「馬車が6台ありました」まで読んで描いた時点では、空の馬車もあったみたいで
(右のページにもう一台描いてありました)
どんぐりを始めたばかりの1年生の作品
カラフルで素敵な馬車にうっとり
他の問題に取り組むのも楽しみです
これから、これから

幼少期の遊びと、学童期からの勉強が「直結」していることを、どれだけの人が知っているのかな、と思うことがあります
最初から一貫して、その後どうなるかわかっているならまだしも、
幼少期の遊びから(初動から)ある方向を確定してしまって、
その後、小中学校に入ってから、やれ、落ち着きがない、勉強嫌い、雑、やる気がない、と大人は文句を言い始めます

大人が確定した子どもの遊び方です
それなら最後までしっかりと大人自身が責任を持ってほしい
子どもが勝手にそうなった、と絶対に思わないでほしいな、って
そういう愚痴を聞く度に思うのです
絶対に文句を言わないし子どもを責めないっていうのなら、
私も全然、気にしません
いい親に育てられてるね、って思うだけです

それでも、子どもをターゲットにしたビジネスは多種多様で、
しかも「育脳にいいですよ」「学力があがりますよ」なんて謳い文句で並んでいる玩具さえあります
テレビ番組は見ないと話題についていけずいじめられるよ、って先輩ママから吹き込まれ、
ゲームもスマホも同様
そういう相談を受けると、私はいつも聞くのです
「テレビを見ていないからと仲間はずれにするような子と友達になれないことは残念ですか?」
「ゲームを持っていないからと他者をいじめるような子たちの、仲間に入りたいですか?」


テレビを見ていても、ゲームをしていても、友達を思い遣る気持ちのある子はいます
そういう子は、テレビを見ない家庭の子を仲間はずれにしたり、ゲームを持っていないことを馬鹿にしたりはしません
私はむしろ、そんなことで仲間はずれをしたりいじめたりするような性質の子と近づいてほしくないから、逆に距離をおけてありがたいわ~と思えばいいのに、と思うのです

いつも書きますが、テレビやゲームが悪いのではなく、その扱い方が問題なのです
テレビで見たから友達にやってもいいと思って育っている子がいます
一時期、他人の頭を叩くお笑い芸が流行し、日本中の子どもたちの多くが突然隣の子の頭を叩き始めたりしたこともありました
親の名前を呼び捨てにするアニメキャラが流行して、日本中に親を呼び捨てにする子が増えたこともありました
ゲーム内で暴言を吐かれ、体を動かさないでゲーム内でバーチャルで暴力をふるうため、現実世界でそのストレスを発散する子どもたちも問題になっています

それらさえも私は、子どもやテレビ番組やゲームが悪いとは思えません
悪いのは、大人が楽しむ娯楽のテレビ番組を何の判断もせず子どもに見せる大人であり、
大人でも熱中してしまうようなゲームを子どもに与えた大人です
何事にも、接するのにふさわしい時期があり、
特に子どもに関しては、小児科という専門医がいるほど大切な時期
そばにいる大人は、その意味でも、子どもが接触するものごとについて責任を負い、判断をしながら決断をすることが必要なのです

ただ何も考えず、ぼーっと見ているだけで楽しみを与えてくれる物
ただプログラムにのっかって、自分では何の工夫もせず決められた通りに操作するだけでわくわくするような世界が展開するような機械
いや、テレビだってゲームだって頭を使うもんだよ、と言う人もいますが、
子どもたちの成長期にその手段で「頭を使う」過程、いるかなあ?と答えるのです
逆に、ある程度思考力が成長していないと、
テレビやネットやゲームの中の虚構の世界を現実世界と区別できなかったり、
テレビやネットで流れている言葉や映像を真実だと思い込んで振り回されたり、
また、「娯楽」に没頭するあまり、生活に支障が出るほど時間やお金を費やしてしまう
そういう風になってしまう可能性はないかい?と問うこともあります

だから、
それらと接触する時期は、もっと子どもの身近にいる大人が見極めて注意深く選ぶべきではないの?と

どんぐりを解いている子どもたちを見ていると、
子どもたちが「浴びている」ものが見えてきます
真っ白の大きなクロッキー帳の見開きに、解法の絵図を自分一人で描き起こす、というとても高度なことに挑戦しています
コドモゴコロを失いがちな大人が問題を読んだり、その過程を知ったりすると、
「そんな幼稚な方法で」と嘲笑することもあるようですが、私はこれ以上高度な思考力養成方法を知りません
多くの大人は、難度の高い問題集を解くことや、たくさんのことを暗記して暗唱できることのほうが「学力を高める」と思っていることでしょう
でも、専門家の端くれである私には、そうは思えないのです
そういったことで「学力」を計れるのは、中高生になってからです
小学生の間は、そんなことをしている「暇はない」というのが適切な言葉です

