去年の夏
上野村の川と私の左足

夕べはどんぐりJAMBOREE2023inGUNMAの3回目のオンラインミーティングでした
子どもたちも、スタッフの私たちもだいぶオンラインミーティングに慣れてきました
日頃、デジタル機器と距離をとっているどんぐりっこたちにとってはこのミーティングは難関だったと思いますが、JAMBOREE参加の条件だったので、頑張って画面に顔を映してくれています
まだまだ発言したり、意思表示をうまくしたりできない子が多いようだったので、最初に笑顔で画面に映ってほしいことと、手や頭を動かすことでアクションを見せる練習をしました
それでもチャット機能やリアクション機能を使う子がいて、きっと、学校のオンラインではそういうルールなんだろうな、ってスタッフでは話していました
学校でつける習慣の定着具合って強烈ですね
いいこともあれば、あまりよくないようなこともあり、
とにかく、それが心を込めた自主的な行動なのかは、学校以外の生活では大切に考えたいものです

さて、前回は子どもたちにスタッフの自己紹介をしましたが、前回来られなかったスタッフのうち、大学生のスタッフがひとり、追加で自己紹介をしてくれたので、ご紹介します

まっちゃん…山梨県(高知県出身)
前回自己紹介してくれた、やっく と ちーちゃん と同じ、動物の研究をしている大学の3年生です
群馬に来るのはJAMBOREEのときが初めてだそうです!
みんなと過ごすことを楽しみにしています!と話してくれましたね
スタッフに自己紹介してくれたとき話してくれたのですが、まっちゃんの得意な動物は草食動物で、特にアルパカが大好きなんですって
上野村でアルパカに遭遇することはないけど、もし鹿に出会えたら、まっちゃんがいろいろ教えてくれるかもしれません
鹿はいるはずですよ
姿を見せてくれるかな?

スタッフ自己紹介は残すところあと2名となりました!
次回、来てくれたらお願いしようと思います

今回は最初に、れい先生からの話もありました
とにかく楽しもう!って元気に挨拶してくれて、画面の向こうのみんなの顔が一気に笑顔になりましたね!

さあ、今回のミーティングのテーマは「料理コンテストの詳細を決めること」でした
今回、話し合う内容の条件などについて、事前に各班のリーダーには書類を送っておきました

たとえば、
買い出しをしながら宿舎に向かい、ひとやすみしたら料理を作り始めるのですが、大人数でひとつの場所で料理するので、いろいろと制約があるわけです
おうちでひとりで料理するのとは条件も道具も違います
そんなのを、現地で下見をしたスタッフが事前にまとめておいた情報を、伝えておいたんです

買い出しだって予算が決まっています
それに、
班のみんなが食べられるものがいいに決まっているのですが、
好き嫌いやアレルギーのある子もいるかもしれません
料理をみんなで作る、というたったひとつのことでも、いろいろと考えなくちゃならないことがあり、決めておくことがあるのです

今回も途中で班ごとのルームに分かれて話し合ったのですが、
それぞれの班でなかなか苦戦していたようでした
スタッフはひとつのルームで話を聞いていたり、いろいろなルームに移動して聞いてみたりとふらふらしていました

子ども同士の話し合いを邪魔しないように見守ろう、というスタッフ間での約束があります
その約束を守りながら、子どもたちに相談されたら助言する、という立場で、全体を見守っていました
今回のJAMBOREEでは、子どもたちは班分けしてありますが、スタッフは担当制にはしていません
できれば全員の子を知ってほしいのと、「うちの班は~」という狭い視野を持たないようにするためです
これは、クラス担任制なんかでも問題になっていることですよね
一般的な学校ではクラス担任制がほとんどで、中学校などでは「うちのクラスは平均点が高い」「うちのクラスはなんの大会でも優勝する」と職員室で威張っている先生がいるようですよ
全員担任制にすれば生徒にとっては相談できる先生も増えるし、先生同士もひとりの生徒に情報や様子をまるっと共有できるので、相談し合ったり意見を述べ合ったりできていいのになあ、って思います
今回のJAMBOREEも、どの子のこともみんなが知っているように、みんながみんなを見守れるように、とスタッフと話しているんです

