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テントウムシ小学校1年生の男女20人が2列に並ぶ問題です
これは和差算という類いの問題なのですが、
塾で教えるような線分図を私は(どんぐりでは)もちろん教えません
どんぐり問題には和差算がたくさんありますが、子どもたちの描き方、考え方、解き方もたくさんあり、どの解き方が正解かなんて決まっていません

このページの前に、描いて、考えて、
先に終わった友達を呼び止めて、こんな会話をしていました
Aくん「もうこの問題やった?」
Bくん「ううん、わかんない」
Aくん「うーん…むずかしい」
Bくん「なになに…テントウムシ小学校…ぶつぶつ…ああ、これは28人だよ」
(おいおい!)
Aくん「ちがうぜ、だって全部で20人のはずだもん」
Bくん「ああ、そうか」

問題を解いている最中に話しかけるのはいけません、という約束になっています
でも、この時はこの二人の会話を聞いてないふりをして聞いていました

Bくん「うーん。じゃあ、12人かな」
(おいおーーい)
Aくん「そうかなあ…ぶつぶつぶつ」
そのうちBくんは飽きて出て行ってしまいました

それからもずっと考えています
もう時間だよ、と声をかけると、「たぶんこうだ」と持ってきました
絵がずれていて、答えも違いました
私がお宝スタンプを押そうとすると
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!!」とノートを奪われました
そこからでした
まるで、1度止めたエンジンが再稼働したかのように、
ぶつぶつはヒートアップし、ついには正確に解いてしまいました
「あら~」と小さな声でつぶやいて、絵を見ていると、
いつものように、頼みもしないのに自分から解説を始めました
「これがね、男の子なの。線で繋がっているのが、手をつないでる女の子」
ふんふん
「だからね、ここに、手をつないでない女の子がいるの」
そうだそうだ、この人数だ
「だから、男の子だけだと14人なんだよ」
本当だ~

この日のこの子の日報に、私はこう書きました(日報の現物です)

“正解への執着も前向きならいいのかも”
どんぐりは添削後、間違っていてもすぐに解き直しをさせたり、解説をしたりしません
この日はこれが解けなかった、という事実だけが、添削者が把握する点です
まだこの言葉がわからないのかもしれない
まだここまでしか考えられないのかもしれない
それを把握するだけで、その時のその子を矯正することはしません
だって、
それがその子の「いま」なのだから

そんな悠長なことをしていて、子どもが伸びるなんて嘘でしょう?
と、思う方もいるかもしれませんが、
そうですね
たとえば、間違えた問題の解き方を教え、似たような問題を解かせればその時は「できた!」となることでしょう
わかりやすく、丁寧な解説をすればするほど、「先生のおかげでわかるようになった!」と言われ、塾講師冥利に尽きると感じる方もいるかもしれません
そんなことを親御さんに報告したら、親御さんも「解き方を教わって、できるようになってよかった!」と喜ぶかもしれません
でも、実際には、その子の「総合力」は、そこまで成長していないかもしれません
その場合、目に見える部分だけを矯正して「できた!」と味わわせたとしても、その子の根底からの理解や、思考力が伸びたとは言えないのです
ここが、「教える」ということの難しさです
その子の「総合力」、私の言葉では、その子の「歩幅」は、実際、いろいろな面を見ていてやっとわかることです
算数だけ見ていても、国語だけ見ていてもわかりません
普段の生活や、手仕事、言葉遣いやふるまいなどいろいろな面での成長を見ながら、今ならこの子はこれを伝えても受けとめるだろう、というタイミングを考えています
間違いなく、それは、みんな一緒ではありません
私にはそれがなんとなくわかるけど、それはやっぱり、経験とか、子どもマニアだったりとか、どんぐり理論やシュタイナー教育や発達学を勉強してきたこととか、それでも、わかんなくて子どもたちと体当たりで過ごしてきたりとか、いろんな要素が絡まっているからで…
今は、その子の歩幅がわりとよく見えます
もちろん、付き合いが浅ければわからないこともあり、難しいこともありますが
でも、一斉授業をする必要がある学校の先生達は仕方がないとして、(実は仕方がなくもないのですが)多くの親御さんたちも、このことをわかっていないのです

きょうだいを育てていて、ついつい比較して同じように育てたいと矯正してしまうこともよくあるでしょうし、
うちの子ってこうだから、と最初から無意識に型にはめようとしてしまうこともよくあるでしょう
親自身がこうだったから、というフィルターが、常にかぶさっている例もよくあるでしょう

