少し前に、通信添削の保護者の方と、
「問題を解く時に間違えても、思考回路ができるんですか?」
という話題になりました

そもそも、「間違える」という概念が、どんぐり問題の場合、
普通の算数の問題と違っている気がします
いいえ、普通の算数だって、扱いようによっては同じで、
どんぐり問題と同じように思考力養成の材料として生かすこともできるのです

正しい答えを出すことが、問題を解く目的でしょうか?
途中過程がどうであれ、正しい答えが出れば、その問題をクリアしたことになるのでしょうか?

どんぐり問題では、解法を視覚イメージ化しますから、
「途中過程がどうであれ」はありえないことなのですが、
事実、そのことが何よりも重要な点である、ということを、
実は小学校・中学校の先生達もわかっているはずなのです

でも、間違えさせ、迷わせる隙を与えていない
それは親御さんたちも同じです
○がついた数でつけられる点数だけを見て、
「できている」と判断することは危ないことなんです

「道に迷うことは、道を知ることだ」

という、スワヒリ語(アフリカ)の諺があるそうです

人に教えられた正しい道だけを歩いていても、
本当に道を知ったことにはならない。
道に迷いながら自分で正しい道を見つけることこそが、
本当の道を知ることなのだ。
知識は自ら試行錯誤を繰り返してはじめて身に付くものだ、ということ。
       (意味:海外おもしろことわざサイトより)

わたし自身…実はかなりの方向音痴で…
車を運転していても、街を歩いていても、「あれ?あれれれれ?」っていうことが、
頻繁にあるのですが…
それでも、道に迷ったことによって知った場所や、
思いがけず見た景色が印象に残っていたりします

生徒達にはよく、「かたつむりの道」の話をするのです
間違ったとしても、そこまで行った道筋が脳内に残る、とイメージしてごらん
かたつむりが通った跡みたいに、キラキラの
それで、結果的に正しいアプローチができたとしよう
間違って通ったたくさんのかたつむりの道は、どこかでつながるかもしれない
そうしたら、正しいアプローチの道と違う道で、
正しいところまでたどり着くルートが見えてくるかもしれない
そうしたらテストの時に、たとえば、正しいアプローチが見えなくなって、
道がわからなくなったとしても、いちど通ったことのあるかたつむりの道で、
たどりつけるかもしれない
だから、今は間違えていい
間違えることを恐れずに、いろんな道を通ってみればいいんだよ、と

最近、「失敗すること」に臆病な子が多くなっているなあ、と感じます
その背景には、まず、身近な大人が、
子どもの失敗を許さなくなっている現状があります

赤ん坊の頃から、泣いては嫌がられ、自由にすれば注意され、
子どもたちは(もしかしたら若い世代の親御さんや先生達も)
随分と窮屈に、「いつもちゃんとしていることがいいことだ」と
知らず知らずのうちに躾けられてきているのかもしれません

身近な大人って、親だけじゃないんです
近所の人や、お店や、公共の場にいる大人
多くの大人が、「自分も子どもだった」って記憶を、
灰色の男たちだか誰だか知らないけど、誰かに盗まれて、
すっかり忘れてしまっています

私は、泣いている赤ちゃんや、きかん坊の子どもを見かけると、
親御さんの顔を見て、にこっと笑うようにしています

周囲を見ると、すごく嫌そうな顔をしている大人も多いです

周囲の嫌そうな顔や態度を感じて、
赤ちゃんの親はますます辛くなり、
なんでここで泣くの!って子どもに対して
すごく厳しい気持ちになります
子どもは、親の気持ちをますます察して、
どんどん不安になり、どんどん悲しくなり、
うん、そいじゃあ、泣くのをやめとくよ!
…なんて前向きな気持ちになれるはずもありません

とはいえ、知らないおばさんに「にこっ」とされても
すぐに心を許す若い人は昔よりも少なくて、
私と同じように「にこっ」とするようにしてるのよ、って年配の方の話でも、
逆に睨まれちゃった、なんて話を聞くこともあるのですが…

心配しないで
にこっとしてきたおばさんは、きっと、あなたに手を差し伸べたいの
大丈夫よ、子どもはみんな同じだったんだから、と励ましたいの
あなたが悪いんじゃないのよ、って言いたいの

だから、「にこっと」おばさんや、おじさん、おねえさんもおにいさんも増えて、
「にこっと」が当たり前になればいいのにな、って思うんです

そう、親も失敗を許されない、こんな時代
よくわからないけど、正義感溢れる匿名の人々が、自分のことは高い棚に上げて色々な人を批評し、批判し、指摘しては大事件にしている時代

そういう世の中の風潮も手伝ってか、
子どもたちが失敗を妙に恐れている
遊びの中でさえも
言葉を発する時でも
いやいや、いいんだよ、まんまでいいの~ってわざとボケボケして笑うと、
子どももぐにゃあ、ってなる
おかしいな、ふつう「せんせい」ってちゃんとさせる役目なのに、
緩める役目だなんてね

さて、どんぐり問題をご家庭で取り組んでいる方
そして、どんぐり学舎の子どもたちも冬休み用のおうちどんぐりを持ち帰っている最中です

子どもたちの「かたつむりの道」を、どうか楽しんでください

大人は、勉強面になると特に、子どもより先に答えが見えたり、効率的で合理的な解法が見えちゃったりするもんだから、なんとかそこへ誘導しようと目論むんですね(笑)
いいんですか?
正しいアプローチ
それだけしか道ができませんけど、それでいいの?

かたつむりのキラキラ道が全くない
大平原に一筋のれっきとした道ができるけど、
それは正しい道なんだけど、
それしかない、っていざというとき不安じゃないですか?

こっちもあるよ、あっちでもいいよ、なんて誘導してやる必要なんかない
そんなことをしなくても、子どもたちは奔放に考え、間違えます
でも、その前に、
生活の中で、遊びの中で、間違えること、自由に考えることを制限しすぎてはいないか、
そして、もしかしたら、
親御さん自身も、間違えること、遠回りすること、迷うこと、考えることを
怖がってはいないか

道に迷うことは、道を知ること

かたつむりのキラキラ道を、子どもたちと一緒にたくさん張り巡らせましょう