0mx77ハムちゃんほおぶくろの問題
ひまわりの種が出たり入ったり…
絵にするには工夫が必要です

先週からどんぐり学舎でも、中学部D→K Roomでも、新しい年度が始まりました
どんぐり学舎は今までどおりどんぐり倶楽部良質の文章問題を自分で解くだけで、特に新しく変わることもありません
ただ、6年生が卒業してしまったので少し人数が減ったりするクラスもあって、ちょっとだけ寂しいようなすぅすぅするような、そんな始まりの日でしたね

「今日なにするの?」から始まるいつものどんぐり学舎ですが、
今年度から私が変えたいことのひとつに、
「始まりの時間」についてがありました

どんぐり学舎には時間があまったら遊んで時間つぶしができる、本やアナログゲームが置いてある「くら」があります
今は鶏さんしかいないけど、動物コーナーもあります
時間より早く来たり、お迎えの時間より早く終わったりしたら、自由にのんびり過ごしながら待つことができます

私は私なりに、
どんぐり学舎の部屋やくらが、子どもたちにとって安心できる場所であるように、
時間がゆっくりと流れる場所であるように、
何年もかけて工夫を続けてきたつもりです
でも、
子どもたちは日頃、かなり忙しい生活を送っているのか、
そして、どんぐり学舎に毎週来てどんぐりをすることが、まるで習い事のように、イヤイヤでもしなければならないことの1つに組み込まれてしまったかのように、やれやれ、といった顔でやってきて、コンニチハもハローも言わず「今日なにするの?」とくるわけです
目の前にはたくさんの本やゲームがあり、庭には二羽の鶏や、メダカもいます
それでもドカドカっと部屋に入ってきて、ため息交じりで私に聞くのです
「今日なにするの?」
あまり楽しみそうでもない聞き方で
そう、どんぐりタイムの前にしていた絵本の読み聞かせや、アナログゲームさえ、子どもたちにはなんだか義務のような、やりたくないけどしょうがないからやることのような
そんな存在になってきたクラスがあることが気になっていました
それでも、私に聞いてくるから「じゃあ、今日はこれをしようかな」と言えば、
「えーーー!!」と不満そうな顔をする子も多いです
そりゃそうだ、
自分のやりたいことを自分で選ぶのでなければ、「えーー!」と言いたくもなるでしょう
だったらなんで私に聞くのかね~と内心思いながらも、別のアイディアを出してみたりするんですけどもね

そうでないクラスはどんな雰囲気かというと、
せっかくこの部屋に集まったのだから、というひとりひとりの意識が伝わってきます
だから、「今日、なにしよっか」と子ども同士話し合っているのです
それから、「さとちゃんもやろう」と誘ってくれるわけです
もちろん、ひとりで遊びたい子はひとりで遊ぶことを守られています

この違いはなんなんだろうなあ
と、1年間考えながら観察してみたわけなのですが、
まあ、子ども同士のつながりの深さだったり、
子どもながらに出会いや、その場で楽しむことを工夫しようという気持ちがあることだったり、
そんなところかなあ、と感じたのでした
そういうところがどうやって育つのかは、また別の機会に一緒に考えてみたいと思います
ヒントは、やはり、どこかで手本を見ているんだろう、というところです

そんなわけで
年度初めの春休みの終わり頃の日、
やはり、無言で大きな音を立てて部屋に入ってきた数人の子は、
挨拶もせずいきなり「今日なにするの?」と来たので、
「こんにちは。今日ははじめにみんなにお話があります」とかしこまって言いました

