先日、「リモートはじめてどんぐり」で私と一緒にどんぐり問題を解いた、年長さんの作品です
0MX00
こうえんに かたつむりさんたちが あつまっています。きょうは、みんなで おちばを あつめるそうです。ひとり 2まいずつの おちばを あつめると みんなで なんまいのおちばを あつめることが できるでしょうか。かたつむりさんは みんなで 4にん いますよ。

どんぐりとは最近出会った保護者さんで、お子さんとは少しだけ実践してみたものの、あまりお子さんが喜んで解かないし絵も描かないこともあったようで、リモートで1度どんぐりタイムを、ということで実践しました

もうすぐ1年生、とはいえ、まだ年長さんです
初対面の大人に対する抵抗はもちろんですが、なにせ、画面からコンニチハ~をしないとなりません
私は精一杯の挨拶をして、初めて出会うA君とどんぐりタイムを始めました

目を丸くして画面の中の私を見ていたA君でしたが、一生懸命会話を続けてくれて、大好きなラジコンカーを見せてくれたりして、しまいにはお喋りが止まらなくなるほどでしたが、クロッキー帳を開き、お母様がカメラを手元にセットしてくれると、ふざけながらも、覚悟して鉛筆を手に持ってくれました

「こうえんに」まで読んでから、私はひとり言を言います
私「公園かあ…さっき公園の前を通ってきたなあ…何があったかなあ…うーん…」

この導入は、どんぐり倶楽部代表の糸山れい先生のラジオでのどんぐり実践でもやっていたのですが、私も、子どもがじっと止まって何をしたらいいかわからない…という状態の場合、使うことがある方法です
ひとり言を言いながら、自分の絵を描くのです
教室では同じ問題を一緒に解くことはできないので、お互いが見えない通信ならではの実践方法です
あくまでも「ひとりごと」で、「どうやって描こうかなあ…」と言いながら、下手に大きく描いていきます

私のひとり言を聞いて、A君が早速反応しました
絵を描くのか~まだお喋りしていたいな~と体をくねらせ、まだまだ~という顔をしていたのに、急にきりっとして、
A君「えっとね、滑り台とかね、ブランコとかね…」
すかさず私は声をかけます
私「じゃあ、知っている公園描いてみようか」

できるだけ、問題文以外の言葉は発しないのがどんぐり式です
でも、どんぐり問題とはなんぞや、というほぼ初めての体験です
手の届くところで生徒さんを見ている訳ではないので、息づかいなどがわかりません
教室ではわりとほったらかしていますが、他の慣れている生徒がじこじこ描き始めるので「ああ、そういうもんか」と一緒に描き始める効果が期待できます
それがない分、少し、余計な声かけをしている自覚があるオンラインレッスンですが、子どもの反応を見ながら続けます

A君は自分のよく知っている公園の絵を描き始めたようでした
描きながら説明をしてくれます
海賊船があって、ここから登って、ここから滑り台で下りるんだ、と
私も自分の絵を描きながらA君の説明に軽く相づちを打ちます
ちょっと調子づいて「えー、そんなところはサトちゃんは登れないかもしれないなあ」と言うと、A君は絵を描く手を止めずに「じゃあ、お父さんがぼくをおんぶして、ぼくがおかあさんを持ち上げて、おかあさんがサトちゃんをもちあげれば登れるよ」
言葉を一生懸命つないで、空想の世界の話をしながら絵を描き続けます

「きょうはみんなで おちばをあつめるそうです」
「ひとり2まいずつの おちばをあつめるとすると…」
の辺りまで読むと、綺麗な虹色のカタツムリの上に葉っぱらしきものを2枚描きました
「これね、目で落ち葉を持ってるの。」とA君は説明してくれました
思わず吹き出して反応してしまいました
A君が精一杯工夫して、しかも、面白おかしく描いたのが伝わってきたからです

ここまでで、「みんなで」って言っているけど、カタツムリは1匹しか描いていないのかなあ、と少し私は思っていました

さて、この問題は何度も「文がおかしい」と大人から苦情が出ている問題作です(笑)
そう、「みんなで2枚ずつの落ち葉を集める」のに、「みんな」が何匹なのか最後まで読まないとわからないからです
こんなの算数の問題としておかしい、と何度も苦情を受けました
糸山先生にお尋ねしたこともあります(むかーしむかし)
でも、糸山先生はそんな苦情は想定内
わざとそういう問題文にしているのです