受け身の遊び…
楽な遊び
自分で何も工夫しなくても楽しめる遊び
勝敗だけの遊び
そして、人工的で刺激的な遊び
そういうもので満足する経験があると、
子どもは一瞬で、自分の頭を積極的に動かすことをしなくなります

たった1回のそういった経験で一気に思考しなくなる子もいれば、
ほんの時々なら影響を受けない子もいます

(電子機器の視聴等を)週末なら大丈夫ですよね?とよく聞いてくる方がいます
それは私にはわかりません
なぜなら、その影響をどこまで受けるのかには個人差があるからです

子どもを見れば影響を受けているかどうかわかります
それで、「お子さんに影響が出ているようだから、控えた方がいい」と私が言ったとしても、
実は、そういった遊びから思考力を健全に育む素朴な遊びへと方向転換させることは少し難しいのです

まず、そういった遊びって、親御さんは「楽」ができるからです
ただ見せておけばいい、ただ手渡せばいい
家の中で静かにしているから危険もない、子どもに気を配ることは少ない
だから、それで遊んでいる間、親御さんは楽をしているはずです

そして、お子さん自身も、そういった「受け身」の遊びでは「楽」を覚えています
自分が体を動かす必要もなければ、あれこれ工夫する必要もない
動画視聴ならボーッと見ているだけで面白いし、
コンピュータゲーム等ならボタンを押したりする程度で空も飛べるほど冒険できる
「夢がある!」と思いきや、実は、子どもたちにとっては弊害も大きいと言われています
体が発達する時期、そして、自分の体が接触することによって物が動く感覚を知る時期、
ボタンひとつで画面上のもの(自分の分身)を動かす、という遠隔操作のようなことが、実際、子どもの脳にどのような影響を与えているのかは未知で、今の時点では視覚障害などの弊害は確認されていますが、脳に与える影響などは調査の最中
つまり、長い時間をかけていつか、結果は発表されるので、現時点でそういった状況にある子どもは長期実験の材料と考えられるわけです
「どうなるかわからない」「危険かどうかわからない」のに我が子を差し出すということが、子どもにとって「自己責任」ではなく、親の責任であることはここでも証明されていると思います

どんぐりを解く様子でわかること
私がバロメータだと思っているのは、
嫌がらずに果敢に描いているかどうか
面倒がらず描いているかどうか
どんぐり初期段階で簡略化せず丁寧に全部描いているかどうか
(どんぐり最終段階では簡略化・合理化が見事になされはじめます)
大きな読み違い、聞き違いをしないかどうか

これらは、どんぐり経験と共に変化していくチェック事項です
子どもそれぞれが、全く違うタイミングで徐々に獲得していく力がありますので、
それを見極めて、進み方を見ているのが実際です
私は多数の子どもたちを見て見極めていますが普通は家庭で我が子のそれを見ていればいいのです

いつも読み間違いやよみ落としをしていた子が、急にそういうミスをしなくなることがあります
いつも丁寧に慎重に描いている子が、突然読み落としが多くなることもあります
それらを指摘して、直させたり改善させたり理由を聞いたり説教したりすることはもちろんしません
原因はこの場所にはないことがほとんどだからです
そういうことに気づいたら、御家庭では、子どもを取り巻く環境や子どもにかける言葉の速さ、種類に気を配り直します

単純な例だと、
お母さんに(別件で)お説教をされて心身が落ち着かない状態で教室に来た時
送迎がいつものお母さんではなくお父さんで、カーステレオでガンガンに音楽を聞いてきた時
おじいちゃんがおやつにコーラとポテチを出したあと
子どものどんぐりは乱れます(笑)
そんなことくらいで影響を受けない子もいますが、
そんなことくらいで影響を受け、情緒が乱れる子もたくさんいます
だから「そんなことくらいで」と言えないのです
だから子どもの育つ環境は大事なのです

どんぐり問題は、短い文章を絵図に起こし、解法を視覚イメージにするための問題です
一文字も読み違えられない端的な文章で、読み落としをせず、全て絵にする、というルールで解くうちに、くまなく読み取る、という読解力が身につきます
この
「くまなく読み取る」という読解力が、
中学以降、大きな力に成長していきます

どんぐりをする時に、「よく読みなさい」などと注意することもありません
ただ、よく読まないと、少しずつ切って読みながら絵図にしていかないと、どんぐりは解けない、と知って解いていますから、子どもたちはどんぐりを解く時に、自分で細心の注意を払います

