【前編 小学生時代はこちら

<中学の成績・生活・部活のこと>

 中学入学と同時にコロナで休校となった息子。今まで宿題もなしで勉強することを堰き止めていたような小学校時代。学習机も無くブランコしかなかった子供部屋を仕切る作業から始めました。工務店に仕切り壁工事の見積もりをすると高額だったので夫が設計図を書き家族総出で材料を買い出しに行きコロナでお休み中に板をのこぎりで切ったり釘をうったり重たい無垢の杉板を2階に運んだりと家族で子供部屋の仕切り壁を仕上げました。
 そして息子が気に入った机も組み立てて欲しがった本棚も設置。息子の理想の部屋が完成しました。休校中は毎日妹と遊び、聡子先生が自転車で届けてくれる問題を喜んで解くといった楽しい日々だったのではないかと思います。暇すぎて庭に穴を掘り始め地下室を作ると言い出したくらいです。そんな調子の中学生活がはじまり最初に受けたテストでたしか5位ぐらいをとってきたと思います。これには息子もビックリしていました。1学年150人いて、自分は学区の端(田舎の遠い地域)から入学したので同じ小学校から入学したのは10人ほどで肩身が狭い。町の子たち(学校周辺の賑やかな町に住む子)はさぞかしみんな優秀なのだろうなと思っていた様子です。
 成績については点数が何であろうと順位がなんであろうと我関せずの態度を夫婦で貫いてきました。1年生の夏休みに小学校時代の親友(中学は離れ離れになり高校は一緒のところを目指そうと話していた)と遊んだ際にその親友はテストで1位をとってお寿司屋さんに連れて行ってもらったと聞き、自分も1位とったらお寿司屋さんに連れて行って欲しいと言い出しました。そんな目標を持つの?と思いながらも夫が「いいよ」と承諾しました。中学の間に数回お寿司屋さんへ行くことになろうとは、その時には想像できませんでした。
 そんな感じで勉強は困ることなく、時折国語がだめだ~とか英語が大変だーと自分で言っては何か対策を取っていたのでしょう。2年生で初めて参考書を買いたいと言い、英語の参考書を買って「わかりやすいー!」と感動していました。検定試験も漢字に興味があるから漢検受けるとか周りが英検を受けているらしいから英検受けてみるとかついでに数検もいってみようとか自分から言い出して結局多分問題集を買うこともなく漢検・英検・数検すべて3級をとっていました。
 受験期になっても早く就寝し、いつもご機嫌な息子の様子に夫は「受験生は努力と根性じゃないのか?自分は勉強中に音がするとうるさい!と親に当たってた」と自分が受験生だった頃と比較して首をかしげていました。思い返してみるとついに卒業まで遅くとも9時半就寝の習慣は崩されぬままです。幼少期から「早寝早起き朝ごはん」をモットーにして生活してきましたが、この年齢になっても徹底するとは思いませんでした。最終的に第一希望の公立男子高校に合格でき、今は高校から出された3冊の問題集を楽しそうにのんびり取り組んでいます。
 もう一つ、娘の話を続けます。最近娘が「友達が50点をとっちゃって帰ったら親から怒られるから帰りたくないと言ってた。いよいよ塾に送り込まれるって」と話してくれました。その友達に娘は「うちの親は多分私が0点とっても怒りはしないよ。」と言ったそうです。「確かに。100点とっても何も言わないけどね」と親子で笑いました。我が子にも点数や順位に親が執着していないことが伝わっていたのだなと感じました。
 息子は卓球部に所属していました。毎日放課後部活をしていましたが強くなりたいと望んでいる仲間とは週末も市の施設で練習をしていました。それでももっと強い相手と練習をしたかったのでしょう、平日の夜(週1)に月1000円で強い相手と戦える道場のような所を見つけてきて通いたいと言い出しました。夫も1000円ならと了承し、夕飯後に自転車で通っていました。少し遠い場所だったので、風が強い日、雨の日は心配で帰宅が夜10時頃になることもあり、ヘトヘトな様子でした。でもそのかいあって中3夏の大会では本人が満足できる結果を得ることができたようです。夏休みからは部活は引退、道場はお休みしました。お世話になっている間、私は一度もその道場には顔を出すことがなかったのですが、進学先が決定した時には「甘いお菓子が40個ぐらい入っている菓子折買ってきて」と息子から頼まれ一緒にお礼に伺いました。沢山の小中高生がおり、それこそ新聞に載るような卓球選手小学生女子(息子が大敗した時、彼女は小3だったそうです)もいて沢山の方々にお世話になったのだなと感謝した次第です。

