なるようになる
放っておいても子は育つ
終わり良ければ全て良し

どれもこれも、時に励まされることもある言葉たち
本来、子育てや教育なんてそんなものだったはずでした
親が一生懸命サポートする必要も
親が一生懸命知ろうとする必要も学ぶ必要も、
なかったはずでした

糸山先生はその、「必要なかった」「なるようになった」時代の教育を、「偶然教育」と言っています
その名の通り、子どもたちは当時の環境の中でほとんど似たような準備学習をした後学校に入るので、学校での整理学習がそんなに苦労せずとも身についたのです

準備学習と整理学習については何度も書いているので省きますが、これだけは何度でも言います、準備学習とは学校ですることを先取りして練習させることではなく、むしろ、それとはかけ離れた心身の体験のことです
私の見てきた経験から言うと、学校に入る前に一生懸命「予習」をさせた子どもの方が小学校に入ってから伸び悩み、素直に学習できず、中高生になっても苦労しています

昨今、子どもが産まれてくる環境は最初の一歩、胎内にいる時から以前とは全く違う状態になっています
これは、少し前に書いた身体調和の町村先生の講演でも聞いた話で、さらに、
先週のブレインワークスのADHD/ASDグローバルサミットの配信講演でひなた助産院の佐藤助産師さんが「発達に飛び級はない」というテーマで話してくださったように、はっきりわかっていることです
(ちなみに佐藤さんの登壇の際、「他に同じことを言っている人がいない」と紹介されていましたが、町村先生のお話と重複する部分は多々ありました。きっと、町村保健師さん、佐藤助産師さん、本物の赤ちゃんやお母さん達の体に触れて、話を聞いてきて、同じことに気づいてしまったんだと思います)

母胎にいるときから「不自然」が始まり、
産まれた直後からもう、子どもたちは自分の体を思うように動かせず、反りが強くじっとしていられない
コットの中でじっとしている新生児が少なくなり、いつのまにかコットの上部に頭がついてしまうほど動いてしまう
元気があっていいじゃない、
昔とは違うのね~と、素人なら素通りしてしまうかもしれないこういった現象から、「あれ?おかしいぞ…」と、現場の方々は気づいていったんだと思います
その後も、赤ん坊の成長が少しずつ変わっていることに気づいた先生方なのです
時代の流れだからしょうがない、では済まされないことだという深刻さが伝わらないのは、「成長が早い」ことが「良いこと」に見えるからでしょう

体が落ち着かなくてじっとしていられない、さらに、最近の育児グッズでは赤ん坊をお座りさせたり、縦抱きしたりして親が楽できるようにするものが増え、子どもが少しずつ外界の刺激によって自分の心と体を成長させていく過程をすっとばしていきます
それで、「あら、もう寝返りをした!」「つかまり立ちをした!」と、平均より早いかも~なんて喜んでしまう人も少なくないでしょう

起き上がれない時代に獲得する、なんとか興味のあるものを視界に入れようとする動き、手に持った物を舐めたり噛んだりしていつまでも確かめている動き…でも、そういうことにも集中できず、とにかく早く先へ進もうとする赤ん坊と、それが良いことだと思い込んでいる身近な大人達

これって、勉強面でも同じだよなあ…とつくづく思うのです
早く文字を教えた方がいい、
早く計算ができるようにしておいた方がいい、先取り、先取り、あとで困らないように…

でも、違うんです
赤ちゃんの発達と同じで、その時期に、足踏みしてゆっくりと獲得すべきことがたくさんあり、それをすっ飛ばして「飛び級」してしまえば、その後に獲得できるはずのことができないまま不安定に繋がっていきます

発達を学んでいた頃に聞いた有名な話ですが、
赤ちゃんのハイハイの威力
両手をついて移動するあのハイハイったら、子どもが成長していく上でとても大切な役割を担っているのです
立って歩くようになってからも、転ぶとき両手がパッと出るかどうか
そして肺活量
それから、本当にハイハイで速く移動するために必要な足の指の使い方
(むすめたちの高速ハイハイを思い出すと今でも笑いがこみ上げます…)
だから、ハイハイの期間は長いほどいいんです、と教わりました
でも、
胎内にいるころから「先を急ぐ」赤ちゃんたち(それは体が不安定だから)
ハイハイの時期も短くなってきて、ハイハイはほとんどしなかった、という子もいます

そんな結果、学校の保健室で働く養護教諭の方々によると、「子どもたちの怪我がやたら深刻」になってきたのも近年よく聞く話です

佐藤助産師さんも、「以前ならかすり傷程度で済んだようなものが、骨折などかなり大きな怪我になってしまう傾向がある」と言っていました

子どもたちは、自分で自分の体をコントロールできない
それは、
子どもたちが自分で自分の思考力を使えない、という状態とよく似ています

だから、
いま、
偶然教育は望めないんです
偶然育児ももちろん

なるようになる
放っておいても子は育つ
とはいかないんです

偶然教育・偶然育児時代を過ごした諸先輩方は言うでしょう
「放っておいても育つよ」と
でも、
そうはいかないんです
残念ですが

そして、現状を知らない人たちも言うでしょう
「なるようになるよ」と
でも、
そうはならないんです

昨日、養老孟司先生のYouTubeを聞いていたら、
(キッチンで料理をしながらよく聞いているチャンネルのひとつです)
こんなお話をされていました
学校教育はそもそも、
学校なんかなくてそこらを駆け回っていた子どもたちをきちんと座らせ、落ち着いて学ぶことを教えるために今の形になった
(学校の拘束時間は今よりずっと短く、学校を出ればまたそこらを駆け回って遊びまくっていた当時の子どもたちでしょう)
今の子は、最初から野山を駆けまわって育っていないのに学校でさらにきちんと座らされ、自由に動けなくされる
それならいっそ、今の社会じゃ子どもが自由に駆け回って育つ環境がないのだから、逆に学校で発散できるようにしたらいいんじゃないか
勉強は家ですればいいんじゃないか


