最近、中学2年生(通信生)に私が書いた解説です
問題集は、DKオンラインで全解きに使っているものです
それぞれ、基本的で簡単な問題ではありませんが、
規則性を見つけたり、考え方を工夫したりする「ひねり」を多く使うものの、
特に難しい知識は使わずに解ける問題です

でも、
これが、現在の6年生にとったら、1年数ヶ月後に出会う問題です

この文字の大きさ、この文字数、なんだか知らないけど最近増えた物語、対話形式の問題、あらゆる情報をまず整理して、数学としてどうやって解いて答えを求めるのか、考える必要があります

中学生になったらこんな難しい問題を解くのだから、
早めに難しい問題に「慣れておこう」
という考えが、大人の方々の「安易な」アイディアです
昔から変わりませんが、そういう人は多く、
それが、営利目的の塾業界からの発信ならともかく、
親御さんの多くも、学校も、そういうことを求めているのだから困ります

今日は、でも、はっきりとお伝えしようと思います
先取りして、ちょっと難しい問題が早めにできるようになった子に会ったことはたくさんあります
それ知ってるよ!
もう習ったよ!
と、得意げに、先取り学習を自慢し、
学校の授業を真面目に受けず、真面目に受けている子の妨害をする子もたくさん見てきました
テスト前は塾で問題を教わるので、ある程度点数はとれて、それでまた優越感に浸ります
でも、
私の知っている本当に優秀な子達は、
そんなレベルじゃありません
そんな人間じゃありません

小学校時代、何も先取りをしなかった子達です
英語でさえも
中学生になり、親たちは勉強について何も言わない、という私との約束を守ってくれたはずです
だって、
その子達は、勉強することは「じぶんごと」として当たり前に思っていたし、
誰かに言われたから、誰かのために、努力しなきゃならない、なんて少しも思ったことがなかったのです
その子たちは先取り学習や、家庭学習の習慣づけや徹底なんか一切せず、
学校の宿題さえ、制限してほとんどやってきませんでした
すでにできることを反復して練習することですり減ることや、
同じことを何度も繰り返すことで好奇心や向学心を失うことを、
防ぐためです
宿題の制限には親たちが本気で学校の先生に伝えることで実行できました
そういう親たちなので、
「みんながやっているから」と、人気の習いごとに通わせることもしませんでした
「みんなが持っているから」と、ゲームを買い与えることも、テレビを見せることもしませんでした

ただ続けていたのは、
自然の中や家でのんびりと予定のない休日を過ごすことと、
どんぐり問題を週に2問解くこと
それだけでした

中学生になり、
「じぶんごと」として目標を持つと、勝手に伸びていきました
性格上、伸びていきたい方向が机上の勉強じゃない子もいます
だから、
高校入試の結果はそれぞれ違っています
優劣だとは私は思っていません
適材適所、というと変ですが、
自分が過ごしたい場所へ、最後は進んでいくように見えます
それが、結構的確なんだなと
親や先生に示された場所ではない、そういう場所だからかな、と

週に何日も何時間も塾に通うこともなく、
ほとんど自宅で自分のペースで受験勉強をしていました
それでも、小さな頃から上記のような生活をしてきた彼らは、
自らの目標をそれぞれ達成しています
入試結果を外壁に掲げる塾のように、入試結果をもっと自慢すればいいのに、
と、周囲に言われたりもしますが、
私はそんなことを目標にはしていませんし、
掲げる高校が正解で、掲げない高校が不正解だなんて誤解されたくないからしません
誰に誤解、って、子どもたちにです
子どもたちの進路に、優劣などつけるつもりはないし、
子どもたちが自分で選び、進んでいく進路の先には、
必ず、希望が満ちて、光が差している、と信じているからです

いったい、何を目標にしているんだろう、と思うような話がときどき舞い込んできます
まだ小学生にもなっていないお子さん達について、
すでに、進路の目標を立てている保護者さんたちがたくさんいる、というのだから驚きです
多くの方は、学校の勉強を先取りし、難しいことを早めにできるようにしたいみたいで、
ちょっと考えられないようなトレーニングをしている未就学児さんたちの話を聞き、全身から血が引いていく感覚を覚えたりもしました

きっと、
周囲がどんどん、どんどん、先取りしているのを見て、
まるで、バーゲンセールに走っていくお客さんみたいに、
走らないと損する!って思うかのように、
自分のほんとの気持ちや、子どものほんとの気持ちや、
ほんとに良いのかどうかのかなんて考える前に、始めてしまっているんだと思います