〈D→K Roomの活用の仕方〉

 中学生になりどんぐり問題を卒業(といっても全問解いたわけではなく、塗り漢字も完結しないまま)しました。引き続き気心の知れた信頼する聡子先生のお教室に通えたことは親としては安心でした。どんぐり学舎の時からそうでしたが、夫婦で勉学については聡子先生にお任せできました。D→KRoomの文字通り「どんぐり(D)」から「くぬぎ(K)」になる中学生が通える教室です。一番最初の日だけは中学生のテキストをたくさん持ち帰るから大きな袋を持って行かなくちゃ!と車で一緒に教室へお邪魔したのを覚えています。しかしその後の通塾は自転車で行くと言い出しました。運よくと言いますか、近所の同級生がどんぐり仲間ですので、彼と一緒に通学と同じように自転車で行くのだと言います。夜だし、田舎だし、自転車でたんぼに突っ込んだりしないかと心配でしたが、彼らの意思を尊重しました。雨の日は送迎しようかと思っていましたが、「カッパという優れた物があるから大丈夫」だと言います。このあたりから親が関わらないこと、信じて待つことが増えてきました。親が送迎した方が親も子も楽だと思います。結局息子が帰宅するまでいつでも出動できるように夫婦で飲酒を我慢したものです。
 中学の勉強については本当にすべて聡子先生にお任せでした。時折わからないところを夫に聞きに来ましたが、熱が入ってしまいます(自分はこうやって覚えたというところまで話しちゃいます)。要するに押し付けや過干渉になりがちになると感じたあたりから「聡子先生にきいてごらん」と返すようにしてきました。話はそれますが、子育ても勉強法も結局自分が受けた育て方をキホンにしてしまうし、勉強法も自分がやった方法しかできないものだと思うのです。反面教師なんて言いますけど、何気なく親と同じことしてしまうものだなと私自身は感じています。自分たち夫婦と我が子は全く別人と思うからこそ、息子には自分で自分のやり方を考えたらいいだけだと、親の出る幕は無いと思ってきました。
 D→KRoomの仲間はこれもまた運よく同じ中学に通う男子3人でした。中3では奇跡的に学校でも同じクラスでググっと結束が強まったのではないかなと思います。塾での様子は全くわかりません。ただ送り出していただけの3年間でした。考える事を面白がったり、英語で話してみることを楽しんだり、間違う事を恐れなかったり、そういった自由な強さをD→KRoomで培ったのではないかなと私は感じています。そうやって彼らの世界を広げて導いてくれたのも聡子先生だと思っています。
 思い返してみれば緊張真っ只中の高校受験の朝も「今日はどんな問題に出会えるんだろう???楽しみ~!」とわざわざ口に出して言って、自分を鼓舞していた息子。こんな感覚を持つことができたのも聡子先生のおかげだな~と思いました。
 高校生なっても「わからない!」とか「どうする??」という時に聡子先生を頼るのではないかなと思っています。息子だけではなく私も。

