上野村のサル

夕べはどんぐりJAMBOREE2023 in GUNMA参加メンバー確定後の顔合わせミーティングでした
子どもたちとのミーティングは7:00から8:40くらい、その後9:00過ぎまでスタッフミーティングをしました

オンラインというどんぐり的には不自然な形ではあるけれど、全国各地からエントリーしてくれた子どもたちの顔が一堂に集まって出会えること、同じく全国各地から集まってこのイベントを支えてくれるスタッフがいることに感動した日曜日の夜でした

画面越しに子どもたちの顔を見ていて、また、子どもたちが退出した後の大人だけの話し合いを通してみて、感じたことや次回に向けての私の気持ちを記録しておこうと思います
第2回のどんぐりJAMBOREEを主催しようと検討中の方にも届きますように

私たちスタッフは、この活動で子どもたちやその保護者の方々を「お客様」として扱おうとはしていません
それは、エントリー前にもお願いしたとおりで、親が手をひっぱって無理に参加させようとしたり、子どもが自分1人で活動やその準備に参加できない状態なのにエントリーしてはいないはずです

だから、
私はまず、夕べのミーティングの最初に、「今後のミーティングの予定」について子どもたちにメモをとってもらいました
オンラインのメンバーミーティングは今後あと3回開催予定です
本当はリアルな顔合わせとして会いたいし、もっと準備する回数を増やしたいけれど、一応、形上はあと3回、オンラインでミーティングをします
その中で、毎回、一応私が決めたテーマがあり、それについて子どもたちに話し合ってもらう予定で、その内容についても私が敢えて堅苦しく作成した「今後のミーティングスケジュール」をみんなに画面上で見せて、それを各自、メモしてもらいました

すでに、JAMBOREE用のノートを作り、調べ物をしたり、質問会で出た質問と回答をメモしている子がいる、と何人かの保護者さんからきいています
とっても素敵なアイディアだな、と思ったので、その子たちのノートをイメージしながら今回のメモタイムを考えました

大人ならスマホで写真を撮ったり、スクリーンショットで保存したりすれば一瞬で済むことです
学校からの連絡事項や、子どもの習い事に関するスケジュールも、子ども本人ではなく、保護者がマネージしている、という状況は珍しくありません

どんぐり学舎では、JAMBOREEと同じで、親に言われてイヤイヤ通っている子はいないということになっているので、お休みするときやその他、私への連絡があるときは自分で電話することになっていて、ほとんどの子が私に電話をしたことがあります
その時、近くで見守る保護者さんは、電話の掛け方や、切り方について教えてくださっているのだと思います
高くかわいい声の小さな子が、「いまお電話よろしいでしょうか」なんて言ったり、「明日、行けないのですが、振替をお願いできますか」なんて言ったり(普段、教室では敬語なんか使わないのに笑)するのを聞くと、ムズムズするほど可愛らしいと感じるのはもちろん、相手が私であれ、誰であれ、この経験は将来、きっと役に立つだろう、と思うのです

だって、自分のことなんですから

なかには、「もうそっちに向かう時間なんだけど、お母さんがまだ仕事から帰ってこない」と電話してくる子もいました
自分で自分のスケジュールを把握していて、親に言われなくても私に連絡をしなければ、と思った自発的な行動です
低学年児だったので、正直驚きましたが、感心しました
「じぶんごと」なんだな、と感動もしました

親が電話したり、メールしたりするのは簡単なことです
でも、してあげればしてあげるほど、子どもはする必要がなくなり、
自分のことなのに他人事、という事態が必ず起こり、最初は容認できた保護者さんもいつかは、「自分のことでしょ!!」と苛つくようになってしまいますよ
苛ついても子どもが気の毒です
そう教え、そう育てなかった結果なのですから
でもね、
LINEで簡単に連絡できますよ、相手と話す煩わしさはないですよ、って「電話連絡」自体も、時代に逆行する古い手段になりつつありますね
自家製弁当を持っていく必要のある園が不人気なのと同じように、電話じゃなくて全部LINEで済む、っていう習い事や塾が人気になり、人気にしたい塾は親の「煩わしさ」や子どもの「苦手意識」などを考慮してサービス旺盛です
学校への欠席連絡も、「電話ではなくネットで」となってきました
電話より漏れがないから、という理由らしいです
長女が小学生の頃は、一緒に登校するお友だちの家に「欠席届」という用紙を届けて持っていってもらっていましたから、随分便利になり、忙しい朝に親は助かるようになってはいますが、その反面、何かが失われてきていることは間違いありません
それは、どこかで補わなければ、子どもの成長過程に必要だった経験がないまま過ぎてしまうのです
私はいつも、特に子どもに関することでは、親や先生のために簡便になる変化を受けとるときは、それによって失われることを必ず考えるようにしています
そして、必ず家庭生活で補うようにしています
そうすれば大丈夫なんです
逆に、そうしないと育つはずのものが育たない恐れがあるんです
子どもを人間に育てるのが親の役目です