でも、子どもたちはちゃんと、「それは無理がある」ということを、どこかで見せ始めます
急に全てにやる気をなくしたり、
体に異変を来したり、
子どもの持っているはずの、素直さや、無邪気さを、早々に手放して、
周囲との調和もできない状態に、なっていってしまう…
人間として生きることが、早々に、困難になっているのです

そして、
中学生になれば、
自分から進んで勉強する、なんて絶対にできません
絶対に、絶対に、できないんです
こんな問題、見るだけで匙を投げるでしょうし、
解説を見たって意味を理解しようとさえしないでしょう
教え込まれるのに慣れているので、教えてもらうのを待つでしょう

だから、親や先生は常にお小言を言うしかないんです
常に管理して、監視して、できるだけ長く拘束してくれる塾を見つけるしかないんです
どんなにお金がかかっても、
どんなに子どもの心が離れても、
先取りして頑張ってきた手前、そうやって続けるしかないんです

それは、なんのために?

子どもが、自分の人生を楽しむ人間に成長するために、
それは必要ですか?

学歴をつけないと、とまだ言っている人がいます
そのために親が準備してあげないと、と

学歴は子どもが自分で獲得します
獲得したければします
だって、自分の人生だから

あまりにも壮絶な「教育虐待」の話を聞き、
久々に取り乱してしまいそうです

いったい、親御さんたちは小さな子どもたちに何をしたいんでしょうか
小さな子どもは、大人の小さい版ではありません
子ども時代にしかできないことを、今しないで、いつするんでしょうか
大人になったら2度と感じることができない大切な感覚を、
知らないまま大人になってしまうことの危うさを、これ以上どう伝えたらいいんでしょうか

中学生になって、こういう問題を楽しめる子になるには、
先取りしてはいけないんです
12歳までの脳と、それ以降の脳とでは違うんです
12歳までにいかに、自由に思考したか、
いかに、失敗が許され、やり直しが許され、楽しんでそういう経験をしたか
たくさん、心をゆさぶって、
五感をフル稼働して世界を味わったか
それが何より大事なのに、
それらをなんにもしないで、
文字を読ませ、
計算をさせ、
スピードを重視し、
暗記させ、
それで、どんな人間が育つのでしょう

園児時代から習いごとづくしで、
小学校低学年で私が出会った時には先取り学習でいろいろな難しいことをよく知っている子に、イベントで出会いました
一緒に外を歩いていて、他の子が見つける草や虫の名前をさっと言ってみせて、自分は触ろうとも観察しようともしませんでした
「知っているから」とバカにするような言い方をみんなにしていました
まだ2年生なのになあ…と残念な気持ちになりました
お母さんと一緒の時は赤ちゃんみたいに甘えて、お母さんも抱っこしたり、なでたり、と、本当に可愛がっていました
お母さんが離れて歩いているとき、私に近づいてきてその子は言いました

「おい、スマホ貸せよ」

年上の子が優しく話しかけると、その子はまた言いました

「うっざ!」

親は知らないんだろうなって思いました
私が助言すべき関係ではなかったし、ほぼ知らない人だったので、親にそのことは伝えていません
伝えたとしても信じないだろうと思いました
その親が、よかれと思ってその子にしてきたことが、
その子をそう育てたのではありません
その子が人間としてどう育っているのか、大切なことを一切確認せずに日々、過ごしていることが、全ての原因なんです

先取り学習や習いごとが「悪い」のではなく、
そういうことで評価され、結果を出す我が子と、
本来の子ども、人間の子どもである我が子とで、
どちらが重要なのかがわからなくなっている
できるできない、うまいうまくない、どこまで進んだか遅れているか、
そんなことに気を取られて、ほんとに大事なことが見えづらくなっている
見えづらくて、気づかないうちに、
大切なことが育っていない
育て損ねてしまう…

そういうことなんだと思います

こんな小さなうちからこんな風だと、正直、あとでなおしようがない、というか、
親が気づいていないんだからもう、その先には不安しかありません

気づいた時に、慌てて修正しようと思っても、
それは手遅れです

12歳までにすべきことをし、すべきでないことをしない

それはとっても簡単で、
ただ、周囲に流されなければいいだけなのに
難しいんでしょうか

もう、私にはわかりません