どんぐり、始めました!
って嬉々とした連絡をいただいてしばらくして、
「子どもがどんぐり嫌だ、って言うんです…」と
今度は半べそのような相談が届く…
よくある話で、最近ちょっと増えてきたな~って思います

先日、テレビの街頭インタビューで「若者の字が汚くなっている」というのを検証しているのを見ました
まあ、そういうテーマだけに、特徴的な子をクローズアップして構成したコーナーだとは思うのですが、確かに整った字を書く子は少なくて、挙げ句、番組の結論としては、「字も汚いが、ペンの持ち方もひどい」というようなものでした

そんな子ばっかじゃないでしょうに…と突っ込みを入れつつも、子どもを30年定点観察してきた私だってその傾向に気づいていないこともなく
ただ、
なんでそうなったか、なんて明らかなこと
またこれが、もちろん子どものせいなんかじゃないんですよね

持ち方は少し前にも書いたように、
体全体の問題であったり、また、乳幼児期から幼児期の遊びの質にもよるんです
要するに、ちゃんと持てる筋力がないわけです

書き方に関しては…
どんぐりでは真っ白で大きなページに一番最初から自分で描きます
何を描くか、って、問題文の内容を絵にするんです
写実的で上手な絵である必要はありません
目が健康な人なら、毎日いろいろなものを視覚で捉えています
それを、再現するだけです
架空のキャラクターなら想像力を駆使します
決まりはないし、お手本もありません
自分で自由に考えて勝手に創造していいんです
こんな自由で楽しいものはありません
何を描くか、どこに描くか、どうやって描くかは自分で決めていいんですから

ところが、
学校ではこういう計算用のノートを使っていることがあります

問題番号が書いてあって、計算も最初の1問は書いてあります
何行使って計算を終えるかも決まっているようで、右のページなど空白に余裕はない感じです

私は娘の小学生時代、このノートが配布されて驚愕しました
「これじゃあ、考えて書く力が全部奪われてしまう」と
ところが、
授業参観の後の懇談会でクラスメイトの保護者さんたちは口々に、
「うちの子はノートがちゃんと書けないから、このノートになって本当に助かっています。」と絶賛していました

批判的に思っているのは私ひとりくらいなもので、
ああ、なるほど、そう思う人が多いのか…とその時は思いましたが、
おそらく、
このノートを使っている間は整然と書けたとしても、
このノートを使わなくなったら整然と書けなくなる子がほとんどです
中学生になっても、「書き込み式」の問題集専用ノートを使わせているところがあります
「中学校でもまだやるかね」と呆れますが、じゃあ、高校生になったら?まだ書き込み式で、書式が決まっているノートを配ってもらえるのでしょうか

もちろん、
こういったノートで救われる子がいるのも事実です
こんなノートが存在しなかった時代、私が手書きでこのくらいまでは導くノートを作ってあげていた子もいます
全ての子にとって不要である、と言いたい訳ではありません
ただ、
逆に全ての子にこのノートを導入することで、
育つはずの力が育たずに封じ込められてしまう、という恐れがあることも、
知っておくべきだと私は考えます

実際、
このようなノートがなかった時代の子の方がノートの書き方も文字の書き方も上手でした

私の子ども時代なんかもちろんこんな気の利いたものは存在しませんでしたし、今の学校のようにプリントに書き込むような授業も少なく、とにかく、小学生のころから先生は黒板に板書し、それを書き写すのが普通でした
黒板の字は白いし、先生は時々ピンクや黄色を使うけど、ノートは白いので、さて、目立つように書き写すには何色で書いたらいいのかな、と考えた記憶があります
さらに、先生は罫線のない黒板に書いていますし、
ノートとは面積も形も違っていますから、さて、どのようなレイアウトで書いていこうかな、とも考えた記憶があります
さらに、
友達に手紙や誕生日カードなどを書くときに、なかなか上手に文字が収まらなくて何度も書き直したり、練習したりしたことも記憶に残っています
レタリングしてタイトルの文字を描くんだけれども、どうしても右側で詰まってしまう
最初から小さめに描くと、今度は右側がなんとなくすかすかして不格好
何度も何度も練習して、カードを描いた記憶があります
それでも翌朝自分の描いたカードを見ると「いやっ」って思うほど不出来で、結局また書き直したりして
そんな子ども時代を経て、10代になると、少しは「描く場所のスペース」をまず最初に確認して、どのくらいの文字で描けばちょうどよく収まるか、というのが体感としてわかるようになってきました

