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みぎの おさらには 13この おまんじゅうが おいてあります。ひだりの おさらには 5この おまんじゅうが おいてあります。 では、みぎのおさらに おいてある おまんじゅうの かずと ひだりの おさらに おいてある おまんじゅうの かずの ちがいは いくつでしょう。

月2ペースで来ている「ときどきどんぐり学舎」をご利用中の1年生(通称ときどきさん)
1年生になったばかり
どんぐりも始めたばかりです

よみきかせ方式
私が読んだところまでを絵にしていきます

この問題の場合、句点(。)ごとに区切って読みました

どんぐり学舎の場合、集合したらゲームをするか、読み聞かせをするかしてからどんぐりタイムになります
ご家庭でも導入の工夫をするといいかもしれません
ご家庭ならおやつタイムがいいですね
おやつを食べながら、という言葉をいろいろに解釈して、大袋のお菓子や、お腹がいっぱいになるほどの大きなおやつを用意して本当にもぐもぐしながら、描いてはつまみ、描いては食べ、しているという話も聞きますが、私が思うに、おやつはリラックスするためのアイテムなので、始める前にほっと一息ひとくちおやつ、という程度がいいのではないかと思います
おやつに気をとられすぎてしまっていると思ったらそのように工夫してみてください

どんぐり学舎では、おやつタイムのかわりに(?)お楽しみタイムを経て、どんぐりタイムとなります
よく、「切り替えができないのでは」と質問されますが、教室では仲間がいるせいか、切り替えられずいつまでも遊ぼうとする子はいません
ご家庭では確かに、遊ぶ時は遊ぶ、とたっぷりさせないと、時間で区切るのは難しいかもしれませんね
初めて来た子も、周囲の子が「さ、じゃあどんぐりしようっと」とさっさと切り替えるのを見て、自動的に同じようにしています

さて、この1年生も、みんながどんぐりを始めたので、「さとちゃん読んで~」と言い出しました
私が一文読むと、「何を描けばいいの?」「お皿を描けばいいの?」「おまんじゅうって何?」とか、知っているのにわざと聞いてきたり、何からどう描けばいいか聞いてきたりするのも初心者あるあるです

「何をどうに描いてもいいよ~ さとちゃんが読んだ言葉の通りに絵に描いてみて~」と私はさっさと自分の席に戻ります
全ての質問に敢えて反応しないで聞き流すこともあります
それは無視しているわけではありません
その子も、本当にわからなくて質問しているのではないからです
「おまんじゅうって何?」って~!!
でもね、あとで考えると、おまんじゅうって言われても…温泉まんじゅうなのか、酒まんじゅうなのか、味噌まんじゅうなのか、肉まんなのか、あんまんなのか、ピザまんなのか…本当に知りたかったのかもしれません(笑)
でも、それもこれも、自分で決めて描いていいのがどんぐり
そのうち、聞かずに自分で好きなおまんじゅうを描くようになります

私がおまんじゅうについての質問に答えないので(笑)仕方なく、自分で描き始めました
まずはお皿を描いているのが目に入ったのですが、まんなかに○を描いています
なんだろう…と内心、思いながら、視野に入れていました
じっと見ているのではありません
全員の様子を時々ちらっと見ている程度です
私は私の机で作業をしているのです

そのあと、おまんじゅうをかいたのですが、最初に描いた○をカウントしていないので、どうやら最初のまるはおまんじゅうではないようです
なんだろう
高台かな…でもそれは裏側だし…おうちにあるお皿のどこかをイメージしているのかな…
いずれにせよ、子どもが描く絵にはなんらかの理由があるので、敢えてつっこみもしません
ただ、あとで混乱するだろうなあ…とは思いながら見ていました
3つめの文まで読んで、おまんじゅうを描き終えると、「これは…」と自分で、最初に描いた真ん中の○が紛らわしいことに気づいたようでした
「色を塗っちゃおう」とひとり言を言って、「おまんじゅう」のつもりで描いたまわりの○をぐるぐると塗り出しました
そのうち、「ばってんつけちゃおう」といって、最初に描いたまんなかの○にバッテンをつけました
全部のおまんじゅうをぐるぐる塗るのは面倒だな、と思ったのでしょうか
右のお皿も、左のお皿も、同様に真ん中の○にばってんがついています

