学校での一斉授業で、
同じ教材を使い、同じ解き方を教え、みんなで同じことができるようになることを目標としているのと同じように、どんぐりでも誰かと比べ、優劣を気にし、同じようにできることを理想と思い込んでしまうのは危険です

たとえば短距離走でオリンピックに出た選手に走り方を教えてもらえるとして、教えてもらった全員がオリンピックに出られることはもちろんないし、全員が同じ進化を遂げるとは限りません
そんなことは少し考えたら誰でもわかること

スポーツの場合、誰にでも見える体格差や器用さの違いなどがあるから、「そりゃそうでしょ」って思う人が多いと思うんです

思考力だって同じで、生まれてからそれまでの、目に見えないその子が育ってきた環境や、持って生まれた気質、性質がそれぞれにあって、小中学校で同じ経験を積んでも同じ結果になるとは限りません

それでも大人は「願う」から、
鳶が鷹を生む、とか、蛙の子は蛙、とかいう諺が存在するのでしょう

どんぐりは、でも、やっぱり、鳶だろうと蛙だろうと、
誰でも手に入れることができる力を獲得する方法を全て公開しています

ただ、経験者はわかるだろうけれど、今の世の中、どんぐり式を貫くのは少し困難を伴います

だからこそ、こんな風に子どもの思考力が伸びることを間近で見ていると、
子ども自身はちっとも訓練せず、ちっとも追い詰められず、ただただ、週に1回どんぐりを解いているだけなのに、こんな風に遊び心満載の絵を描きながら週に1問解いているだけなのに、親御さんが陰になり日向になり頑張っているだけで、ここまで進化することを毎日見ていると、
親御さんのその努力は報われるんだよ、って大きな声で言いたくなります


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カニの介は一歩で25mm、カニの心は一歩で30mm歩くことができます。二人は、お母さんに頼まれてお遣いに行くことになりました。カニの介は15cm離れているお魚屋さんへ、カニの心は12cm離れたパン屋さんへ行きました。二人が、家を出て帰ってくるまでには、どちらが何歩多く歩くことになるでしょうか。

どんぐりを実践しようとしていると、「できる子」の作品が気になって、「うちはまだまだだ…」と悩んでしまう、というご意見を時々受けとります
環境設定も頑張って、あれもこれも、先生に言われたとおりにしているのに、なんででしょう、って声も届きます
なんでなのか、私にはわかりません
ただ、毎日、何十年も子どもたちとつきあってきてわかるのは、
目の前に出される「結果」と、子ども自身の人生の「結果」とは全く別のものだ、ということです
つまり、
どんぐり問題が解けるとか、解けないとか、
学校のテストができるとか、できないとか、
そんなことはただの表面上のことであって、
本当に大切なことはそんな表面上にはないということです
だから、お子さんの進化を妨げているのは、もしかしたらそうやって目の前の結果にこだわる親御さん自身の心なのかもしれないのです

私はたまたま、子どもを授かるずっと前から子育てにすごく興味があって、
シュタイナー教育に出会ったのが17歳のときでした
それから心理学を勉強するうち、人間の心はどこで作られるのだろう、とずっと考えていました
おぎゃあ、と生まれた赤ちゃんが、
いずれ大人になり、
優しい人になったり、厳しい人になったりする
人を癒やす人になる人もいれば、人を傷つける人になってしまう人もいる
その差はどこで生じるのだろう、と少女さとちゃんは考えました

思いっきり集中して勉強をすると、点数は取れるんだな、という経験もしました
でもそのことで自分の価値を決められることに抵抗がありました
だから思い切り怠けて何にもしない期間も味わいました(←物は言いようw)

結局、どんな自分も自分に違いないわけで、
他者からどんな風に見られようと、自分自身は何にも変わらないわけで
紆余曲折、悩んで、苦しんで、色々あったけど、結局、
自分の幸せは自分で決めていい、という境地にちゃんと降り立ちました

だから、子どもの幸せも親が決めてやるものでも、用意してやるものでもないと心から思います
子どもが幸せなら親の私も幸せだけれど、
子どもがどんな状態を幸せだと感じるのかなんて、親の私にもわからないのです

世間的に言って、これは幸せだろう、と予想しても無駄です
小さい頃からそう親から言い聞かされて、親の言うそれが幸せなんだろう、と思い込みながら育つ子もいます
でも、いつか気づきます
自分で本当に幸せだと思うことが、親から言われていたことと違うかもしれないことに

どんぐりは、子どもを矯正する方法ではありません
むしろ、
子どもを矯正しようとする様々な方法から子どもを守るための手段です
それは、
どんぐりを深く学ぶことで、親が解放されるから、そう言えるのです
世間的な理想に無理に近づかせようとすることや、
親のエゴで子どもを思い通りの進路に導くことが、
実はとても危険で、愚かなことかもしれないことに、親が気づけるからです

どんぐりをしなければならないのではありません
親が学ぶためのきっかけではあるけれど、
そういう表面的な、対症療法のようなことを言っているのではありません

子どもを矯正し、子どもの本来の成長を妨げてしまうことを避けるためにどんぐりがあると私は思っています
環境設定はどんぐりを始めるにあたっての最難関課題と言われていますが、
それらのほとんどが、子ども本来の成長を妨げていると考えられているから仕方ないんです

最近、どんぐり問題を解いているけれど、テレビも無制限で、ゲームも持たせている、という方々の話を聞きました

それでは、どんぐりの効果は出ないと思います

私の知人で、糖尿病の方がいるのですが、医師から処方された薬を厳格に守って大量に飲みながら、食の嗜好は変えられずにいて、一向に病状は改善していません
その方のしていることと、よく似ているなあ、と思います

好きなことはやめられない、やめさせられない、でも、いいとこ取りでとりあえずやっておこう、と
それでも、全く効果がない、とは言い切れませんが、
この子のような進化はあり得ないと思います

どんぐりをする、ということは子どもに何かをさせることではなく、親が覚悟をする、ということなんです

こんな面倒な方法を自ら選ぶ人がいるのが、本当に不思議なくらい、それでも、少なくない問い合わせや相談に、私は子どもたちの未来に光る星を見る気持ちです

先ほど、子どもの幸せは親にはわからない、と書きました
でも、子どもは、親が幸せだと幸せを感じるようです
親はどうなったら幸せなんでしょうか
何かや誰かの思想にとらわれず、ありのままのお互いを大切にし合えたら
きっと幸せなんじゃないでしょうか

そして、一番初めの方に書いた、陸上の話
もし、一度だけそんな選手に教わることができたら、その一日で走り方を変え、タイムを伸ばし、ぐんぐん伸びていく子がいるでしょう
その一方、その日はまるで改善できず、タイムも伸ばすことができない子もいるでしょう
だったらその日は無駄だったのか、そのレッスンは無駄だったのか、ということも考えなくてはなりません
子どもの伸び方はそれぞれで、つかむタイミングも違います
その日何にも変えられなかった子でも、少し後に、もしかしたら何年か後に、「ああ、こういうことだったのか」と気づいて目覚めるかもしれません

でも、そのレッスンの日に「キミは伸びないな、ダメだな」ともし誰かに言われたら
その子は二度と、本気で走ろうと思えないでしょう

子どもの近くにいる人の誰もが、このことを肝に銘じておくべきです

子どものために、親が幸せになるのが先決です
誰かの評価や指図を受けず、自分で人生を選択しましょうよ