0mx30 くじらの曲芸の問題
小学校1年生
くじらの曲芸を見ている人々の笑顔
一通り描き終えてもお兄ちゃんがまだ描いていたから、
「水族館なのね~ 他にどんなのいたっけなあ」と声をかけると、
いろんな水の生き物を描き足していました
ちんあなご…
Tシャツにしたいくらいかわいい
オンラインレッスンの生徒さんの作品でした

先日、どんぐり学舎中学部、独学支援室D→K Room(以下DKR)の授業について質問され、私は答えました

私が率先して教えることはほぼなくて、
それぞれが自分に必要なことをしている感じ
指示を待っている子はいなくて、
学校の課題とか、DKRの教材とか、自分で考えて進めている感じ

それで、勉強しない子、いません?

いますよ
楽なこと、ただ埋めればいいような宿題を持ってきてやっている子もいます
家ですればいいのに、DKRに来てからやっと教材に手をつけるような子もいます

そういう子も伸びます?

伸びませんよ
自ら動いて、自ら獲得しにいかないと点数は稼げません
点数を取りたいのなら取るための方法はいくらでも伝授できます
でも、それがなんなのか?って話です
私はいつだって話してます
こういう風にすればこうなる
と、提案しています
強制はしないし、確認もしません
でも、
そんな話を聞いて、
よし、試しにひとつやってみよう
と行動に移す子と、
まるで他人事のように聞き流している子といます
前者のタイプの子には、何も教える必要などなくて、
ときどき、いろんな話をするだけで、自分がどうしていくべきか、自分で考えて進めています
後者のタイプの子は、じゃあ、つきっきりで教えて、課題でがんじがらめにして、なんとか勉強の軌道に乗せようか、とこちらがあの手この手ではたらきかけてみても、中学3年間では何の変化もない、それどころか、下降していくような子が多いです
これは、教える人間がたくさんいて、空き教室もあっていつでも補習をしてあげることができて、なんなら社員の私たちは休日出勤してでもそういう子を教え続けていた進学塾時代の経験からわかっています
受け身で、何かしてもらえる、何もしないでもなんとかなる、と思っている子に何をしてあげても何を教えても、結局、使える学力にはつながらないんだ、ってことを
それでも、
1mgでもいい
1mmでもいい
自分を変えたい
前に進みたい
と、本気で思ったら、
必ず
必ず進化します

その1mgの気持ちがどこから湧いてくるのか、どこから降ってくるのか、
正直、わかりません
その子の背景によって違うし、
せっかく芽生えた1mgがあまりにも脆く儚くて、一瞬で消失することもあります
親御さんも気が気じゃないかもしれません
いつになったらやる気になってくれるんだろう
いつになったら自分で考えて、自主的に勉強するようになるんだろう
って
でも、
やっぱり、外側からどうにかできるものではない、
本当に自発的な部分なんです

だから私はほとんど放っておきます
きっかけは散りばめていて、
助けて、と言われたら助ける準備をしていて、
その子の可能性を探ることを諦めてはいません
でも、
その子がこっちを向いてくれなかったら、
いくら何を言っても、させても、全く意味がないと知っているんです

受験期になると急に切羽詰まったような顔をして
「どうしてもこの高校に入りたい」とか言い出すんです
いやいやいや、準備が全然足りていないでしょう
今から急にそんなことを言い出しても、積み重ねがなさ過ぎるでしょう
過ぎてしまったことを持ち出して、そんなことを言っても気の毒なので、
できる限りのことを私もするのですが、
親御さんまで一緒になって
「どうしてもこの高校に入りたい、って言っているので…」とやはり過去をなかったことにする勢いで相談してくることもよくあります

それでも、本気なら、
天地をひっくりかえすような奇跡が起こらないわけでもありません
そういう指導経験はあります
本人が望むなら、と私がそれなりのプログラムを提案すると、やはり、
「それは厳しすぎる…」と泣き言を言うのです
そして、運良く合格したとしても、「受験期はつらかった」と言ってきたりするのです

つらくないんです
受験期は
ほとんどの場合
DKRの場合は、ね…

勉強するってどんなことをすることだと子どもたちは思っているんでしょうか
私が放っておいてもどんどん「勉強」して伸びていく子たちは、知っています

命じられて、同じことを繰り返し書いたり、
命じられて、すでに理解しきっている計算問題を繰り返し解いたり、
命じられて、問題集を埋めたりすることが
「勉強」ではない、ということを

