2日もかかっちゃったよ~と100匹のテントウムシを描き上げてやれやれ
綺麗に色分けされたテントウムシが素敵で、記念撮影をしていたらピースサインで写り込んできました(笑)
よくがんばったね!


「ねえ、1本のひまわりに5輪の花ってさ…」
問題文を読んで質問してきた子は、じぶんなりに向日葵の「木」を書いてから、数えるための絵図を描いて正確に答えを導き出しました


かめきち君が宝箱を探す問題では、地図を描いて、宝が見つかった場所を赤丸で記録した図を描きました
なるほど、複雑な場所で見つかったんだね


ウメーゾ飴がもらえる複雑な仕組みを整理して描いてから、正確に積み上げていって、さも当然のように正解を導き出した子の作品では、この子の脳内の経路を見ているかのようでこちらもスッキリします


さっきまでゲームでギャーギャー騒いでいたとは思えないくらい、どんぐりタイムになると私も咳払いさえ気を遣うほど静まりかえる小さな小屋のなか

静かにしなさい、と言う必要もなければ、もう遊ぶのはやめなさい、と注意する必要もありません
なんとなく気分が乗っていないんだな、という子はいつまでも遊び道具を触っていたり、本を読んでいたりすることもあるけど、特に制止はしません
そんな日もあるけど、そのままにしておくと、ずっとそのままでいる子はいません
どんぐりをしに来たんだから、と覚悟を決めているように見える子どもたちです
あと2倍はほしいどんぐり学舎の授業時間ですが、今のところ、人数の関係で入れ替え制にしていて、長い時間とってあげられず、もどかしい状態です
コロナの影響もあり、通信生は増えているけど実教室への入会希望者はそんなに増えていないので、そろそろ1日1コマの長時間の枠に戻そうかと思っているところです
いっぺんに大人数が入れないので、どうしても時間を短くして入れ替え制にせざるを得ないのです
本当なら最初みんなで散歩にでも行って、それから手を洗って教室に入って、どんぐりをのんびり1問解いて…なんてゆったりと過ごしたいところ
先週、ビニール袋でパラシュートを作ってひとしきり外で飛ばしてから慌ててどんぐりタイムに移ったクラスは、いつもよりどんぐりに使える時間が少なくなってしまったのに、いつもよりずっとずっと、楽しげに、丁寧に、そして、なんだか要領を得た素敵な作品を描いていたんです

子どもは、大人から見ると無計画で適当に見えますが、
実は大人よりずっと「時間」や「自然」とうまくつきあえるんだな、と子どもとばかり一緒に過ごしている私は思います
大人の指図ばかり受けて、子どもらしさを失っている子ほど、大人と同じように、「時間」や「自然」とうまく付き合えていない気がします

いつのころからか、小学生までの子どもたちも中高生の受験生と同じように、短い時間で、速く正確に間違えないように無駄なく問題を解くことがよしとされるようになりました
学校の授業と塾の授業との差がなくなり、高校は今や進学予備校のような授業をしています
子どもたちが社会に出る前に、いろいろな経験をし、子どもならではの自由で無謀で豊かな経験をし、大人の指図を受けない世界で十分に失敗もやり直しも経験するために学校生活があるんだ、と私は思っているのですが、どうやらそんなことは期待できません

以前なら中高生にだけ感じる困難でしたが、最近では小学生にも感じます

ところが正反対の意見として、こんな風に子どもたちを机にかじりつかせることをよしとしない考え方もあります
私が最初の子どもを授かった頃も流行していましたが、自然育児、と言われているような傾向です
私も自然育児の考え方が好きで、実際に実践してきたこともたくさんあります

でも、親が一緒に暮らしている間に、親として示すべき手本や、教えるべきことは太古の昔から変わっていないはずです
子どもは自然のままでいい、ありのままでいい、どろんこの足で部屋に上がってもいいし、やりたくないことはやらなくてもいい、好きなことだけしていればいい
あまりにも子どもを取り巻く環境が窮屈になったせいで、その「子どもの自由」が、のちのち、子どもを苦しめることになってしまうような勘違いの方向に進んでいると感じることも少なくありません

それは、ここ数年、社会人になったばかりの若者と接する機会が多い方々に聞いてみると思い当たることがあると思います

なんとなく気分がのらないから避ける、ということが最初から許されすぎた人は、我慢ができないまま大人になります
好きなことだけしていればいい、と許されすぎた子どもが、時には好きじゃないことも歯を食いしばって頑張らなきゃならないこともあるんだよ、とどこで理解するのでしょう

子どもの人権、子どもの自由、というとても大切なことが、
子どもの前から大人としての手本を奪い、
他者と生きていく上での礼儀や、妥協、譲り合いの気持ちや思いやりを奪っている、と感じることがよくあるのです

