どんぐり学舎の中学部はD→K Roomといいます
種別は「独学支援ルーム」
由来は「どんぐり→くぬぎに成長する子どもたち」

教室の目の前にある「くぬぎ」は、
私の娘が幼児だった頃に森で拾ってきたどんぐりを
庭の砂場でおままごとに使った残りが、
いつの間にか芽を出し、枝を伸ばして成長した木です

※写真は去年の夏頃のもの

まるっこいあの木の実が、知らぬ間に私の背丈もとっくに追い越し、
いつかは大木になりそうな勢いでぐんぐん成長している…
子どもたちと同じようでしょ

さて、
その独学支援ルームのDK(と省略!)ですが
以前は「どんぐり学舎卒業生専用」でしたが、近年はそんなしばりはありません

「勉強の仕方が知りたいな~」っていう自分の意志のある中学生なら、
誰でも、何年生からでも入室可能です

※ただ、狭いので定員制です
 現在、空席があるのは火曜日のみです

でも、いったい、「独学支援」って何をしてるのだろう?
と、思われますよね

私がDKで実践している「独学支援」の手法を、
少しだけご紹介しようと思います

DKは原則として週1日、2時間しか入室時間がありません
(開始前1時間は自習可能時間ではあります)
たった2時間で、どんどん進む中学校の授業に追いつけるのか?
高校入試への対策はできるのか?
じゃあ、逆に考えてみていただきたいのですが、
週に3日間塾に通ったとして、
それが1回3時間とか4時間の授業だったとして、
それくらい多かったら、中学校の授業においつけて、高校入試対策も万全
そう断言できるでしょうか?
う~ん
それでも不足だわ、じゃあ、週に7日塾に通って、
自習室もフル活用して、
できるだけたくさんの授業を受けましょう、お金に糸目はつけません~
と、いきますか

私も26年この仕事をしてきて、
(小学生の授業を休んだ期間はあるものの)
中学生の授業は休まず続けてきて、断言できることがあります

「家でひとりで勉強しない子が伸びるわけない」

…そんなの当たり前…
そう思われますか?そりゃそうですよね

でも、みなさん、中学生で、学校のテストの成績が芳しくないと、
探しますよね、塾とか、家庭教師とか
家で勉強するにも限界がある、と、探しますよね
いやいや、違うんですよ、実際は
家で勉強してないんです
作業はしていても

「家でひとりで勉強しない子が伸びるわけない」
言い換えると
「自分で勉強しない子が伸びるわけない」
つまり、
家でいくら机に向かっていても、宿題を「こなす作業」だけをしていたり、
「やれ」と言われたことを「こなす作業」をしているだけでは、
学力は伸びないのです

だから私は、DKでも「こなす作業」を課したりはしていません
私の自作教材と、塾専用教材と、全国入試問題集を併用して
他にもおもしろそうな市販教材などたくさん取りそろえてありますが、
私が家庭学習についてあれこれと指示することはしません

DKに来たら「これやってみて」っていう小テスト(国語の漢字や、数学の難問など)を用意しておくことはありますが、「自分の好きなタイミングですればいいよ」って丸投げして、ちゃんとやったかどうかチェックもしません

でも、たいていの子は、真面目で素直なので、ちゃんと時間内に提出するし、時間内にできなくても家でちゃんとやってくるのですが

曜日によっては学年も混在していて、一斉に板書授業をする機会もあまりありません
板書授業、得意なんだけど、ホワイトボードも小さいし…
(その点、DK2は全員2年生なので板書授業がよくありますね!)

ひとりひとりが、「今日はこれをやるぞ」と決めたことを、コツコツとやっている
そんな雰囲気のDKです

それでも、昨年度の卒業生(新高校1年生)から、卒業の日、お別れの日に、
手紙を受け取って、それを何度も何度も読み返していたら、
私の役割、わたしがDKですべきことが、ふわふわっと、盛り上がってきて、
もっとしていいのかも、もっとできるのかも、という、
なんだか背を押してもらったような気持ちになったのです

その手紙の一部を要約すると、このようなものでした

********

私はDKで、勉強の内容というよりも、
勉強そのものの意味、
なんのために勉強するのかということについて、
学んだ気がします
たとえば、数学の解き方を教えてくれる塾なら他にもあります
でも、DKで先生に教わった数学は、
ただの解き方とは違って、数学そのものの考え方を知るようなものでした
先生の投げかける色々な疑問には驚かされるものが多く、
調べてみたり、考えてみたりするきっかけをたくさんもらいました

