昨日、
清川輝基先生の講演会に行ってきました
タイトルは『スマホ社会の落とし穴』
祝日だったので夫とふたりで行ってきました
夫は、私が次女出産直後で行けなかった16年前に1度、
私は2019年に1度清川先生の講演会を聞いていて、
今回、ふたりとも2回目の聴講でした

何度聴講しても首がもげるほど頷くことばかり
そうなんです、そうなんですよ~って周囲の反応を見ると、
みんな、うんうん頷いています
または、神妙な顔で…どうしましょう…って感じかな

講演の内容は清川先生の企業秘密ですからここに書くことはできません
ぜひぜひ、清川先生を呼んで、お話を聞いてみてください

清川先生が代表理事を務めていらっしゃる【子どもとメディア
清川先生が校長先生を務めていらっしゃる【さくら国際高等学校

最初に紹介したコカコーラ社のCMは、Social Media Guardという架空(ですよね?)の商品の紹介で、目と目を合わせてコミュニケーションをとる大切さを訴えているものです

もうひとつ、清川先生が紹介したCMがこちら


「日本でこのようなCMが流れ、デジタルメディアから離れて生身のコミュニケーションを大切に、と啓発するのを見たことがありますか?」と先生は問われました

確かに、ないですよね
そういう意味で、日本は世界でもかなり遅れていると言われているそうです

大人達が真剣に子どもの将来や、人間同士の関係について考え、検討している世界の国の中には、中学生まではスマホを所持することを国が禁じていたり、それに関して厳罰を設けている国もあるそうです

日本でも香川県では、ネット・ゲーム依存症対策条例というのが施行されましたね
香川県の学生さん親子が「違法である」と訴訟を起こしたり(今年の8月に高松地裁は原告の訴えを退けたそうですがその後どうなっているでしょうか)その学生さん親子の訴えをもっともだ、と全国から支援の声が上がったり、そんな強引でくだらない条例を作るなんて非常識だ、と、香川県を批判する声も多数上がりました
『ゲーム脳』を指摘した学者さんも、かなり攻撃されたことがあったので、そのことを思い出しました
人は、身の危険を感じると攻撃的になります
そして、図星をつかれた時も怒りがこみあげるそうです
怖いほどのそれらの攻撃を見て、
まさに依存性の高さ、心まで奪われてしまうことの恐怖を私は感じていました

国を挙げて真剣に子どもへの弊害を考えるところもあるのに、
日本では国はだんまり、で、県の単位でそういうことを決めるところもあるけど他県もそこに続けとはなりません

ゲームを持っている小学生は9割を超えているし、スマホを持っている小学生も珍しくないし、なによりも、学校が全生徒にネットができる端末を配布してしまったのです
清川先生の前回の講演では、
端末を全生徒に配布する予算がないので現時点では不可能だ、と文科省のGIGAスクール構想の担当者が言っていた、とのことでしたが、今回の講演では、それがなぜ、今の状態に至ったのかの謎を教えていただくことができました
なるほど納得で、現場での混乱も起こるべくして起こったことがわかります

私が10代の頃に読んだ資料では、「テレビ視聴を子どもに制限しない、という日本は珍しい」と海外の方が書いているのがありました
フランスから転居してきた知人家族は、テレビがあまりにも子どもへの配慮がないことと、なんの制限もないことに驚き、呆れて、怖くて子育てできない、と帰国してしまいました
テレビはどこの家にもあって、必要な時にスイッチを入れて不要な時は切ればいいのですが、フランスがどういう放映をしていたのか私にはわかりませんが、他の国の友人が、8時とか7時半とかに、「ここから先は子どもの見る番組はありません。子どもは直ちにテレビから離れなさい」という勢いの警告が出て、とてもじゃないけどそれ以降のテレビを見ることはできなかった、と言っていました
(どこの国か覚えていませんが、アメリカだったのかもしれません…)
国をあげてまでしなくても、たとえば私が子どもの頃は当たり前のようにテレビは7時くらいまでで、8時には寝室へ行かされましたから、『ザ・ベストテン』とか、『夜のヒットスタジオ』とか一度も見たことがありませんでした
9時や10時から始まるテレビドラマもそうでした
でも、塾講師になって小学生の話題に耳を傾けていたら、不倫や殺人の頻発する9時や10時から始まるテレビドラマを平気で見ているようでびっくりしたことがありました
今や、でも、テレビなら可愛い方で
ネットなんか、テレビより制限がなくて、何が流れてくるのか、わかったものではないのです
それでも、
日本は、国としては制限をかけないし、
各家庭の親御さんも、仕方ないから、と放置している状態です
ゲームだって見知らぬ人と繋がったり、時間制限もなくいつまでもしていたり、
動画視聴もテレビよりも刺激的で楽しい時間をいつまでも味わえるわけです