ここからが、私が年度はじめに子どもたちに話した一部始終です

今年は、去年までとひとつ変えたいことがあります
それは、はじまりのときの時間の過ごし方です
これまでは私が何をするか選んで決めていました
今年からはみんなが自分たちで決めてください
全員で一緒に遊べることを考えてもいい
せっかく週に1回ここで会える友達だからね
ひとりひとり好きなことをして過ごしてもいい
それは、自分たちで決めてください
ひとりじゃできない遊びもあるよね
そんなときはどうしたらいいか、考えてください
さとちゃんを誘って一緒にしたいとき、
さとちゃんに本を読んでもらいたいときは言ってください
ここに、世界中の昔話を集めた分厚い本も用意してあるからね
そして、○○分くらいになったら、それぞれどんぐりを始めましょう
どんぐりは、
しつこいようだけど、何度も言うけど、私は答えが合っているかどうかを見ているわけじゃないよね?何を見ているんだっけ?(とちゅうの絵を見てる-)そうだよね、さとちゃんは、最後にこの机に持ってきたとき、最初から問題文を読んで、みんなが最初の最初から全部絵にして考えているのかを見ているよね
答えが合っていても、合っていなくても途中の絵が描いてあることが何より大事だ、って何度も言ってるよね
もう、みんなはそんなこと知ってるんだよね(知ってる-)
だからどんぐりは、去年から何にも変わりません
今までどおり、全部を絵にして考える、時間いっぱいゆっくり考える、今日はここまでだな、と思ったら「つづく」か「おたから」にする、それでOK
それでね、
みんなのお家では、テレビをつけっぱなしにしていたり、ゲームを買って持っていたり、しないでしょう(しないー)
それはなんでかな?いまさらだけど、なんでか知ってる?学校のお友だちのお家と違うでしょう(なんでかはしらないー)
みんなのまわりのお友だちは、ゲームを持ってたり、スマホを持ってたりする?(……)
テレビを見た話をしていて、学校で話がわからなくてつまらないなあ、って思ったりしたことある?(ないかな-)(あるあるー)
まずね、
なんでテレビが見放題じゃないのか、ゲームを買ってしないのか、っていうことなんだけどね、知らない人もいるみたいだから説明するとね、どんぐりってね、どんぐり問題を解くことってね、ただそれだけで、すごく、すごーく頭がよくなる問題なんだよね
さっき言ったように、途中も全部絵に描いて解く、ルールを守って、ゆっくり丁寧に解くのを続けることが大事なんだけどね
それで、どんぐりを作った糸山先生も、わたしも、この、どんぐり問題をゆっくり丁寧に全部絵にして解いて本当に頭をよくするためには、「どんぐり問題を解きながらしない方がいいこと」がある、ってみんなのお家の人に伝えているんだよね
(ふ~ん……)
ところでさ、
お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、20歳未満の人はしてはいけない、っていう法律があるんだけど、知ってる?(ほうりつってなにーー)(くにのきまりだよ)
法律、きまりではあるんだけど、じゃあ、なんでそんな決まりがあるのか、知ってる?20歳になっていない人、子どもが、お酒を飲んだり、タバコを吸ったりしたら、どうしていけないんだと思う?(体が成長しないんだよ-)(病気になっちゃうんだよー)(酔っ払って、あたまがバカになっちゃうんだよ-)
でもさ、大人は少しくらいお酒を飲んだって、タバコを吸ったって、へいっちゃらなんだよ、なんでかな(体が成長したあとだから-)(おとなだからーー)
そうだよね、きっと、大人はもう、体もこれ以上大きくならないし、骨もこれ以上太くならないけど、みんなは今のまま、そこで止まっちゃうことはないよね、まだまだ大きくなるし、強くなるし、骨も太くなるよね(うんうん)(こんなちっちゃな大人はいないよー)
それでね、さっきの話に戻るんだけど、
どんぐりで、頭がよくなるのは、みんなの脳が成長するときに、必要なことをたくさんできるからなんだけど、そんな時に、テレビをたーーっくさん見たり、ゲームをしたり、スマホをしたりするとね、本当はどんぐりでできるはずのことが、できなくなってしまうんだ
自分で考えて絵を描くこととか、工夫すること、そもそも、自分の頭でじっくり考えることが、できない頭になってしまうかもしれないの
でもね、
お酒なんかと同じように、みんなの頭がしっかりと成長したら、きっと、その時は、テレビも、ゲームも、スマホも、楽しく便利に使いこなせるようになるはずなんだ
一番大事なときだけ、気をつけて使う、できれば使わない、っていう、そういう考えで、お家の人はみんなとの生活で、気をつけてくれているんだよ
(うんうん、と神妙な顔で頷いている)
でもさ、
テレビ見てないのー?ゲーム持ってないの-?って言われて、嫌な気持ちになることがあったなら(ないよ!外遊びの方が楽しいし!)(友達はゲーム持ってこないよ!お家の中ですることになってるんだって言ってたよ!)そかそか
でももしも、嫌な気持ちになることがあったなら、お家の人やさとちゃんに言っていいんだよ、こういうこと言われたよ、嫌だったよ、って
ね(うんうん)

さあ、今日も頭の運動をしよう
さとちゃんはみんなが正しい答えを書くかどうかなんて、全然興味がないの
みんながそれぞれ、どんな絵を描いて考えるかを、見せてほしいだけなんだよ