********

そうか!そうなんだ~!?ってビックリして、嬉しくて、
私がしていることって、DKに私がいることって、
もしかしたらそういう意味を持つのかな?って
少し自分のことを「差別化」できた気がしました

DKは学校の宿題やっててもいいし、
先生が指示しないから、
ただのほんとの自習室~みたいに勘違いされていた頃もあったけど、
ほんとはめちゃめちゃ授業するのが大好きな私がうずうずしてること、
めちゃめちゃ生徒達と議論したいわたしがうずうずしてること、
こういう子にはお見通しなのかもしれないな~って思ったのでした

だから、私はDKで、
もっと生徒達に積極的に提案しよう、って思っているのです

ずうっと前には、やっていたこと
最近、しなくなっていたことあれこれ

それに、初めての試みも

そして、DKに来ているからこそできること

それから、最終目標は、家で、自分で勉強する子になること

そのために私ができることは…


たとえば音楽を聴く
中学生になると、いろんなミュージシャンの音楽を聴くようになる子が多いです
音楽はセイシュンのBGMになりますから、どんどん聴こう!
(…ついつい「平成の音楽シーン」的な特集、見ちゃうよねえ…)
でもですね、家族には注意されるのですが、わたし、職業柄、詩を聴いちゃうんですよね

「これって、男同士だと思う?男女かなあ?」
先日、中1の次女が聴いていた乃木坂46の♪帰り道は遠回りしたくなる
「うーん、男女でしょ、たぶん」と、次女

いやいや、ググらないで、ググらないで!お父さんお母さん!
いいんです、想像するだけで、いいんです

あ~ほら、私たち世代だと、ドリカムの♪サンキュとかね、議論があったでしょ
あれは女同士か、男女か!?って

昔の歌ですからね、結論は出ているみたいですけど、そんなのどっちでもいいんです
考えるだけで、想像するだけで、いいんです
で、J-popで読解問題を作っちゃう

洋楽も聴きます
小学生の頃は、聞こえたとおり全部カタカナでノートにびっしり書いて、
結構ネイティブっぽく歌ってみせて大人を驚かせました
英単語なんてひとつも知らないくらいの頃です
不思議なもので、英単語を知ると、発音できなくなります

当時よく書き写していたのが、カーペンターズで、
♪Yesterday Once Moreの歌い出し、
「When I was young I’d listen to the radio….」を、
「ウェナワズャーナイリスントゥーダァレイディーオー・・・」
って、書いていたんです

まあ、そんなことしてたなあ、って話とか
そこから、Dictation(英語を聞き取って書き取る)始めたりとか
先月はキアラ・セトルの♪This is me
これは1年生でもできました

たとえば語源を調べる

昨日は「狼狽する」という言葉について話しました
あれれ、こまったな、どうしよう、
と、あわてふためくこと
「なんでオオカミなん?」という1人の生徒の疑問符から話が始まりました

実は、狼狽の狼も、狽も「オオカミ」のことで、
実在のオオカミとはまた違う、空想上のオオカミなのです
狼の方は前足がなんだか長いオオカミで、
狽の方は後ろ足が長いオオカミなんだって
2頭は一心同体で、いつも支え合って歩いているんだけど、
バラバラになるとバランスを崩して「あれれ、こまったな、どうしよう」って
慌てちゃうんだって
とかいう話をするんです

そしたらメモしちゃうんだよ、って話すんです
一語一句、逃さず書くんじゃなくていい、
狼と狽を想像して、絵を描いてもいい
話を聞きながら、手元を動かして、メモしていいんだよ
全然関係ないけど、ロウソクとバイクの絵を描いたっていい
前にも言ったでしょ、小野妹子って書いたら、その横に芋の絵を描くとか、ね

とにかく脳を揺さぶるんだよ
目と耳と手を同時に動かして、脳に信号を同時に送るんだよ
関係ないこと考えないで、今この話を聞いて、「へえ~」って思ってる
そのことを関連づけて脳に印象づけるんだよ

そんな話をするんです

そんな話ができるように、教材研究には授業時間の数倍かけます
これは…進学塾勤務時代から変わらず
こんな質問が出るかも、という想定をして、とことん調べておきます
それでも、調べたことの1/10も披露せずに終わるし、
逆に、調べておかなかったことを尋ねられることもあります
そうしたら、その場で調べます
辞書を引き、参考書を開き、現代的な話なら私のスマホも活用します
教室にPCがないので…

