私自身、我が子を決めつけていた不出来な親ですしズボラですし子育てがどうあるべきかなど全く知らずに親になったものですから偉そうなことは何も言えませんが、9年お世話になった今、正直に言えるのは「どんぐりを選んでよかった」という1点に尽きます。
なぜよかったのか、それは親子関係が良好かつ子どもが生き生きと生活を送り心身共に健康であるということにあります。そこに嬉しいおまけのように勉学に不自由せず、なんなら勉強や授業プラスして友人との交流や部活動が楽しそうで自ら高い目標を持って取り組んでいるように見受けています。そんな我が家のどんぐりライフ(事実を思い出してダラダラと)を綴って、学舎の親御さんへのエールとなればと思います。(息子中3、娘中1)

<「どんぐり理論」ときちんと向き合うきっかけ>

 息子小1の5月、どんぐり学舎に入塾しました。小学校入学と同時に今の街(高崎市)へ引っ越してきた為、知人は一人もいない中で小学校がはじまり、近所の同級生が頼りでしたので集団登校はとても有難かったです。その同級生と一緒にどんぐり学舎にお世話になりました。その時、夫婦ではじめて糸山泰造著「絶対学力」を手に取りました。「どんぐり」とはなんだかとても素晴らしい学習法で子どもがかしこくなりそうだ!とは思いましたが、内容は今一つ、いやあまりよく理解できず、とりあえず聡子先生にお世話になってどんぐりとやらをやってみせよう。ぐらいにしか思っていませんでした。そんな状態でしたので1年生の宿題、ひらがなのかきとりや計算や音読は息子自体も「やりたい!」と目を輝かせていたので「やりたいならやればいい」としか私も考えておらず、強制はしませんでしたが息子は宿題をやっていました。
 そんなある日、どんぐり学舎に行った日の夜に聡子先生から連絡が来ました。「近々ランチでもしない?」元々私と聡子先生は夫を介して知人いや友人だったこともあり(お互いOL時代は文通友達でした)、「わーい、ランチいくいく!」と軽い気持ちでランチへ行きました。そこで聡子先生から告げられたのは、どんぐり学舎での息子の様子でした。問題への向き合い方、息子の口から出てくる言葉。それは全て親である私の呪縛や日々の言葉かけからくるものだと強く感じ、衝撃をうけました。聡子先生もどう私に伝えるか熟慮されたに違いありません。まっすぐに事実をそのままありのまま話してくれた事に感謝しています。忘れもしないその時、今でもこうやって綴りながら「あの瞬間」私が切り替わった瞬間だったと感じます。そこからです、どんぐり理論と真剣に向き合うようになったのは。私が我が子への言葉かけに気を付けるようになり子どもを決めつけないようになったのは。
 子どもは本当に純粋です。親のことが大好きで親に褒められたいと思っているに決まっています。今でも大人が我が子を「うちの子はバカだから」とか「うちの子は野球だけ」とか決めつける言葉を聞くと複雑な気持ちになります。可能性を奪い、言葉で呪縛しているのは親かもしれないなと感じます。