前述したような「情緒が乱れるきっかけ」がない方が、より慎重に集中できますので、
やはり、子どもにとって情緒の安定は不可欠です
そんな小学生時代を経て、中学生になった子たちが、
目の前にある教材を「くまなく読むかどうか」ということだけで、
わかりやすく学力差がついていく、というのも、私が毎日目にする事実です

点数が取れない子は、読んでいない
目の前に書いてあるのに読み取れていない
さっと雑に読み通してしまい、検証もしない
それは、
与えられた遊びで満たされた子たちの特徴でもあります
電子機器で遊ぶ受け身の楽しさを味わいすぎた子たちの特徴でもあります

DK以外でも、中学生に勉強のアドバイスをする機会がありますが、
もし、中学生になってそういう状態の子に出会ったとしても、私は、その時点でその子が気づけるよう導くようにしています
「わからない」と言われ教える時も、ほとんどが、ただ書いてあることを私なりに言葉を変えて読んだり、絵図にして解説したりするだけで理解に到達した場合、私がどのようにして解説したのかを後で説明するのです
私は、言葉を変えただけ
そして、絵で説明しただけ
と、いうことは、自分でこの理解に到達したかったら、同じようにやってみるといいよ、と言うのです
その時は、目を輝かせ、「はい!やってみます!」と言います
でも、
ほとんどの子は、ひとりになると同じようにはできません
読み取り、検証し、自分でいちから思考することに、あまりにも慣れていないからできないのです
だから学校の先生は小学校でも型にはめるような教え方をします
中学校では塾が必要になります
またいちからじゅうまで教えてもらう必要があるのです
そう、決められたプログラムにのっかって遊んでいたのと同じように、
決められた通りにしか勉強もできない
だから、ずっと、退屈で、苦痛が続くのです
だから、家ではまた、楽に遊べるネットやゲームに没頭してしまうのです
それしか、リラックスできる方法がないのです
そんな環境でそのような思考習慣を育ててしまった親御さんはというと、
そんな中学生をなんとかしようとせっせと塾に大枚払ったり、送迎したり、お説教をしたりしてお尻を叩きます
私から見れば、
小学生のころ、もう少し子どもの育つ環境を意識して整えていたら、
親子してこんなに苦しむこともなかったのに、と思うのですが

週末くらい、いいですよね?と質問してくる親御さんにはクロッキー帳をこっそり見てほしいのです
だいたいそれが目安になります
通信講座の方には作品分析をしているので、私の見方を参考にメールでお伝えしていますが、実際のお子さんのノートを見ればいろいろなことに気づくと思います
見たら、今度は子どもを取り巻く環境を見直してください
そういうことで軌道修正できるのは、小学生までだと思っていてください
あれ?と思ったら、
「受け身」の遊び、楽しみの分量が増えていないか、再検討してみてください

ちなみに私自身は、
子どもが少しくらいテレビを見ようがゲームをしようが、
軌道修正することは簡単だ、と自負していました
でも、実際には、ゲームは買いませんでしたし、テレビも何を見たか全部言える程しか
習慣にはなっていない程度にしか見せませんでした
子どもにゲームを買ってほしい、と言われたことも、
動画を見たい、テレビを見せてくれ、と頼まれたこともありません
子どもが我慢していたのかどうかは子どもに聞いてもらわないとわかりませんが、
思い出すと、
そんなことをする暇はなかったなあ、という気がします
そういうものが生活に、入り込む隙はなかったなあ、と
(もちろん、成長した今は子どもと一緒にネットやテレビの世界を楽しむこともあります)

子どもはいつでも満たされている、ということをイメージして育ててきました
楽しさで満たされている、喜びで満たされている、Life is Beautiful!の気持ちで子どもを取り巻く環境を整えてきました

受け身の楽しみに没頭して補うようなことがないように、
毎日、眠る前に何を思いだして笑顔になるか、いつも考えました
私自身が不安定で自信がない日もありました
そんなときは、今の季節なら…花びらのように落ち葉が落ちてくる場所に子どもと行きました
自然の中なら、私が何もしなくても、子どもたちは勝手に満たされました
どんなに「今日はダメだ」と思っても、
電子機器に頼るという選択肢はありませんでした
それは、長女が生まれてすぐからどんぐりを知っていた、というのもあるけれど、
17歳の頃から好きだったシュタイナーの影響でもあるのかもしれません
子どもは、いくら時代が進んでも、まだ全然、その「育ちの過程」に変化はなく、
大切なことはなにひとつ変わっていないし、
必要なものも、不必要なものも、変わっていないのです

今日は私が母になった記念日です
19年前、20代の最後のとしに、私は「お母さん」にさせてもらえました
母としての人生が始まったこの日は、私の人生の大きな記念日です