昨日は国の教育目標と、どんぐり倶楽部の教育目標について書きました(コチラ)
結局、教育の最終目標ってどこなんだ?っていう投げかけをしたつもりです
お子さんを育てている親御さんや、子どもの教育に携わっている先生方は、
いま、子どものために、となさっていることのゴールは「どこ」を設定していらっしゃるのでしょうか
どんぐり教育法では今でこそ流行中の「思考力」が自然に育つような、『どんぐり倶楽部良質の算数文章問題』という教材を使います
昨日のブログにも書いたように、これは、糸山先生がとんでもない労力をかけ、研究し、作り出した大発明品です
どんな人でも、この教材さえ使えば子どもに本物の学力=思考力を身につけさせることができます、と謳われていますが、私も心からそう思います
逆に、この問題集に含まれているあらゆる要素や仕掛けを全て網羅する代替品があるなら教えていただきたいです
今でこそ流行中と言った「思考力」です
書店に行けば「思考力を育てる」と銘打った教材が売られていて、塾の広告にも「思考力を育てます」と書かれているものが増えています
教材マニアの私はもちろん調査済みですが、どんぐり倶楽部の教材以上のものに出会ったことがありません
よくできた教材かも~と思っても、おそらく、正しい使い方ができるかどうか、という点で「思考力養成」が困難になっていきます
それは、でも、どんぐり問題でも全く同じです
だから、
どんぐり倶楽部では、どんぐり問題の正しい使用法を問題集と一緒にみなさんに伝えているのです
糸山先生も何度も何度もおっしゃっています
「用法、用量を守って使わなければ効果はありません」と
【参考資料①糸山先生のブログから…どんぐり倶楽部出発点】
そもそも、どんぐり倶楽部の出発点には「現存の思考力養成方法には重大な副作用が出る場合が多々ある」ので、「副作用が出ない思考力養成ができる方法」を作りたかった。という理由があったのです。
ですから、どんなに楽で見栄えがする「過去問を利用したテキスト作り」は、採用できなかったのです。
どんぐり方式と他の学習方法との最大の違いはこの出発点の違いにあります。わかり易い言葉で書くと「子供がどうなってもいいから受験で点数が取れるようにする学習方法」ではなく、「子供が正常に育ち、尚且つ、中学受験をする子供達と同等、あるいは、それ以上の一生使う本当の学力を育てる学習方法」を作ることが「出発点」だったからです。どんぐり理論に使われる用語を使っていいのならば、一行で書くことが出来ますが、「感味力の保持・保育をしながらの思考力養成方法」ということです。
<副作用が出ない思考力養成方法>と言うわけです。
正しい使い方の説明は省きます(どんぐり問題を手にすれば書いてありますし、サイトで説明もされています)
その上で、じゃあ、どんぐり問題をやっているとどんな結末が待っているのか、というところにスポットを当ててみます
どんぐり問題700問を全て解いたら、ハイブリッドブレーンが手に入る、という伝説があります
【参考資料②糸山先生のブログから…Hybrid Brainについて】
更に、こちらは、どんぐりをしたから誰でももらえるというわけにはいきませんので、豪華なおまけになりますが、<Hybrid_Brain_as your willの養成>という非常に優れた健全な頭が育つ場合があるのです。*実は、全員がこうなる可能性があるのですが、始める時期(やはり、年長さんからが効果が大きい)とか、親の覚悟の深さ(知ってても、やってても、中途半端になっている)とか、様々な阻害要因がありますので、一律に「こうなる」とは言えませんが、実は真の目的の一つです。何故なら、天才も学習障害児も同時に同じ方法で救えるのです。この辺の説明はちょっと複雑なのでPILOTに譲ります。
思考回路そのものが異なる高速省エネ法(Visual_Thinking)と既存の低速浪費法(Word_Thinking)の両方を自在に使えるHybridBrainを育てること。深いところでは、両方とも同じことをしているのですが、その現れ方はかなり異なりますので、違う方法と言ってもいいでしょう。車で言うなら2WD車と4WDの違いの様なものです。
おわかりいただけるでしょうか
