おさんぽってたのしいね!
そうだね!

亀さんとみの虫さんがお友だちと散歩にでかける図です
「おともだちを3人ずつさそって」という言葉を正確に絵にするのは、
少し難しい子もいて、1回はお宝に行くことが多い問題ですが、
たくさんの子とこの問題を見てきた私にはそんなことは普通のこと
困ったなあ…とも、できないなあ…とも思わないんですよ
ご自分のお子さんしか見ていない場合、
それからもしかして、成果をすぐに出さなければ、と急いでいる先生の場合、
お宝に封印する期間がとても大切だってことが、
なかなか心から納得できないかもしれません
そこはどうか、
長年の経験とたくさんの子どもたちとの出会いから確信している私の言葉を
信じていただきたいのです

子どもが勉強を、「できる」ようになるためには…
「できない」ことにならないためには…
これから小学校へ子どもが上がる、という親御さんや、いよいよ中学生になる、という親御さんはもしかしたら一番、気にかけている部分かもしれません

これまた長年の経験から偉そうに書きますと、
子どもの「できる」については親御さんの願望に際限はなく、
 這えば立て 立てば歩めの 親心
なんて川柳が作られた江戸時代からきっと変わらないのでしょうけれど
それは本当に、意識して気をつけた方がいい大人の、親としての、注意点です

数年前のケース
定期テストの平均点が超えられず、困った困った、と悩んでいました
それがいつのまにか平均点を超えて、順位も何十番も上がって、上位グループの範囲に入ってました
そうすると、今度はもっと上を目指せるんじゃないか、やる気があればできるんじゃないか、とか親御さんが言い出すわけです
それで、結局、妥当な志望校に合格すると
「うちの子は本当ならもっと上を目指せたはず」なんて言いだしたのです

まあ、親御さんがどんな願望を持っていても構わないのですが、
それとお子さんの「やる気」とは相関性はなく、
ないどころか、逆効果になることもよく知っておいた方がよさそうです

この例では、実は私は親御さんの願望を察して、それをガードしながら子どもと勉強をしているわけで
親御さんがどう思おうと、君が進む未来だから、自分で切り拓けばいいのだよ、と会う度に話し、そして、具体的にどうしたいか、どうなりたいかを聞きながら、少しずつ、少しずつ導いた結果であり、私とその子の中では「快挙!」だったわけで
他の誰かと比べるのではなく、昨日の自分より今日の自分が好きになれたらいい、と伝え続け、少しずつ、少しずつ、変わっていったわけで
点数を上げるとか、平均点を超えるとか、志望校の選定とかは「おまけ」に過ぎなかったのですが、結果的に、「いつのまにか」成績は当初よりずっと上がっていたのです

それでも、相対的なレベルとか、周囲のわかりやすく優秀な子との比較とか、親御さんっていうのは止められないんですね
ささやかな成長も、いつの間にか、喜べなくなっていくんですね
それで、その子はやっと合格した高校を、中退してしまったのです

それからその子とはゆっくり話せていません
中学生までは私のところへ来ては、いつになったら勉強を始めるのだろう…というくらい、社会情勢や、自然環境のこと、読んだ本の話、とりとめもなく報告してきました
家でも学校でも一切しゃべらないと自分では言っていて、なぜかDKではしゃべりたくなっちゃうんだよね、と言っていました
難しい話題になると、そこにいるみんなで調べて、私も翌週までに大人の手段を使って(笑)あらゆる情報を集めて、また議論の材料にしたりして
そんな場が、高校生になってなくなってしまったのかな…と残念に思うし、
なにより、ささやかな、わかりづらいものであっても、その子自身が少しずつ自分を好きになりながら成長した過程を、まるごと認めてあげられなかった親御さんに、残念な気持ちになりました

さてしばらく書けなかったのに、今日急にブログを書こうと思ったのは…
実はまだ洗濯物を干している途中だし、
掃除機も転がったままなのですが、
昨日のことを忘れないように自分への記録として書き残そうと思ったからなのでした