さて、話し合いをちらちらと覗きにいっていた私ですが、
まず第1の感想は、「随分とオンライン会議に慣れてきたなあ!」ということでした
とにかくどの班もリーダーさんの質が高く、それぞれの持ち味を出して話し合いを進めていました
驚くのは、自分の意見を押し出さずにとにかくメンバーの意見や好みを一生懸命に聞き出そうとするリーダーがほとんどだということです
そうなると、活発に自分の意見や好みをどんどんリーダーに投げてくるメンバーがいる班と、意見をあまり言わない子ばかりの班とで話し合いの進み方に差があるようでした
意見が出すぎる班のリーダーさんも、
意見が出ない班のリーダーさんも、
それぞれ、違った種類の「困惑」を感じていたはずです
でも、もちろん、そんな顔はせず、笑顔で、メンバーの表情やちょっとした動きを見逃さず、意見はある?どう思う?と親切に、丁寧に尋ねていて本当に健気でした

だから、
今回は、決まったことの報告は、1週間後までに、とリーダーさんに考えをまとめる時間を設けました
それは、
会議の最中に報告することになると慌ただしいから、というのもあるのですが、唯一の大きな班行動である料理コンテストについての大事な決定事項なので、最終的にはリーダーさんに自分の意見も含めて方針をまとめてほしかったからです
そう、
最後には自分の、リーダーとしての決定を含めていいんです
それがリーダーなのです
きっと、みんなと話し合ったことを忘れないようにメモしているはずです
そんな中、どんな段取りで買い物をすればいいか、料理をすればいいか、一生懸命考えているはずです
1週間後までに送ってくれるリーダーさんがまとめる書類には、ひとりひとりの考えや、総括を入れてもらって構いません
それを楽しみに待っています

それから、買い物の詳細も、当日、現地で決めればいいこともあるかと思います
スーパーで実際に売っているものを見て、その場で選ぶ必要性があるものもあると思います
そんなことも覚えておいてくださいね

さて、
私はこれを誰に向けて書いているんだ?と自分で思ってしまいました
ブログは子どもが読む前提で書いていないのに

そう、今回お伝えしたいのは、
子どもと話していますか?
ということです

私の子が小学生のころ、保護者懇談会などで「家で学校のことを何も話さないんです」と言っている方があまりにも多くてびっくりしたことがあります
保護者同士で行事のことや、子ども同士のことを話題にしてお喋りしていると「そんなの知らない!聞いてない!」とびっくりする人も結構いました
学校からの通知が来ていなくても、子どもが「先生がねえ、今度ねえ、こういうことするって言ってたよ~」とか、そんなことが家で話題になるから、当たり前に子どもの学校生活のことを知りました
子ども同士の人間関係のことも、自分が当事者でも当事者でなくても、その日の話題としてよく話してくれたので、なんとなくは知ることができました
でも、当事者であっても何か問題が表に出たとき「なにも聞いてないし、知らなかった」と嘆く親は多いようでした
あるとき、担任の先生が「親子の会話が足りなすぎて、この教室は学力崩壊しています」と懇談会で急に言い出して、隣の保護者の方はハッとしたように手元のメモ帳に何か慌てて書いていたので、ちらっと見てみると “親子の会話” とメモしていました
朝から晩まで親子の会話しかない我が家にはそのメモの必要は感じませんでしたが、「親子の会話が足りなすぎて学力崩壊」という乱暴な担任の先生の言葉には、実はエビデンスがあるのを知っていました

