すっかりどんぐりっこになっている小学生達は、
どんぐり問題を解くとき、
「答えが合っているか間違っているか」を一番には考えないようになってきます
もちろん、
全然考えないわけじゃなくて、
解き終えたらそりゃあ正誤は気になるんだけど、
でも、
どんぐりを始めたばかりの子と比べると、
随分とそのあたりを払拭できてくる、しようとしている…と感じます
大切なのは正解か不正解ではない、ということを忘れないでほしいのです

でも、子どもたちよりももっと大人の方の方が、
正誤は気になるようです
確かに、
問題があるんだから模範解答があって、
それと同じ答えになった方がいいってのはわかります
確かに、同じ答えが出れば正解で、
その問題はクリアですから2度と解かなくてもいいってことになります
そうやって、
学校のテストも、どんぐり問題も、
正解したものとはサヨナラ~ってして前に進んでいます
正解できたね、マルだったね、あーよかったね、って

この部分が強調されすぎているように見えます
大人も子どもも、ここが一番大事だと思い込んでしまっているのがとてももったいないなあって思うんです

それはなんでかなあ、って考えると、
やっぱり、小さい頃からの型にはまった習いごとや、
お勉強教える系の幼稚園や低学年の学校の先生の授業や課題、
そういうものを通して子どもを評価することを、
子どもが物心ついたときから颯爽と続けてきて、
その結果、
小さな子どもも常に評価を気にする
正誤を気にする
正解じゃないとよくなくて、
だから、できれば正解を早く出して、クリアしちゃいたい
そんな習慣がびしっと身についてしまうんだということです

私は、30年以上子どもたちを見続けてきて、
ほんとうに、この部分から小さいうちに解放させてあげられて、
評価や成績以外の目標で生き生きと学び、動ける子の強さを目の当たりにしています
いっぽう、
これができなきゃいけない、
これがうまい、へた、
これが正しくてこれが間違い…
何をするにもそんなことにとらわれて、
失敗する勇気もなければ、やり直す素直さもない
そんなことまで奪われて、
中学生になる頃にはすっかり自信を失い、
果敢に挑戦できなくなってしまう子も見てきました

どんぐり問題を解くとき、
正誤を念頭に置くのではなく、考える過程を全て絵にして深く考える
ということが必須なのですが、
これは中学生になっても、やっぱり何も変わらないのです

いやいや、中学生になったら宿題だって自分でやるし、テストの前には勉強しないとならないでしょう、やっぱり正解が多い方がいいに決まっているじゃない
と、
言われそうですが、
確かに、その通りですが、
肝心なのは「どんな練習をしているか」なんです

テストで良い点数をとりたい、という目標はいいと思います
本人が取りたいと思うのは自然なことです
でも、テストは1回じゃないので、
少なくとも大きなテストは年に5回くらいあるので、
そのテストの度にできれば良い点数をとりたい、と中学生達は思っているはずです

でも、
多くの中学生達は、
テスト直前にバタバタと準備して、なんとかその範囲をなでるように終わらせようとします
学校からは範囲の内容の課題が出され、それをこなすので精一杯の子もいます

それは、
年に5回しかない大事な試合に向けて、
普段、筋トレも走り込みもせず、体調管理もしないで、
試合直前で急に準備して臨むのと同じです

テスト前に課題をやっていて難しくてなかなか進めないとか、
わからないことが山ほど出てきてしまってあきらめちゃうとか、
そんな中学生を見ていると、
普段なにやってるのかなあって思います
小学生より学校から帰るのは遅くなるけど、
机に向かう時間が日頃、全くないことはありません
いいえ、ちゃんと日々の課題をこなすため、机に向かっているんです、という声が聞こえてきますが、そう、中学生達はちゃんと学校の授業を受け、家で課題をこなします

それなのに、テスト前になると
わかってない
解けない
あれ?あれあれあれ?
授業で習ったときは解けたのに

その謎を解きましょう
それは、
深く考えていないからです

学校の授業で教わって、
先生が解き方を教え、
はい、解きましょう、と言われたその直後は、
解き方を真似ればいいので、解けるんです
だから、家に帰って「解けなかった」と焦ることもなく、
だから、復習する必要性も感じず、
そのまま放置です

そう、解き方を真似て解くことは、
深く考えることとはかけ離れています
深く考えるためには、誰かの解き方を真似ているだけではダメなんです

いくらわかりやすい授業を受けても、
わかりやすい解説を聞いても、
自分の頭をゆさゆさとゆさぶって、深く考えようとしなければ、
絶対に記憶に残らないんです

よく、
小学校高学年とか中学生とかに、
突然、随分前に学習した内容の復習をしてもらおうと問題を出したりすると、
「忘れちゃった」と言うことがあります
忘れちゃっても、ひょいっと思い出す子もいますが、
ついに思い出せない子もいます
この違いは、
そのとき、深く考えたかどうかです
人間は忘れる生き物です
覚えようとして覚えたことをずっとそのまま覚えておくことはできません
有名な忘却曲線で調べてみてください
だから、
漢字練習をたくさんさせても、テストの前に練習をさせても、
そのときは良い点数がとれてもすぐに忘れてしまいます
忘れない子もいます
それは、
深く考える習慣がある子です
思考力養成には何の役にも立たない漢字ですが、
この漢字…何かと似ているなあ
とか、
この漢字、他になんて読むのかなあ
とか、
この漢字、どうしてこのヘンを使うのかなあ
とか、
いちいち考えて見ている子です
ただの暗記じゃなく、深く思考しているんです

