先日、
通信で見ている生徒さんから「えっ、計算していいの?筆算なんかしちゃいけないんだと思ってた」と言われて驚きました
上の作品は実教室の生徒のものです
とても意味のある計算を絵に添えているのがわかると思います

おうちどんぐりでは保護者さんが添削者であることがほとんどです
保護者さんは添削のルールをよく勉強していて、ご存じかとは思うのですが、ときどき、通信生の保護者さんたちと話すと、あれ?って思うことがあるんです

それは無理もありません
基本的にどんぐりの添削者のルールは決まっていて、それは、守らなくちゃいけない、守るためのルールというより、目の前の子どもの思考力の成長を妨げないための最低限度のルールなんです
何が違うんだ、と言われそうですが、なんというか、ルールに縛られて、目の前の子どもをあまり見ていないケースや、ご自分がルールを厳守することに必死で、子どもの特性や成長を見逃しているケースがあるのです
そして、極端に残念な場合、その呪縛のせいで、どんぐりタイムそのもの、子どもにとってのどんぐり自体が、重く、厳しいものになってしまっているケースも少なくないようです

たとえば実教室で数え切れないほどの子どもたちの作品を長年見てきた私からすると、糸山先生が示してくださったルールはもちろん絶対です
それに加えて、個々の子どもたちの特性や成長に応じて対応を変えているのも事実です

それは我が子しか添削していない保護者さんたちに体感してもらうのは難しく、だから、こうして色んな方法でお伝えして、子どもたちの作品や私の感想を公表して「なるほど」と思ってほしくて頑張っているのですが、なかなか実際、我が子とのどんぐりタイムになると応用が利かない…どうしたらいいかわからない…ということになってしまうのも無理はないのかもしれません

それでも、子どもの思考力の健全な成長のため、どんぐりそのものを、考えることそのものを、嫌いにさせてしまったら意味がないのです
だから、
やっぱり添削者の努力が物を言うのです

ちなみに、「ひっさんしてはいけない」なんていうルールはありません
私の教室では3年生までは数式を封印してもらっていて、4年生からは計算を使ってもいいとしていますが、必ず式を書き、10の補数とかけざん九九以外は必ず筆算を書くこと、としています
暗算より筆算の方が大切で、暗算で求めてしまった子にも、必ず筆算で解き直しをしてもらっています
だから「ひっさんしてはダメだと思ってた」という高学年の通信生には、誰かがそばで教えてあげないと…と思ったのでした
おうちどんぐりを進める添削者の保護者さんたちには、糸山先生の著書の中のどんぐり問題の使い方の部分をしっかりと読み込んでいただきたいと思います
る基礎的なルールはそこに全て載っているのですから


どんぐりを生き生きと解く、楽しんで解く、挑戦するつもりで解く子たちの共通点は、「誰にも何も言われない」という安心感に包まれている、という点です
誰にも何も言われないで、自分で考えて問題を解く、ということがどれだけ楽しいことか、すでに保護者さんたちの中にも味わったことのない方が増えています
でも、間違いなく、子どもたちが小学校を経て、中学生、高校生、そしていつか社会人になるにあたり、「自分で考えて解く」ことができることほど頼もしいことはありません
これは、算数や国語だけに限らず、生活面でも仕事面でも、家族を築いていく段階でも影響するとても大切なことなのです
何に関しても手本はなく、誰にも何も言われずに自分勝手にすることがいいことだ、という訳ではないんです
子どもたちの生活には様々な制限があり、時には我慢したり、周囲に合わせたり、自分を抑えたりすることもあるでしょう
そして、多少のそういうことは人間の成長には必要な経験です
たとえば学校に通っているとき、
公園など公共の場で遊ぶ時、
自然の中で遊ぶとしても、仲間と過ごしている場合、そして、
家族で家で過ごすとき、きょうだいとのこと
いつも自分の思うように勝手に過ごせるかというと、そうはいきません

いろいろな制約や我慢、調和、共存、そんな経験をしながら心身は成長し、
そして、難題に向き合ったとき、今度は「自分なりに工夫」して乗り越えるんです
そのうちのひとつがどんぐり問題と言えます

学校に通っていれば、国が決めた学習指導要領に則って、学年ごとに新しい解法や知識を教えられます
通っていなくても教科書のなぞりが必要なのはそのためですが、
それによって、どんぐり問題は彩られていきます
前述したように、私の教室の場合は3年生までは足し算や引き算を知っていてもかけ算九九を習っても、計算は使いません
4年生になったら絵が描けていればそれの補助のための計算は書いていいことになりますが、その時初めて、計算の便利さを知ることになります
その便利さを知ると、さらに先へ進んだときに、もっと便利な方法はないか?もっと簡単に解ける別の方法があるんじゃないか?と自分から模索するようになっていきます
これを、私は「堰き止める」と言うのですが、
うまいこと「堰き止め」ができると、その次のステップは飛躍し、そのまた次のステップではさらに飛躍するのです

そんな様子を、私は、我が子や、教室の子どもたちの中で見てきました
誰に押しつけられているのでもない、
誰に教え込まれたのでもない、
自分で考えた方法で先へ進み、どんどん飛躍していきます
それはもう、ついていけないほどの高みへ
憧れて、見上げてしまうほどの高みへ…

教科書の内容や先生に「教わる」内容はBGMのように脳内を流れ、(できれば心地よいBGMでありますように…)
大切なことは自分の力で読み解く必要があります
教科書を読み、授業を受けただけで理解が深まるなら全国の子どもたちの理解が深いはずですが、そうではないということは、その先の状態がとても重要なのは明確です

どんぐり問題を解く意味はそこにあります
学校の授業内容とは似ても似つかない、と思われていますが、
決してそんなことはありません
学校の授業内容は改定ごとに様々に前後し、急に膨大になったり簡略化されたりしていますが、長年定点観察していると「なにやってんだ…」って思うような状態でも、どんぐりはずっと変わりません
学年の目安はあっても、大事なことは積み重ねていくことだし、0MXを全て絵図化できることです

誰にも何も言われず、教わらず、命じられず、自分で工夫して解くことです
そのためには、
子どもたちを安心感で包み込む必要があります

ああ、そんなことできるかな
と心配しないで、ただ少しだけの本当に大切なルールを守ってください

それは、
子どもの描くことに心から興味をもつこと
子どもの描くことに喜びと驚きを抱く心であること
そして、
子どもはたいてい、間違っていないはずだ、と信じること

言葉にするのではなく、それを、表情と、態度で、子どもの前に座っていてください

それだけで、準備完了です
あとは子どもたちが自分で勝手に伸びていきます