これが「個人差あります!?」の核心部分その1です
「どんぐりをしたから誰でももらえるというわけにはいかないが、豪華なおまけ」とあります
私がどんぐりに出会って勉強し始めた頃、自分も赤ん坊を抱えているのに、まだ赤ん坊だったからか、我が子に実践できる!と思いもしませんでした
赤ん坊を授かるまでの10年間、塾講師として働いていたので、とにかく、昨日も書いたように、自分の仕事への大きなヒントと解説をいただき、これは勉強しなければ、と、のめり混んでいったのです
ふと気づくと、我が子がどんぐり年齢(5歳)になりましたから、我が子が実験材料に自然となっていくのですが、どんぐり問題を自分の教室の主教材にするまでの自信や確信は当時はまだなくて、どんぐり指導者としての勉強をしながらの実践でしたので、この、豪華なおまけでレアかもしれないHybrid Brainを目指す、なんてことは考えたこともなかったのです
そもそも、勉強ができるようになるために、とか、よい学校に進学できるように、などと考えながら子育てをしたことはないので、むしろ、魅力的だったのは参考資料①にある「副作用のない思考力養成法」という部分でした
糸山先生のご経験には及びませんが、私も、親になる前に、見てきたのです
たくさんの、「副作用」を発症している「優秀」な子どもたちを………
さて、考えたいのは「実は、全員がこうなる可能性があるのですが」以降の部分です
○始める時期(年長からが効果的)
○親の覚悟の深さ(知っていても、やっていても、中途半端な場合は…)
これらの条件をクリアして、さらに、どんぐり倶楽部推奨の環境設定が整い、700問を制覇した子どもは、私の経験ではHybrid Brainを手にしたように見受けられます
私の経験は、私自身の子どもだけではありません
たくさんの子どもたちのどんぐりライフに寄り添っている今までの経験です
そもそも、
700問を全問クリアした子が毎年たくさんいるわけではありません
現在、大学生、高校生、中学生になっている子たちの中に数名いますし、実際に私が700問添削した子は何人も存在します
でも、多くはありません
600問とか500問ならたくさんいます
でも、6年間とか7年間とかやっていてもクリアしたのが300問くらいの子もいます
確かに「実は全員がこうなる可能性がある」と私も思うことはあります
たとえば高学年でどんぐりを始めても、
700問を365日で割れば1日約2問で全問クリアできるはずです
どんぐりの環境設定的に他の家庭学習や宿題はしないのですから、1年半もあればできるのです
実際、講演会の質疑応答で高学年の保護者さんが糸山先生に質問してそうお答えになっているのを聞きました
でも、
そこまでさせる親御さんはなかなかいないのと、
継続できるお子さんもなかなかいません
それはなぜか
私が見る限り、子どもの持っている「エネルギー量」にそれは関係していると思うのです
これが、
「個人差あります!?」の核心部分、その2です
高学年スタートではなく低学年スタートだとしても、
今や、園児さんでもスマホや携帯ゲームを使っていて、さらに、子どもの思考力を低下させる恐れのある便利な家電や道具が家中、町中にある時代、どんぐりの環境設定そのものが御家庭にとってものすごく重く、苦しいものになってしまっている現状があるでしょう
でもそれは「親の覚悟」の強さによってはどうにでもなることです
実際、その重く苦しいものをどうにか排除して努力している御家庭はたくさんあります
さらに、スマホやゲーム機なしで子どもを楽しませることができない大人が激増しているのも事実
周囲の環境どころか、親御さん自身の経験不足や思考力不足が子育てに影響しています
でもそれも、覚悟して取り組めばどうにでもなることなんです
知らないなら知ろうとすればいい、だって、子どもを健全に育てるためなんだから
全然関係ないような話ですが、先日、占いのテレビ番組で占い師さんが「いま、あなたは直感を失っている(というようなことを言い、そのアドバイスとして)だから、直感を取り戻すために「自然」の中へ行って過ごしてください」と言っていました
人間は、自然の一部だったはずです
人工的な施設、機会、仕組みの中だけで過ごしていたら、人間らしさを忘れてしまうのです
