今週の座談会で話題になったまた別の話から、
私が思ったことを書きます
あるお母さんは告白しました
「子どもにこうあってほしい、と願うのは、わたし自身の願望なんだと気づいた」と

前回の内容にも共通しますが、
結局のところそこなんだ、と親御さん自身が気づいて、そしてそれを声に出す

座談会の意義はそこにあるのかもしれない、と私は涙をこらえました

みんな、思っていても言わないようにしていること
言わないでいると、本当にそう思っているのかどうかもわからなくなり、
自分の思いの正体に気づかないまま、知らずに子どもを追い詰めているのかもしれない
声に出して言ってみる
誰かに聞いてもらうことで、自分の思いの正体に気づかされる
誰かの話を聞いて、ああ、自分もそうかもしれない、と気づかされる

私も思い出していました
娘たちがまだ幼かった頃、
特に長女は第一子ということもあり、臆病で、引っ込み思案で、
何をするにもびくびくしていて、いつも私の陰に隠れているような消極的な子でした
わいわい子どもを遊ばせるような場に行っても私から離れず、
みんながホールを走り回っていても壁の花
または、抱っこちゃん
3歳とか4歳とか、わりと積極的な子がハキハキとする年齢になっても、
長女は人前では声を出さず、おとなしく、消極的でした
挨拶の声も小さく、よくある、何かいただきものをしても「ありがとう」が
ちゃんと言えないのです
さあ、その時の私は、というと…
例に漏れず、「なんて言うの??」って長女に「ありがとう」を促していましたよ!
「ちゃんと言いなさいっ!!」って心の奥で脅迫するが如く!!
懇々と話して聞かせたこともあったかと思います
あのね、ちゃんと大きな声で言わないと、聞こえないでしょう、
挨拶や、お礼はしっかりと相手に聞こえるように言わないとだめでしょう、って

いやーーー
数年後にね、気づきましたよね
親は子どもと同じ方を向いているでしょう
何かものをくださる方は、子どもと向き合っているでしょう
だから、見えているんですよね、子どもの表情が、よく
親には、見えていないんですよ
大きいから子どもを見下ろしているでしょう
さらに同じ方を向いていて、顔を合わせていないんです
子どもは、ちゃんと「ありがとう」って思っているんですね
その年齢だとハキハキ言える子もいるけど、言えない子もいるんですね
初めてどんぐり学舎に来てくださる親子さんの多くが、
親子して緊張している感じはもちろんなのですが、
私が「初めまして、こんにちは」というと、
親御さんはもちろん同じように挨拶して、それから、
子どもにもちゃんとした挨拶をさせようとするんですね
「ほら、ちゃんとご挨拶してっ……」
いやいや、挨拶済んでますから、大丈夫ですよ、っていうと、
「えっ」って驚かれることもあります
お子さんは、私の顔を見て、「初めまして、こんにちは」のあとに、
にっこりしてくれましたよ、って
今日はそれがれっきとした挨拶でしょう♪って

まあ、そんなこんなで、私も全然、わかっていなかったんですね
子どもが、精一杯の気持ちで、表現しているかもしれないことを
長女も、人前で声を出すことは得意じゃなかったけれど、
いつもニコニコしていて、彼女なりに、壁の花時代も、抱っこちゃん時代も、
楽しんで、吸収していたんだと思います
でも、親は焦りますよね
なんでみんなみたいにハキハキしてくれないの?
なんでせっかく来たのに思いきり遊ばないの?
って…

たとえば「いい高校に行ってほしい」という親の思い
いい高校=入学試験の難度が高い高校、と一般的に位置づけて書くならば、
その思いの詳細は、
「いい高校にはいい子が集まり、将来の進路の可能性も広がる」
だから、我が子にもそういう高校で勉強してもらいたい、
だから、今、がんばってほしい、と
ここまで、誰しも思うことですよね

ここからです
その思いは、実は、
「我が子がいい高校に行けば、親自身が認められたような気がする」
という正体を孕んでいることが多いのです

座談会で、ここまでのことを声に出して言ってくれたとき、
私は涙をこらえたのでした

よくぞ、声に出しました、と
そのことが間違っているとか、正しいとか、そういう話ではないんです
そんなこと、私にもわかりません
でも、かなり多くの方が、実は同じように思う自分の中にあるその気持ちに、
気づかされるのではないでしょうか

小学校の先生との宿題制限の話などの時に、よく親御さんたちから
「うちの子はできがよくなくて、先生に迷惑かけてばかりいるから言いづらい」とか、
「人と違うことをしたくない、と子どもが言っている」とかいったことで悩んでいると聞きます

子どもの「出来が悪く」先生に迷惑をかけている、と感じている親御さんは、
我が子がそのように評価されていることを自分の恥と感じていることが多いようです

人と違うことをしたくない、と子どもが言っている場合、親御さん自身が、人と違うことをして目立ちたくない、変な親だと思われたくない、と思っている場合が多いようです

学校の先生から呼び出されて注意されたり、我が子について指摘されたりしたあとで、家でその子をとことん叱ってしまうのもよく聞く話です
「よくも私に恥をかかせたわねっ!!!」とまでは言わなくても、
実はそんな思いの向こう側に…
気づいちゃった人も、いませんか……?