話が逸れましたが、まず第1に「子どもに自分ごとと思わせる」ことの大切さをお伝えしたかったのです

だから、今後のスケジュールを子ども自身がどんな方法で把握し、忘れないようにするのか、保護者の方は見守っていてください
先に手や口を出せば子ども自身の自己管理能力は育ちません
だからといって、これまでの過程もそれぞれ違っているでしょうから、放っておけばいい、ってわけでもありません
育っていない力にいきなり期待しても難しいです
そういう場合はどうしたらいいのか、最初は一緒に考え、段々と任せていきます
それは、JAMBOREEに限ったことではないけれど

関連することですが、
私は次回のミーティングの最初に、保護者の方にお願いしようと思っていることがあります
それは、最初のオンラインの設定と、その後、端末の誤作動やトラブル時以外の時に、子どもと同席しない、ということです
次回から、子ども同士話し合う内容がより具体的になっていきます
大人のスタッフである私たちの存在感すらその話し合いを邪魔することになるかもしれない、と夕べのスタッフの話し合いで話題になったほどです
隣に保護者の方がいたら、つい意見を言わせたくなったり、助言したくなったり、大人として笑ったり声をあげたり、という反応が出てしまう可能性があります
私たちスタッフは、そんな大人の反応、自分たちの反応さえ、邪魔になるかもしれないことを想定しているんです
保護者の方にもそこは頑張っていただきたい
そう次回は最初にお願いするつもりです
子どもの発想で、どんな案が出るのか、私は楽しみにしているんです
大人の認識ではあり得ない、とんでもない案が飛び出すかもしれません
でも、私はそれが見聞きしてみたいです
だから、決めることに対する最低限の条件は提示しますが、可能な限り、子どもたちの「やってみたい」を実現させてあげたいのです
そのためには、子どもに、大人への気遣い、忖度をさせてはいけないんです

私がこのJAMBOREE主催のモデルとしているのが、私が小3~中2まで参加していたキャンプです
以前も何回も書いていますが、私の自然遊びの原体験でもあります
私の原体験は親と一緒の体験ではありません
親と一緒に、家族でもほぼ、自然遊びをしていましたが、
始めて包丁で手を切ったのも、火傷したのも、山や川で遭難しかけたのも、
満天の星空で飽きるほど流星を見続けたのも、中学生のくせに大学生と運営上の問題点について夜が更けるまで口論したのも、わがままなちびっ子に手を焼きつつ、どうしたらみんなで楽しめるか、同年代の子たちと話し合ったのも、体の2倍ほど太ったリュックにどうやって荷物を詰めたらいいのかも、土砂降りの中歩き続けても一切荷物が濡れない方法を知ったのも、全部そのキャンプや、それにまつわる活動の中でした

そのキャンプでは開催3ヶ月前にエントリーをし、その3ヶ月間で何度も子ども同士打ち合わせをしました
全員、市内の子だったので、市内で、自力で行ける場所に集合し、ひとつずつ、キャンプまでの決め事を片づけていきました
4日間、何をして過ごすか、何を作って食べるか、真夏なのに冷蔵庫もないので、食材を買って持っていくためにどの順に使っていくか、誰が何を持っていくかまで自分たちで決めました
テントの建て方、畳み方、荷造りの仕方、慣れてくればみんな簡単にこなしますが、毎年初心者が混じります
公園でおやつを食べながら話し合いをすることもあれば、市内のキャンプ場で1泊の小キャンプで練習することもありました
大抵、自転車で自分で会議に行きました
友達と一緒にエントリーしても必ずバラバラの班にされますから、最初は初対面の子ばかり
でも、キャンプが終わればきょうだいのようになっているんです

班には大学生と、未婚の若い社会人が必ずついていました
彼らは彼らでミーティングを重ね、子どもたちとどう過ごすか、自分たちの持っている知恵をどう伝えていくかを検討していたようでした
彼らは私たち子どもに命令をするのではなく、常に考えさせてくれました
たとえば小キャンプの食材を買いにみんなでスーパーに行った時、「どうして胡瓜はまっすぐなんだと思う?」と問われました
よくみんなで歩く道の端にある畑には、まっすぐでない胡瓜がなっているのをみんな見たことがありました
それから、「どうして鮮やかな黄色いたくあんと、くすんだ薄茶色のたくあんがあるんだろうね」と問われたこともありました
そして、出汁をとる工程の話し合いのとき、「昆布やかつお節でとれるけど、顆粒や粉末のものを使えば一瞬で美味しく作れる、それは、どう思う?そして、どうしようか」と、粉末の出汁の箱の原材料名を見せて考えさせてくれたこともありました