どれもこれも、その子のその時の歩幅に合っていないと、その子が伸びるタイミングを逃してしまう可能性があります
タイミングを逃すだけではなく、二度とそのタイミングが訪れてくれないこともあるのです
そこだけひっぱっても、こっちにシワがよってるよ、みたいなイメージです
でも、「自分から」足を踏み出していれば、バランス良く、全てが伸びていくのです

頭だけでも、体だけでも、算数だけでも国語だけでもスポーツだけでもなく
その子が、人間として成長していく過程に思考力の自主的な成長が必要なんです

この子(テントウムシ小学校の和差算を解いたこの子)の場合、
間違えたらいやだ、お宝になるのはいやだ、という気持ちがとても強いです
ゲームで劣勢になると悪口を言い出したり、悪ふざけが度を超えたり、泣きべそをかきだすこともあります
そんなときも私はいつも変わらぬ態度で平然と構えていますから、普通はお宝行き問題もノートを奪われる前にスタンプを押して「またいつかね」とおしまいにします
でも、この日、この子の執着はとても前向きに見えました
途中、友達に話しかけてもしかしたらヒントを得ようとしたのかもしれません
でも、幸い、友達はヒントをくれなかった
それどころか、友達の出したアイディアを否定することでさらに思考を深めているのがわかりました
だから、
私のところにノートを持ってきたとき、
その子の目をちらっと見て、ノートを奪い返すのを黙認しました
そのあと、再始動した、というわけでした

この日の夜、中学生の授業中、2学期の期末テストが近いのに、1学期の最初からの教材をずっと手つかずで放っておいた子を私は見逃さず、今日はこれをしましょう、と具体的に指示していました(本来はそんなことは言いません)
何度も個人的に声をかけてはきましたが、どうしても「すべきこと」に目が向かない、手が動かない生徒でした
これまでの定期テスト前も、同じように声を掛けてはきましたが、今回はもう一歩踏み込んでみました
英語では、整序問題を使って文法の確認をします
DKRオリジナル教材です
問題数は少なく、基本的な文法がしっかり理解できたかどうか、単語のつづりを気にせずに並べ替えるだけの問題集です
でも、
英単語そのものを覚えていない子には、選択肢になっている英単語に意味を書いてあげなければ並べ替えることはできません
主語があって、その次に動詞があって…と説明されても、それらの言葉の意味もわからなければ並べ替えようがありません
期末テストの範囲の問題集をしてもらっていたら、案の定、めちゃくちゃに並べ替えていました
私は一度預かって、基本的でシンプルな英文の問題だけを選んで、日本語の文の中の主語と述語に色を変えて線を引きました
それから、10分ほどつきっきりで文の構成を教えました
1学期からみんなが積み重ねてきたそれまでの教材も、その子はやっていませんから、いきなり今回のテスト範囲の並べ替えをしたって、難しいに決まっています
最初は単語の意味をひとつひとつ教え、選んだら選択肢を消して、と具体的に声を掛けながら教えました
少しずつ、言葉を減らし、その子が恐る恐る英単語を選ぶのを見守りました
適格な英単語を選ぶようになっていきます
うん、うん、そうそう、それでいいんだよ
ごく基本的な英文と、わかっている単語であれば、並べられる段階まで来ました
そして、私はその子の机を離れ、その次の段階かな、と思える問題に印をつけて、これも、同じように考えてやってみてごらん、英単語がわからなかったら聞いてね、と言いました
1学期から積み重ねて、教科書の英文を書いたり読んだりDONGLISHで訳したりしてきた子たちは英語の表現を見慣れているので、前置詞の区別もできます
でも、見慣れていない子は、前置詞がなんなのか、どこにどうくっついてくるのかわかりません
こればっかりは理屈じゃなくて、どれだけの英語の文とつきあってきたか、ということに尽きます
たとえば in my roomとかって表現を、in の次はmy…って暗記したっていうより、音感とか、何度も出てきた、とかって感じで「知ってる」ってなる感じです
とある英文で of の位置を迷ってたその子に、私は、私の町で毎年行われている「King  of Pasta」の話をしました
Kingって何?
「王様」
そう、それで、of Pastaはどんな「王様」かって説明を加えてるの
of ○○で、○○の、っていう感じで
「パスタの…パスタの王様」
そう、King of Pastaはパスタの王様を決める大会のこと
うふふ、と笑って、その子は続けました

他の子の様子を見たり、添削をしたりしながら過ごしていると、その子は何度も立ち上がり、英単語の意味を聞きに来ました
そうです、並べ替えたくても、英単語の意味がわからなければ使いようがないのです