以上です
その後のどんぐりタイムでは、いつもより静まりかえって、いつもより丁寧で、カラフルで(笑)心のこもった作品がどんどんできあがったように見えました


デジタル画面の制限については、
子どもにもこうして話して聞かせる必要があるかと思います
なんでもかんでも「禁止、禁止」では、どんぐりそのものが嫌われてしまいそうです
現に、「ゲームできないからどんぐりはイヤだ」と言われたこともあります
ゲームやテレビが大好きなお父さんから「どんぐりって変な理論だ」と責められたこともあります

ひとむかし前は、
大人だけが楽しみ、嗜むものがもう少し多かったものです
ある種の映画や、テレビドラマなども、「子どもが見るもんじゃない」とどんな大人も共通認識を持っているものがありましたから、最近のそれらとは表現が違っていましたし、飲食物や飲食店、娯楽施設も、子どもも一緒に、というより、大人だけが楽しむ、という特権のような雰囲気を持ったものがありました
いつからか、お酒を飲める店に子どもが同席していても違和感がないような雰囲気になったり、夜10:00からのテレビドラマなどを小中学生が平気で見ている、というようなことも不思議ではなくなってきました

いくら大人がゲーム好きで、テレビ好きだとしても、
家庭内ではそこに子どもとの境界線は必要です
子どもは、心身共に、小さな大人ではなく、まだまだ成長過程なのです

週に1回だけ、動画サイトを見ている、という子どもが多いのも最近の傾向を感じました
私はほとんど見ないので、子どもが好きなチャンネルの傾向も知りませんが、
時々見ると、テレビと違って検閲的なものがないせいか、表現(言葉遣いやふるまい等)に驚かされることがあります
週1回触れるメディアがそんなもので大丈夫かなあ…という気がしないでもありません
それならテレビの方がいいんじゃないかなあ、なんて思うのですが、テレビでも、なかなか何がいいかと聞かれると難しいものです
先日有名な漫画家さんがお亡くなりになって、その代表作がニュースなどで紹介されていて、改めて、昔のアニメは台詞がゆっくりで、言葉遣いも綺麗だったんだなあ、と気づかされました

子どもを取り巻く環境には、「時代なんだからしょうがない」では済まされない変化が多すぎます
子どもが産まれ、育つ過程で必要とする栄養素は太古の昔から変わっていませんし、脳や心の発達に必要なものも、変わっていないのです
それなのに、時代が迅速に駆け抜けることに子どもの環境も勝手に変えていったら、ゆっくり、昔ながらのスピードで成長しようとするヒトの子は、いったいどうしたらいいのでしょうか
それでも健全に育つとは思えないのです

デジタルネイティブだなんだ、と、子どもの順応性の高さから、そんな環境変化なんてなんでもないことだよ、という器用な成長を遂げている子もいて、そういう子を認める大人も多いです
でも、
デジタルについて饒舌に語っていた子が、かなり脆弱な面を露呈することが実際にはあります
砂まみれで遊んだ経験はないけれど、砂まみれで遊んでいる人たちを動画で見て笑った経験がある
変な虫を見つけて触ったことはないけれど、変な虫を見つけて触っている人たちの動画を見たことがある
そんな子がどんどん増えています
実際に砂を触らせると異様に汚がったり、小さな虫1匹でパニックになります
デジタルではどうにも乗り越えられないミッションが目の前に現れたとき、
まるでリセットボタンをクリックするかのように
電源ボタンで全て消してしまうかのように
逃げ出す子も少なくありません

話が飛躍して大きくなりすぎました
子どもには、子どもの
ヒトの子にはヒトの子の
成長スピードがある
それを知らずに育てたら、子どもは心身共に健全には育ちません

もう一つ、「どんぐり問題を解きながらしない方がいいこと」の中に、
「反復・大量・スピード」学習がありますが
新年度の保護者さんの課題である「宿題制限」にも大きく関わるこの点についても、目を背けることなくご検討、ご健闘いただきたいと思っています

どんぐりは、
この現代で、できるだけ本来の子どもの育つスピード、過程を無視しないために、心身共に健全に当たり前に育つように生まれた学習法、生活スタイルです

子どもを取り巻く問題が他分野に渡りどんどん増えていく現代、
20年以上前から変わらぬ理論で、ブレることなく存在するどんぐり理論は、
どの子にも必要な、大切なものだと、
私のムズカシイ話を真剣な顔で聞いている子どもたちの顔を見ていて思いました

どの子もみんな、とんでもなく綺麗な目をしています
とんでもなく優しい心を持っています
その目を濁らせぬよう、その心を曇らせぬよう、
私たちにできることはなんでしょうか
今年度も一緒に考えていきましょう
よろしくお願いします