私は答えがわからなかったので、家に帰って調べたり、親に尋ねたりしていつも深く、長く考えていました

また、親たちは親たちで会議をしていて、そこで出た意見を彼ら若いリーダーに質問してみるのですが、大抵は軽く却下されたそうです
「もし、お箸をなくしたり、忘れたりしたらどうしたらいいでしょう、割り箸を持たせますか?」という質問には、しばらく黙ったあと、「お箸なんか木の枝でいくらでも作れます」と一蹴されたそうです
それを面白おかしくいつまでも覚えている母達も、当時から彼らを尊敬していたんだと思います
母達もきっと、子どもの私たちと一緒に成長したんだと思います

そう、きっと、これは、
親も一緒に成長できるチャンスです

子どもがじぶんごととしてスケジュールや、開催中の予定を把握すること
それについてじぶんごととして悩んだり、考えたりすること
そして、今の時代ならではですが、
オンライン会議に参加したり、退出したりする操作の方法や、意見の伝え方を経験したりすること

親がずっと付き添ってあげるのではなく、
困った時におーい、と呼べる距離まで離れて待つこと
子どもの「じぶんごと」を詳細まで全て把握しようとするのではなく、
子どもが自分から相談してくれたり、報告してくれたりする関係を築く努力をすること

そんな3ヶ月(ああ!もうあと2ヶ月!)を意識して過ごすことで、
きっと、8月からの親子関係も変わってくるはずです

エントリー前の忠告めいたブログにも書いたと思います
子どもだけを預かるイベントでは、子どもひとりひとりの自覚と自立が彼らの安全に関わります

親主導でいつも動いている子は、自分本位で、危険な行動をすることがあります
彼ら自身が怪我をする危険なども含みますが、
周囲の子やスタッフに対する態度やふるまいなどが危険な子も出てきます
これは、
長年のDSSの経験で知っていることのひとつです
自分で考えて行動できる子、
他者との調和を想定できる子は、危険回避能力も高いです

いま、親が子に「じぶんごと」として理解させる、把握させるために努力すること、おさえるべきことは、日頃の子育てでも共通しますが、ひいては彼ら子どもたちを「守る」ことになるのです

私は、どの子にも容易なことだと知っています
子どもたちのことを信じたいのです

子どもを信じかけているとき、
信頼を失わせるのは大抵、保護者の方でした
中学生までの子どもは、親以外の誰に言われる言葉より、親の言葉を信じます
これは、本能的にそうなんです
いくら思春期で不安定な情緒であっても、
まだまだ、真の自立にはほど遠い彼らです
これは、中3の高校受験指導を30年してきて、その現場で痛いほど味わっている経験からも断言できます
親のひとことで、子どもの自信も、自律心も、簡単に揺らぐ年代なのです

子どもが自分の脚で立って、歩き出そうとしている
その姿を私は手を出さずに見守っている
いざという時走って行けるよう、腰を浮かしている状態で
それを彼らに悟られないようリラックスして構えたふりして
さあ、
一歩踏み出そう、
その瞬間、
子どもの手を強引にひっぱる大人の手があります
子どもの耳にもっともらしい言葉を囁く大人の声があります
一歩踏み出そうとした子どもは、
その瞬間、その大人の手をとり、声に耳を傾け、従います
あと少しで自分の脚で前に進めたのに、ね

いいの、いいの、そりゃ、失敗も間違いも多い小中学生の年代
だから腰を浮かして待機するんです
助けてほしい、って子どもが願ったら
それは、言葉にならないこともあるからよく見ていなくちゃなんだけど、
そうしたらダッシュで助けに行っていいんです
でも、
たいした危機でもないのに、ヘルプサインを出す癖がついちゃってる子も多いです
たいした危機でもないのに、親が手出し口出しをしすぎた弊害です
そうなると、
今度は待機しようと思っても子どもが出しすぎるヘルプサインを本物と見極められません
それも、
大人が蒔いた種、と自覚した上で、丁寧に子どもと接してみてください
親にも子にも、気づきのチャンスが転がっています
余所でどんなことがあっても、子どもは家に帰ってきて、親の懐に飛びこんできます
小中学生までは、ね
その間に、見極める力を親は備えなくては
ずっとずっと一生、手の届く距離で守り続けることはできないのですから

子どもを信じたい私
子どもを信じたい私たちを、どうか、手伝ってくださいね

どうぞよろしくお願いします

第1回メンバーミーティングのあとで

(エントリーしないけど、作り上げていく過程を見守りたい、と連絡をくださっている、何人かの保護者さんたちにも向けて)