でも、
小学生時代、
ほとんどの子どもたちが、
命じられて同じことを繰り返し書き、
命じられて計算問題を解き、
命じられて毎日音読をし、
それを、
毎日
提出しています
そして
勉強はきらいだ、といいます

養老孟司先生が、
あるとき、理系の大学生に、水を入れたコップにインクを垂らし、かき混ぜて色が消えるのを見せて、「なぜ色が消えるのか?」と問うたそうです
すると、学生は
「そういうことになっているから」
と答えたそうです
養老先生は、「この子らは、小中高校と、いかに勉強しないか、ということを教わってきたんだな」と感じたそうです

この春、難関国立大学を受験したDKR卒業生は合格の報告に来て言いました
「大変だったけど、すごく、すごく楽しかったんです」

そういえばその子は、中学3年の春にも同じことを言っていました
「大変だったけど、すごく、すごく楽しかったです」

よく、
勉強は楽しくないと続かない、と言われますが、
勉強が楽しいのはわかるから、手ごたえがあるからです
それは自分の頭を動かすから
簡単な問題を「解ける」と思ってそれ以上の難度に進まず、自分のできる範囲だけで安心している子は、短期間は「楽しい」のですが、その楽しさが1年もつことはありません
解き方を教えて「解けた!」と勘違いさせる授業をする方式の塾なども同じです
学校より先取りしただけなのに「知ってる!」という優越感で少しだけスタートでリードさせる塾なども同じです
その状態が維持できるわけないんです
だって自分の頭を使わなくてもできることで「楽しい」と勘違いさせているだけなのですから

どんぐりでも、
難しい問題をいやがり、過去に解けたような問題の類題を探して同じように描いて安心している子もいます
小学生の場合、なんでそんなことをするのか、背景を大人が探ってあげる必要はあります
正解不正解にこだわり、不正解が怖かったり、
評価されることを恐れていたり
知らずに親が、解けたときに褒め、喜びすぎていたり
またその顔が見たい一心で、安心して解ける問題を選ぶ、などということもよくあります
そんな切ない思いを、大人は気づいて、上手に回避してあげなければなりません
もっと新しいことに挑戦できるよ
もっと難しいことに挑戦できるよ
っていう方向への安心感に、シフトチェンジしてあげなければなりません

そんな習慣を中学生になってもひきずっている子がとても多いです
小学生の時、命じられた単純作業、お粗末宿題で「勉強」を勘違いしたまま中学生になると、
今度は、
命じられた問題集のページを埋めるだけのことを「勉強」だと思い込んでいる子が多いです
テスト前になると学校から問題集の課題提出が命じられるので、少なくともそれを解いたり埋めたりしているはずですが、自分で解いて、解答解説を見て、解決しなかったら解決しておかないとテストの時にこまるでしょうに、質問してくる子は限られています
わからなくても、
自力で解けなくても、
スルーしているということです
スルーしないことが勉強する、ということなんですけど、
スルーしてしまうんです
だって、埋めることが勉強することだと思ってしまっているのですから

そして、
「なんでかな?」「知りたいな」という気持ちが、
どこからも湧き起こらない性質に、いつの間にかなってしまっているのですから

コップの中のインクはどこに行ってしまったのか
気にならないし、改めて問われても「あれっ」って思うこともないとしたら…

私はひとりきりで教室をやっているし、
市内に似たような方針の教室はなさそうだなあ、と思っているのですが、
こういう先生もいるんだなあ、と思う先生がネット上でつぶやいていて
うんうん、そうそう、と私も頷いてしまう先生のtweetを最後に紹介したいと思います

▶うちの子はシャイだから質問できないと言う親御さんは多いけど、現実はシャイだからというよりもそもそも質問してまで理解したいと思ってないから質問しない方が圧倒的に多い。 よく質問する子が伸びるのはその子自身にきちんと理解したいという強い思いがあるから。シャイとか関係なく。

▶入学したばかりの中1やなかなか成果が出ない中学生に自由に勉強させてみると ・教科書に線を引く ・ノートや教科書を写す ・綺麗にノートにまとめる だいたいこれらのどれかを好んでやるんだけど ・問題を解く ・テストする ・自分で説明してみる こういう勉強できる子がやる勉強を全力で避ける。

▶中1なんて下手したら英単語や漢字を10回ずつ書いて暗記することと計算練習することが勉強だと思っている子たちがたくさんいる。漢字や単語の単純暗記と計算練習以外の「勉強」を知らない。