昔なら当たり前にできた、野生動物たちは誰にも教わらず、マニュアルもないのにずっと続けている、子どもを健全に育てる、という方法さえも忘れてしまうのです
そんな理由からも、子どもと過ごす場所ってどんなところがいいのか、子どもを育てる場所ってどんなところがいいのか、って話にもなっていくのですが、これは何度も書いているのでまたあとで
そんな環境設定を乗り越えて、どんぐりライフがスタートしても、子どもは産まれてからそれまでに受けた影響を無かったことにできるわけではありません
幼児期にゲームを持っていた、という子
幼児期から習い事に通わせ、お勉強もさせられてきた、という子
また、小学生の途中からの場合、他塾からのどんぐり転向、という例もあります
みんなそれぞれ、子どもなりに過去を背負っています
子どもの過去の環境、それは、自分で選んだ環境ではなく、親御さんが設定した環境です
ゲーム機を買い与えたのも、習い事をさせたのも、親御さんです
親の覚悟、という意味では、そこで、方針転換をする場合、子どもの過去をどれだけ受け入れて、我が事として消化できるか、ということもあります
どんぐりを始めても、
なんで絵を描かないんだろう
なんでこんなに雑なんだろう
と、子どものできない、できない、ばかりに気を取られている方が多いかもしれませんが、実は、それは、それまでの子どもの過去が少なからず影響している可能性があるのです
それでも、過去は払拭できる時が来ます
ただし、Hybrid Brainを目標にするのは困難です
できない我が子を責めたり、正したりしようとすればするほどますます困難になります
もうひとつ、子どものエネルギー量についてですが、これも、環境要因もありますが、生まれ持った資質という可能性も大きいのです
生まれ持った骨格、肌質などの体質がそれぞれ違うように、情報処理のスピードにも個人差があります
視覚イメージ化させるどんぐりでは個人差ばかり見えてそれがいいのですが、それでも、現状に安心してさらに高みを目指さない子もいれば、何度も同じような問題に出会っても、全然違う解き方を楽しんでしまう子もいます
「同じ問題やったことあるからヤダ!!」と問題を突きつけてくる子もいれば、「あ、これ、前にもやったかも~」と言いながら、以前とは異なる絵図で楽しそうに解く子もいます
ダンゴムシを15匹描くだけで3日かかる子もいれば、お店から学校から公園から色々な背景を描いて楽しみながら1時間で解いてしまう子もいます
きょうだい関係、親子関係、家庭環境の要因もものすごく影響しています
スポーツもそうですが、きょうだいがいる場合、第2子以降の子の発達の早さや意欲の強さはよく知られています
どんぐりでも、上の子が始めたのを下の子は見ていて、自分が該当年齢になる前から知っていて、いつか自分も、と願い続けて始めるケースや、親御さんが子育てやどんぐり方式に慣れて環境もわりと整っている、という条件も揃い、功を奏するケースが多いです
小さい頃から大人に「なんでもできる」「賢い」などと褒められすぎて完璧主義に育ってしまっていて、間違えたりできなかったりすることを恐れ、なかなかその殻を破れずに苦労する子もいます(でも、殻を破る子を何人も見てきました!それはどんぐりだから!)
逆に、いつまでも幼児扱いされて手取足取りされた子はなかなか自立しようとせず、諦めが早く、いつも助けを求めていて、自ら伸びようとしない面があります(それもどんぐりで激変した例がたくさんあります)
全員が、同じ環境、同じ親の元で育つわけではありません
同じどんぐり問題を解いていても、それぞれが違う解き方をするように、
子どもには、その子なりの伸び方があります
よその家のどんぐりっこさんと我が子とを比較して、進化のスピードが違うことを残念に思う必要などありません
Hybrid Brainがおまけでもらえなくても、700問全問クリアしなくても、どんぐりを続けていれば、その子の人生に必要な駆動エンジンは育つのです
しかも、副作用がないんです
感情も壊さず、親子関係に亀裂も入らず、のんびり、ゆったりと子どものペースで思考力が育まれ、本来の育ちが守られるのです
ね、ここで、何を目標としてどんぐりを実践したらよいか、見えてきたでしょう?