長年の経験で、私にもわかります
この問題は、どれだけたくさんのカタツムリを描いたとしても、最後に何匹のカタツムリかわかった時点で、その、たくさん描いたカタツムリをどうするのか、子どもの対処を観察できる絶好の問題だということが

カタツムリが1匹なのは気になりましたが、私は最後の文を読みました
すると、A君は「はち!」と即答したのです
ああ、そうなのね、頭の中にはカタツムリが複数いて、それで、2枚ずつの落ち葉を持っていることも理解していて、だから、私が「かたつむりさんは 4人いますよ」と言った時点でぱぱぱっとわかってしまったんですね

「あら、そう、じゃあ、あたまの中で考えたことを絵で描いてみてよ」と、一応言ってみました
これは、小学生になら通じるかもしれませんが、年長さんでは無理かなあ、と少し思いながら言ってみました
やはり、「ううん、もうわかったから、描かない」とA君は言いました
「あら、そう、でも、サトちゃんは描こうっと…」私はひとりごとを再開しました
「どんなカタツムリさんがいるんだろうな…」「ひとり2まいずつかあ…」
しばらくすると、A君は
「もう、描く場所がないから描けない」と言い出しました
反対側のページが空いていたので、そこに描けば、と言いましたが、同じページ内に描きたいようです
それでもまあ、描く気になったのね、と思って待っていると、
「いいや、小さく描いちゃおう」とA君はひとり言をいい、手前に描いた鉄棒の近くに残り3匹のカタツムリを描き上げました
その間、じっと黙って、かなり集中している様子でした
ここまで時間がたつと、「ひとり2枚ずつ」が抜け落ちるかもしれないな、と少し想像していました
でも、できあがった作品は上のようなものでした
前の2匹は落ち葉を口にくわえていて、一番最後のかたつむりは、背中に2本立てているのだそうです
さっき即答した「8」が本当である、ということを確認させるため、描き上げた絵の中の落ち葉を指さしてもらいながら、一緒に1から8まで数えておしまい、となりました

レッスンが終わって、お母様から届いた感想です

いつもはなかなかお絵描きをしてくれないので
今日これだけ絵が描けたことに驚きました!
そして、何とも楽しい雰囲気でやるんだなということが
今日初めて理解できた気がします
いままで(自分がやってきた)お勉強とはまったく違う姿勢なので、
「勉強はこういうもの」という思い込みからの脱却と
工夫が必要なのだなとつくづく思います。

リモート初めてどんぐりは、こんな風に実践しています
あとは継続しておうちで親子どんぐりを進めてもらいます
いつでもリモートはつなげます
困った時は再登場のサトちゃんです

さて、この直後、私は実教室の授業に入りました
この日、改めて、実教室の子どもたちの作品を…描きながら私にいろいろ伝えてくる様子なんかも見ていたら、その前にリモートレッスンで出会ったA君のことを何度も思い出しました

ある子は、りんこの旅をこんな風に描いていました


とてもとても遠く、孤独なりんこちゃんの旅
とうとう泣き出すりんこちゃん
なみだみずが段々とたまって池になっていく様子、
8歩で渡っている様子、
「なみだ3個で2歩分の池」という謎の計測
それでも、しっかりと、最後には答えが出ていました

そして、こちらはお花見の絵から

魚を釣って串に刺して焼いているグループ

なぜか桜に向かってやまびこをこだまさせている人と寝てる人

そして酒を酌み交わす人々(笑)

それから、
超長うまか棒と、超長まずか棒を半分ずつ食べる人々

この子はこのあと、正解にたどり着いていないんです
正解しないと悔しくて…態度に出てしまうこともある子なのですが、
この日は、これだけ豊かな絵を描いて「3倍の絵」までは完璧に描けていたので、私は「もうじゅうぶん」と本気で思っていました
「やっぱちがうのーーー!!??」と悔しそうなその子を見ないふりをして、私はこの作品をくまなく見ていました
「やだ、何やってるの、この人達…」ひとりごとを言いました
悔しそうに不機嫌そうにしていたその子は段々と近づいてきて、「うふふふふ」と説明をはじめました
とにかく、ここまでよく描いたよ、という気持ちは絶対に伝えたくて、絵の説明をひとしきり聞いてから、「今日はここまででじゅうぶんだよ。またあとでにしよう。よく描けたね」と言ってノートを閉じました
なぜかノートを閉じると同時に、悔しさや不機嫌はどこかに吹き飛んだみたいな顔をして、翌日の楽しみなことなど話してくれながら帰っていきました
もしかして、この日の原動力は「翌日の楽しみなこと」だったのかな、って私は少し思いました

