小学校高学年から中学生のお子さんが
「勉強がわからない」って言ったとき、
どのように受けとめるのが最適なんでしょう

親御さんに訴えることはあまりないのかな
学校の先生や塾の先生に言えるかな
親御さんの場合、
「大変だ!わかるようにさせてあげなきゃ」って思うでしょうか

私は、
小学生の思考力養成
中学生の独学支援
これらを仕事にしているので、
子どもたちの「わからない」がとても大切に思えます
「わからない」「難しい」と悩んだときが飛躍のチャンスだと知っています

小学生の場合、
「わからない」と言う時は結構重い状況です
まずは教材に責任があると思います
小学生は日頃、わかるかわからないか、なんて考えずに無邪気に行動しています
できるかできないかなんて考えないから無謀なことをして失敗したりするのを、
見たことはありませんか?
それでいいんです
それが、いいんです

遊びや日常生活ではそんな小学生の「やらかし」を笑い話にできても、
勉強面ではドキドキしてしまうかもしれませんね
いまわからなくなっちゃって、これからもっと難しくなって授業についていけなくなって、勉強が嫌いになって、学校に行くのが苦痛になって…それからそれから…と、どんどん良からぬ方へ想像が及ぶかもしれませんね

でも、「同じなのに」と私は思います
小学生までは全部同じなのに、と
遊びでも日常生活でも机に向かう勉強でもそれ以外のどんなときでも、
無邪気に、無防備に、無計画に、無謀に、そして、無敵に挑戦する子ども時代が、
とっても大切だと思っています

失敗したってたいしたことはありません
命に関わるような挑戦でなければ、
いくらでもやり直しができます

それは人間関係でも同じ
子ども時代に、やっぱり、無邪気に、無防備に、無計画に、無謀に、そして無敵に人間関係の構築に挑んだ経験があると、大人になってそれらはあらゆる関係性を築く上での経験、材料になります

小学校の頃、理不尽な人間関係を経験したことはありませんか?
空気を読むとか、立場をわきまえる、なんて、小学生のころ、考えましたか?
我を通して誰かに嫌な思いをさせたことも、自分が嫌な思いをしたこともあると思います
低学年の頃はそれに気づきもせず
高学年になると段々と気づいてきます
衝突の経験がなければ、相手との距離感もわからないままだし、関係の修復の仕方もわからないままです

勉強も同じ
自分の実力とか、教わった方法とかはさておき、自分がどれだけ無謀に無敵に挑めるかどうかです

そういう意味で、
解き方が決まっている問題ではなく、自由に解き方を考える問題がこの時期には適しているし、解き方が決まっている問題ばかり解いているのは今の時代危険だなあ、とさえ思います

そして中学生になると、勉強はますます難題になってくるようです
でも、小学生の頃、解き方の決まっていない問題を自由に考えることをたくさん経験した子は、中学生になってもやっぱりまずは「自分の頭を使う」んだな、と私の生徒たちの多くを見ていると、確信します

中学生から「わからない」という言葉が出ると、「よっしゃ!」と思います
でも、「わからない」にも質があって、
「わからないからもう解けない」
という諦めたような「わからない」
と、
「わからないからわかるようになりたい」
という前向きな「わからない」
の2通りあるのです

前者の場合、
いくら良い先生がわかりやすい方法で教えても、身につきません
そのときは「わかった」気になるので、おそらくその場では「解決した!」と満足するでしょう
でも、その、早く満足する、ということが罠なのです
ゲームやスマホ操作、無限のショート動画に没頭する人が少なくないように、
短時間での成功報酬は脳内でドーパミンが分泌され、
もっともっと、ときりもなくなってしまうのと同じです
特に自分の努力も不要で、
わかりやすくなぞって説明してくれるのを受けとめれば、
自分の脳内がすっきり整理されたかのように錯覚するのです
でも、実際には脳内にしっかり定着はしていないので、
しばらくするとまた同じことで躓きます
「わからない」とまた同じことを言うのです

後者の場合、
同じ解説を聞いたとしても、そのあと、自分でコレデモカ!と努力して身につける子もいます
でも、教える側に最初に提案してもらいたいのは、
「わからない」の分析です
わからない、と言われたらすぐにわかるようにしてあげたいのはわかりますが、
それがその子のためにならないことは「前者」の説明どおりです
でも、
「わからない」まま放っておくのも、
お互いに難しいようです
知りたい子は教えてほしい、
教えてあげられる側は教えたい
その両思いによって、深い理解を妨げてしまうことがあるので注意が必要なのです

私は
簡単に教えません
質問されたら一生懸命解説はするけど、しょせん、ノートに書いて説明するだけだし、
通信生にはその書いたものを送るだけなので、読み取る力が必要です
少なくとも、
先に教えて、その通り解きなさい、などという授業は一切しません