DKでは私が作成したオリジナル教材をたくさん使っています
中でも、社会の一問一答問題集は、市販の問題集と比較すると地味すぎるにも程がある、ただの一問一答問題をエクセルで何百問も打ち込んだだけのものなのですが、これが、ものすごい力を秘めている、と気づくのには時間がかかるようで、昨日は、ある生徒がそれに気づいてくれて、私は密かな幸せを噛みしめたのでした

3学期の期末テストの前でした
1年生は中学生になって1年たとうとしています
なんとなく、社会の勉強法の話になり、「これはやってる?」と一問一答問題集を見せると、「やったことない」とのたまふ…
ありゃりゃのりゃ!それなら試しにやってみてごらん、とやり方を教えました
DKオリエンテーション動画でも、私がこの問題集を解いている動画があるのですが、
まあ、そんなもの見てないよねえ
まあ、とてもシンプルで、問題の形式も単純なのでわりと「作業」のように取り組める問題集なんです
それがどうか、と問えば、今は「思考力」だからそういうのよくないんじゃないの?という方もいそうですけど、正直、理科や社会は特に、「言葉」を知らなければお話にならない
「言葉」を知らなければ説明もできないわけです
「社会は暗記科目ではない」と言って生徒を混乱させた先生がいましたけど、そういう先生は「暗記」をしようとしなくても自然に用語が覚えられる秀才であって、子どもたちの多くは、まずは「言葉」を覚えるところから始めないと、説明されてもちんぷんかんぷんなのだ、とういことを、知っておかなければなりません

1度、使い方を教えたものの、DKに来る度にちゃんとやっているかチェックしたり、ちゃんとできているか確認したりしないので、その後は知りませんでした

期末テストが終わり、その子は誇らしげに社会のテストの問題と答案用紙を持ってきて私や仲間に見せていました
「これが一番頑張ったテストなんだよ」と言って本当に嬉しそうに
点数は、ものすごく高得点とは言えませんが、まあまあのものです
でも、点数は関係ありません
答案用紙はほとんどびっしりと、しっかりとした文字で埋まっていて、しっかりと勉強した成果をぶつけた形跡が見えて私も感動しました

「あれ(一問一答)をやってから学校のワークをやったんだよ。そしたら急にわかるようになったんだ」と興奮気味に話してくれました

その「わかる」について、私はもう少しインタビューして深く聞いてみたかったんだけど、その子の顔を見ていたらだいたいわかったので深掘りするのはやめて一緒に大はしゃぎしておしまいにしました

「言葉」を覚えると、問題文の意味が「わかる」んです
何を質問されているのか「わかる」と、どう答えたらよいか「わかる」んです
「わかる」と脳が動き出します
これはこういうことかな、それとも、こういう風に考えたらいいのかな…
全ての科目で同じことが言えます

自分の脳を動かせるのは、自分しかいなくて、
いくらわかりやすく教えてもらっても、
いくら何度も同じことを繰り返して練習しても、
「わかる」という感覚をつかめなければ、その喜びさえも味わうことができず、
たくさん勉強しているようで実は前に進んでいない
いくら教えてもちっとも身につかない
なんてことが起こります

だから私は教えません
教えるのが好きだから、教えたいけど、教えないんです
でも、一緒に考えることはします
私が一緒に考えることで、その子の脳が動き出したのがわかったら、
あとは手出しをしません
私が手出しをしたら、その子の脳の動きを止めてしまう
その子の脳が考えることを、邪魔してしまうから

中学生になっても、どんぐり思考は変わりません
どんぐりの経験がない子でも、一生、自分の脳と生きていくために、
私はできるだけ、そのことを伝え続けます

何を見てもわからない、
何を読んでもわからない、
何を聞いてもわからない、
そんなの、きっと、退屈で、苦しいと思うから

何十年もこの仕事をしているのに、
子どもが自分が成長していることに、そうとは気づかず喜んでいる姿、
喜んでいる笑顔や目の輝きを見るのが、何よりの幸せで、いつまでたっても、何回、何十回、何百回と経験しているのに毎回泣きそうになります