ああ、まさに…

学校の形が当初からずっと変わらないのがまず課題なのですが、
それを今日明日中になんとか変えてもらうことはできないので、そこで、
私たち親にできることはなんでしょうか、ということなのです

佐藤助産師さんは観葉植物を育てることを例に挙げて話してくださいました

観葉植物を買って育ててみた
どう世話をしたらいいかわからず、ネットで調べてみた
あれやこれや試してみた
結局、うまく育たない
もしかして、これ、不良品だったのでは

今時の親御さんたちの子育てに繋がる部分はありませんか、と

核家族や地域社会の繋がりが薄れ、赤ん坊を育てている人を間近で見るような機会もなく、出産したからと親になっていく
赤ん坊の育て方がわからず、最近、最も多い相談先はインターネットでしょう
なんならTikTokで調べ物をする時代らしいので、
そこで、教えてくれるサイトや人を探してすがることになります
でも、
実際に我が子や自分の状態をよく知っている人のアドバイスとはかけ離れたアドバイスを受けとることもあるでしょう
なんとなく信じた情報を元にいろいろ試してみるけど、結局うまくいかず、もしかしてこの赤ちゃんおかしいんじゃないの?(不良品?)

数ヶ月前に見た投稿で、ある産科に「赤ちゃんの尿の色が変なんですけど…」と相談に来たお母さんがいて、話を聞けば、「おむつのCMだと尿は水色だから、うちの子がおかしいのかと」
…真偽のほどはわかりませんが、でも、私自身の経験だけでも、これに匹敵するような「悩み」を抱えた親たちはいて

たとえば
朝から晩までテレビがついていて、子どもの好きなアニメかなんかを流しっぱなしにしていた知人は、「言葉が全然出なくて~会話にならないの。口を開けばアニメのセリフか登場人物の名前を言うばっかりでさ~」
そりゃ、そうでしょ!

たとえば
計算が速くて、大好きなんですけど、文章題が嫌いで…どうしたらいいんでしょうか
という相談
聞けば、数学の教授だかなんだかのお父さんが赤ん坊の頃から数字のブロックで遊ばせ、教え込み、幼稚園時代から計算教室に通わせ、楽しくて、計算ばかりしていて、絵本の読み聞かせは全くしたこともない、親との会話も私との会話も成り立たないような小学校1年生でした
計算が速いだけで小学校時代はわりと困らないようで、その子が6年生になったときにまた相談を受け、状況は変わらず
その後、中学生になり、勉強に全くついていけなくなり、ついに、学校にも行けなくなったそうです
その後はどうなったのかわかりません

親のすることって、
そこじゃないぞ~!

放っておいても育つ時代じゃないなら、何かさせなくちゃ!
じゃないぞ~!

体の発達に飛び級がないのと同じで、
子どもの学習能力の発達にも飛び級はないのです

現代の環境では偶然教育が望めないいま、親が知らないままでいたら子どもが当たり前に持っているはずの学び取り思考する力、生きる力さえ、成長させることも発揮させることもできず、ものすごく生きづらい人間を育ててしまうことになるのです
自分の人生を楽しめる人間とは、ほど遠い人間を…

親が「適切な」サポートをする、ということは、
何でもかんでも手を出して、助け船を先に走らせ、子どもを管理して支配することではありません

子どもがちゃんと子どもらしく、人間に育つように、
変わってしまった現代の何が子どもの成長を妨げるのか、何が危険なのかを親だけは知った上で、上手に回避してのんびり成長させる努力を怠らないことです
カルガモの家族が道路を渡る時みたいに
彼らが安心して警備の方々が止めている車の列の間をそんなことをしてもらっていると知ってか知らずか、があがあ言いながら親子でよちよち渡っていくあんな感じで
誰もカルガモを追い立て、急がせ、脅して進ませたりしていないのです

なるようになる
放っておいても子は育つ

そうはいかない現代だということを親はしっかりと知っていてください
そして、
大人の都合で
終わり良ければ全て良し
と、勝手に決めつけないことです
いい学校に出したから成功
いい会社に就職できたから成功
そんな結末を、子どもの人生の中で勝手に決めつけないことです

子どもは自分の人生を生きています
私たちが自分の人生を生きるのと同じように

親だけが頑張る必要などなかった時代、それが偶然教育の時代
今は世の中全体が子どもに優しくない時代(優しさのはき違え)
せめて親だけは頑張らなくてはならない時代
でも、親としての頑張りは、必ず報われます
親としての頑張りは、全然つらくありません
だって、目の前の子どもが、
自分で生きる力を着実に身につけていき、
賢さと強さと優しさに満ちた眼差しで、
見つめ返してくれるのですから