<ゲーム無し、テレビなしの環境設定>

 もともと子どもが生まれてからお世話になっていた子育て支援の先生からゲームやテレビ育児の弊害を聞いていた事もあり、幼少期よりテレビを見せ過ぎないようにしてきましたし、電子ゲームは買うまい!と思っていました。息子小2ぐらいには放課後、近所のお友達が家を行き来するようになりました。ゲーム機を持って我が家に来たお友達がいよいよ現れたその日に私はきちんと説明しました。「うちではゲーム機は無しで遊んでね!」その子はビックリした顔をしながらもすぐにゲーム機をカバンにしまってくれました。その後は「息子の家はゲームだめ」と知れ渡り、我が家に来たらカプラ積み木や木のレール線路を長々繋いで電車遊び、子供部屋のブランコでおおはしゃぎ外でボール遊びや鬼ごっこをしていました。キュボロで遊んで楽しかったという子がいて後日お母さんから買いたいけど売っているところを教えて!と聞かれたこともあります。(おそらく藤井聡太君が遊んでいたとニュースになったからだと思いますが)逆に息子がお友達の家に遊びに行ったときはゲームを一緒に楽しむこともあったようです。でも毎日ハマるという遊び方はしていない様子でした。多分「あなたの脳を守るために電子ゲームは無しなんだよ。」と話してあったからかなと思っています。
 最近になって息子から友人の家でテレビゲームを時々やっていた小3頃の話を聞きました。友人3、4人でテレビゲームをやったのだけど、自分だけ下手くそでいつもビリ。あれは機械操作のテクニックなんだ、でもある日、自分にだけ早くゴールできるアイテムが続々現れるラッキーが訪れた、多分あれはゲーム機側がこいつはいつも弱いぞと判断してラッキーアイテムを与えてくれたんだと思う。その結果1位になって自分も友人たちもめちゃくちゃラッキーすぎたその光景が今でも忘れられないそうです。
 テレビについては家を建てた時にテレビを2階の主寝室に置くようにした為、リビングはいつも会話であふれていました。また、子どもがテレビを見る習慣もなく、見たい映画や番組は「家族で見る」が基本でした。家族で「笑点」や「サザエさん」を見ていた時期もありましたが、長続きせず、「落語ザムービー(NHK)」は我が家大ヒット番組でしたが、あまり放送されず(また放送してほしいです)、テレビとは家族で距離感がありました。
 これもまた最近息子と話したのですが、中学に入って部活の仲間の中で「ひっこし!ひっこし!といって布団をたたく迷惑おばさん」の話が出た。みんなテレビニュースで見て知っていて「めっちゃ有名だよ、お前知らないの?」と驚かれたけど小学校の頃テレビやニュースを見なかった自分は家でググった。すぐあーこれか!って分かった。テレビ見なくてもそんな感じでうまく渡っていくのだなと今更ながら思っています。中学入学時にテレビを解禁しました。テレビ設置場所は相変わらず主寝室でしたので、見たい番組は録画して下校後に見ている様子でした。図書館で映画DVDを借りて見ていることもありましたが、自分で時間を決めて時計を見ながら見ていて、ずーっとぼーっと見続けることは無かったように記憶しています。

<宿題のこと>

 宿題は先に書いたように息子小学1年生の時はしていました。2年生の新学期に担任の先生宛てに宿題は免除いただきたい旨のお手紙を出しましたが新卒の先生には受け入れ難かったようで、免除とはならなかった為に私が宿題マシーンとなって宿題をこなしました。今でも覚えているのは夏休みに出た書き取り帳1冊の書き取りです。これも私がやりましたが、無意味半端なく疲労感しかなく、これは息子にさせたくない!と強く思いながらやり遂げた記憶があります。こうやって私自身が宿題マシーンを経験したことで宿題のお粗末3点セットのバカバカしさが身に沁みました。その後6年生になるまで担任に宿題免除を了承いただくことは無く、ひたすら私が宿題マシーン、その時間に夫が家事をするのが我が家の定番スタイルとなりました。度々息子の書き取りノートに「素晴らしい!」とか「きれいに書けました!」と先生から書かれるたびに息子とニヤニヤしたものです。息子6年生の担任の先生は「どんぐり問題」を見せてほしいと仰ってくれた唯一の先生で家庭訪問時にお見せしました。さらっと何ページか見て「わかりました。これを家でやっているということで計算ドリルは無しでいいです。」と初めて宿題免除されました。書き取りは何度も書くことに疑問をもっている先生でしたので習った漢字を大きく一文字書き、その下にその漢字を使った熟語や文章を書くといったシンプルな書き取りノートに変更され、息子も苦なく授業で書いていた様子です。この担任の先生は2年後、娘6年生の時にも担任していただき、最初から宿題免除してもらえました。娘はこの担任の先生とは「自主勉強」と称した交換日記のようなクイズを出したり答えてもらったりを楽しそうに1年続けていました。多分そのノートは今でも娘の宝物だと思います。
 また、我が家では「じっくりゆっくりていねいに」を大切にしたいので早くできる事に重きはおきたくないとこの先生に何度も伝えました。その結果かはわかりませんが学級通信で「じっくりゆっくりていねいに生活しよう。」と書いてくれたことがあり、伝わったのかなと感じました。一つおまけとして、小6で全国の小学6年生が受ける学力テストがありますよね、国
語と算数の2教科と生活状況の調査だったと思います。その国語と算数が両方全問正解でした。これもきっとどんぐりのおかげなのだろうなと夫婦で思ったものです。糸山先生に報告すべきところだったなと思いつつ、、、、深く感謝しています。
 中学になり宿題や課題は増えたのでしょうが、親には全くその大変さはわからないほど難なくやっている様子でした。息子が課題に追われて就寝時間が遅くなることは卒業までなかったです。