時々またその子の机のところに行って、動詞の位置や、前置詞の働きを説明しました
ホントなら夏前には通過しておいて欲しい過程だけれど、何度だって私は一緒に戻るし、一緒に通り抜けます

時間が来て、みんなが帰ってから私はその子と話しました
「ねえ、今日は少し、英語の文の作り方がわかったね
でもさ、悔しくない?単語の意味がわかったらもっと楽なのにーーーって思わない?
単語の意味をさとちゃんにいちいち聞くのやだったよね
そしたらどうしたらいい?
自分でも調べられるよね、辞書とかね、
それに、そういうことしてるうちに、全部調べなくてももう知ってるよ、って英単語が増えてくるよね
そうやって、少しずつ楽に、楽になっていくんだ
英語の文の作り方もさ、英文法っていうんだけど、
こうやって、仕組みを知ったら自分でできるようになったでしょう
ちゃんと、理由を考えたらできたでしょう」
うんうん頷きながらその子は聞いていました

期末テストまでに、
1学期からの全ての内容をいちから復習して理解するのは難しいでしょう
英単語を全部覚えるのも厳しいでしょう
でも、その子はこのとき、私の言っている言葉の意味を理解していました
そうだ、英単語さえ覚えればいいんだ
調べていけばいいんだ
どうしてこう並べるのか、考えて解けばいいんだ
っていう、顔をしていました

続きがひとりでできるように、今日みたいな説明を書いてメールするから、見てよね!って言って、帰しました

ちゃんとやるよ!って顔をして、帰っていきましたよ
本当にやるかどうかは…厳しいかもしれませんが、その子が1mmでも自分で自分の一歩を踏み出そうとしたなら、それは成長、進化したことになるのです

中学生になったら自分から進んで勉強するよーに!とか、
周囲の大人は簡単に言うでしょう
でもなんでか、小学生の頃よりぐんとやる気を削がれている子が多いように見えます
内容が難しくなる、という点もあるでしょう
どんぐりをやってきた子の中にも、
まるで思考停止しちゃったみたいに、ぼーっと脳を休ませた状態のままみたいな子もいます

気になったのは、その子もそうなのですが、
シャープペンの使い方が、あまりにも、不器用そうな点です
これまで見てきた子の中にも、
勉強に集中できない子に多く見られる傾向です
その持ち方では、しっかりとした字は書けず、長時間書くことも困難、という感じです
しっかり書けなければ、数字は書き間違えるし、1文字違えば間違い、っていう英単語、英文などもちろん正確に書き写すだけで大仕事です
それで段々と机に向かうのが苦しくなってきたという過去は抱えている可能性があります

最近は板書をたくさんする先生も減って、プリント書き込み式とか、なんならタブレットを使いこなしている先生もいますから、字を書くことそのものの経験が減っているかもしれません
でも、先日の身体調和の先生の話でもあったように、ペンを持てないからペンを持つ練習をさせても効果はありません
しっかりと座ってペンを持ってものを書く、という段階に至るまでに気づく点があり、体幹や首の位置など、その子が実は苦しんでいる点がないか、小さい頃から見つけて適切なフォローする必要があるのかもしれません
ただ、お箸の持ち方が…とか鉛筆の持ち方が…うちは不器用で~とやり過ごせない問題が、将来、生じてくる可能性もあるのです

それでも、私が私の専門分野でできることは、いま、困難を抱えているかもしれない子どもたちがーーー困難を抱えていない子も、もちろん変わらずみんなまるっとーーー自分自身の体と頭で逞しく生きていけるような手伝いをすることです
その子の歩幅でしっかりと地面を踏みしめて歩き、前に進めるよう、適切なポイントで支え、応援することです

なんだか省エネモードに入ってしまったなあ…という中学生を見ても、やる気がない!なんて思いません
できるだけ多くの大人の方に、そう思わないでいただきたいのです
その子の歩幅を無視して、強引に前にひっぱるようなことはしないでほしいのです
その子が自分の足で前に進めるように自分にできることはなにか、それぞれの立場で考えてほしいのです

世界は、
自分の歩幅とは関係なくどんどん進んでいく
学校の授業も、先生の評価も、なんだか、自分軸ではないところでどんどん先へ、先へとポインターが指していて、体がふわっと宙に浮いたみたいに不安だよ

そんな子どもたちの心の声が、聞こえてきます

大丈夫
ちゃんと足をつけてごらん
ほら、ちゃんと歩ける、ゆっくりでいいよ
それでも歩くのを止めなければ、確実に前に進むんだから