放っておけばそうなってしまう、ということに国を挙げて「どうしよう」と検討している状態と比べて、日本の状態は
考えれば、すぐに、どうすればいいかわかります

自分で守るしかない



それなのに、クリスマスや誕生日に親や祖父母は子どもたちにゲームやネットに繋がる端末を買い与えている
何も知らずに
みんなが持っているから、と


講演の内容は書けませんが、最後の質疑応答の時に清川先生がおっしゃったことが、糸山先生とまるで同じだったのでそれだけ紹介させてください

目や脳への影響が、画面を見ることで起こることはわかりました
では、音楽を聞くことはどうですか?
という質問が挙がりました

私は、清川先生がどうお答えになるのか瞬時にわかりました
そして、思った通りの回答をなさっていました

音楽が悪いわけでも、音楽を聞くことがよくないということでもありません
でも、子どもの脳は音楽が流れてくれば、それだけを聞くことになります
木の葉ずれの音や、風の音、人の声などを聞かない、ということになります
子どもは周囲のいろいろな音を聞いて、感じて、脳や知能を発達させている段階です
それらを聞かせないで、(少しならまだしも)長時間音楽を聞かせる、という選択はどうなのか考えてください

糸山先生が、
5分でいいから子どもと外に出て、とおっしゃっているのと同じです
外に出れば、いろんな音がする
風も吹いてくる
気温も日によって違っている
匂いもする
子どもに必要なのはそれらの刺激です
人工的な刺激など子どもの知能や情緒を育てません
自然な刺激が、子どもの脳を育てます
と、そういうようなことをいつも教えてくださっているのです

子どもの脳は、「ながら見」「ながら聴き」をしません
それは、脳科学者の川島隆太先生のシンポジウムでも聞きました

みなさんなら、子どもの脳が健全な成長のための刺激を必要としているとき、
脳を育てる、と銘打ったクラッシック音楽を掛け流したり、
英語が習得できる、と銘打った教材のCDを流し続けたりしたいですか?

人や虫や空の雲や風に吹かれる葉っぱを見ることよりも、面白くて食いつきのいい動画やゲーム画面を見せたいですか?

その方が静かにしていてくれるし、楽だからつい…という気持ちもわかりますが、
それでは、いつまでたっても子育ては楽にならないし、子どもが成長すればするほど子育ての悩みが膨張していきます

どっちを聞かせ、どっちを見せるか、選択するのは親です

私は音楽を聞くことが好きです
でも、シュタイナー教育の考え方でも、
乳幼児期は無音で、音楽を聞かせるなら子どもの間は単一楽器で、というのをどこかで読んだ気がするし、
他には難しい知識は何も持っていなかったけれど、子どもがちょっとした音に「あれ?」っていう表情をすることが可愛くて、家の中でも、車の中でも音楽をかけることはほとんどありませんでした
折り紙が床に落ちるぱさっという小さな音
スプーンが落ちる金属音
ぬいぐるみが転がる音
大人は気づかないかもしれない小さな音にも子どもは小さな耳を傾け、
怖がったり、面白がったりしています
そして、自分のアクションでそれらの音が出る、と気づいた時の発明家のような表情
何回も折り紙を落としては小さな音に首を傾げていた赤ん坊時代の甥っ子や、
わざとスプーンを落として音がするまえに目をぎゅっと閉じていた娘の顔を思い出します