「読んで~」というので、最後の文をゆっくり1度だけ読みました
この問題は0MXです
年長さん問題です
だから、引き算ができるかどうかは重要ではありません
というか、引き算を書く必要などありません
でも、小学校に入ると引き算を習い、「ちがいは」という言葉があったら引き算ですよ、なんてことを教わってきます
これが俗に言う「まほうのことば」ってやつで、「ちがいは」「のこりは」などに線を引かせて、この場合は引き算の式を立てましょう、って教えてしまう方法があるのです
引き算の単元を扱っている時だけ引き算ができればいい、という短絡的な指導法なのですが、これを徹底的にやられると、応用問題が解けなくなります
これを、子ども自身が気づいて判断しているならいいのです
あ、この言葉はもしかして…と
例外もあることも、子ども自身が気づきます
でも、最初から教えてしまうことは本当に危険なのです
でも、学校では、「どの子もみんなできるように」という大義名分のもと、このような指導がなされ続けて長いのです

このときどきさんは、前回解いたとき、絵は一応描くんだけれども、そのあと、指を使って数えていました
他の1年生の中には、もう、「これは引き算だ!」と計算式を書こうとする子もいます
本当にもったいない…と思います
せめて計算だけは…と入学前に文字や数字や簡単な計算を習得させて…なんて考える親御さんも少なくないようですが、本当にそれだけはもったいないのでやめた方がいいです

そうそう、指を使って計算するのはとてもいいことです
糸山先生はデンタくんという計算機を推奨しています
手足の指を使う計算機です
最初はデンタくんを実際に描いて使い、そのうち、頭の中にデンタくんを思い浮かべて自在に動かせるようになります

指はちょうど10本あり、
右と左で5本ずつ
10進法の計算ではとても便利に使えます

…というか、糸山先生はいつかの講演で、「人間の指が10本だから10進法ができたのではないか」と話していました
確かにそうかもしれません

さあ、でも、せっかく絵に描いているのだから、どんぐりの時は絵から目を離して指を数えなくてもいい、私は視線を絵に戻すよう工夫しています
指はダメ、なんて言いません
どうしたら自分の描いた絵で数えられるのか、考えてもらうのです

この子は前回、指で考えようとしたので今回はどうかな、と思ったら、案の定、最後の文を読んだ後、鉛筆を置いてぱっと両手のひらを目の前に広げていました
うんうん、そうだね、その習慣があるんだね
でも、私は一度だけ、言いました
絵で数えてご覧、と

それからしばらくその子を見ないようにしていました
他の子の添削などしていたら
「さとちゃん、できた!」とその子はノートを持ってきました
それがこの作品です
「ちがい」をどのように数えようとしたのか、その痕跡がここです

左のお皿のおまんじゅうの数、5個分と、その差である残りの部分を識別できるよう、
さっと1本、緑色の線が引いてありました

大げさだと思うかもしれませんが、私はこれを見てぞぞぞっと鳥肌が立ちました
この子は、「ちがい」を数えるために、その差が見える部分に自分で線を入れたのです
そして、その先の部分がその差であると気づき、数えたのです
(番号を振ったのは添削時、私です)
習ったばかりの数字で、「8」と大きく書いてくれました
私が単位をつけました

糸山先生はよくおっしゃいます

大人がたった一言助言するだけで、
大人がたった一言ヒントを言うだけで、
指さし、ここがこうじゃないか、と教えるだけで、
その子がその時獲得するはずだった思考回路を獲得できない状態にしてしまう
そしてそれは、もしかしたらもう二度取り戻せないかもしれない
その子がそこで獲得するはずだった思考回路は、二度と獲得できないかもしれない



そんな大げさな、と思う方もまだいるかもしれません
でも私にはわかります
本当にその通りだと
この1本の線を引くために、この子に必要だったのは、
どんな風に描いてもいい、それは自分の自由だ、ということと、
(肉まんでもピザまんでもいい、っていう、ね)
間違えることを恐れない、という初心者なら本来純粋に持っているはずの部分が守られていたこと
そして、一瞬指を見たけれども、そういえばもう数を数えながらここに描いたんだな、と視点を戻せたこと

私が目を丸くしたことや、実は鳥肌が立っていたことに、気づかれなかったかな(笑)
この子が、「自分の描いた絵を使って考えて数えることができた」という経験を、大切にお腹の中にしまってくれたらいいな、と思いました

指やデンタ君でできるのは、小規模な計算まで
でも、どんぐりを小学校時代に解いていくことで、
頭の中には計算以上の思考が、視覚イメージとして再現され、操作できる状態に育まれていきます
そこから数学や、他の全教科の理解につながっていくのです

この1本の線を子ども自身が自分で考えて引く、ということがどれだけ重大なことか、
考えていただければ、指導者(ご家庭では保護者)として大切なことがなんなのか、簡単にわかると思います

これから始まるであろう、学校の授業での「まほうのことば」とやらに、
惑わされないことを祈ります…