ひとえに、
練習あるのみ

としか言いようがありません
最初にテンプレートがあったらきっとそれを活用すればできます
でも、それを続けていたら、
真っ白な紙に最初から描くことなど私のような凡人にはできないんです

子どもたちはどうでしょうか

何をどこに書くか、
文字の大きさはもちろん、何行で書くか、何文字で書くかまで決まっているノートを使っていたり、また、普通のノートであっても、細かな指示があり、その指示通りに書くことを命じられていたりする場合
また、
この問題はこうに解く、と決まっていることを反復してそれが「勉強する」ことだと思い込んでいる場合

どんぐり問題はそりゃあもう面倒くさくて、不安で、好きになれないんじゃないかと思いませんか

先日、
小学校1年生になったばかりのお子さんを持つお母様が、お子さんの授業参観で驚いた、という話をなさっていました

授業参観では、ひとりひとりが黒板の前に出て発表する時間があったようなのですが、子どもたちは教えられた通りの動きで黒板の前に立ち、教えられた通りの言葉で発表を始め、聴衆である他の子どもたちも教えられた通りの反応で答えている、という光景を見たそうです

その話を、中学生や、高校生にしたら
「それはよくある。」と吐き捨てるように、諦めるように言っていました
「学校なんてそんなもの。」と

どうですか
そんな風に動きや話し方や反応まで決めてもらえたら、
うちの子は余計なことをしたり言ったりせず、学校でちゃんとできる、とありがたいですか?
計算ドリル専用ノートでばっちり決めてもらった方がいい、と思うのと同じように、
それが普通で、
それが大事だと思いますか?

どんぐりを嫌がる子の多くが、
自分で全部最初から描く、ということに既に抵抗を感じている子です
決められたことに従う方が楽
やり方が決まっている計算問題だけなら好き
どこに何を書いたらいいか教えてくれないどんぐりは疲れる
そうなってしまっているかもしれないんです

そうやって一挙手一投足、子どもの行動、言動、思考を管理することは、
「誰かが最初にやってくれたら、あとに続けばいいだけだから楽なのに」と思っている大人が多いのとか、
そして、
「自分は決めたくないけど、誰かが決めてくれたら別にそれでいいんじゃない」って思っている大人が多いのとか、
そのくせ、
自分に、自分だけに都合が悪いことが出てくると突然壇上に上がってくる大人が多いのとか…そういうことに繋がっているような気がしてならないのと同時に、
子どもたちの思考を停止させ、
子どもたちの自由を内面から奪う行為である、と私は確信してしまっているのですが、みなさんはいかがですか?


どんぐりを嫌がるのも子育てのヒントになります
ああ、自由に考えるってことが難しい、って感じている
と、気づくチャンスです

人工的なもので囲んでいないか
大人が支配していないか
大人が思考や行動、言動を管理していないか

なんで嫌がるの!と叱ったりしたら、さらに「自分で考える」「自由に考える」ということから遠ざかることは、もちろん忘れないでいてください
子どもが悪いんじゃないんですから

学校の授業や手法を避けなくても大丈夫です
できれば避けたいし、先生たちには本気で気づいてそんなやり方、改めてほしいけど、それが無理だとしても、
子どもの思考力は守れます
それにはまず、
子どもと親との信頼関係が重要です

親御さんが迷っていたら子どもは信頼に値するか本能的に見抜きます
そんなんだったら管理教育にはまってしまった方がマシかも、と本能の赴くまま、自分で考える、自由に考えることを捨てて忘れていきます

親御さんが本気で守ろうとすれば子どもはそれも見抜きます
信じて大丈夫だ、とわかるのです

どうか親子して、管理教育の餌食にならないでください
どんぐりが嫌だ、って態度が見えたら、
親御さんがご自身の本気度をどうかチェックしてみてくださいね