耳の発達に影響するのではないのです
情緒の発達に関係するのです
情緒の発達は、脳の発達に関係するのです

結果、
学力に影響したり、人間関係の構築の仕方に影響したりするわけです

そういうことを研究している清川先生は、
何も知らずに与えてしまっている人が多すぎる、と訴えています

どうにかして、多くの人に聞いてほしい
もっともっと、清川先生の言葉を広めたい
でも、なぜ広まらないか
なぜ、危惧し、研究し、調査している人たちの意見に耳を傾け、国を挙げて検討し、制限をかけたり警鐘を鳴らしたりしないのか

それはいつも同じ結論に至る、
財界の強さです
日本は、ビジネスになればそれが正義です
前回の身体調和の講演でもあったように、
売れるから作る、広める、流行する
売れないから作らない、店に置かない、流行らない
そして、
何も知らない多くの人は、
売っているから買う
流行しているから買う
みんなが持っているから持つ
それが正しい、と思い込んでしまうのです

そして、熟考した上でそれらを選択しない、あるいは慎重に選択する私たちのような種類の人間を、
意識高い系とか、偏ってる、とか、時代錯誤とかいって、なぜか、排除しようとします
自分で選んだなら堂々とすればいい
選ばない人を攻撃したり、批判したりすることはないはず
それぞれが選んだ方法なのだから、お互いが、お互いを攻撃する必要などないはずです

でも、
そんな衝突は家庭内でも起きています
こういう話を聞いたお母さんが子どもたちの環境を変えようと努力する
でも、
お父さんが「そんな必要はない」と制止する
いくらお母さんが危機感を覚え、なんとか改善しようと努力しようとしても、
「みんなが持っているんだから」「みんな使っているんだから」
挙げ句の果てには「子どもがかわいそうだ」と、
まるでゲームを買わない、スマホを持たせない、ネットを使わせないことが虐待とでも言うような言葉を投げられ、傷つき、苦しんでいるお母さんをたくさん知っています

清川先生ははっきりとおっしゃっています
何も考えず与えることは虐待だ、と

いつも同じ結論になる気がしますが、
知っていて使うのと、知らないまま使うのとではまるで違うのです
それぞれ、どういうメリット、デメリットがあるのか、冷静に知るだけで、
「選択」の意味は違ってきます
子どもが人間に育つまで、「選択」は親が主導でしていくものです
子どもが「選択」できるのは、親が「選択」の手本を見せて、学んでからです
小さな子どもたちにも「選択」をさせることが、伸び伸びとした自然な子育てだ、という主張を聞きますが、私はそうは思いません
そう育てられた子どもたちをたくさん知っています
彼らは、選択する、という手本を見ないまま、自分が選択する、という重大なことを担い、大きな不安や迷いを抱え、子どもらしさを失っていたり、熟考することを知らなかったりと、思春期でかなり混乱を見せます
子どもに何も選ばせてはいけないとか、そういうことを言っているのではありません
このことは何度も書いているけれど、誤解のないように、詳しくは、また、別の機会に書くことにします

帰りながら夫が言いました
「 “お父さん” がほとんど来ていないんだよな。家でネット三昧かな(笑)」
確かに会場には女性がほとんどで、少しだけ、お父さんらしき男性がいただけでした
小さな子を2人連れたお母さんが、お父さんに車で送ってもらって会場に入るのも見ました
お父さんも一緒に聴講するのかと思ったら帰ってしまいました

どんぐり学舎の卒業生の保護者夫婦に偶然会いました
現在の塾生さん親子にも会いました
私も含め、その人達は既に、清川先生のお話になる内容について理解している種類の人間です
どうしたらここに来ていない人たちにこの話を届けられるのか
帰りながら夫とずっと話していました

どんぐりも同じですね
「オレはいいよ」
と、ツレが興味を持っている内容に興味を示すこともない
興味はないけど、少しでも共感できるポイントがあるならば、と寄り添い耳を傾けようとする気持ちもない
忙しいから
疲れてるから

この国はどうなってしまうんだろ

灰色の男達が
そんな夫婦像を見て、「目論見通りだ」と
ニヤついているのが見えます