Photo by DSS Oka-chan
園児の頃から、平日は3日間、週末は土曜も日曜もサッカーの練習です
という保護者のお子さんは、
子ども同士でいるとき、周囲を見下す態度がひどく、
高学年になっていじめの対象になっていきました
そんなことも知らないの?
そんなこともできないの?
と、周囲をバカにし続けたしっぺ返しだと見えました
サッカーが悪いのでも、
子どもが悪いのでもなく、
恐らく、そんな風な態度や導き方を、
大人が手本として見せてしまったのでしょう
きっと、サッカーで見込まれて、しかも、小さい頃からやっているから、
ある程度までは優位に立てたんだと思います
それを、保護者や指導者が勘違いして、育ててしまったんだと
せっかく頑張っているものを、
絶対に褒めないようにするとか、
認めないように気をつける、なんてすることはありません
ただ、
思うようにならない経験、というのが同時にあれば、
子どもは自然と、おごり高ぶることなく状況を理解しながら成長します
家の近くの小学校には、
学童も併設しているので、保護者が車で迎えに来て、車まで親子で歩く姿をよく見かけます
多くの親が、
子どものランドセルや他の荷物を持ってあげています
子どもは当たり前のように水筒だけぶら下げて、気ままに歩いています
あーあ、もったいないなあ、って思います
近所のスーパーで、
近所に住む人に会いました
遠くに住むお孫さんが遊びに来ていて、一緒にいたので、
私はお孫さんにも挨拶しました
小学校低学年くらいだったでしょうか
その方は、お孫さんに挨拶をさせることもなく、
赤ちゃんを扱うように、「よしよし」って感じで、
知らないおばちゃんに挨拶されてびっくりしている孫を守っていました
あーあ、もったいないなあ、って思います
子どもはそりゃあ、
荷物が重いでしょう
大人が代わりに持つことは訳ないでしょう
子どもはそりゃあ、
初対面の人に朗らかに挨拶などしないでしょう
緊張するし、嫌な気持ちにもなるでしょう
大人がかばうことも訳ないでしょう
でも、
それでいいのかな
って
ずっと、荷物を持ち続けるのかな
ずっと、挨拶しないでいいよ、ってかばい続けるのかな
って思うんです
近くにいてあげられる時にしか、
できない助けってあるのにな、って
遠く離れたら、やってあげなくてもやってあげられない
思春期になって「いいよ」って子どもの方から離れていったら、
手の出しようがない
でも、
ずっとしてもらった子は、
ずっとかばわれてきた子は、
親にしてもらうのはもういやなのに、
自分でもどうにもできない
そんな風になっていきます
おすすめです
近くで手が届き、
親(や祖父母)の手を喜んで受け入れる間だからこそ、
してあげられることがあります
それは失敗させること、挑戦させること、
何度でもやり直しができるって見せてあげること、
緊張しても、嫌でも、乗り越える方法があるってことを、見せてあげること
自分じゃどうにもならないものを相手に、
自分の無力さを知りつつも、楽しめる遊びがあるってこと
だから
自然遊びが大切で、
だから
親子の会話が大切で、
だから、
他の誰かとの交わりも、
親がそばにいる間に、手本を見せ、教えて、練習させるといいんです
なんでもしてあげることで後々の我が子を苦しめることになるかもしれません
我が子が関わる誰かを間接的に傷つけることになるかもしれません
親にしっぺ返しが来て、
こんなはずじゃなかった、
そんな風に育ててない、
って思ったところで、
他の人に責任はありません
もっと上手な伝え方はないものか…と毎日毎日考えているけど、
とっても難しいです
方法はすごく簡単なのに、
あの手この手で伝えても、
実践するのはとても難しいらしく…
ブログへの反響で、方々から感想をメールでいただくのですが、
現役のちびっこさんの保護者さんたちの置かれた環境は、悩ましいです
みんな悩んでる
よかれと思って選択したものの、
これでいいのかな…って迷ってる…そうだよね、不安だよね…
脱出できるけどな、って思うけど、
そう簡単じゃないよね
でも、
思い切って脱出しちゃう人もいて
脱出しなくても、へいっちゃらな方法もあって
みんなをもっと楽にしたい
でも、手抜きさせたいわけじゃない
それが今の時代、ひっかかるのかもしれない
でも、ダメなんです、子育てだけは、手抜きしちゃ……
結局かなり楽になるのに、
親子関係も乱れないのに
子どもを産んで10年くらいは、
女性は特にホルモンバランスのせいもあるけど、
日々、必死だよね
だから、
いろいろ、不安になるし、考えちゃう
こんな時代だから、こんな環境だから、ナチュラルに生きるのも難しい
でも、大人の事情はさておき、
子どもを見てみてほしい
自然の中に子どもを置いて、観察してみてほしい
そこに答えが見えるから
1日でぐんと成長する姿を見ることができるから
できれば遊具とか、人工物がない場所で
遊び道具が用意されていない場所で
もしかしたら子どもたちの異変は、
大人たちに原点に立ち返ってもらうための神様からのサインなのかも
それをキャッチしないと、
子どもたちは成長できない
何かができるように、って鍛える前に、
鍛えるための土台ができているか、しっかり確認してほしい
そうじゃないと、
壊れてしまう
当たり前です
大人が子どもに、勘違いした負荷をかけ続けたら、
壊れますよ、そりゃ
喜んでると勘違いして、
人工的で刺激的な楽しみで満たしていたら、
自分から楽しみを作り出すことをしなくなるのも同じです
与えられることを待ってる
与えられないと拗ねる
世の中が全て、そういうもんだと勘違いしてしまう
昔話はウザいし、聞きたくないってのはわかるけど、
現役じいちゃんばあちゃんの、子ども時代の遊びをちょっと聞いてみてほしい
何にもなくて、退屈で、つまらなくて、日々、消化試合だった、なんて言う人はひとりもいないと思います
テレビも、ゲームも、パソコンも、ショッピングモールも、テーマパークも、なんなら公園もなかったはずだけど、退屈して家に閉じこもっていた子どもなんかほとんどいなかったはずです
じゃあ、何してたの?
聞いてみてください
子どもたちと一緒に
ノーベル化学賞を受賞した吉野先生の談話が有名になりましたね
受賞した内容はリチウムイオン電池ですから、
デジタルの今の時代なくてはならない、大発明なんですけど、
子ども時代に何が必須だったか、っていう話で、
「外遊び」って断言してました
・柔軟性
・視野の広さ
・臨機応変力
・しなやかさ
・執念深さ
・先読む力
こんな風に列記して検索すると、
こういう力を鍛えます!っていう教材会社とか、早期教育の塾とかがヒットするかもしれないけど、
机上では限界があるんです
どんぐりだって同じです
どんぐりは逆に、
上記のような力が備わっていないと解けないので、
自然遊び、外遊びが優先されるわけです
そして、
決まり切った解き方で真似していれば解けるような問題を「やらせない」ことで、
子どもの脳が凝り固まるのを防ぐわけです
どんぐりは、
いま、子どもに何が足りないかを大人が知るための目安になるわけで
それなのに、
どんぐり解けない、どんぐり進まない、どんぐり嫌がる、と、
やはり表面的な子どもの状態を「評価」して「優劣」を判断してしまう
それが大人の悪い癖なんですね
そうじゃない
子どもはサインを出してるんです
何が足りないのか、
何が余計なのか、
エネルギー不足だってこと、
環境が邪魔してるかもってこと、
教えてくれてるんです
たまごにわとり論争に、またなりそうなので、今日はこの辺で