「失敗しないように、前以て用意をしておくこと」

---広辞苑より


子どもは失敗します
小さい頃ほど、ささやかな失敗をたくさんしますよね

やれ敷居のちょっとした段差で転んだ
やれ持っていたものを落として壊した
やれお砂場に大事なおもちゃを忘れてきた

小学生になると少し失敗が大きくなってきますよね

やれ学校に上履きを持って行くのを忘れた
やれ黒板の連絡をノートに書き写してくるのを忘れた
やれ給食当番用のエプロンを洗濯に出し忘れた

中学生になるともっと大きくなりますよね

やれ提出物が間に合わなくて通知表にマイナス点をつけられた
やれテスト中に記号でかくところ用語で書いて全滅をくらった
やれ好きな女の子に告白してふられた

高校生になると…

大人になったら…

ささやかな失敗は結構深刻な事態へと進化していきます
さあ、大変
こんな時、どうしたらいいの

最近多いのは、「転ばぬ先の杖」的な心配事を相談されるケースです
思いあたる方は繰り返しになっちゃうから読まなくていいですよ
時節柄なのか、似たような相談が相次いだので他にもみなさん、
似たようなお悩みをお持ちなのかな、と思いここに書くことにしました

子どもに失敗させたくない
子どもに辛い思いをさせたくない
子どもに傷ついてほしくない

当然の親心です
熱を出せば代わってあげたい、
お友だちとのトラブルで泣いていたら自分の胸が締め付けられるよう
私にも経験があります
どうしてわが子がこんな思いをしなくちゃならないの…と人知れず泣いたことも

でもね、
私は、思うんです

親は、「転ばぬ先の杖」にはならないほうがいい
杖って結局、自分の手で持っていて、
自分の反射で動かして自分を支えるものですから、
いくら上等な杖を持っていても、結局自分の反射神経じゃないですか
自動でブレーキをかけてくれる車のようには、
杖は動いてくれないじゃないですか
結局、自分で動かすんですよね

それで、ばっと杖を出して「セーフ!」ってこともあれば、
間に合わなくて転んでしまって、「アウト~!」ってなることも
あるんです

転んでしまったら立ち上がるしかないんですよね
それも、ひとりで立ち上がるんですよね
でも、時には
立ち上がるために手助けが必要な転び方をすることもありますよね

そこで親の出番!!
私たち親は、杖にはならなくていいんです

転んじゃった
ケガしちゃった
痛いよう
立ち上がれないよう
でも、立たなくちゃ
また
歩かなくちゃ
大丈夫、ゆっくりでいいよ
ケガも治そうね
一緒に待ってるよ
立てるまで
歩けるまで待ってるよ
焦らなくていいよ
転んだらそばにいるよ


…ひとりで転んだこと、ありますか?
私、あるんですよ
まあ、普通の道でも、あるし、
スキーなんかしていると、
大転倒して両鼻から鼻血を出したこともあります(爆)
鼻血を出したまま、
にこにこして私のまき散らした用具を拾ってもらってね
「どーもありがとう!!」って
私の放り投げちゃった用具を運んできてくれた子どもが、
私を見て恐怖の顔して立ち去ってね、
あとで知ったんですよ、両鼻から鼻血出してたって

まあ、それはともかく、ひとりで転ぶとかなり恥ずかしいです
だれか連れがいると、笑って立ち上がれますよね
転んだことさえネタになって笑える
(あ、もうちょっとで笑えない転倒になってしまう年齢になってゆくけど…)

子どもにとって、
そういう存在であれば(どういう?)
いいんじゃないかな、
そばにいてあげられたら

転ぶ前に転ばないように手を差し伸べていたら、
転ぶ経験をしないまま大きくなって、
私たちがずっとついていてやれる年齢の間はいいですけど、
成長して、少し離れているときに転んだら…?
それが初めて転んだのだったら…?
どうやって立ち上がればいいか、経験がないからわからない
どうやってケガを治せばいいのか、どうやって再び歩き出せばいいのか、
わからない

そんな事態に、わが子をさせたくないじゃないですか

些細な失敗はたいてい、すぐに修復できます
段々大きくなる失敗も、寄り添って、失敗した後に「どうしよう」って言ってくれたら、
一緒に考えることもできます
でも、「どうしよう」って言ってくれなかったら
言ってくれなくても、ココニイルヨ、って知ってくれてたらいいけど、
それにも気づかれず、孤独に悩ませていたら…

それって、それまでの手の出し方によって違ってくるのかもしれないなあ、
とわがことをふり返り、そして、様々なケースを見ていて思うのです

逞しく育てよう、とすごく幼いころから一切の手出しをしない場合、
ケガすると大変だ、と手を出しすぎていた場合、
失敗しないように、嫌われないように、と根回しをしすぎていた場合、
どの場合も極端で、よくないような気がするんです

やはり一番大事なのは、
親子の信頼関係なんだろう、と思うのです

信じていたら、根回しの必要なんてない
本当に必要な時にすっと救いの手を差し伸べてくれたら、
その人を信じることができる

親子の場合だって、他人との信頼関係と同じで、
少しずつ、積み上げたり、崩れたり、するものなんです

どうですか
ご自身が杖になってしまっていませんか

そうそう、
「立てば這え 這えば歩めの 親心」という有名な川柳がありますよね
最近は、
ハイハイをせずに、
つかまり立ちや、つたい歩きを早めにするような子が増えていると聞きます
私が赤ん坊と生きていた頃、勉強会で知ったのは、
「ハイハイは長いほどいい」

ハイハイって、汚れるし、危ないし、ひやひやします
室内ならともかく屋外では特に
しかも、同月齢の子が集うと、歩き出している子がヒーローで、
まだハイハイしてると「まだ歩かないの?」ってよく聞かれました

でも、私はハイハイの効果を知っていたので、「まだなの~(いいでしょ~)」って
笑って答えていました

ハイハイは、子どもの肺活量にも影響しますし、
歩き出して、転んだ時に手が前に出るかどうかにも影響するそうです

私は、できるだけ長くハイハイしてほしかったので、
屋外でも一緒にハイハイして過ごしたりしていました

高速ハイハイと我が家で名付けた子どもたちのハイハイは、
目を離すとえらく遠くまで進んでいる素晴らしいハイハイでした

ハイハイって、汚れるし、危ないし、ひやひやするし、非効率です
だって、二足歩行ができる人間なんですから
でも、
すごく必要な時期だってこと、
すごく大切な運動なんだってこと、
それを知ってから、随分たちますが、ことあるごとに思い出すのです

全てに通じる気がして