教えて、といわれてひとに教えるのが子どもの頃から好きでした
子どもの頃は頼まれてもいないのに教えたがる厄介なヤツだったかもしれません
でも、
相手が「わかった!」と私の説明で理解してくれる喜びを、結構早いうちから経験していた気がします
説明するのが好きだったし、比較的、得意だったかもしれません

だから、学生時代のバイト先でも、すぐに指導係みたいなのをやらさせました
たとえばレジなどの端末を操作すること、それを、新人のバイトの子に説明する係です
その頃、
同じように教えても、飲み込みの早い人もいれば、何度教えても全然覚えないし、わからないままの人もいるんだな、と体感しました

数年後、私は進学塾に就職しましたが、そこでも、同じ中学3年生にも数百人がいて、私の配属先の大きな教室には中3だけで成績順に4クラスあって、最上位クラスと、最下位クラスでは、同じ学年なのか、疑わしいほどの知識レベルや理解度の差があって驚きました

自分が小中学生の頃も、同じ授業を受けていても、全然理解していない、ものすごく簡単なテストでも0点に近いような点数を取るクラスメイトがいて、先生に教えてもらっていたり、注意されていたりした記憶が蘇りました
あれはなんだったのだろう、とその頃からよく思い出して考えて、また、目の前のいろいろなレベルの生徒たちを見て考えていました

たとえば最上位クラスでは、教えなくても自分でどんどん勉強を進めるので、新人塾講師がたじろぐほどの質問が次々と出てきます
この子達に塾は必要なんだろうか…と思ったことも何度もありました
一方、最下位クラスでは、自分の名前の漢字も正確に書けず、数学の計算問題をノートに書き写して解かせようとすると、問題そのものを正確に書き写すまでもが一苦労、という生徒が何人もいました

この違いはなんなんだろう
その頃はずっと考えて、「きっとわかるようになりたいだろう」と、そもそも進学塾に通っている時点でその点は間違いない、と信じて試行錯誤していました
でも、
今考えると、最上位クラスの子は確かに塾なんか要らないくらい学習面では自立している子が多かったし、最下位クラスは、自分から塾に入ろうとした子なんてほとんどいなかったんだろうと思います
もちろん、最上位クラスの子の多くも、親に言われて通っている子が大半だったとは思いますが

それから何十年も、同じ仕事を続けてきて、確信していることがあります
でも、それを言葉にするのはとても難しいです
それぞれの御家庭、親御さんの思いや、願いを受けとめた上で伝えるべきことだと思うからです

だから、これから私が書くことを、誤解されても仕方がないかも、と少し思いながらも、文字通り、誤解を恐れずに、書いてみようと思います

私は、
勉強ができない、…覚えられない、理解できない、間違えてしまう…などなど
そういうことそのものの問題よりも、
「あなたはできない」と植えつけられ、「自分はできないからダメなんだ」と思いながら育つことの弊害の方がずっと大きいと思っています
だから、できるように教えてあげればいいじゃない、と思うかもしれません
でも、教える、ということは、
相手が「わからない」「できない」からすることであって、
そこは慎重に取りかからないと、大前提として「あなたはできない(から教えます)」と、念押しすることになりかねないのです
教師や塾講師ならともかく、
親御さんがそれをしてしまうことの弊害は特に大きいと思っています

じゃあ、どうしたらいいのか
どうしたら「できるように」「わかるように」なるのか
それは、
「できない」「わからない」人(子ども)自身が、自ら、
「できるようになりたい」「わかるようになりたい」と願うことが起点である、ということ
それを、相談できる人が身近にいる、ということ
親じゃなくて先生的な人でよくない?って思うかもしれませんが、
後々の長い人生を考えると、やっぱり親に「困った」と言えることが一番なのです
親は、子どもに「困った。わかるようになりたい」と言われた時点で、一緒に対策を練ればいいのです
具体的に教えることでうまくいく例もありますが、私の知る限り、あまり多くありません
(よほどの親御さんじゃないと難しいと思います)
そのことをまず知っていていただきたいのです

そして、
冒頭の、バイト先や進学塾での話に戻ると、
やっぱり、物覚えや、理解の度合いには個人差がある、という紛れもない事実があります

仕事柄、テストの点数が取れない生徒に意思確認をして、本人の希望で、「できるようになる」ために指導することは多々あります
これまで何十年も、そういうことをたくさんの生徒にしてきました
少し教えただけで理解し、あとは自分でどんどん鍛錬を重ねて伸びていく子もいれば、何度も何度も同じことをあの手この手で教えても、一向に伸びない子もいます
同じ問題を解くのに、一番速い子の10倍以上の時間がかかる子もいます
数学の基礎や英文法など、3時間かけてメカニズムを教え、すっかり理解して満面の笑顔で帰宅した翌週、
最初から全部まるごと忘れてしまって、また解けなくなっていた、ということも何度もあります
こうなったら丸暗記戦法だ!と付け焼き刃のテスト対策をして、一時的に満足させてみようと試みることもありますが、それがその後につながっていく子もいれば、それで味を占めて次回からも付け焼き刃で乗り切ろうとし、いつまでたっても伸びない子もいます