▶「受験勉強やらないとな…」「実は歴史全然なんだよな…」「英語頑張らないと…」と受験への焦燥感を抱きながらも、毎日言い訳を並べては結局スマホばかりで何も行動しない受験生。大丈夫。きっと夏休みになっても入試100日前になっても結局あなたは何も変わらず同じようにスマホをいじっているから。

▶受験勉強は、自分自身が始めないと、誰もいつから始めなさいなんて指示してくれない。◯◯しないとという危機感をいくら持っていても、実際に自分でやり始めなければ受験勉強なんて永遠に始まらない。あなたは気づかないかもしれないけれど、その間も容赦無く入試までの残り日数は短くなっていく。


▶▶りんごくん@慧真館
@keishinkan
神奈川県小田原市の上位校受験専門進学塾「慧真館」のTwitterです。 毎年の中3生の平均偏差値は約66。塾生の約8割が公立トップ校(特色検査実施校)に進学しています。塾のゆるキャラりんごくんが塾長の頭の中を代弁しています。猫が好きです。YouTube→bit.ly/3ng5Mft


平均偏差値かあ…
DKRでは計算したことはないけど、
昨年も、一昨年も、群馬県模試では総合偏差値70超えが普通にいて、
彼らはみんなどんぐりっこで、
勉強嫌いではなく、受験期も苦しんでおらず、恐らくトップ校に入ったけどそこでも上位でおり、そんな成績のことはあとからついてくるのでいいとして、共通していたのは、
勉強とはなんなのか、小学生の頃から彼ら自身が無意識に知っていたことです

宿題は保護者の努力で制限していたので、漢字練習や計算ドリルを「毎日無差別に一斉にさせられる」という勉強もどきから遠ざけることに成功していました
中学生になると質問をよくしていたのは初期の頃で、受験期にはときどき超大型の難問の質問は来たけど、その頃にはもう、解説を読んで、似た問題を解いて、自分で解説を書いて考えるというところまで飛躍していました
だから私は何もせず放っていました
彼らの解説をなるほどねえ、と聞いていたくらいです
それでも彼らの成績はどんどん伸びました
だって「勉強」していたから
やらされてもいない
同じことの繰り返しでもない
自分が解決したいことをしようとしていただけ
解決できていないことをスルーしないだけ

ただそれだけ
それが「勉強する」ということだから

勉強のやり方がわからない
勉強が楽しくない
と、言っている生徒さん、保護者さん、少なくないです
そういう相談も多く寄せられます
でも、
まず最初の段階として、
勉強とはなんだ?という部分で、勘違いしているかもしれません
中学校で本当に勉強するようになるためには、
小学生時代に勉強とはなんなのかを勘違いさせないことがとても重要です
命じられたことに従っているだけでは、
そんな大切なことを勘違いさせられ、
本能的に、
考えること、自ら工夫すること、わからないことを追究することを全力で避けるような子になってしまうかもしれません
そうなると、
いつまでたっても「勉強は楽しくない」「勉強のやり方がわからない」から抜け出せません

でも、
中学生になってからでも、本当の勉強とは何か、ということに気づけたら、
中学校時代は間に合わないかもしれないけど、大人になるまでに、
きっと、自分で考えて、自分で飛躍する瞬間を迎えることができると思うんです

だから、
私は私の話をスルーしてしまう、質問もせずスルーしてしまう子に、
無理矢理にでも補習したり教え込んだり課題を出したりしないんです
そこでまた、偽物の「勉強」を押しつけることでその子の勘違いは延長されます
中学時代に少しでも「あれ?」と気づけたら、高校で生まれ変わる子もいます
高校で気づけなくても、そのあと気づく子もいます
でも、
一般的な受験指導では、
その子の身の丈や本質にかかわらず、点数だけ取らせてなんとか合格させる、みたいな手段を取るのが普通です
親御さんにもそういう指導を望む方が多いでしょう
だから、
養老先生の質問した大学生のように(恐らく国内最高峰のあの大学の学生ですが)
「そういうものだから」と答える人になってしまうのでしょう
それだって別に、もういいじゃない、学歴社会で勝者なんだから
と、言う人がいるでしょうけれど、
人間が生きていくということのゴールはそんなところにないことは、
実は誰もが知っているはずです

たかが勉強についての解釈一つ
でも、
やっぱりこれは、
自分の人生を楽しめるかどうか、という大人になって生きていくための重要な価値観であることに違いないのです