1mx85を解いた通信生の作品です
このような作品をどんぐり学舎では「巻き物」と呼んでいます
このような作品を作る種族(子どもたち)を、「巻き物族」と分類しています
…密かに、ね(笑)
1MX85
ダンゴム市の人口は、みんなで720人です。今、男の人の列と、女の人の列に各々1列に並んでもらっています。列は、女の人の列が男の人の列よりも20人多いことがわかりました。では、男の人の列には何人が並んでいるでしょう。
クロッキー帳見開きでは足りなかったんでしょうね
右へ、右へ、どんどんページがつけ足されています
見開きで足りなくなったら、このようにするのが原則です
足りない、まだまだ足りない…と、つけ足して、ついに答えが出たところは、こんなに長く続いた後です
これが、「巻き物族」の作品です
大人の方の中には、
いやいや、せめて10のまとまりくらいにしてもっと見やすく描いた方がいいでしょ
いやいや、普通、塾なら線分図で教えるよ、こういうの
さすがに720描くのはやりすぎでは?
なんて思う方もいるでしょうか
残念ながら、そんな風に思い、つい子どもに口だししてしまったら、
その子はこの問題で獲得するはずの思考力を根こそぎ持っていかれます
つまり、思考力はつきません
残念!!
心当たりのある方は、次回から気をつけてください
そして、1度奪ってしまったら、取り返すのに苦労すること、もしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないことを忘れないでください
決してお子さんを責めることがありませんように
さて
同じ問題に向き合っても、このように描く子ばかりではありません
最初から要領よくコンパクトにまとめて描く子もいないこともありません
最初から線分図を描こうとする子はほとんどいませんが、
どんぐり問題に出会う前に誰かに教わってそういった方法を応用する子もいます
実はそういう場合はかなり心配になります
この問題は「1MX」で、対象は小学校1年生なのですから
まだそんな抽象思考はしないでいい時期です
そういうことをしていたら伸び悩んでしまう未来が見えるからです
でも、初心者どんぐりさんで一番多いのは、
「こんなにたくさん描けないよ!!!」と投げ出す子です
たくさんの問題をどんどん解かなければいけないわけではないのに、
30分でも50分でももっとでも、時間をかけてこの問題1問だけ解けばいい状況なのに、
「描けないよ!」と不機嫌になったり、投げ出したりする子がいます
「全部描くと見えるよ」と私がにっこり言うと、
「ほんと?」と信じて一生懸命描く子もいれば、
「わかんない!!」と投げやりな態度を変えない子もいます
その子の性質によるのかもしれませんが、
もったいないなあ…とどんぐり問題以外のことに対してもきっと、似たような状態なのだろう、と想像できて残念に思います
たとえば、忙しく過ごしているのかな、とか、合理的に、効率的に生活することを習慣づけられているのかな、とか、周囲の大人が時短、時短、で短絡的にものごとを実行したりする姿を見せすぎているのかな、とか…いろいろ想像して残念に思います
子どもは、回り道すればするほど賢くなる、優しくなる、と私は信じています
大人のペースにひっぱりこんではダメなんです
「全部描くと見えるよ」なんて言葉も、本当は掛けたくない言葉なんです
どんぐり問題では、解いている最中に一切声かけをしないのが指導者のルールです
私が「全部描くと」なんて言葉を掛けたら、その子は、その後、たとえば「10のまとまりにしたらもっと簡単かもしれない…」と気づいたとしても、「でも、さとちゃんが全部描く、って言ってたな…」とチャレンジを諦めてしまうかもしれません
だから、指導者として、言葉を発するときには慎重に選ばなければなりません
さて、それにしても、「巻き物族」はいつまで「巻き物」を描き続けるのでしょうか
このまま、…4MX…6MX…と進化を続ける子の中で、ずっと巻き物を描き続ける子はいません
それはどうしてなんでしょうか
もう一つの別のパターン、「当てはめ族」という種族も確認されています
3MX92
2000円持って、花屋へ行きました。1本210円のバラを何本かと、600円の花瓶を買ったところ、140円残りました。買ったバラの本数は何本ですか。
