやり過ごせても、どんぐりを含め、「机上の勉強」になると静観できないのでしょう
それよりも、何が好きなんだろう、何を見ているんだろう、と子どもの視線を追いかける方が楽しいですよ
できないこと、苦手なことにばかり目が行きがちですが、こどもひとりひとりに、守りたい世界が、譲れない大切な世界が、あるはずなのです
それを容認できたとき、子どもは初めて、自分の世界に向かっていく準備を始めます
勉強が必要なら勉強もするでしょう
体を鍛える必要があるなら鍛えはじめるでしょう
そのために大事なのは、子どもの精神を安定させること、壊さないことではないでしょうか
今日は、
100人だろうと、64100人だろうと、愚痴ひとつ言わずせっせと描いて答えを出してしまう子の作品を紹介しました
紹介しきれないほど毎日見ますが、その代表として