<思春期、反抗期のこと>

 「くそばばぁ」いつか私も息子にいわれる日がくるのかしら?そんな一抹の不安を抱えながらも息子がティーンになりました。しかしながら「くそばばあ」と言われることは今のところありません。むしろクラスで問題が生じた時や生徒会活動の時、どうしたらいいと思う?と話しかけてくれることが多かったと思います。
 もともと子ども達は学校のことやクラスの友人のこと部活のことや好き、嫌いな先生のことなどたくさん話してくれるので夕飯時は今でも家族で会話が弾みます。
 何かお願いしても返事が返ってこない程度の小さな反抗はもちろんあります。夫は逆手に取って「お!きたねー反抗期、いいぞいいぞ!」と煽っていましたが。今では娘もティーンになり、可愛い推し活も始まり思春期というか明らかに去年(小学生)とは違ってきた感じがあり、「ティーンエイジ」とはよく言ったものだ、12歳までの区切りは正しいとハッキリと感じ取れます。不思議なものです。だからこそ12歳までの制限は大事です。息子と娘を見ているとマスコミ?がセンセーショナルに書く反抗期とは違うなと思います。これもどんぐりのおかげなのかなと感じます。
 そもそも私たち夫婦は糸山先生の「子育てと教育の大原則」を読んでようやくどんぐりライフをどう送ったらいいか腑に落ちたと言えます。今も本には夫が貼ったふせんがあります。貼ってある箇所は「ああしろ」「こうしろ」というたびに「1つ才能を潰し」「1つ卑屈にさせ」「1つ憎しみを増やしている」ということを心して下さい。という部分です。夫も私もこの本を読んで変わりました。言葉かけが変わりました。過干渉を止めました。自分と我が子は違う、別人だと強く意識しました。我が子に何を伝えたいかというときに「Life is beautiful」だよね!と確認し合いました。子どもが一つ屋根の下にいるうちに、家族で時間を共有することを大事にしようと過ごしてきました。夫は単身赴任を拒否する勤務体系を選択しました。そんな関わりが奏功した穏やかな反抗期なのかもしれない と今は思います。

<さいごに>

 最近息子のどんぐり問題スケッチブックを見ました。実をいうと私はどんぐりスケッチブックは見ないと決めて今まできました。見たらどうしてこれができないのか?とモヤモヤしてしまうし、言葉にしたり顔に出たりすると思っていたからです。家でおうちどんぐりを取り組んでいるたくさんの親子さんを思うと、その親御さんを本当に尊敬します。私は家庭環境だけ整え、聡子先生にどんぐり問題との向き合いを全てお任せしてきました。
 毎週我が子を託し、我が子を通じて私たち夫婦の良し悪し、家庭の中での癖など聡子先生にはわかってしまっただろうなと感じます。どんぐり学舎での小学6年間は同じクラスの親子さんととても仲良しになりました。子供達が「どんぐり学舎は今思えば『どんぐり問題を解く時間』は『どんぐりの子とたっぷり遊べる前触れ』だった」と言うくらいどんぐり学舎のあとの外遊びがかなり楽しかったようです。子供達は毎週真っ暗になるまで一緒に遊び、その様子を見守りながら親同志、宿題や学校の悩みや工夫を共有し話し合っていました。そうやって分かり合える仲間がいることはとても安心できましたし、宿題マシーンも頑張ろうと思えました。こういった出会いもどんぐり学舎に入っていたからこそで感謝しかありません。
 そして今更ながらコロナ休校中に息子が解いたのであろう数問が未提出のままスケッチブックに残っていました。(今頃それらを見つけるほどズボラな母なのです)
 息子と最近「どんぐり」選んでよかったねと話した時に「どんぐり選んでよかったけれどもまず、うちの場合は両親と聡子先生の信頼関係ができていたのは大きいのではないかな」と言われました。(なかなか鋭い!)
 娘は最近「小学生時代宿題しないでゲームも無くてテレビも見なかったなんて、じゃあ学校から帰ったら何してたの?と友達から聞かれたの。家で遊んで暇してたね!私今でもぼーっとして物事を進めるの遅いでしょ?ワハハ」と話してくれました。
 そうです、我が子は学校で真面目に過ごし、たとえ嫌いな先生でも先生の思う通りにいい子でいようとするタイプだなと見ていたので家ではなるべく弛緩させることに注力していました。だから床のうえでゴロゴロして外をぼーっと眺めている姿を見るといいぞ、いいぞ!ゆるんでるね~と思っていました。学校で頑張った分、家ではゆるめてあげる、これは大事な気がします。
 ダラダラと取り留めなく書きました。我が家のどんぐりライフ体験記で、何か役に立つようなものではないと思いますが、娘があと2年DKRでお世話になります。これからも聡子先生のブログは読み続けますし、これまで通り紹介された書籍は必ず読みます。どんぐり問題に取り組む小学生ご家族のみなさん、小学生時代をぎゅっと親子で楽しんでください。振り返ればあっという間です。
 聡子先生 今まで私たち親子を見守っていただきありがとうございました。
 そしてこれからもよろしくお願いします。

【2022年度 どんぐりDK卒業文集⑤ 保護者手記(1)母より 後編(中学生時代)】