でも、私が生徒達に披露したいのは、調べた内容そのものじゃなくて、
調べている、という事実なんだと思いました
いちいち「教材研究に何時間もかけてるのよ!」なんて言ったことはないけど、
卒業生の手紙にあったように、
生徒達に見えているのは、私の勉強法そのものなんだろうな、って思うのです
わからなかったら調べること、
わからないことはわからない、って堂々と言うこと(結構生徒の前でも堂々と言う。)
これまでの知識を総動員して、いろいろな仮説を立てて考えること、
もしかしたらこうなんじゃないか?と

結論が出なくても、あれこれ考えをめぐらせて、
楽しいねっ!!って終わること

それでも、
「やらされる勉強」「こなす作業」に染まりきった生徒達に、
「自分で決めて勉強せよ」と丸投げするのは、逆に不安にさせていた可能性もある
そう、考えもしました
だって、学校では「こうせよ」「ああせよ」と、何から何まで指示され、
自分なりの考えなど、挟み込む余地などないのだから
「こなす作業」宿題も山ほど出される…

だから
「メモの仕方」「考え方」など、言わなくてもいいかなあ、なんてことも、
必要な子には話しています

数学も、「私はこう解く。一番ミスが少ないと思う。自分なりのいい解き方を開発するまでは、真似っこしていいよ」くらいの言い方をします
最初からアレンジしすぎ(特に、途中式を省きすぎ)の生徒は、きっと、躓くので、躓いたらその理由を一緒に考えます
躓き、悩み、苦しまないと、改善しようとはしないからです

夕べの数学、みんなそれぞれのノートで一生懸命解いていました
私が紹介した解き方とは違う、かなり飛躍した解き方で解いている子発見
「いきなりオリジナル~っ!?大丈夫~!?」って笑って、「まあ、まあ、やってみんしゃい、せっかく発明した方法なんだから。答え合わせしたら見せてね~」って
そしたら、案の定、ちょっと危険だなあ、って思った問題が不正解
あとはセーフ!
「いいじゃん、いいじゃん、発明しちゃたね、でも精度がイマイチだなあ」
一緒に「なんでかなあ」ってミスを検証して、それなら、と私の解き方を隣にペンで書いてみて、「これがおすすめなんだけど」って
にこっと笑って「うんうん」って少し納得

それを次回、取り入れるかどうかは、生徒さんにかかっています
または、家で少しは復習して自分の技を磨くかな

他の生徒は、自分のミスにコメントをつけていました
わかりやすく、色ペンで
メモの話はさっきしたばかり
素直です…
メモの習慣、いいねえ!って伝えました

そしてみんなに言いました
「1日、1分でいいから、誰かに言われたんじゃない、やれって命令されたんじゃないことを、ひとつだけ、1分だけでいいから、自分で思いついてやってみて。」と

それが「自分で勉強する」ということ

自分の足で自転車をこぐってこと

生きていくっていうことなんだよ


いつか、大人になってひとりで生きていく
いろんな問題をその都度解決しながら、自分の力で生き抜いていくんです

私は、きっと、
中学校の5教科の勉強を通じて、
生徒達に生き抜く力を身につけてほしいんだ、と自分で気づきました

数学ができるようになるためじゃない、
歴史や地理をたくさん暗記することが最終目標じゃない、
与えられた課題も材料のひとつ
それをどうこなしていくか、自分のためにどう生かすか、
そうやって前向きに受けとめて、強い気持ちで高校入試を乗り越えて、
自分の未来をつかみ取ってほしい

ただの、ほんの、人生のスタートラインにこれから向かうだけ
ゴールなんかじゃない
そんな若いうちにゴールしてどうするの

自分を知る
周囲を知る

強く、賢く、優しく
これでいいんだ、って自分に自信をつけて生き抜くために

そんなD→K Roomです

まっさらなDK1も、
学校の授業はまだ本格的に始まっていないのに、
どんどん知りたくて、解きたくて、誰にも指示されないのに問題集を進めています
Dk2とか3がやってるリスニングっていうのがやりたい!やりたい!と

いよいよ受験生のDK3もなんだか楽しそうにミッションをクリアしようとしています

そう、学ぶことは本当は、楽しいこと
嬉しいこと
中学生にはそれがわかるんです

だから、小学生の間にその種火を消してはいけないんです
ゆらゆらと、小さくてもいいからその炎を大切にして、
中学生でばっと広げるのです

私にできることは
彼らと共に学び続けること

まだまだ知らないことだらけのこの世界を、
もっと深く、もっと広く知ろうとする意欲の炎を、
消さないことなんです