以前、6年間どんぐりを実践した小学生が言っていました
「どんぐりって、学校の勉強と全然関係ないと思ってた。ただ絵を描いて解くなんて、遊びみたいなもんでしょ、って。だからここに来るのも、お絵かきの遊びをしに来てるんだ、って思ってた。でも、宿題はやらないし、他の塾にも行けないから、大丈夫なのかな、って思って。でも、6年生になって気づいたんだ。あれ?こんなに簡単なのに、みんな難しいって言ってる。なんで?って。こんなの、自分で考えたらわかるのに、みんな、なんでわからない、わからない、って言って、先生に説明してもらってるの?って思った。それで、わかったんだ。どんぐりのせいだ、って!」

以下、私が最近書いたメールの一部です
どんぐりに出会って、習い事を切り替えようかと悩んでいる親御さん宛です
最近、たてつづけに、他の学習系の習い事からの移行を検討なさっている保護者の方からの問い合わせが相次いだのと、他の習い事をさせながら、どんぐりを試しにさせてみたら、拒絶された、というお悩み相談が相次いだので

どんぐり問題を嫌がるのは、エネルギー不足が原因なんです
お子さんがエネルギーを他で浪費しているか、
お子さんの持つエネルギー量そのものがまだ少ないか、いずれかです
 
子どもは、「自然」そのものです
楽しいことしかしたくないし、全身で自分の周囲の刺激を受けとめています
だから、
大切な時期、一番敏感な時期に、子どもの環境を整えるのが身近な大人の役割で、その環境次第では、子どもがエネルギーを浪費したり、また、エネルギー量が蓄えられない状態になってしまったりすることもあります
具体的には、たとえばテレビや動画視聴などで「受け身」の刺激が多い場合、その情報処理でエネルギーを使い果たすので、自ら創作する、想像する、思考する、というエネルギーが残りません
また、習い事などで誰かに命じられたミッションをうまいことこなすことで評価されるようなシステムに乗っている場合、命じられるまで待つ「受け身」に慣れるのと、自分の頭で自由に考えることを許されない状態を諦めたり、また、反発したりしてエネルギーを使い果たします
 
Bさんはお母様として、子どものためによかれと思い、小学校入学前からさまざまな勉強法を模索して、実践してこられたのですよね
それでもどんぐりを知って衝撃を受けた事柄の中には、どんぐりが、小学校入学前には何も勉強をさせない、という理論であることもひとつあったと思います
 
2歳~5歳のゴールデンエイジに、文字や数字を覚えさせたり、受け身の刺激が多かったりすると、小学校、中学校での勉強に苦労する子が多いです
そのくらいの年齢の子には、文字や数字を覚えることよりも大切なことが山ほどあるので、そんなことを脳にさせている場合ではないのです
たとえば、
「美しい鳥」という文字を覚えられたとしても、本物の鳥を見て「きれいだ!」「美しい!」と感じる心が育っていなければ何の意味もありません
「2+3=5」という式が書けて、計算ができたとしても、目の前に大量にある松ぼっくりをみんなで分けるとか、必要に応じて配分する、というときにアイディアが出なければ、数学的感覚は育っていないことになります
そんな感覚的なことが勉強に関係あるの?と思いますよね
でも、あるんです
おおありです
 
私は群馬県の高校入試を専門として30年塾講師として働き続けてきました
たくさんの子どもたちやその保護者さんたちと出会ってきて、上記のようなことは体感して確信してきました

未就学児には「教わる」ことではなく、「感じる」ことを大切にしてほしいです
ルールの決まった遊びや、ドリルではなく、何にもない環境で自ら楽しいことを見つけ、作り出すような経験をできるだけ多くさせてほしいです
 
