将来理系に進む子たちに、古典の授業は必要なのか?
不要である!
…という意見を読む度に、ちょっと悲しくなる古典好きな私です
古典とは、日本の昔の人が書いた文、古文と、中国や日本の昔の人が書いた漢文のことで、これらは、今みたいにいろんな科学技術が進んでいたり、科学的な解明がされていない自然現象やら天体やら気象やら…そして、人間関係のなんやかんや、子育て論とか、コーチングとか、そういうの、全く学問にも書籍にもなっていないし、もちろんSNSなんかでみんなで議論したりもしていない時代の人たちが、一生懸命考えて、身近な人たちと付き合って考えて、身近な現象を見て描写して、そうやって遺した貴重な資料だと思うからなんです

今となっては、「知っている」から書けないこと
通説となっているからわざわざ書かないようなこと
そして、知ってしまっているせいで、考えたこともないようなことが、
本当に大まじめに、そして、深く、強く、書かれているのです
昔の人で、科学的事実を知らないから現代の私たちより劣っているのか?というと、とんでもない!私たちには思いもよらない思考力を持ち、思いもよらない発想や、言葉の選び方で、どの分野に進む子どもたちに対しても、どんな世界で働いている大人達に対しても、様々なヒントを与えてくれる、大切な文化遺産だと思うからなんです

そんな私が時々読み返すのが、この『漢文力』という小さな文庫本です
昨日も、授業中、子どもたちが一生懸命どんぐり問題を解いている間に、ぺらぺらとめくっては気になるページを読み返していました
(さとちゃんは暇でいいよね~って言われる所以です…笑)

不思議なもので、何気なくページをめくっていて、止まったページに、その時、必要としているメッセージが書かれているのはよくあること
私にとって、本とは、小さいころからそういう存在だった気がします

昨日、目に止まったのはこんなエピソードが書かれている箇所でした

昔、日本のある高校で、理科の授業のとき、教師が、ガラスのU字管に硫酸銅水溶液を満たし、電気伝導度を測る実験をした。ごくふつうの実験だったので、教師は自信満々に実験をはじめたが、なぜか実験結果は教科書と反対になった。教師はうろたえ、なんとかとり繕おうと努力したが、実験はますます支離滅裂になり、とうとう教壇の上で立ち往生してしまった。教師の面目は丸つぶれになったが、この実験の失敗は、生徒の一人の人生を変えた。この生徒はそれまで大学の数学科に進もうかどうか悩んでいたが、この先生の大失敗を見て「自然はなんと複雑で、奥深いのだろう。子供のときに習った漢文の言葉『道の道とすべきは常道にあらず』そのままではないか」と深い感銘を受け、大学の物理学科に進むことを決めたのだった。この生徒の名前は湯川秀樹。もし、この理科の先生が授業の実験で失敗していなかったら、日本人初のノーベル物理学者は、生まれていなかったかもしれません。

何度も読んでいるはずなのに、なぜか昨日はこの部分で鳥肌が立ちました
それは、録画していたカリスマ数学教師イモニイのドキュメンタリーを見たあとだったからなのかもしれません
高校生の湯川くんが思い浮かべた漢文は“道可道非常道”「道の道とすべきは常道にあらず」
「老子」第一章の超有名な部分です
あまりに有名な一節なので、色々な人が色々な意訳をしていますが、
「進んでいくべき道は、すでにできあがっている道ではない」
つまり、
「自分がこれから進むべき道(学問)は、決まりきった道(学問)ではなく、未知の道なんじゃないか。」というようなことを表している部分です
湯川くんは目の前で学校の先生が実験に失敗したことから、自分の進むべき道を決めたというのです
そして、かの有名なノーベル物理学賞の湯川先生になっていったのですね

イモニイは神奈川県の中高一貫の超進学男子校の先生で、今はそこを非常勤にして、塾の教室でも児童養護施設でも授業をする数学の先生です
今週、NHKプロフェッショナルで取り上げられていたので、ぜひ、御覧になれる方はネット配信などで御覧になってみてください
それよりも、この本の方がイモニイのことがわかるかもしれません

イモニイ、と子どもたちに呼ばれている井本先生
スキンシップが大好きで、生徒達をさわりまくってます(笑)
好き好きをぺたぺたしてる、ってご本人談
毎朝、「生徒達に会える」って思うだけで、信号の赤が憎いほどだって…
これは、私にもわかるなあ…(涙)毎日会える学校の先生が本当にうらやましいもの…
肝心なのはイモニイの授業です
自作の問題をぽんっと1問出して、あとは考えさせる、それだけの授業です
(もちろん、そういう授業を成り立たせるための準備授業があるとは思います。基本的な知識はまず身につけている生徒がほとんどでしたから)
板書も解説もしません
だいたい自分でも考えておいた正答と思われることを、あっさり生徒達に反例を出され、「あれえ!?」っていうところからさらに奥深い思考になっていきます
結局、答えがでないまま授業は終わります
「成績が上がるかどうか?興味ないです」
と、イモニイも、塾に通わせている親たちも言っていました
イモニイは言います
「答えが決まっていて、学校が教えたいことがこうあって、そこに子どもたちを近づけるための授業に何の意味があるんですか」
「これから先、子どもたちが生きていく社会はこうだから、こういう人材を育てていくとかいう理論って、正しいんですか。子どもたちは、自分たちで社会を構成していくんです」
(実録ではないので言葉は違っています)

私はイモニイのようなカリスマ教師ではないけれど、
いつも同じ事を言っています

私に、君たちの将来生きる世界などわからない
親にも学校の先生にもわからない
そういう大人達が、
わかったようなことを言ってくるかもしれないけど、本当は誰にもわからないの
わかるわけないんだよ
だから、私たちの言っていることが正しいなんて思わなくていい
私たち大人が、君たちの将来を保証できる力を持っているなんてことない
自分の将来を自分の力で生き抜くしかない
そのために今、体力づくりしてる
どんな力が必要か、準備しているんじゃない
どんな力が自分にとって必要かわかったら、そこから鍛えて、必要な力を身につければいい
今わからなくていい
だけど、誰かに言われて仕方なく生きるのはあかん
つまんないし、希望がない
だから、探そう
一緒に探そう
何が好きで、何がきらいか、何が得意で、何が苦手か
失敗しながら、間違えながら、迷いながら、一緒に探そうね

 

子どもたちは私たちが一生懸命失敗する姿を見て学ぶかもしれない
子どもたちは私たち大人のみっともない姿を見て、それでも、そこで命を見るかもしれない
湯川くんの前で実験した先生は、どんな先生だったのかはわからないけれど、でも、
自分の間違いを認めず、生徒に威張り散らすような先生ではなかったのだと思います

子どもに何かを教え込みたくなったら、
子どもに備わっていない力を不安に思って厳しく特訓したくなったら、
思い出してください
湯川くんと、イモニイのことを
私たちは完璧じゃなくていい
堂々と、生き生きと子どもの前で生きていればいいんです

生きるって、こういうことなんだよ!って

道の道とすべきは常道にあらず

常道を教え込もうとするのはもう意味がないんだってことを、
大人達は気づいているのに、やめられないんでしょうね
見せることができるのは、自分の生きてきた道、
それしかないし、それはあくまでも自分の道であって、
子どもたちの道とは違っている
そんなことわかっているはずなのに、ね