何においてもこの差は出てきます
同じことを同じように見聞きしても、
深く考える習慣のある子は、あとあとまで使える思考回路をその都度構築しているのです
12歳で刈り込みされるシナプスですから、
12歳までに複雑で自主的な思考をたくさんしないと、
単純回路だけで生きていかなくてはならなくなります
そして12歳を過ぎても、
今度はもう増やせない思考回路を駆使して、自分の人生を生き抜くのです
そのために自分は何ができて、何ができないのか、
それを見極め、自分を知るために中学校3年間の勉強があります
文章を読み、深く考えて、解釈すること
先人の考えた解法やエビデンスの取れた実験や観察を知り、それらをなぞりつつ自分なりに整理して考え、習得していくこと
そしてたとえば英語のように、日本語と似ていない外国語を学びながら、
その法則を知り、母語とは別の表現の方法があることを知っていきます

それを、
正解か不正解か、それだけにとらわれて、
さらに、
提出さえすれば評価が下がらない、と脅迫されて無理矢理期日までに課題をこなすことで、
いつの間にか、
ほとんどの中学生が深く考えることから遠ざけられてしまうのです
そんな暇ない!と叫ばれそう
でも、
そうじゃないんだな
時間が必要なことじゃないんです
長く机に向かわなきゃできないことじゃないんです
ただ道を歩いていても
ただ人と話していても
ただ部活の帰りに夕焼けを見ても
車に乗せられていても
ご飯を食べていても
私たちは
常に思考しています
思考しない習慣の人はそんなとき、
思い切りスイッチを切っています
勉強するときだけスイッチを入れるつもりなんでしょうけれど、
そういうのはどうやら無理そうです
だって、
長いこと子どもたちと勉強する仕事をしてきて知っているのは、
賢い子は絶対にスイッチを切らないってことです
そんなの疲れちゃわない?って心配ですか?
いいえ、考えることって疲れることじゃないんです
疲れる、って思う人は、慣れてない人です
思考習慣のない人かもしれません

普段から深く考える習慣がある人は、
どんな科目でも深く考えるから、正誤はともかく、いろんなことをよく覚えています
だから、問題を解くのも楽そうです

はい、思考習慣をつけなさい!
って言われてつくものじゃないんです
これはもう、幼少期からの習慣と、周囲の言葉がけ、周囲の心意気、周囲の扱いによります

私の英語の自作教材に、
整序問題集があります
みんな、何度も間違えて、何度も解きなおします
英語も数学も、正解はひとつですから、そりゃあ、正解しないとマルにはなりません
でも、
ここでも深く考える子と、考えない子とで差がつきます
実教室では、
「あとでまとめてするのでは大変過ぎるシリーズ」として、
漢字テストと語彙力テストを毎回配布しています
既習未習問わず、全学年共通の小テストです

深く考える習慣のある子は、なんでも自分の糧にしてしまうので、
こういう何の変哲もないプリントでさえ、思考の材料にしてしまいます

普通に回収してマルツケしてみると、
「これってなんて読むの?」って質問が書いてあったりします
出題と違う部分に書いてある漢字です
それから、
「どうしてこういう意味なの?」という質問もあったりします
ああ、これは話題として面白い、と思ってみんなに対して説明することもあります
そうすると、質問を書いた子は目を輝かせて説明を聞き、
説明が終わると「面白い!」と言います
そういう子は、何の科目を勉強していても、
「面白い」とよく言います
何の興味もない…という顔をして一応私の方を見ている子が、
何にも思考していないのはよくわかります
同じ時間を費やすのだから、少しは深く頭を揺さぶってみてもいいじゃん~って思いつつ…
もう、深く考える習慣のない子は、あらゆることが面倒くさくてたまらないのだと思います
そんな状態で勉強しなくちゃならないなんて、苦痛ですよね…

深く考えることができる…って…
それってすごく頭が良い子だからでしょ?
って言うんでしょう?

いいえ、
頭が良いから思考習慣があるのではなく、思考習慣があるから頭がよくなるんです
何をしてても深く考えてなんなら考えることを楽しむ習慣がある子と、
いやいや勉強してる子とでは、
たとえ同じ点数をとっていたとしてもその深さが違うのと、
なにより精神状態に大きな違いがあります

そんな中学生になるために、
小学生までに何をしたらいいのか
何をすべきでないのか
これまでも何度も何度も書いてきました

あーあ
ちょっと呟きたかっただけなのに、
ブログにすると結局こんなに長くなってしまう…

呟きたかったのは、今日もたくさんの添削をしたあとで思ったのです

ああ、深く考える子はどんどん伸びている
惰性で書いてる子は理解が一向に深まらないからずっと退屈なんじゃないかな、

って