すこしまえに、私自身が高校生の時の「ビデオ」をデジタル化する作業をしていると、
高校生の娘が興味深そうに覗き込んできて言いました
「ものすごく手が込んでる…」

それは、
毎年1,2年生でおこなっていた受験期の3年生を励ます会、みたいなイベントに向けてのお芝居の練習風景でした

組団といって、1組だったら1年1組と2年1組が合同で準備する、というシステムで、1組団から9組団までが準備して発表しました
終了後に3年生のアンケートで1位と2位を決めて、その2つの組団は4月の新入生を迎える会でももう一度発表することができるので、みんな一生懸命準備して練習しました

私にとっては懐かしい思い出で、久しぶりにビデオを見て感慨深かったのですが、
改めて見かえしてみると、
舞台で演技をするメンバーの他に、
大道具を作る係
衣装を作る係
声優をする係
照明を当てる係
音楽をかける係
などなど、裏方を担うメンバーがとてもたくさんいたのでした
さらに、脚本、振り付け、演出をする係もいたのです
ビデオを見て改めて、放課後や、先生が空けてくれた授業時間に、
それぞれの担当の仕事を一生懸命、しかも、かなり楽しそうにこなしていたのを思い出しました

演者は舞台の練習をしているのですが、その裏で、衣装を縫いながら試行錯誤している人たちがいて、あれやこれや議論している場面も映っていて、ほんとうに、みんなが自分の仕事をこなしている様子がわかり、いろいろな気持ちまで思い出しました

幼稚園や小学校のお遊戯会的なものと違って、高校生になると「裏方」も全部自分たち、全員高校生で先生の手伝う場面などありません
そして、表に出る人ばかりが重要なのではないのです
むしろ、自分は表に出るわけじゃないのに、一生懸命準備してくれていたメンバーを思い出すと、なんてすごいことをしてくれていたんだ、と感動します
ものすごく、そのことの重要さを改めて思い出していました

でも、娘が見てもう一度言いました
「こんなことをする時間、どこにもないや」

…確かに、娘をはじめ、高校生で、進学校に通っている子達からの様子を聞くと、本当に、どこにこんなイベントを準備する時間があるだろう、と思い知らされます

1年生のうちから課題に模試に、定期テストに…
イベントは縮小され、芸術科目も減らされ、とにかく大学入試に向けて無駄のないカリキュラムを組むことが使命、みたいになっている高校が本当に増えました

30年以上、この仕事をしていると、そうなったタイミングや、どの高校からそれを始めたのか、実は覚えています
でも、その高校だけがきっかけではなく、それは、全国的な流れだったのだと思います

大人が読むような雑誌に、全国のどこの高校から東大に何人合格したとか、そういうランキングが出るようになりました
塾や予備校がしていたようなそのような進学率や進学先の自慢や公表を、私立高校ならまだしも、公立高校までがするようになって久しいです
進路相談の面談で、保護者の方が「この高校は○○大学などに進学している子が多いので」というような理由で子どもに薦めているのを聞くこともあります

いつから高校は、大学進学のための予備校になってしまったんでしょう
いつから高校生活には、進学のために無駄を省き、効率的に有意義に勉強しなければならない、というテーマを掲げられてしまったんでしょう

先日、大学入試共通テストが行われましたが、新聞にはその問題と解答が掲載されました
毎年のことです
私も仕事柄目を通していますが、
ある進学校に通う生徒がその時期、言っていました
まだ2年生ですが、共通テストを学校で受検するのだそうです
もちろん出願はしていませんから、模試のように問題を解くだけです
でも、採点をして、結果を出すのだそうです
そのため、
「塾でおこなうような共通テスト解説の授業は受けないように」
と学校から通達があり、さらに、
「新聞に掲載されている問題と解答も見ないように」
と注意されたそうです

私はその話を聞いて、愕然としました
高校の予備校化もここまできたのか~とがっかりしました

そんなことは各個人に任せればいいことです
共通テストに興味があり、必要とする子は自分で解いてみるでしょう
塾の共通テスト解説の授業が必要だと思う子は受講するでしょう
興味も関心もないし、必要としていないという子にも、解かせたい、という希望はわからないでもないですが、そこに何も意味はありません
進路は、
大人に仕向けてもらってやっと切り拓くものではなく、
その子自身が自分で進んでいくためにあるものです
「みんな一緒に同じことを」する意味などないし、
強制する権利もないはずです
進学校だからって、全員が大学に進学したいと思うかはわかりません
進学は当たり前で、さらに、とにかく偏差値の高いところを目指すのがいいことだみたいな傾向があるけれど、どうして全員にそれが必要だと勝手に決めてかかっているのでしょう