全員が、オリンピックを、一流の学歴を、一流企業を、
目指すべきでしょうか
目指したらどうなるでしょうか
発達がゆっくりなお子さんが、進化の早い子たちについていく必要があるでしょうか
せめて計算や漢字練習を、と、嫌がるのを無理矢理やってしまったら、
親子関係のあったかさを育む大切な時期に、亀裂は入らないでしょうか
その子が本来持っていた能力を、見えづらくしてしまうことにはならないでしょうか
そんな副作用をものともせず各界で「一流」に育て上げられたほんのひとにぎりの成功例を見て、「我が家もあの境地に」なんて恐ろしい目標を立てて大丈夫でしょうか
「高み」を目指すとしたら、心身共に健全に育ったあとじゃないでしょうか
それも、子ども自身が目指したいと思うなら、目指してもいいと思うんです
そんなの、自由です
親が導くことではありません
親は子どもが選ぶことの応援団のエリアから出ないのが一番です
応援団はいつでも元気にエールを送ります
勝っても負けても、元気にエールを送っています
そのチームが好きだから
それが応援団です
スポーツの試合で見るでしょう?
心身が健全に育っていない場合、
親子関係に亀裂が入ったままの場合、
いくら世間的に優秀で立派な人生を過ごしているように見えても、
本当のところ、その子は自分の人生を楽しむことができるのでしょうか
その子は身近な人に愛され、愛し、生き続けることができるでしょうか
学力
能力
思考力
目に見えて差が出てくるのは中学生になる頃です
ただのかけっこは記録会になり、タイムが記録され、
テストでは順位が出されます
小学生までどんぐり的とか自然育児的とかでのんびり大らかだったのに、豹変してしまう親御さんもいます
まるで我が子の人間性に序列をつけられたかのような悔しさを覚えるのかもしれません
まず、そんなことはない、と大人自身が自分の思考を正さなくてはなりません
本当に、実はそんなことないでしょう?
テストの点数は人間性やその子自身の価値を測るものですか?
進んだ学校や就いた職場のランキングで、我が子を判断する必要もないんです
世間がなんと言おうと、どう評価されようと、親だけは、我が子の応援団長であればいいんです
とあるトップ進学校の現状なのですが、
1年生の1学期ですでに、学校に通えなくなってしまう子が続出しています
全員が、各中学校の上位を占めていた子たちの集まりです
いくらトップ校でも、300人いれば、最下位の300位を取る子は当然います
それが耐えられない、という理由が挙がっているそうです
高校に進んだ段階まででそのような状態で、
社会に出たらどうなってしまうのでしょう
少なくとも、いま、自分が学業成績下位になってしまうのが苦しい、という子たちは、
自分の人生を楽しんでいる感覚など皆無でしょう
どうして?
ビリだってトップだって、そんなの関係なく、自分の人生を楽しめばいいのに
他人の評価を気にしすぎて、自分が自分でいられなくなる、自分が自分のままでいてはいけない気がしてくる…まだ10年ちょっとしか生きていないその子たちに、そんな感覚を植えつけてしまったのは誰でしょう
逆境をはねのけ努力する強さでも、うまいことやりすごす強かさでもどっちでもいいけれど、自分の人生を生き抜く強さを育ててやれなかったのでしょうか
さらに驚くべきことに、
トップ校で下位になってしまうことでショックを受けるのは、子どもだけではないそうなのです
そう、親御さんも寝込むほど悩んでしまうケースもあるそうです
そんな親御さんを見たら、子どもは、幸せではないはずです
とにかくその学校に合格しさえすればいい、と親子共々全力を尽くし、副作用を無視して「勝ち取った」その後、実は苦しかった、実はもっと他の可能性を考えてみたかった、と言葉にはできずに訴えている子どもの心の叫びが聞こえませんか
その叫びに気づいて、今からでも寄り添い、抱き留めるところからやりなおせば、
そこからきっとリスタートできるのに…そう気づく親御さんはどれだけいらっしゃるでしょうか
個人差、あります!?