<習い事のこと>

 息子は年少からスイミングと工作教室に通っていました。スイミングはよく咳をする子だったので習わせようかなと私が思ったのと同じ園のお友達が揃ってプールに通い始めるタイミングで一緒に習い始めました。今になって息子が言うにはスイミングが嫌だったそうです。親の勝手だったと深く反省しています。スイミングは小学校入学の引っ越しを機に辞めました。工作教室は工作をしたくて行くというよりは近所の家で工作の先生が来ていて面白そうだったから訪ねてみたら、本人がその先生(おじさん)を気に入って行きたいと言い出しました。もともと折り紙が大好きで幼稚園児の頃には「折り紙博士になりたい」と言っている子だったので作るのは好きなのだろうなと見ていました。今住んでいる街にもこの工作の先生は教室があり、息子も通いたがったので小6まで(月2回)ずっとお世話になりました。今息子が言うにはこの先生の影響はかなり大きいそうです。何でも受け止めてくれる大人(先生でも親でもない)として貴重な存在だったと言っています。
 どんぐり的には習い事は1つなのでこの工作教室で1つと言えますが、息子4年生になる時に「ピアノを習いたい」と言い出しました。もともと町内でピアノを教えている先生がいて町内の運動会などで家族ぐるみで顔見知りだったこと、子ども達を可愛がってくれていたこと、また徒歩数分で行けることもあり息子もこの先生に習いたいと思ったのだろうと思います。ピアノの先生には入会する際にどんぐりライフについてお話させていただき、YouTubeやテレビやゲーム無しのことをお伝えし、糸山泰造先生の著書も案内しました。結果、課題を強制するのではなく、息子が知りたいと思う事や弾きたいと思う曲に寄り添ってくださり、コードのことを知りたいと息子が言えばとことんコードのことを、作曲がしてみたいと言えば作曲のイロハを教えてくれる稀有な先生です。そんなこんなで息子は朝起きたらすぐピアノ、下校後すぐピアノ、夕飯食べたらまたピアノというくらいピアノを弾くのが好きな状態になり、コードは数学と似て美しいと言ってみたり(私には意味不明です)今は「ピアノは心の友」だと言っています。今ではピアノの弾き方でなんとなく彼の心の安定、不安定が私にもわかるようになりました。そして高校生になってもこのピアノ教室には通い続けると言っています。習い事の制限という面で、どんぐり的に違反だったのかもしれないなと思っています。しかし聡子先生も工作の先生もピアノの先生も私たち両親が絶大な信頼を持っている大人であることは間違いなく、我が子を一緒に見守ってもらえる有難さがあったのは事実です。

後編(中学生時代)に続く

【2022年度 どんぐりDK卒業文集⑤ 保護者手記(1)母より前編(小学生時代)】