それぞれの夢や希望に耳を傾ける事もなく、
さらに個人で受講している塾の授業や、新聞で目にすることにまで意見して制限する、
そこまでする意味が全くわかりません

そんな話を聞いてから、ある歌の歌詞を思い出しました

この先に出会うどんな友とも
分かち合えない秘密を共にした
それなのにたったひと言の
「ごめんね」だけ
やけに遠くて言えなかったり
明日も会うのになぜか僕らは
眠い目こすり夜通しバカ話
明くる日案の定机並べて居眠りして
怒られてるのに笑えてきて

理屈に合わないことを
どれだけやれるかが青春とでも
どこかで僕ら思っていたのかな

ああ
答えがある問いばかりを
教わってきたよ
そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは
いつも正解などまだ銀河にもない
一番大切な君と仲直りの仕方
大好きなあの子の心の振り向かせ方
なに一つ見えない僕らの未来だから
答えがすでにある問いなんかに用などはない

(中略)

僕たちが知りたかったのは
いつも正解など大人も知らない
喜びが溢れて止まらない夜の眠り方
悔しさで滲んだ心の傷の治し方
傷ついた友の励まし方

(後略)

『正解』  作詞 野田洋次郎(RAD WINPS)

やはり進学校だったのに、
どうしてあんなに友とわいわいやり、
部活もやっていたのに、隙間時間であれだけの準備をすることができたのか、
また「ビデオ」のことを思い出し、考えていました
他にも、行事はたくさんあって、厳しい進路指導も健在でした
それでも、
もっと個々が勝手にやれたかな
頑張りたい子は頑張っていたし、そういう子をバカにしたり、邪魔したりする子もいなかったな
頑張らない子も元気で存在できたし、うるさい先生もいたけど、おおらかな先生もいたな
いろんな人がいて、どんな子もわりと存在できたかな
と思い出しました

そんな中、
必然的に友や先生との関わりは多いから、
「ごめんね」がなかなか言えなかった苦い思い出も、
一緒に下校してアイスクリーム食べながらひとしきりお喋りしたのに帰宅したらまた長電話したり
仲直りの仕方も…何通りも…
喜びが溢れた夜も…
悔しさで滲んだ心の傷も…
そして、
傷ついた友の励まし方も…
相変わらず「正解」はわからないけど、
その時なりに、今よりもっと無謀で無知で無邪気だったけど、
ひととおり、経験したかもなあ、って思ったのです

いくら模試を前倒しにしても、課題やテストでがんじがらめにしても、
共通テストを学校で無理矢理解かせても、
そして、いくら進学率を上げたとしても、
社会に出ていろんな人と働くとき、
家族を作って子育てをしていくとき、
大人としていろんな人とつきあうとき、
役に立つのはどっちかな、って思うんです

それどころか、
そのとき経験できなかったらいつ経験できるんだ?って思うんです

ある進学校の教師が、「そういうのは大学に入ってからでもできるから」と、
高校生達の娯楽や友人関係に釘をさしたことがありました
そういう教師は経験がないのでしょう
高校生にしかできない心の経験が、
もしかしたら大人になる直前の、限定的で大切な時期特有の経験が、
高校生にしかできないかもしれないということを、知らないのでしょう

この先に出会うどんな友とも
分かち合えない秘密を共にした

知らないなら想像してほしい
知らない大人は想像してほしい
知っているなら思い出してほしい

どれだけ大切な時期だったか
それが黒歴史だったとしても、
白歴史だったとしても、
二度と戻ってこない独特のあの時期、
どんな心の経験をしたのかを

机にかじりつかせていたら経験できない心のユラユラを

そのユラユラを覚えてるから、
誰かを大切に思う人間になれたことを

「正解」は銀河の先で、ずっとわからないかもしれない
でも、考え続けること、感じとることの大切さを