私が好きな「一語文」という言葉があります
母子手帳の発達チェックの欄に「二語文は出ましたか?」なんてのがあるので二語文は有名ですが、一語文というのは、「まんま」「ワンワン」など、一単語を子どもが言い始めるときのその言葉のことです
「まんま」はご飯のことで、
「ワンワン」は犬のことですが、
赤ちゃんがそれらの言葉を発するときって、辞書のように、目に入ったものの単語を言ってみているだけではなく、誰かに「お腹すいたよ、ご飯食べたいよ」って意味で「まんま」って伝えてて、「犬がいるよ!かわいいよ!もっと近くに行きたいよ!」とかいう意味で「ワンワン」って伝えているんです
だから、一語文なんですよね
子どもが伝えてきているのですから、大人はそれを受けとります
「まんま、食べようね」「ワンワン、いたねえ、かわいいねえ」
自分が伝えたことを受けとってもらった子どもは満足し、「そうそう」って顔をして手や足をばたつかせます
心の中では「そうそう!私が言いたかったのはそういうことなの!わかってくれて嬉しい!」って思っているのかもしれませんが、その時点で子どもはやっと「一語文」を使えるようになっているくらいの語彙力です
言葉にならない全身での表現が、主な心の表し方ですよね
それを見て大人はまた言葉を発します
「そうなの、嬉しいの。嬉しいんだねえ」
または
「あらあら、怖いの、怖いんだねえ、じゃあ、向こうへ行きましょう」
そんな大人の言葉を聞きながら、いよいよ二語文の世界へと進んでいく子どもたち
「まんま、ちょーだい」「わんわん、いたー」
やっと文らしくなってくるわけですが、私はこの前の段階の「一語文」が特に好きなんです

大きくなったら「お茶」「メシ」「金!」なんて一語文で伝えてきたら「なんだとぉ!?」ともう一度言い直させなきゃならない状況がほとんどです(笑)が、言語を獲得している段階の子どもの一語文はとても重要です
重要なのは、
一語文に反応してあげているかどうか、ということです

ずっと昔から、テレビと子どもの言語獲得について調べてきました
小児科医の知人が、「3歳になっても発語しない」という子の状況を調べると、十中八九テレビつけっぱなしの家庭だよ、と言っていたのもよく思い出すし、進学塾時代に、小学校1年生で発達障がいの疑いあり、と学校から医療機関の診察を受けるよう言われた子が、私には表情と遊びながらのやりとりでそうは見えなかったので(授業が終わるとお迎えが来るまでふたりで外に出て駐車場の隅の空き地で鬼ごっこをするのが楽しみだった子です)面談で家庭の様子を聞くとやはりテレビが1日中つけっぱなしの家庭で、もちろん食事中もつけたまま、家族でテレビを囲んで食事をする状態だと言うので、ひとまずそれを消してもらい、その後、いろいろあってその子は進学塾でもトップにはいる成績に伸びていった(しかも性格も最高によくて、友達もたくさんできた)例があるのですが…それはまた別の機会に…っていうか、もう何度も書いている気がする子の話ですが…
なんでテレビが言語獲得を遅らせるの?と、よく人に聞かれます
友達にも子育て中にはよく聞かれました
テレビがなくてどうやって暮らしてるの?と
自分の子どもとその周辺しか見たことがない一般の保護者よりずっと私の方が実例を目の当たりにしてしまっているので、答え方は相手によって変えていましたが、簡単に言うと、テレビはたくさんの言語を聞くことも見ることもできるけど、双方向ではないからなんです
いまや、
テレビじゃなくて、ビデオでもなくて、動画配信が子どもの娯楽の主になっているようです
同じこと
っていうか、テレビより格段に番組や音声や言葉の質は落ちるので、本当に危険な状態です
大人が気晴らしに見るのとはわけが違います
(大人だっておかしくなってるけどね…)

テレビに美味しそうなものが映ったら、一語文を発することができる子は言うでしょう
「まんま!」と
でも、テレビは答えてくれません
次にいぬが映ったら、今度は「わんわん!」と言うでしょう
でも、やっぱり返事は返ってきません
子どもは学習能力が高いので、そのうち、美味しそうなものが映っても「まんま!」とは言わなくなります
言っても誰も何も応えてくれないのですから
動画でも全く同じです
そうなると、
実際の人間と話すことも、必要性を感じなくなるのか、無駄に思えるのか、必然的に言葉を発しなくなっていきます
発したとしてもテレビや動画で聞いた受け売りの言葉の反復で、そこに心はこもっていません
相談に来た親子の例で、
子どもが、ひと言発したらもう止まらなくなるほど何かをまくし立てるように楽しそうに話し続けていることがありました
「何かを」っていうのは、一生懸命私は聞こうとしているんですけど、内容がさっぱりわからないのです
それから、
ホワイトボードに自分の知っている言葉を書き続けていた子もいました
一生懸命説明してくれるんですけど、それも意味がわからないのです
それらの言葉は、ゲームやアニメのキャラクターだったり、ストーリーだったり、そういうのを見て覚えただけの言葉で、私に自分の気持ちを伝えようとして発してはいませんでした
だからなんとか聞き取ろうとしても理解できなかったのです
親との会話も同様でした
そして、「学校でのこと、何も話さないんです」とそれらの子の親御さんたちも言っていました
いや、その前に、親子の会話が成立していないことに危機感を持ってみて…と思いました