そういう経験が豊富で、言語感覚と数量感覚を体で得た子たちは小学生になっても、中高生になっても、自分の体感で勉強をスムースに進めていきます
知識や教えられたこと、受け身でスタートした子は、いつまでも受け身で、何をするにも負担に感じ、嫌気が差し、勉強することもどんどん苦痛になっていきます
 
勉強だけが全てじゃないし、勉強のできるできないが人生の全てを左右するわけではありません
でも、小学生以降、日々の生活の多くを「勉強」に関することが占めていきます
特に中学生になれば、いちいち点数や成績や順位がつけられ、勉強に関するやる気や習熟度を測定されてしまいます
そのとき、勉強そのものを自然に楽しめる子と、苦痛に感じている子とでは、生活の楽しみ方に差が出るのは当然です
できるできない、点数がとれるとれないは後からついてくる話で、まずは「嫌いにならないこと」が何より重要なのに、なぜか、多くの大人は、「早く、たくさん練習させておけばいい」と思い込んでいます
好きなことならやらされなくても自分からするでしょうけれど、嫌いなことに関してそんなことを強いられたら…大人だって想像したら嫌気が差しますよね

まだまだ、人生始まったばかりのお子さんですが、これまでに受けた教育法の中で、エネルギーの使い方を限定されている可能性はあります(どんぐりを嫌がるところなどから)
でも、まだまだ、十分間に合います
全てを1度リセットする必要があるかもしれませんが、まだまだ、これから小学生になるのだから、ゆっくり、のんびり進めていくことができると思いますよ
 
絵を描かなくちゃならないから、どんぐりって向き不向きがあるよね、って言っている人がいますが、それは間違いである、と糸山先生が検証済みです
目が見える人なら誰でも、視覚イメージに頼って生活をしています
「家の前の道路をトラックが走っていった」という文を見て、頭に何が浮かぶか?ということです
「道路」「トラック」という文字しか浮かばない人はいません
なんらかの映像が目に浮かぶはずです
 
英語で「わかりました」という時、「I see.」と言います
seeとは、自然に目に入る、目にする、という意味です
私たちは「わかる」と思う時、必ず脳内に画像を思い浮かべています
わかる、とは、「視覚イメージを再現する」ということで、
考える、とは、「その視覚イメージを操作する」ということなんです
 
だから、絵が描けない、というのは、当たり前に毎日目にしていること、自分の脳内に必ずあるものを、再現できない、というだけのことです
 
ただ再現すればいいだけなのに、その必要がない生活をしていると「できない」と思い込んでいる子もいます
 
あらかじめ枠が決まっていて、何を書けばいいか正解が決まっているワークシートなら描けても、まっさらな白い紙に自分が最初から描くなんて「できない」とね
 
最近の入試の傾向が、どんどん、そういう力を必要とするものになってきています
私たちは何十年も前から「思考力」と言っているのに、最近「思考力」ブームです(笑)
仕事柄、入試問題を解いていると、ただ暗記して答える、ただ計算して答える問題などほとんどなくなっているのが近年の傾向だとわかります
それなのに、まだ学校では漢字練習や単純な計算練習を一生懸命子どもたちにさせていて、何を考えてるんだろうなあ、(特に群馬は遅れているなあ…)って思います
私の子どもたちは先生ときちんと交渉した上で、小学校時代、宿題はさせませんでした
でも、漢字は書けるし、中学、高校生になっても数学も得意でした
英語は一切先取りをせず、中1の学校の授業で始めて勉強を始めましたが、やはり、英語の成績で困ったことはありません(どんぐりでは独自の英語学習法もあるのです)
ちなみに、小学校入学まで文字と数字もできるだけ読ませず、書かせませんでした
 

環境を見直さず、放っておけばなるようになるだろう、では健全な心身、脳の状態に育たなくなってしまう現在です
どんぐりを実践するかどうかはともかく、子どもってものがどうやって思考力を獲得していくのか、どうやったら自律した中学生になるのか、知っておくだけでも違うと思います

私は、ただただ、目の前でどんぐりを解く子どもたちを、糸山先生の理論の全てを子どもたちが証明してくれるのを目の当たりにしてきました

子どもたちのおかげで、私は確信を持てているのです