3MX93
450円の入れ物に、同じ値段の柿を6個入れて1000円払うと、190円のおつりが来ました。柿1個の値段を求めなさい。
これは、一応3年生の問題なので、もちろん方程式は使いませんし、四則を自在に使いこなすところまで行っていないので、いま、大人の方が思いついたような解き方では、子どもは解きません
92の方は、2000円のお金を描いて、花瓶の値段とおつり以外の金額がバラの金額だ、と気づくところまでなんらかのことを描けたら半分OKです
そこから、210円のバラを何本買ったのか、検証が始まります
花瓶とおつりを2000円から除くと、残りは1260円です
ここに、210円のバラを何本買うことができる金額が残っているのか、子どもたちは検証していきます
この方法はもちろん1つではなく、子どもによってそれぞれ違った方法でのアプローチが始まります
これまで私が添削した全ての作品をここでご紹介できたらいいのですが、残念ながら、私の脳内に画像が残っているのみで、紹介できずすみません…
93も似ています
今度は柿を6個買うことは決まっているので、柿1個の値段を求めるわけです
絵を描いていくと、計算をしないでも答えは見えるので、そこで問題は解けたことになります
これらの問題の解き方で、多いのが、「当てはめ族」の解き方です
1260円で210円のバラが何本買えるか…
そうだなあ…1000円より多いから、まあ、3本は余裕で買えるな、
210円、210円、210円…630円かあ…まだまだいけるな
あと1本、210円…840円…まだいける
あと1本、210円…1050円、あ、もう少し
もう1本、210円…1260円!当たった!
…ってことは、3,4,5,6本!答えは6本だ!
これが「当てはめ族」の解き方なんです
えーー!
1260÷210=6で即答じゃん!って思いますか
こんな面倒で、算数っぽくない幼稚な解き方の、どこがいいんだろう?って思いますか
私は密かにこの解き方を「当てはめ族」の解き方と思って見ています
ちっとも不安じゃないし、ちっとも心配ではありません
たとえ割り算を知っていても、この解き方をする子はたくさんいます
でも、
…4MX…6MX…と進化していくどんぐりっこの中で、この解き方を続ける子はいません
「巻き物族」も「当てはめ族」も、いつしか、メンバーを替えていきます
いつまでも、残留するメンバーはほとんどいません
どんなタイミングで種族を抜けていくのでしょうか
種族を抜ける、つまり、巻き物族や当てはめ族を卒業する子のキーワード、
それは、「探究心」です
「解き方」を見つけて、安心して、ずっとそのパターンで解き続ける子もいます
どんぐり問題には、似た問題や、なんなら全く同じ問題だって出てきます
以前にそれを「正解」したことがある子が、過去に自分で解いたページを一生懸命に探して、それを真似て解いていたこともありました
もちろん、それに対しては声を掛けました
前にやったの見なくていいよ、今の○○ちゃんの新しいのが見たいな~見せて~って
どんなに声を掛けても、どんなに工夫して新しい気持ちにさせようとしても、
過去の正解に囚われ続けた子もいました
6年生まで、かたくなに、過去の正解にこだわり、その「解き方」で解ける問題しか選ばず、ついに、全く進化せずに卒業した子もいます
中学生になっても、「解き方」を教わらないと前に進めないので、とても苦労していました
「解き方」を覚えて解く勉強方法で進める場合、膨大な「解き方」を暗記しなければなりません
その手段をとる勉強法もありますが、そういう場合、記憶力に相当自信がある子にはいいのですが、そうでない場合は、身動きがとれなくなります
「解き方」を覚えきれず、自分で考えることもできないのですから
過去の正解にこだわる場合、それは、その子の性格で、安定志向なんじゃないかとか、過去の自分が認められたことを再確認して安心したいだけなんじゃないかとか、いろいろなその子の心情は想像できます
でも、それらを含めて、その子のおかれた状況は、
「正解でなければいけない」ということにとらわれ、新しい方法を探求できない、または、探求する必要がない、という価値観に囲まれている、ということです
誰がそんな価値観で囲んでいるのか?