まあ、生徒によって対応はひとりひとり違うのですが、
この子は大丈夫だ、という子には特に、教えません
教えないと、その子は考え続けます
考えた経過を伝えてくれます
私も一緒に最後まで考え、正解を見せることはしません
そのやりとりの中で、生徒はどんどん賢くなっていきます
そして、
わからないことを自分で考え続ける大切さを体感していきます

先日は英語で、
「○○すること、と訳す不定詞の名詞的用法と、動名詞の使い分けには何か法則があるのか」と質問されました
私は
「法則があるのかな。どう思う?よく比べてみて」
と返しました
すると、
翌日に回答が届きました
「不定詞の名詞的用法は、未来について、動名詞の場合は過去について言うときに使う気がする」と
それらの使い分けは、厳密にはすっぱりと区切られてはいません
ニュアンス~みたいな感じでつかんでおくものだし、
中学英語では、それらに関わる動詞を数種類覚えればいいだけなので、そこまでの使い分け方を知っておく必要はそれほどないのです
でも、参考書や、英語学習のサイトなどで調べると、まさに上記のような区別の解説が書かれています
その子は自分でそこに気づくことができました
言語だから数式のようにすっぱりと正解があるわけではないけど、こういうことが「気になる」ことがすごく大切だから、これからもいっぱい質問してね、と返事をしました
こんなやりとりで独学支援をしています

わあ、それは相当レベルが高くないと難しいのでは、と思うかもしれません
でも、学校の勉強についてくのがやっと、という子もいます
そういう子も、もし、自分で「わかるようになりたい」「できるようになりたい」と思っているのなら、必ず伸びます
教材も、進め方も、個別対応しているので、
その子を伸ばすための方法を私は私で考え続けます
私だけ考えていて、本人が考えることを放棄していたら、何も変わらないのですけれどね


ところが
「わかるようになりたい」「できるようになりたい」と心の表面にそれらがある子も(奥深くには誰にでもあるはず)
「わからないことをわからないって思う」ことも、
いまどきの子には難しいようです

なぜなら、学校の授業や宿題、習い事、なんなら園児時代から、
まず教わって、それをその通りにする、ということに慣れすぎているからです

考えることができない(する隙がない)問題ばかり解いてきて、解かされてきて、
質問するときも「このやり方、忘れたんだけど、どうやるんだっけ」と聞いてきます
解き方を「覚えよう」としているようですが、
そんなことを教わって覚えたって忘れていくだけ
そのときはできても、すぐにできなくなる
だから勉強がつまらなくなる
それよりも、
自分から「どうやって覚えておこう」って試行錯誤したら、それは勝手に覚えればいいし、
覚えようと自分で覚え方を考えた子は思い出せるんです

小学校低学年で「習う」さくらんぼ計算も、
自分で「いいこと思いついた!」といろいろ試して思いついた方法ならまだしも、
授業で教え、宿題で練習させ、徹底的にやり方を覚えさせるのですが、
それが勉強だと思い込んで素直にやってしまう低学年時代から、すっかり自分で工夫して考えることをしなくなってしまうきっかけになっています

遊びや会話の中では結構高度な計算を含む思考をしているのに、いざ、机に向かうとどっと計算速度が遅くなる子もいます
それも、
教わった通りに解く、その解き方を覚えていないと解けないぞ、という暗示がかかったままなのだと思います

学校病というか、宿題病というか…最近は、そんな言葉も目にします
さらに塾で「解き方を教わる」方が早い、という、…タイパ的な親御さんの方針も…
ますます心配になります

みんな子ども時代を軽視しすぎなんだよなあ、とつくづく思います

勉強も、
運動も、
人間関係も、
それらの基盤となる部分は、
…大切なことは全部子ども時代に詰まってる

大人から見たらくだらない、
無駄が多い、
役に立たない、
結果が出るように見えないし、そう思えない
当たり前です
大人は子どもみたいに振る舞えない
ときどき、
子どもみたいに振る舞える大人にみんなが憧れることもあるけど、
魅力的な子ども大人は例外

大人は全員元子どもなのに、
すでに、子どもらしい子ども時代を過ごせていた大人が少なくなっているのも事実
だからってその連鎖を続けるべきなのか
そうじゃない大人だからこそ、
次の世代は違うって
また子どもを取り巻く環境を、
子どもの子どもらしさを、
取り戻してあげられる大人になってほしいな

わかること、できること
目先の優劣に拘らずに、
もっとずっと先の子どもの幸せを、
想像してみてください


わからない、できない、って言えて、
じゃあどうしよう、あれこれやってみよう、って思えるような
そんな猶予のたくさんある思考生活を