子どもたちは順応性も高く、真似をするのも大好きで、お笑いのフレーズなんかもすぐ模倣してゲラゲラ笑っています
もちろん意味なんか知らないし、使い方も適当です
それでも、真似をして言うこと自体を楽しんでいるんですね
それはそれでいいとして、でも、頭の中がそれだけでいっぱいになってるなあ、と思うような子は時々いて、そんな頭の中に、他のことをじっくり、ゆっくりと考える隙間も余裕もないんだろうなあ、とは容易に想像がつくわけで
でも、そういう子に限って親には勉強しろ、って言われてたりするわけで


子どもが、親と離れている間、自分の周囲で何があったか、どんなものを見聞きしたか、親に再会しても特に話そうとも思わない、というのは、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい案件ではあります
そして話はぐんと戻りますが、
家庭内での親子の会話が多ければ多いほど、語彙力も知能も高い傾向は確かにあります
会話の内容や環境によりますけど、子どもや親が出したひとつの話題をきっかけに話はどんどん広がって、いろいろなことに派生して、枝葉が伸びて、考えて、話して、また考えて、聞いて…
そんなことが家庭内で日常的に行われていたら、自ずと頭もよくなりますよね

JAMBOREEの話を、
家でしてばかりいる、という親御さんからの報告を聞きました
今度の会議でこれ決めるんだ、どうしようかな、この間、こういうことを言っていた子がいるんだけど、調べてみようかな、どうしたらいいかな?
(会議には保護者は参加できないので)会議でこういうことがあったんだけど、その時ね、別の子はこういう意見を出して、それで、結局こういうことが決まったんだよ

みなさんの御家庭ではどうですか?

家庭で、特に食卓での会話は弾んでいますか?

間違っても「今日、何があったか教えて、話して」と真剣な顔で脅さないでください
それから、間違っても最終的に教訓じみた、説教みたいなおしまいにしないでください
「いつも説教されるから親と一緒にご飯食べたくない」って言ってる子たちもいます

子どもが自分から伝えたくなる環境が大切です
でもそれって、
0歳児のころから作り上げられた環境なんです
一語文の頃からね

子どもの話が支離滅裂で
会話が続かなくて
言葉遣いが悪くて
すぐ変な言葉覚えて

子どもの言葉に関する相談は多いですが、
私はいつも想像します
0歳の頃はどうだったんだろうな
その子の一語文を、誰かがちゃんと受けとめていたのかなって
その子は、生まれて初めて、自分の心と声帯とが繋がって発した言葉を、
毎日、大切に受けとめてもらえていたのかなって

あっちゃー!って思ってるなら、
今からでも、丁寧に、当時を自分だけで蘇らせて、もう一度、一語文を受けとめる気持ちでやり直せばいいんです
相手は赤ん坊じゃないから一筋縄じゃいかないけど、そこをぐっと耐えられればやり直しはできますよ

長くなりましたが、このブログはお子さんに読んでもらう前提では書いていません
保護者の方が読んで当事者の子どもに関係のあることが出てきたら(たとえば今回ならJAMBOREEのリーダーさんの話や、自己紹介の話など会議中の話)「さとちゃんこんな風に書いてたけど、どうだったの~?」なんて話題にしてくださればいいだけです

その他のことは、ほとんど、私は大人の方に向けて書いてます
読んでると辛い、って感想が届くこともあります
でも、
親が先に気づいて変わらなければ、子どもはその何倍も何十倍も辛い思いをすることになります

だから私は、辛いって言われてもやめません
子どもが苦しむよりも、逃げ場の多い、自由の多い、そして、私に愚痴を伝えることも、相談することもできる大人の方が変われるチャンスがあるのだから、子どもを変えるよりも大人の方が先に考えや習慣を変えるべきだと本気で思っているからです