どんぐりを卒業する通信生くんの、最後の添削作品です
問題文の物語は左側で全て絵図になっていて、
右側で考えるための絵図に整理して、計算をしています
計算が、全て物語の助けになっているので計算だけで解いているのでは全くありません
一度も直接会ったことはないんだけれども、
こうして作品を時々見せてもらってきて、「最後の添削をお願いします」というお母さんの言葉とともに、感動に浸ったのでした

この問題はなぜか「9にん」と間違える子がとても多い問題
巨大ハムハムと、普通ハムハムがいるんだけれども、
「巨大ハムハムは普通ハムハムのちょうど半分います。みんなで18匹です」と書かれているのを、
「巨大ハムと普通ハムハムは半分ずついます。みんなで18匹です」と勝手に読み替える子が多いのです
そうとしか読み取れなくて、何度挑戦しても答えが「9」になるので毎年不思議に思います
でも、この子は当たり前のように「12まい」と答えました
「12にん」じゃなくて「12まい」なのは、ハムがスライスハムだからだそうです(笑)
食べるスライスのハムがひらひらと遊んでいる絵だったんだ…と思うとなんだか笑いがこみあげてきてしまいますが…私が真剣に絵図を読み解いていると、「あのね、あのね」と、いつものように解説が始まりました
あまりにもかわいい解説を、録音しようと試みましたが、準備しているうちに解説が終わってしまって、きっと、もう一回教えて、って言ったらもう一回説明してくれたんだろうけど、でも、なんとなく、1回目の解説を私の胸の中に収めて浸ってしまいました
「巨大が普通の半分いるってことはね、巨大が1のとき、普通が2なんだよ、だから、こうやって、巨大を1描いたら、普通を2描いたの。そうやって、全部で18になるまで描いていったんだ」
ああ、そうなんだ…
目をキラキラさせて、当たり前のように話しているその子の顔が本当にかわいくて、賢くて、感動しました

ところで「巨大と普通と半分ずつだ」と思い込んでしまう子との違いはなんなんだろう、とふと考えました
大きな要因のひとつは「思い込み」です
急いで読んでいるとか、雑に読んでいるせいで、肝心な情報が違って受け取れる読み取り方をしてしまうんだと思います
「半分ずつに決まってる」と思い込んだ脳は、もちろん「半分ずつ」の絵を描くので、答えが違っている、お宝だ、と言われると「なんで!!」となるのです
1回のミスで、「なんで!?おかしいな、もう一回丁寧に読んでみよう…」と前向きになれれば問題ないのですが、なぜか1回違っているとイライラしたり、どんぐり嫌い!ってなってしまう子も多いようで、そういう場合、なかなか素直に進化することが難しくなってきます

読み間違いや思い込みが起こる原因はいろいろありますが、やはり生活の中のスピード、普段から言葉や対応をゆっくり丁寧に浴びているか、というところが重要なポイントです
糸山先生が以前研究なさったことなのですが、
全ての学習が水の泡になるゲームが育てる〈反射脳〉
プラス学習とマイナス学習
~糸山先生のブログより
「じっくり考える」の「じっくり」の時間が、極端に短い子がいる、という例がありました
1秒も経たずに考えることを諦め、脳内を切り替えてしまうそうです
それはその子が好きなゲーム内でのタイムリミットなのだそうです
何秒もじっと考えていたら、ゲーム内では死活問題で、とにかくさっさと反射的に切り替えなくてはなりません
それは、私が見てきた多くの、赤ん坊の頃からテレビ画面の前に座らされていた子たちにも共通している特徴です
意識してテレビ番組を見ているとわかると思います
たとえばたくさんの人が一同に介しておしゃべりをするバラエティ番組でも、海外で面白いことをする旅番組でも、ニュース番組でも、まずBGMが流れていて、演者さんが話していて、その言葉が字幕になっていて、さらに、それらのタイミングは面白おかしくリズミカルに編集済みで、絶妙な時間感覚で会話が進んでいます
見ていて面白いし、心地よいですよね(本当はちょっと疲れることもありますが)
実際の日常会話のように、沈黙がはさまったり、言い間違えたり、じっと言葉を選ぶ時間が多く取られることはなく、それらはカットされている構成がほとんどです
それからCM(これは特に、子どもがCM好きなので有名なのですが)ではもっと短い時間で、多くの情報をみんなに印象づけるための工夫がたくさんなされています
数秒か、1秒以内で切り替わる画面、音楽、たたみかけるように繰り返される言葉など、ずっと惹きつけられる演出が工夫されています
そういう画面を当たり前に浴びてきた子が、小中学生になってどうなっていくのか、私は目の当たりにしてきました
テレビが悪いのではありません
テレビの使い方が違っていたのです
簡単に言うと、テレビを浴びすぎていた子たちは集中力に欠け、ゆっくり、じっくり、丁寧に物事に取り組むことが苦手です
そりゃそうです
目や耳や脳が毎日ぐんぐん成長する大切な時期に、あまりにも多すぎて、速すぎて、積極的すぎる刺激を受けすぎてしまったのですから
自ら情報を得よう、思いを伝えよう、と脳が頑張る必要がないのですから
ただ受け身で、ただ浴びているだけで済んでしまったのだから

それなのに、最近ではテレビどころではありません
正直、「まだテレビの方がよかったかもな…」と思ってしまうようなこともあります
そんなことも全然、ないんですけどね…


この問題もなかなか読み取るのが難しそうです
読みながら絵図にしていく過程で、
これらのCD飛ばしの選手たちの記録の長短がどれだけなのか、
イメージできるかどうかが肝心です
この子は「4倍」も「全員で50m」も、「その差2m」も、イメージできているようで、自分で考えた線分図を描いています

「線分図」は塾でも学校でも「教える」みたいですけど、どんぐりでは教えません
でも、高学年にさしかかると自分で描き始める子もいます
まあ、学校の教科書で見たことあるっていうのは影響しているかもしれません
でも、人が描いてくれた線分図や人が教えてくれた線分図が便利だなあ、って思っているどんぐりっこは少ないです
自分で考えて工夫するから一生ものの思考力に繋がっていくのです

考えることを好まない子どもたちを見ていると、
脳がすごく「老化」しているように見えることがあります
「面倒くさい」「わかんない」とすぐに諦めたり、
ため息をついて疲れた顔でどんぐり問題を仕方なく解いているような姿、
以前成功した方法だけを頼りに(まるで過去の栄光にすがる大人のように)それをなぞらえるだけの解き方をしているのなどを見ると、
人生に疲れた大人を見ているような気がすることがあります
一方、
解けるか解けないかなんて気にしない(ふりをして)ただただ、素直に丁寧に読み取って全部絵にしよう、っていう私との約束を一生懸命守って、解き終えると得意げな顔でニコニコ私を見てくる子たちは、それがお宝行きになろうとどうなろうと、もう、この時間、こうして取り組んだ時間の全て、秒単位まで全部、まるっとこの子の人生の糧になる、と確信できるのです

全ては、素直に取り組んでいるかどうか
素直に取り組めるだけの生活背景が整えてあげられているかどうか

雑で、すぐ読み飛ばす
丁寧に取り組めない
と、悩んでいる方がいたら、まず、子どもにどんな言葉でどんな速さで話しかけているか、セルフチェックをしてみてください
自分の発言を録音してみるとよくわかりますよ

そして、日常に疲れた大人が心地よいメディアが、
必ずしも子どもの成長過程に必要というわけではないことを、
どうか知っておいてください