それは、身近にいる大人たちであることがほとんどです
誰にも何も言われないのに、自分で勝手に生まれつきそういう価値観で自分を固めている子はいません
「すごいね!」
この一言で、そういう状況に陥っていく子もいます
正解するまで許さない、宿題が終わるまで許さない、という大人の強制、
間違えたり、点数が低かったりしたときの、大人の表情を見て、
誰かと比較するような言葉を掛けられて、そうなる子もいます
子どもが、「勉強」をするとき、周囲の目を気にして、評価を気にして取り組んでいる以上、
本物の探究心は生まれません
720人、また描くぞ~……ってちょっと待てよ、もっと別の方法はないかなあ
1260円で210円のバラ何本かな~……ちょっと待って…これって割り算じゃん
「もっと別の方法があるよ、たとえばこんな風に」
「1260円で210円のバラが何本買えるかは割り算でわかるよ」
と、言われて解くのと、自分で気づいて試してみるのと、
子どもの中ではじける何かが、どれだけ違ってくるか、少し想像したらわかりますよね
私の目の前で、ぐんぐんと進化していったどんぐりっこたちの特徴に共通しているのは、
もっといい方法はないかな?と自分で探求する気持ちでした
あ、これ、前にも解いたことがある、と気づいた時なんか顕著でした
前述したような、以前の自分の正解例を見返して真似る子と全く逆で、
今度は全然違う方法で描いてみようっと、と冒険するのです
どうしてそのような差が出るのかは、個々の状況によります
一番大きいのは、
身近な指導者や親御さんが
「正解を求めない」こと、
「成果を評価しない」こと、
そして、
子どもが自分の発想で、自由に遊び、暮らすことをたっぷりと体験する時間を保つこと
失敗を許すこと
よく話すこと
よく聞くこと
そして、子どもそのものを、楽しんで見守ること
そんな風に見守られている子どもは、安心して探求に進んでいきます
冒険もします
だって、間違えちゃったり、失敗したりして、振り向くと、
そこにはニコニコして両手を広げている大好きな人がいるんだから
大丈夫だよ、って笑って受け止めてくれるんだから
私たちだって同じでしょう
毎日一生懸命暮らしてる
でも、失敗することもある
間違えちゃうこともある
それを責められ続けたら
それを許してもらえなかったら
2度と挑戦はできなくなります
自分で工夫してみよう、なんて思えなくなります
巻き物族も、当てはめ族も、時々出会う、私の大好きな子どもたちの種族
でも、放っておくとどんどん卒業してしまいます
私は「へ~」「ほ~」とにやにや添削しているだけ
余計なことは言いません
ある日、ある生徒が言いました
その日まで、巻き物族の一員でした
「…ん~……めんどくせぇなあ~」
あ、それ禁句!って言おうとして彼の顔を見ると、
嫌がっている顔と違っていました
やってやるぞ!という顔をしてた
だから放っておきました
しばらくして、クロッキー帳を持って添削に来ました
「あのねえ、さとちゃん、めんどくさいからこうにしてみたんだよ」
見開き1ページで収まった彼の作品を見ることは珍しかったです
「ほう」
とだけ言って、私はニヤニヤ添削しました
その後、彼は見開きで解くようになりました
まだまだ、荒削りですが、どんどん、研ぎ澄まされています
次の進化はいつだろう
毎日、そんなわくわくの中にいます
大事なのは探究心
そして、
安定しなければならない、
正解しなければいけない、
試して失敗したら恥ずかしい、
挑戦するのは怖い、
と思い込ませてしまう可能性、そんな環境
もう一度振り返って考えてみてください
たった一言で、子どもの可能性を封じ込めてしまったかもしれません
だって、子どもにとって大好きで、一番大切な人からの
言葉なのだから
でも、大好きだから、きっと許してくれるはず
もう一度、一緒にゆっくり進化すればいいんです