それでも、私の目の前では子どもたちは、指図されているわけでもないのに自分で考えて行動しています
さっきまで大暴れして大騒ぎしていたのに、誰からともなく座ってどんぐり問題をはじめます
全員がそれぞれ自分の問題を解くから、他の子のノートが気になる様子も一切ありません
その日のうちに仕上がらなくても、「続きは家でやってくるね」「続きは来週するね」と自分で言いに来ます
私は座って、彼らがノートを持ってくるのを待っているだけですが、嬉しそうに、誇らしげに、または気まずそうに…どんな顔をして持ってきても、どんぐりタイムを一緒に過ごしている喜びを、分かちあうことを大切にしています

こんな表情を見せてくれるのも、今だけ、今だけ、と思うとわくわくしてしまいます

どんぐり問題をする意義や、どんぐり倶楽部の理論が理解できない、という大人の方もいます
そういう質問が来ると、私はちっとも困らず、伝えるのです

子どもたちに必要なのは、どんぐり問題ではありません
どんぐり問題を解く、どんぐりタイムと同等の経験が日常的にできて、どんぐり倶楽部の理論と同等の経験が日常的にできていれば、どんぐり問題をしなくても、どんぐりライフを実践しなくてもいいんですよ、と

曖昧がいい、自由でいい、とほんわかしつつも、白黒はっきりさせないと許せない人種
いつも振り回されている子どもたち
あれだけ幼少期に自然育児で自由奔放に育てられても、いざ学校が始まってみると、いざ、学業成績が突きつけられ、受験が目の前に迫ると、そうはいっていられない、あなたどうする気なの?と突然目をつりあげる
逆に、小さい頃から管理教育で手取足取り先取りさせておいて、中高生になったら自主的に勉強しなさい、と突き放す
それは不可能なので、高いお金を払って親の代わりに手取足取り先取りしてくれる塾に依存する

昔は親たちにももっと、身近な子育ての手本が当たり前に見えて、こんなに迷わされ、困ることもなかったのです
今は、子育ての悩みや家族関係の悩み、反抗期の悩みなんかを井戸端会議で愚痴り合う習慣もなく、それぞれの家庭で抱え込んでいる
長くどんぐりを実践していると、どんぐりを知らずに懸命に子育てして苦しんでいる親御さんたちのそもそもの発想や考え方に、驚かされることが多いのですが、いくら時代が変わっても、子どもたちが子ども時代に経験すべきことや、経験すべき分量はそう変わってはいないのです
それを、どんぐりはずっと伝えているし、私はずっと、伝えています

そんなに難しいことじゃないんです
そんなに大それたことでもないんです
私の教室で、子どもたちを見てくれたら、それは体感できると思います
子どもたちは元々、こんな感じですよ、ってお見せできると思います

驚くべきはこの小学部を経て中学部の独学支援室で勉強している中学生達で
私は、毎週自作教材で日本語と英語の彼らの表現力を発揮してもらっているのですが、
まだ使える英単語や英文法が限られている1年生も一生懸命英文を書くし、3年生は知る限りの英語を使ってスペースいっぱいに英文を書き、私は1週間かけて、それを添削して返却するのです
見たこともない斬新な(笑)英語表現を生徒たちは駆使するわけですが、これでも通じるかもしれない、とたくさんの文献を開き、ネットを駆使し、または、高校入試までだったらこれを伝えるためにこの表現で代用したら楽かもしれない、と1人1人の作品を添削して返却するのです
国語の表現も同じで、私の提案したテーマで思い切り書いてくるのです
漢字を間違えたり、まとまらない文章だったりしても、一生懸命スペースいっぱいに綴ります

彼らに共通して見えるのは「間違いを恐れていない」ということです
学校ではわかりません
少なくとも、この教室では何も恐れず書いているんだな、とわかります

こんな中学生に、みんななってくれたらいいな、と思いながら、私は毎日、夕方は小学生、夜は中学生と一緒に過ごしているのです

塾なんて要らない、
小学生が机に向かうなんて
中学生が夜まで塾で勉強するなんて
と、いう意見もわかります
でも、私が30年近く続けているこの仕事は、子どもを解放する仕事です
大人の指示に従って小さくまとまる従順な子どもを管理するのではなく、
子どもが自分の言葉で、自分の表現で、自分の行動で生きていけるようになるための方法を、
いろんな科目を通して伝えているだけなんです

これも私自身がどんぐり思考だからなんだろうな、と思います
子どもたちもどんぐり思考です
目の前のミッションは大変でも、
みんななんとか乗り越えています
中学生は部活やテストに追われて必死です
高校生も将来を切り拓くために必死です
でも、どこか軽快です

先日、
大学受験を控えた卒業生からの手紙に書いてありました
部活を引退したという報告の手紙でしたが、受験に向けて、やってみたいこと、試してみたいことがたくさんある、それを考えるとわくわくする、中学生の頃、高校受験をDKR(私の教室の中学部)で乗り越えたように、思い切り楽しみます、と

人生を楽しむ力
子どもたちがその力をつかみかけているかどうか、
私はいつも、卒業生に会うと探っています
それさえあれば、きっと、大丈夫だから
ずっと、人生を貫けるから

どんぐり思考は、壮大です
大人の方にもぜひ、体験してほしい、どんぐり思考の世界なんです