あります
どの子もみんな、それぞれの人生を生きようとしています
算数や国語ができるようになるのが学校や一般的な塾や一般的な教育方針の親御さんには重要かもしれません
でも、12歳までの子どもたちにはその前にもっと大事なことがあります
世界は自分に優しくて、面白いってこと
自分が自分でいていい、ってこと
自分で自分の生き方を見つけていい、ってこと
自分で考えて工夫していい、ってこと
そしてそれがすごく楽しいっていうことを知っていること
(ほんとはそれらの手本が子どもたちのそばにたくさんあればいい
生き生きと自分の人生を謳歌している大人の姿がね)
私は30年近い経験を持つ塾屋で、算数や国語、全教科、点数がとれるようにする技を持っています
でも、その技が有効に使えるとしたら、12歳以降の、脳も心身も素直に健全に育っている子どもにだけです
基礎学力がある子、という意味ではありません
脳も心身も健全に…そうじゃないと「副作用」が恐ろしくてできないし、したとしても効果はありません
それは、アイスクリームを食べながら糖尿病の薬を飲むことと同じなんです
フッ素を塗りながらキャラメルを食べさせるのと同じことなんです
用法、用量を守れば薬として有効なはずが、守らず、理解せず、ただ摂取しても薬効はありません
生まれ持った性質か、環境要因かわからないけれど、
エネルギーの使い方も個人差があります
中学校の数学などは鍛錬が必須です
ああ、なるほどね、と軽く理解しただけで点数を取れる子もいますが、
ほとんどの子には鍛錬が必要です
短い時間に大量の問題を解くための鍛錬です
点数を取りたい、と希望する子がほとんどなので、中学生に私はその方法を包み隠さず教えます
勉強方法を、です
それでも、行動に移さないで点数がとれない子はいます
わかっていても、行動に移せないんです
エネルギーが足りないのです
点数が取りたいならそのための練習をするしかないのに、
その努力がどうしてもできないんです
決してやる気がないわけでも、
理解していないわけでもありません
でも点数がつけられるからそういう子は言うのです
「今回、ダメだった~」と
ダメじゃないんです
鍛錬しなかった~なのです
そのためのエネルギーが足りなかった~なのです
そんな子に、私は「努力が足りない」とは言いません
そんなことは本人が一番よくわかっています
その子なりには「一生懸命、精一杯」頑張ってるんです
その基準が自分と違うから、ってその子を責めるのは筋違いなんです
そうやって、自分を知ること、失敗を繰り返すこと、でも、何度でもやり直すチャンスがあるってことを、中学校時代に知ることで、その次のステップをどこにするかを自分で考えていいのです
言われたとおりのことを無理強いされ、脅されながらやって点数をとったって、あれよあれよと合格したって、その先の人生、誰が支えてやれるのでしょうか
自分で立つしかないというのに
伸びていく中学生を見ていると、エネルギーが少なくても、そのことを自覚して、必死に前向きに努力することができるようになっていく子もいます
そんな風に、自分で自分を鍛えよう、って思うのは、
自分が大切な存在だ、って客観的にわかるからかもしれない、って思います
自分は自分のままでいい、
そのまんまで大切にされてる、って安心した状態からかもしれない、って
長い人生、中学生時代に目覚めなければおしまい、なんてことは全然ありません
種から芽が出てつぼみができて、じーっと花開くタイミングを待っていて、
それでも、大切につぼみを守り続けていれば、いつか、大きな花を咲かせます
その子の、タイミングでね
精巧なAndroidを作っているのでも、
世間的に最高峰の人間を育てているのでもなく、
私たちは、子どもが自分の人生を楽しく生きるための応援をしているのであって、
子どもが見向きもしない方へ無理矢理ひっぱろうとしても無茶なのです
それなら12歳までにもっと、できることがあったかも、もっと覚悟して、親として見せるべきことがあったかも、ってご自身を振り返るに留めてください
決して子どもを責めないでください
それが、これからもずっとずっと続く親子関係だし、
先生たちだって、
子どもが一生思い出してくれる頼れる存在であるように
子どもの思い出に、少しでもあたたかな存在として残れるように
そんな可能性を持っていらして、本当に羨ましいです
個人差、あります
だからどんぐりが有効なんです
目指す場所は子どもが健全な思考力を身につけたら自分で探しに行けます
親や先生がゴールを定める必要はありません
ゴールは子どもたちが決めるんです
私なんてまだゴール、見つけてませんけど……
探し続けることが、人生を楽しむことだから