単純比較では、
たとえば私と一緒に勉強したことで理解が深まった場合、それを家に帰ってもひとりで鍛錬した場合は定着する度合いが高いですし、私と一緒に勉強しただけで満足し、ひとりで鍛錬しなかった場合は定着しないのですが、それも個人差なんだと私は思います

だって、
自分から願っていない、願っているのかもしれないけど、行動に移せない
それは、その子にとってタイミングが今じゃないから
今じゃないのに、押しつけたらどうなるのか
それが私のような立場の者(他人)なら、「うるさいなあ」だけで済むかもしれないけど、
親御さんだったら、
生活を共にしている家族だから、勉強面だけじゃなく、すべてに反映してしまうのです
親御さんとしては、
ただ勉強面でなんとかしよう、と思っているだけに過ぎないのに、
子ども側からしたら、人格否定されているかのように誤解されがちなのです
勉強ができない、だから、あなたを認められません!って言われてしまっているかのような

そんなつもりは全然ないのにね…
学校の先生や、学校や塾の成績表を見て、困ったな、って思っているだけなのにね…
子どもが困っているだろう、だからなんとかしてあげなくちゃ、って
思っているだけ、子どもを大切に思うからこそ、なのにね…

そこから先の具体的な対策は、個人的な相談になります
子どもの状態を見ないとなんとも言えません

進学塾の生徒たちの格差の問題では、
正直、覚えられない、理解できないのが生まれ持った特性なのではないか、と感じられる子もいれば、
ただサボってるだけで、やりたくないだけ、だから点数は取れないってだけなんだな、っていう子もいました
でも、その数年後に少しずつ言語化され、実際に目の当たりにしてきた、発達デコボコグレーゾーンの子達との出会いから、サボっているわけじゃないのに、そう誤解されてしまう子もたくさんいることがわかりました
そういう子達が学校でもレッテルを貼られ、親御さんたちも「努力不足なのでは」「教えればできるようになるのでは」と、一生懸命になりすぎてしまっていて、当の本人はすっかり自信をなくしてしまっている、というような成長をしていたりするのです

だから、個々の子によって対処法はそれぞれです
それはとてもデリケートな課題で、マニュアル通りにはいきません
ただ、
それはプロとして、私たちに課された課題です
親御さんたちには絶対にしてはいけないことと、
絶対にすべきことがあると私は思っています

それは、
「あなたはできないから認めない」なんて誤解を子どもにさせないことです
学校や塾や、何の責任もない親族がなんと言おうと、
親だけはそんな人たちとは全然違う、っていうことを、
心から信じてもらうことです
そのためには、
勉強を教えている場合じゃないと思います
勉強を教える、ということは、「あなたはできない(から教える)」と念押しすることになります
子どもが、質問してきたらさっと方法を教えるくらいならともかく、
求められてもいないのに、教え込むことは誤解の元です

なんで親だけはしちゃいけないのか、っていうと、
子どもが、世界で一番大好きなひとだからです
世界で一番大好きなひとに、「認めない」って思われていると勘違いして育ったら、
その先、きっと、人を信じること、愛することが難しくなっていきます
人を信じ、愛することができない人は、
人に信じられ、愛されることも難しいかもしれません

そうなると、
その人は孤立していきます
私は、どんな病気よりも、どんな環境よりも情勢よりも、
最も恐ろしい人間の状態は「孤立」だと思っています
孤独、とは違います
誰にも関心を持たれず、誰にも愛されない、「孤立」です

親だって世界でいちばん大切な我が子を、
孤立する人間に育てようなんて思うはずはありません
でも、知らないうちに、
子どもの自分への愛情を軽視してしまうかのような行動をとってしまい、
いつの間にか、子どもをそんな風に育ててしまっているかもしれません

たかが勉強を教えることくらいで、
そんな大げさな

そう、なんともない、なんてことなく通過する場合もあります
でも、
私の経験上、それらの問題は子どもが大きくなってから浮上してきたりするのです

生きていくのが苦しい人間に、そんな人間に育てたい親などいないはずです

あーあ、もっと単純な話だったんだけど、
重い話になってしまいました

一番大事なことは勉強ができる、できない、じゃなくて、
その大前提として、超安心できる信頼関係が構築されているかどうかということ
私のような立場ですら、そのことは私と生徒さんとの間の絶対的な条件です
何にもない状態から始める私と違って、
生まれた時から相思相愛の親子なんだから、
みすみすそれを壊すことはないんです
どうか、大切になさってください
応援しています