進学塾時代にはあからさまに、「我が家から○○高校に行かせるわけにはいかないので、どうしても△△高校(トップ校)に合格させたい」とか、「子どもは行きたがっているけど、私が生理的に嫌なので、あの高校は無理です」とか、それって紛れもなく親の意志ですやん!?っていう…振り切った大人の欲望、願望を見せてくださる方もいました
だいたい、そういう強い思いがある親御さんのお子さんほど、熱量が反比例して、ぐっと冷めていることが多いのも特徴的でした
言えば言うほど、思いをぶつければぶつけるほど、子どもは嫌気がさすのでしょう
ほら、子どもの立場に立ってみれば誰にでもわかるはず

「子どもも同じ意見です」と親がハキハキ言ってきても、
実際に生徒に聞いてみると「うーん…」っていうケースも多々ありました
簡単に言うと、意思疎通が図れていない、ということなのでしょうか…
親に「そうだよね?」「そうだよなっっ!?」て問い詰められたら、
子どもは頷くしかないじゃありませんか…

「いい高校に行けば、いい仲間ができて、将来の展望も拓ける」という一般的な情報は、全ての「いい高校」に当てはまるかというと実はそうでもなかったりもして、やはり、前回の投稿の「テレビを見れば(ゲームをもっていれば)いじめられない」という式が成り立たないことがあるのと全く同じなのではないかな、と思うのです

どんな高校に行こうと、通うその子自身が、自分の生きる道を切りひらいていくのです
親が付き添って、全てをプロデュースすることはできないし、
その後の人生の責任をずっと持ってやることもできないのです

でも、そういう「自分の思いの正体」を声に出せることって、
大人が親業を頑張っていく上で必要なんだな、って私は感じました
頑張らなくていいよ、って言葉で言うのは簡単でも、
結局、みんな頑張ってる
家で家族のことをいっぱい考えなくちゃならないし、
頭ではわかっていても、さとちゃんはそう言うけどさ~!!って
苦情が言いたくなることもあるでしょう
それで、いいんだと思うんです

何度も書きますが、かつて、育児は今ほど孤独じゃありませんでした
町も、家も、オープンで、親同士はしょっちゅうおしゃべりしていた
井戸端会議ってやつです
特に思春期の反抗期などは、お互いに子どもの愚痴を言い合って、
内心「やだ~あのお宅の子よりうちの方がちょっとマシだわ」なんて安心したりして、
それぞれが、家に帰っていった
で、また家の中ではいろいろとあるわけなんですが…
もっと話せたんでしょう
一緒に暮らす家族が多かったりする場合も、核家族とは違います
子どもにもはけ口があった
私の子ども時代などはまさにそんな時代だったみたいです
それでも、母は、自分の生まれ育った田舎の農村とは全く違う新興住宅街で、
私たちを心身共に豊かに育てていくためには…とアンテナを伸ばしていました
そして、いろいろな仲間を見つけていくんですね
私も、親以外の色々な大人とも出会って成長しました

きっと、その頃の親たちにだって、同じような欲望、願望があったはずです
子どもを通して自己実現させたい、という親は、今も当時も珍しくないはずです
でも、それに気づいたら、どうしますか?
それでも、子どもを通して自己実現させたいですか
それを背負っている子どもの立場になって考えてみると、どう思いますか
考えるだけで、いいんだと思います
そして、子どもと話すことです
実現させたかった夢を話してもいいじゃないですか
だから頼む!!みたいなプレッシャーをかけるためではなく、
自分はこうだった、本当はこうしたかった、
こう努力した、こう失敗した、でいいじゃないですか
子ども自身は、全く別の人生を、自分の特性を生かして、生きていく
自分の人生を楽しむために、生きていくんです

私たちにできることは、いつでも同じことを書きますが、
そのための力を備える礎を築くことと、
失敗してもやりなおすことができる、安全地帯を家の中に作ることです
具体的にどこの高校へ行ったら…どこの大学に行ったら…どの職業についたら…なんて経路は、考えてあげる必要はありません
どんな道に進んでも、堂々と生きていく
楽しく生きていく
失敗したらこの腕に戻ってくる
そしてまた、背中を押してあげる
その繰り返しで、子どもは、本当に自立していきます
きっと

えっ
私だってまだその途中
両手を広げて、子どもたちが転がり込んでくるのを待っているけど、
今度は逆に、私が子どもに助けられたりしてね
家族だから

なんて楽しいんだろう、子どもが育つということは